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結論から言うと。

私はあれ以来、毎回耳かき中に寝落ちするようになってしまった。


「今日は右から?」

「どっちでも」

「じゃ、こっち」

私はセミロングの髪の結んであるシュシュを外してから、しっかりと邪魔な髪の毛を耳にかけて準備を整える。ウキウキと、すでに長椅子に座って待機している久世くんの膝に頭を乗せる。

最近は初回の羞恥が嘘だったかのように2人とも慣れたものだ。

いや、久世くんははじめから普通だったかも。妹いるみたいだし、女の子に緊張しないタイプなのかもしれない。

初回での久世テクニックで、早くも、極楽〉〉〉照れ になってしまった私は

髪を結んだままだと膝枕してもらう時にゴロゴロと違和感が邪魔をするのでいつも結んでいる髪を外すことにした。

準備万端の私が、膝の上で、いつものようにお願いしますの心持ちになると、久世くんも、では、と答えるようにすぐ耳かきを始めてくれる。

久世くんの耳かきは、すぐに耳の奥には触れずに、まずは耳介を軽く拭うように綿棒でこする。

さりさりさり さりさりさり

その時に軽く温かい指で耳も触る。

もうこれだけで私は身体中の力が弛緩してくたぁっとなる。

絶妙な力使い。恐るべし久世テクニック。

彼曰く、これは今日の耳かきの方向性を決める大事な工程らしい。

その後は竹の耳かきで奥を擦っていく。

かり。

かり、かり。

ガサゴソ。

その辺りまでは、だいたい覚えている。

でも、いつの間にか眠っている。

そして目を覚ますと、久世くんはたいてい本を読んでいる。

「……寝てた?」

「うん」

「どのくらい?」

「四十分くらい」

「起こしてよ」

「なんで?」

「なんでって……」

「本田さんの耳かきは、寝るのもセットなんじゃないの?」

「そんなことはないはず、だけど、気持ち良すぎて寝ちゃう」

「じゃあ、仕方ないんじゃない」

久世くんに温度感のない声で、そう言われると妙な説得力がある。

仕方ないのか。

それでも初めのうちは寝こけて待たせてるのが申し訳なくて、頑張って口の中を噛んでたり、スマホのアラームつけといたりしたんだけど。

噛んでると久世くんに力が入ってやりにくいって止められて、アラームも私が起きたら、鳴ったけど起きないから止めといたと言われた。

しかも寝落ちされるのは耳かきする側にとっては達成感があるから気にしなくていいと。

久世テクニックは回を追うごとに増して、絶妙に私の気持ちいいところ的確に刺激するようになり、私は早々に抗うことをやめた。


そんなある日のことだった。

目が覚めた時、久世くんの膝側の頬っぺたがなんだか冷たかった。

「……ん」

まだ半分眠ったまま、私は顔を動かした。

そのとき。

久世くんの指が、私の唇に微かに触れた。

たぶん親指で、こすこすと、非常に優しい力で何かを拭われてる。

「…………」

「…………」

目が開いた。

久世くんが私を見下ろしていた。

いつもの細い目が、少しだけ弧を描いている。

笑ってるの?


「……起きた?」

「…………なにしてるの」

「よだれ」

「…………」

私は固まった。

「え」

「よだれ出てた」

飛び起きた。

「うそ!!」

「ほんと」

そして見てしまった。

久世くんの制服のズボンの太腿のところに

立派なよだれのシミができていた。

「…………」

「…………」

「ヒイいいいいいい!!!!!」

飛び起きた私は絶叫した。


「別にいいよ」

「よくない!!」

「乾くし」

「乾いてもよだれだよ!」

私は慌てて鞄からタオルハンカチを出した。

ゴシゴシ擦っても全然消えない。

「うわあ!!全然消えない私のよだれ!!』

「ちょっ!そこ!こら!」

久世くんが急に長椅子から飛び跳ねて私から距離をとる。

「久世くん!脱いで!洗ってくる!」

「やだよ!」

タオル片手にジリジリと迫る私に追い詰められて資料室の壁に手をつく久世くん。

「あ!ほら、うち猫飼ってるから。猫もよく俺のズボン舐めてベトベトにするし。でも俺特に嫌じゃないから。」

「猫。」

「そう、猫。だから気にしないで大丈夫。」

同級生に膝によだれの海を作られても気にしない高校生男子なんておる?

でもそもそも同級生男子の膝で寝落ちしてよだれ垂らす女子高生がたぶん居ない。

荒ぶる私を久世くんが宥めようと必死なのに免じて、私は久世くんのズボンを諦めた。無念。


そのままトボトボと帰る駅までの道のり。

「どんな猫飼ってるの?」

「保護猫で貰い受けたから、種類とかわかんない。薄茶色で、トラみたいな柄のやつ。」

「いいなぁ猫。」

「猫好きなの?」

「飼いたいけど、うちマンションだし。」

またしょんぼりして俯くと、隣を歩く久世くんのズボンのシミが見える。

久世くんはあのあとも慌てふためく私を前にすぐ低いテンションを取り戻したし、今も何も無かったように平然としている。


その顔を見て、私はふと止まった。

「…そういえば、さっき笑ってた?」

「え?」

「私のよだれ見てた時。」

「笑ってない」

「笑ってた、気がする。」

「寝ぼけてたんじゃない」

「絶対笑ってた」

「そうかな?」

少し背けた細い目元がわずかに弧を描いていたけど、私はそれ以上寡黙な男子高校生を突っつき回すなんて無粋なことはせず、硬派に黙って歩いた。


翌週。

私はタオルを持参した。

「何それ」

「敷く」

「どこに?」

「久世くんの膝」

「…………」

私は猫の刺繍が入った小さなタオルを、彼の太腿に広げた。

「これで寝ても大丈夫」

「準備万端だね」

「二度と久世くんの制服によだれの海は作らない」

「俺は別に気にしてないけど」

「私が気にするの!」

「ふうん」

久世くんはタオルを見た。

「ほんとに好きなんだね、猫。」

「好き。おばあちゃんなったら絶対飼う。あ、今度久世くんの家の猫の画像あったら見せてよ。」

「いいよ。本物がいいなら見にきてもいいよ。」

それだけ言って、久世くんはケースから耳かきを出した。

私はすっかり慣れた動作で横になる。

家行っていいってことかな?

耳かき以外の約束したことないから、なんか不思議。私と久世くんの関係って不健全なんだか、健全なんだかよくわからんな。


「あー……これこれ」

「おっさんかな」

「うるさいなー」

もう最近は久世くんの太ももに頭くっつけるだけで条件反射で弛緩する。

耳の奥を見るように、久世くんの指が、耳介を軽く引っ張った。

「ん」

「……あ」

「なに?」

「あ、今日はちょい奥にある」

「取れる?」

「たぶん。ちょっと大きい」

耳かきが入る。

かり。

「…………」

かり、かり。

音が頭の中に響く。

「ちょっと奥触るから動かないでね」

「んー」

「痛かったら言ってね?」

「うん」

耳かきの先が、さっきより少しだけ奥へ触れる。

かり。がリリがリリがリリ

ぞくぞくする。やばい、気持ちいい。

「……っ」

「痛い?」

久世くんの手が即座に止まった。

「違う。気持ちいい」

「ならいいけど。素直だなー。」

また動く。

ゆっくり。

ひっかけるというより、端を探すみたいに。

かり。

かり。パリリ

少しだけ剥がれる感覚がして――

「取れた」

「ほんと?」

「うん。大きい」

私は目を開けた。

「見る?」

「見る」

久世くんが耳かきの先を見せる。

「うわ」

「大物」

「恥ずかしい。即捨ててください。」

「なんで?取れると嬉しいんだけど。」

そう言う久世くんの声が、珍しくだいぶ温度高め。

耳かきするの好きな人にしてもらう耳かきってほんと最高。


「……久世くん」

「ん?」

「私ばっかり得してない?」

「なんで?」

「だって私、毎週めちゃくちゃ気持ちいい思いして、そのあと寝てるだけじゃん」

「俺も耳かきしたいから、させてもらってる時点で別にいいけど」

「でもさあ」

「じっとしてくれるし」

「寝てるからね」

「妹はすぐ動くからやりにくかった」

「私、優良顧客?」

「顧客ではないでしょ」

「いやいや、久世くんの耳かき技術は店開けるよ。耳かきサロン久世。私払える範囲ならアルバイトしてでも通うよ」

「本田さんはタダでいいよ。創設者だから。」

2人でツボにはいって笑った。


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