表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Syzygy Love  作者: おきついたち


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/7

2.まえに

家の中はいつも清潔で石鹸の匂いがしていて。

窓は真っ白なカーテンがぴっちりと覆われているけど、照明が明るく部屋を照らしていて。

リビングにはリバティの小花柄ワンピースを着た小柄な母親が座っている

でもそれは少し無機質な硬さと冷たさをまとう人形みたいで。

小学生の孝星は近付く時少し緊張してしまう。

そんな孝星の姿に気付くと、母親はにっこり微笑んで声を掛ける。

「孝星くん、手は綺麗に洗うた?」

「うん。石鹸泡立てて指の間も爪んとこも洗うた」

「そんなら良かった」

そう応える母親の目元が何かを探すように細められ。

孝星の頭のてっぺんからスリッパまでじぃっと確認して。

その間中、母親の白くて細い指が小刻みに動いていて。やっとピタリと止まると。

「おかえりなさい。おばあちゃんからオヤツ貰おてね」

「うん」

孝星は静かに身体の向きを変え、リビングのドアをパタンと閉めて。

ふうっと小さく息を吐き出してからキッチンの方へ向かう。

(今日のおやつ何んやろ)

食べ盛りの子供ならワクワク楽しみ顔でキッチンを覗くものだけど。

孝星はつまらなそうな表情でノロノロ歩く。

ただリビングから離れたくて、でもキッチンに行きたい訳でもない歩調。

キッチンでは真っ白な割烹着姿の祖母が家事をしながら孝星に笑い掛けてくれた。

「おかえりコウちゃん。

ホットケーキあるで。食べるやろ?温め直そな」

磨かれてぴかぴかのテーブルにはラップが掛けられた皿があるけれど。

皿に乗っているのは思っていたのとはかなり違ってて、ぺたりと薄くくすんだ茶色。

祖母が温め直したおやつと牛乳が入ったコップを並べてくれた。

その薄い茶色のモノの上には、ひとかけバターが乗っているだけ。

「これホットケーキなん?」

「そおやで。無農薬の全粒粉使うとるから安全で身体にも良えンやで」

「ふうん…」

甘い物は食べて良い量が決まっているから。

朝食のヨーグルトに入っていたハチミツで今日の分は終了。

飲み物は牛乳か麦茶。緑茶や紅茶の香りに興味はあるけど、それは大人の飲み物。

それは決まり事だから仕方ない。

もう何も言わずにドアに近い自分のイスに座ると、孝星は手を合わせて「いただきます」。

黙々と口に押し込みながら思う。(なあんの味もせえへんなあ)



初めて星之介の家で出して貰ったおやつもホットケーキだった。

それは部屋を甘い香りでいっぱいにして、眩しい黄色とこんがり茶色でふわりと厚く。

それを3枚も重ね、オレのんが高い!と星之介はご機嫌。

そして皿の縁ギリまでたっぷりシロップかけて、てっぺんにチョコホイップ。

フォークだけではひとくちサイズに切れないから。

口の周りと指先をシロップでベタベタにしながら星之介はかぶりついてた。

おまけに粉の入ったカップにお湯を入れると、それだけでレモンティーが出来上がるし。

色々びっくりし過ぎて、孝星はフォークを握り口と目が開いたまま。

「シロップかけへんの?」

星之介が孝星を覗き込む。

「おまえはかけ過ぎや。見とるだけで胸焼けするワ。

孝星、こいつに付き合わんでエエからな。スキなよーにして食べや」

星之介の兄達は呆れ顔だけど、そんな弟がカワイクて。そのクセ毛頭を小突いて笑ってる。


習慣でつい孝星はシロップ容器の裏側を確認してしまう

成分表示には糖類・香料と言った漢字が並んでいて。それは母親が嫌悪してる単語達。

そもそも容器にはメープル風シロップと書いてあるから、純正じゃないのは明確。

その途端いつも母親に言われている言葉が頭の中を巡る。

「身体には悪いモノなんやから、食べたらあかんよ。

口から入った悪いモンは、どんどん身体ん中に溜まってまうからな。絶対絶対あかんよ」

でも。目の前では、星之介がぺかーっと輝く笑顔で美味しそうに頬張っている。

「えへへへ。甘あておいしいなあ。

かあちゃーん!さいこおやあ、ありがとお」

そんな言葉を聞いてしまうと、孝星の心臓はドキドキと加速していって。

母親の声を振り払い、聞こえなくなるまで遠くへ遠くへ駆けて行く。

オレもフォーク使わんで、かぶりついてもエエんやろか?

べたべたの指を舐めたらどんな味するんやろ?

食べとる途中に大きな声で話したり笑うても、イヤな顔されへんのかな?


やってみたいと言う興味が孝星の腕をぐいと引っ張り、シロップの容器が傾いて。

初めて見る琥珀色の雫がとろりと落ちてホットケーキに染み入って行く。

「どおや?」

また星之介のキラキラな瞳が覗き込んで来た。

「うん。めっちゃ甘い」

「やろーっ!最高やんなっ」

容器の中でとろんと揺れるシロップはキレイに見えたし。汚いとか悪いモノには思えない。

それどころか身体の奥からぶわっとキモチが溢れ出す(甘い!美味しい!楽しいなあ)。

「うんっめっちゃ最高や」

あはははは!と響く自分の笑い声も、初めて聞いた気がした。


それからは、星之介と一緒にたくさんの「初めて」がどんどん増えて行く。

暑い夏には絵具みたいにカラフルなカキ氷を食べて、舌がヘンな色になって。

秋祭りには屋台でオッサンが焼くソースの味しかしない焼きそばを頬張って。

寒くなると、残り少ないお小遣いを合わせて1つだけ買えた肉まんを半分コ。

もう孝星は成分表示なんて見ない。

だってソコには一番大切なコトが書いてないから。

どれだけ楽しいか、キモチが温かくなるか、たくさん笑いたくなるか。

星之介成分さえあれば、孝星の心はたっぷり満たされるから。




小学校に上がるタイミングで、孝星は両親と母方の祖父母5人でこの町に越して来た。

それまでは隣のT市にある広い祖父母宅で暮らしていたけれど。

父親の職場が移転したので通勤短縮の為の転居。

他にも色々とオトナの事情があるみたいで、コドモは黙って付いて行くだけ。

でもそのお陰で六弘星之介と出会えた。


出会った頃は孝星の方がチビだったから、六弘家の末っ子星之介はアニキ役に昇進気分。

ジャングルジムがある公園や池でアヒルが泳ぐ神社、とにかくあちこち引っ張り回すから。

自然と孝星は新しい土地にも友達にも馴染んで行けた。

毎日服や靴を砂だらけにして帰宅する孝星を見て、祖母は真っ青になったけれど。

家に入る前に祖父はそっと孝星の服から、静かに砂を落としてくれた。

「孝星だけはなあ、偏ったニンゲンに成らんようにしたらんと。

正しいとか良えて言われるコトともなあ、世の中にはようけ在る。ひとつだけや無い。

自分で考えて選んで行けるよおに成らんとなあ」

そんな祖父がいつも孝星の手を握って六弘家へ連れて行ってくれて。

孝星と星之介が遊んでいる間は祖父同士で碁を打って。

夕方になるとまた孝星の手を引いて家へ戻る。

その時はいつも、遊びで盛り上がったキブンのままに孝星は祖父にしゃべくって。

祖父は静かに相槌を打ちながら、孝星の話を聞いてくれた。


その頃実は、新しい環境に戸惑う母親を落ち着かせる為に祖母と父親は手一杯。

そんな混乱した空気から孝星を遠ざけようと、祖父が連れ出していたのだけど。

孝星にとっては星之介と遊べるのが楽しくて楽しみで。深く考えてなかった。




引越前は母親と祖母と孝星3人で過ごす時間が長くて。

家事は祖母がして、母親は付きっきりで色んなコトを教えてくれた。

だから食事やおやつは全部祖母の手作りで。

小学校入学前から、孝星は簡単な漢字が書けたし足し算引き算も出来たし。

そしてアチコチに潜んでるバイ菌や身体に悪いテンカブツとか難しい言葉も頑張って覚えた。

「孝星くんはそのままで居ってね。

外の人は色んな物が混ざって汚れとおけど。この家に居ったらキレイなままやからな。

ほんまはね『無い』って良えコトなんよ。無農薬とか無添加て言うでしょお?

そのまんまが一番やねん。余計なもんを口にしたらあかん、触ったらあかんで」

小柄で色白でほっそりとした母親は確かに混ざり物など何も無くて美しく見えたし。

深い真っ黒な瞳でじっと見つめられ、母子2人の誓いみたいに語り続けられると。

母親の言葉と声が孝星の中に積もり敷き詰められ。

母親の瞳がいつも自分に向けられてる気分になる。

母親みたいにキレイな大人にならんとアカン、そう心がぎゅうっと硬く尖ンがっていった。


でも母親は体調を崩して寝室に閉じこもることが多くて。

そんな時は祖母と父親しか、母親に会うことが出来ないから。

祖父が孝星の手を引いて散歩に連れて行ってくれた。

不思議なコトに。

祖父と2人で家の外へ出ると、母親の声も目も付て来なくて。急に身体が軽くなる。

だからスキップして水溜りへ飛び込んで靴も足も汚したり。

道端に落ちてる枝を拾って蜘蛛の巣をつついたり、蟻ンコの行列を邪魔したり。

泡立てた石鹸で手を洗ってないのに、コンビニで買って貰ったアイスを齧ったり。

祖父は家に居る時よりも柔らかな表情で、何も言わずに孝星を見守るだけ。

そして家へ帰りつくと、玄関脇で止まってポケットからウェットティッシュを取り出す。

指も腕も脛もとにかく見えている肌全てを丁寧に拭き上げ。

ウェットティッシュを全部使って、靴やシャツに撥ねた泥水まで落とす。

「孝星はよお頑張っとお、ほんま我慢強い子ぉや。

すまんなあ、毎日言う訳にはいかんけど。また一緒に散歩行こおなあ」

ボソボソと消えそうな声で呟きながら、祖父はその顔付きが次第に無表情になって行く。

だから子供の孝星も何んとなくココが外と内の境目なんやと感じてしまう。

(ウチ入ったらお母さんの気に障らんよおにせんと)

そうしないと何かが崩れ壊れてしまいそうな気がしていた。




それが判っていたから。

星之介と一緒に遊ぶようになっても、境目を忘れないようにしていたけれど。

心は頑張って我慢しても。身体はそういうワケには行かなくて。

小学5年になった頃から孝星はぐんぐん背が伸びて服も靴もサイズが合わなくなった。

毎朝祖母が用意してくれる服は、貝ボタンとワンポイント刺繍付シャツとかで。

もう肩幅はキツイし、喉元のボタンは届かない。

ソックスはゴムが食い込んで先っぽは今にも穴が開きそう。

そしてある朝「お母さん」と呼び掛けた声が擦れて低くなった時、とうとう。

何んだか判らない悲鳴をあげて母親は寝室に逃げ込んでしまった。

それからは孝星が学校に居る時間帯だけしか母親は寝室から出て来なくなって。

「あんなん私の子ぉちゃう。あんな男の人知らん。

大きい身体ん中にどんな悪いモンが詰まっとおか判らへん。きたないこわい…」

そして寝室の秘密が漏れないように、大人だけがヒソヒソ囁きコソコソ動いて。

境目の内側では孝星は存在しないのも同然になっていた。


でもその頃には、子供だった孝星も気付いてて。

引越前は「槌谷さんの娘さんはキレイ好きや」と評判だった母親だけれど。

それが潔癖症と囁かれるようになって、近所の目から逃げるように引越して。

でも結局強迫性障害と診断されて、今では祖母に付き添われて通院中。

そんな状況になっても父親も祖父母も、孝星には何も説明してくれないから。

図書館でひとり分厚い精神疾患の専門書を開き、孝星は難しい単語ひとつずつ追ってみた。

ページにぎっしり書いてあるコトは理解出来ない部分も多かったけれど。

解ってしまったコトもあって。

母親のことを調べていたつもりが、自分自身にも突き付けられてしまう。


母親から教わってきたコトは「良いコト」のはずだったのに。

それらは「良くないコト」になり「治さないといけないコト」に変ってしまって。

そしてそんな母親の声が言葉が視線が、既に自分の中にはいっぱい詰まってる。


ぽたりと水滴がページに落ちた。

(わ!図書館の本やなのに、アカンよおになってまう)

孝星は慌てて、紙に沁み込む自分の冷汗をハンカチで拭くけれど。

ぽたぽたと水滴は止まらずページを湿らせて行く。

(どないしよ、どないしよお)

焦ってハンカチを当てるほどページに皺が寄ってしまうのを見て、思う。

(オレが触っとるからアカンのやろか?汚なあにしとおのはオレやろか?)

冷汗と思いたかった水滴は自分の涙、自分の中の悪いモノが滲み出てる。


たんっ!と日焼けした小さな手が孝星の前に置かれた。

「もおーなかなか家来おへんから、探しまくってもおたやんかー」

孝星が顔を上げると、唇を尖らせた星之介と六弘兄弟の長男須恵が立っていて。

涙でぐちゃぐちゃの孝星を見て、2人は目がまん丸に。

「どないしたんっ?怖い本読んどおの?」

机に身を乗り出して星之介は自分のTシャツを引っ張り、孝星の顔を拭く。

須恵は本の内容に気付くと、顔をしかめて孝星の方へ回ってぽんぽんと背中を慰める。

「孝星これから3人でアイス喰いに行こおや。

この本もおエエやんな?オレが返却しとく」

「けど。オレが汚なあにしてもた…」

「濡れた本て、重しで皺伸ばしとか出来るらしーで。

まあ職員さんに見て貰うて、何ンか手続きが必要やったらオレがしとくし」

「けどっ!オレがっ」

孝星の声が大きく響く。

それまでギリギリ堪えていた感情が言葉と一緒に溢れてしまって抑えられない。

「いいや、おまえのせいちゃう。ちゃんと話さん大人のせいや。

知識と経験持っとお大人はアレコレ折り合い付けて、自分の内と外とを区別出来る。

せやから傍観者位置で済ませたり、他人事として巻き込まれンよおに上手く避ける。

けど、おまえはまだ子供や。

知らんコトの方が多い。知っとるコトはそんな大人から聞かされたことだけや。

聞かされたまんま、言われたまんまが全てやと思い込んでまうやろ。

そおやないで。

孝星は孝星や。おまえの母親とも父親ともちゃうし、本に書いてあるンともちゃう。

槌谷孝星いう世の中に1人だけの人間や」

「なんのはなし…?」

Tシャツを引っ張り過ぎてヘソ丸出しの星之介は目をぱちくり。

でも孝星の涙は止まって、そして声にはならないけど口が小さく動く。

(オレはお母さんとは別の人間なんか…)


ふと身体の強張りが溶ける。

それは祖父が散歩に連れて行ってくれる時の感覚に近くて。

母親が座って居るあの家の境界線を越えて、外へ出たみたいで。

軽くなった身体が、大好きな星之介と一緒に新しい事に向かってスキップする感じ。

そんな柔らかい表情に変わった孝星の顔を、小さいけど温かな星之介の手が包む。

「オレ、チョコモナカ買うで!

そしたら半分いや半分ともう1ブロックよおけ孝星にやる。

せやからもお泣くな、もお怖い本読むなや。家帰ってゲームしよお!」

目の前まで必死な顔を近付けて来る星之介の方が泣きそう。

「オレと一緒に遊んでくれるん…?」

「あたりまえやん!孝星は一番の友だちや!

宿題何んでも教えてくれるしっ、給食の嫌いなん代わりに食べてくれるし。

こないだのドッジ大会ん時は全部ボール受けてくれたやんかっ。

オレは孝星がめっちゃエエヤツやて知っとおもん。

今も前からもずうっと孝星が一番スキやもんっ」



ふっと人影が机の横に立った。

「お喋りすンなら外出てください」

腕組みした図書館職員がじろりと3人を睨む。

「うえっ」

「ご、ごめんなさい」

「あのーすんません。このページなんですけど」

「あー…あなた保護者さん?身分証明あります?ちょおアッチで話しましょか」

須恵はまだ大学生だけど、腕白兄弟達をまとめ上げるだけあってシッカリ者。

湿って皺が寄ったページを見て苦い顔をする職員に頭を下げる。

「はい。お願いします。星之介2人で先帰っとき」

「えー?アイスはあ」

「あのっ」

孝星が立ち上がって、苦い顔の職員に深く深く頭を下げた。

「本をアカンよおにしたんオレなんです!ごめんなさい。

お小遣い全部持って来ます、弁償しますっ」

職員はじっと孝星を見つめて少し優しい声になる。

「調べたいコトはもお解ったん?」

「あ、いえ難しいンで。まだ途中です」

「これくらいやったら10日程で補修出来ると思うんで、またおいで。

正確な知識は、何んかを受け入れたり立ち向かう時のチカラになるんや。

ちゃんと知識を手に入れたら強お成れるし、優しいにも成れる。しっかり最後まで読み」

「ほんまにごめんなさい…」

「よかったな孝星、本直るて」

にかっと笑いながら須恵が孝星の背中を押す。

「誰かてヘマこくコト有るもんや。

それでアカンて終わりにするんや無うて、直しながら進んで行けばエエんや。

手助け出来る大人も居るからな、ヒトリで押し付けられた言葉に飲み込まれたらアカンで」

「うん…」

優しい言葉を貰っても、罪悪感がのしかかった孝星はまだ動けなかったけれど。

星之介の体温高い手がぎゅっと孝星の手を握った。

「オレも居るでっ」

「うん」

目の前で笑う星之介の存在で、やっと孝星は動ける。

行く先はきっと母親が望む方向では無いだろうけど、孝星自身が選んだ方へ。

身長が伸びて声変わりしただけでなく。意志が灯る顔つきになって。




だから孝星には家族と呼べるモノは無くなってしまったけれど。

星之介が居てくれたから、それで充分だった。


そんな2人なので。

星之介が兄達と同じ誠心学院を受験すると聞いた時は、孝星も迷わなかった。

そして母親と祖父母は元の家に戻ることになり、孝星は父親と2人暮らしになって。

でも父親は仕事で帰宅は遅いし、休日なると母親の様子を看に行くから。

孝星は星之介と一緒に通学して受験勉強して夕飯を食べさせて貰う日々。

そして無事2人ともサクラサクでこれからも変らず一緒。


進学先の誠心学院は中高一貫の男子校。

近くの学区にはオシャレ共学校や大学付属校もあるのに、地味な詰襟制服で。

それでも歴史ある伝統校にしては自由な校風でソコソコ人気があったりする。

孝星と星之介は同じクラスになれたけれど。

10代半ばにかかる男子なんて成長真っ最中で、そのペースはバラバラだから。

クラス内でも学校全体でも、小学生プラスαな奴も居れば、教師よりデカい奴も居る。

チビの星之介は真っ黒学ランの海で溺れて窒息しそう。

おまけに、これまで家族に大切にされてた末っ子は自分に甘い世界しか知らないし。

急にルールだらけの小社会に放り込まれて落ち着かない。

クラスの席順も背が高くなった孝星は一番後ろで、星之介は一番前。

でも、ソワソワと居心地悪い星之介が不安顔で振り返ると。

必ず孝星は身体を傾けてでも、星之介と視線を合わせてくれるから。

ふうと深呼吸して星之介はオリエン終了まで辿り着けた。


「うぐうう~疲れたあ~早よお帰ってゲームしいたい~」

空気が抜けた風船みたいな星之介が、でろんと孝星にもたれ掛かる。

「お疲れ。せやけど瀬戸さんから部室棟寄れ言われとるから行かんと」

「めんどーい」

「ほんならオレだけ行ってくるワ。瀬戸さんからはシャツ貰うたり世話なったし」

「そんなん気にせんでエエで。兄ちゃんは自分がスキなインナー着たいだけや」

「瀬戸さんオシャレやからなあ」

3番目の瀬戸は高3で兄弟中一番デカくて、やんちゃタイプなので指定シャツなんか着ない。

だから新品同様のシャツや体操ジャージを厄介払い込みで、孝星に譲ってくれた。

そしてガハハと笑って、自分が卒業して下宿したらこの部屋住みなんて言ってくれる。

星之介の兄達は、孝星にとっても兄同様でいつも面倒を見て貰って来た。

「星ちゃーん」

甘ったるい声の方へ振り向くと、4番目の兄伊万里が笑顔で教室に入って来る。

突然の上級生登場だけれど。

新1年クラスでも違和感無いほど伊万里は華奢で幼い顔立ちで、星之介とよく似てる。

オタク度強めの同趣味のせいか雰囲気もそっくりで、5つ年上の高2には見えない。

そんな伊万里と星之介がのほほんと並んでいると、辺りはお花畑な空気。

「瀬戸兄んトコ行くんやろお。連れてったるわ~」

「えーオレ用事無いし」

むくれる星之介に、伊万里がカーデのポケットから取り出したスニッカーズをチラリ。

しかも大きいサイズ3本。

「行くやんな~?」

「しゃあないなあ、もおお」

ほんとに六弘家の兄弟は仲が良くてオモロくて。

孝星にとっては世話になってるとか以上に、単純にみんな大好きだったりする。


伊万里に案内された部活棟は古いけれど、想像以上にしっかりした建物。

蛇口が並ぶ洗い場の近くでダベってる3人のうち1人が瀬戸だった。

「瀬戸兄~連れて来たで~」

「おう来たか」

「なあンの用~?」

「孝星に用有るンや。星之介はオマケや」

「え~何ン~それえ。ほんならオレ帰る~」

その言葉に、瀬戸と喋っていた長身の1人が慌てた顔を覗かせた。

「え、いや待ってや。六弘の弟くんも良かったら話聞いてくれへんやろか」

そしてもう1人も振り返り、無言で星之介と孝星をじっと見つめる。

身体は大きくないのに、手塚治虫キャラみたいにパッチリした瞳が力強い。

その目力に射抜かれて星之介と孝星はその場で直立不動になってしまう。

長身の方が笑顔で近くまで来て。

「オレ楠。六弘の、あ瀬戸くんと同クラでハンドボール同好会の部長やっとる。

そろそろ引退やねんけど。部員少ないんで知り合い通じて勧誘させて貰うとって。

あっちにベンチ有るんや。ジュース奢るし、ちょおっとだけ付き合うてくれへん?」

「はんどぼおるぅ?」

思い切り顔をしかめ、星之介が無遠慮に抗議の声。

それはまあ当然で、ゲームオタクの星之介は帰宅部のつもり。

少しでも早く部屋に帰ってログインすることしか興味は無いし。

まあもしグラフィックツールとかゲームプログラミングに関われる部活があれば別だけど。

運動部なんて許容範囲外。

でも伊万里がぽんと星之介の肩に手を置いて、ニンマリ顔を近付けて囁く。

「星ちゃんも聞いとった方がエエ話やで~。

駅前通りンとこ有名なジェラード店あるやろ?そっちの吉野原クンはその店のコや。

部員の奴らなあ、店がイベント出店する時はバイトさせて貰うたり。

試作品の味見し放題なんやて。並ばんでも限定品食べれンねんで~」

星之介の瞳がキラキラ輝き出す。

「通りにあるガラス戸でオレンジ色と水色の店?

こないだカカオの産地別食べ比べ企画とかって、チョコだけで4種類もあってんで。

売切れでオレ1種類しか食べれんかったけど、あんな美味しーの初めてやった!

めっちゃ濃いて口ん中芳ばしいチョコでいっぱいンなって!あれ全部食べれるん?」

少し距離があるとは言え星之介の夢中ビームを浴びて、吉野原も照れ顔になる。

「そーゆーて貰えると、まあそのありがと。

あのカカオ企画、利益ギリやってんけど。結構好評で、新しい仕入れ先繋がりも出来てな」

どうやら吉野原も店のことになると思い入れ深々らしく、言葉に熱がこもり出す。

止まりそーも無い語りを、申し訳無さそうに楠が遮った。

「ぼーちゃんンとこのジェラード褒めてくれて、ありがとおな。オレも大好きやねん。

試作中は部員もカカオの味見させて貰うて、盛り上がって楽しかったで。

六弘くんも槌谷くんも店ンこと一緒に出来たら嬉しいワ。

それにな、部員には他にもオモロイ奴居ってな。

デジタルイラスト言うんやっけ?店のHPデザインとかSNSでショートアニメ作っとる奴や。

六弘くんはそーゆーのんも興味有るて聞いたから、色々話とか…」

星之介の瞳が更にキラキラキラ。

そして伊万里がもう一押し。

「ほらこないだインスタ見せたったやん?あいつ」

「ええっ!イラスト描く人がハンドボールしとるんっ?」

「あんま練習来んけどな。

ハンドって空中技多いし、スピードと反射がモノ言うし。

そいつが言うには戦闘シーンとかの構図に役立つんやって。

まあせやからベンチで写真撮ったりスケッチばっかしとるけど」

伊万里と楠の援護が更に畳み掛けられると、もう星之介の瞳は超新星。

「明日タブレット持って来るっ!そのひとに見て欲しーアドバイス欲しー!」

「あほ、その前に入部届出し」

「もちろんやっ孝星が2枚書いてくれるやんな」

それまで一言も発するタイミングが無かった孝星に、みんなの視線が集まって。

ちょっと戸惑った顔になるけど。星之介と一緒なら孝星には断るなんて選択肢は無い。

少し硬い表情のまま孝星はぺこっと頭を下げた。

「全くの初心者ですけど、よろしくお願いします」



そして勧誘のためにジュースを奢るはずだった楠と吉野原は、瀬戸からジュースを受け取る。

「あれで良かったん?槌谷くんの意見全然聞いてへんけど」

楠が心配そうに、瀬戸に確認。

「ええんや。どーせ孝星は星之介の後ろにくっついてくダケや。

放っといたら、2人で家帰ってゲーム付き合って6年間終わるワ。

星之介は放っといても趣味掘り下げてくやろから、ソレはソレでええけど。

孝星は自由とか好きなよーにするとかを知らん奴や。

せっかく親のしがらみが無うなったのに。

まだ自分で自分を縛っとるみたいで、星之介の後ろから出て来ん。

何んかこお弾けるキッカケやりたいンや」

「重めな話やんか。ハンドで良かったん?」

「同好会くらいのユルさが丁度エエ。

部活内の上下関係とか、試合成績とかがハッキリしとるとなあ。

マジメな孝星は指示通りやって終わりンなってまう。

そおや無うて。自分で考えて動けるコぉに成って欲しーんよ、お兄ちゃんは」

口調はおフザケだけど、瀬戸の表情は少々複雑。

確かに新入生にしては落ち着き払って冷めた雰囲気の孝星を思い出すと。

瀬戸が言わんとしてることが判ってしまい、楠と吉野原も返す言葉を迷ってしまう。

でも押し付けるコトじゃ無いのも判っているから。

背景だけ整えたら、どう動くのかは本人次第。ちょっとフォローしながら見守るしかない。

ずずっとジュースを飲み終わった吉野原がボヤき顔を、瀬戸に向ける。

「ソレこいつにも言うたって。

志望校オレと一緒がエエとか、せめて同じエリアにして同居しよーとかヌルイコト言いよる。

自分の進路くらい自分で考えて欲しーワ」

「ちょっ!ぼーくんっバラさんといてやっ。それに何度も言うとおけど。

オレはぼーくんに一目惚れした時から、もおぼーくんだけやからっ」

「うっわ、さーすが学年イチのバカップルやな~。

ははっまあそおやんな、スポーツでもレンアイでも何ンでもエエわ。

2人とも大切な弟なんや。ここでオモロ可笑しくセーシュンして欲しいわ~」

「上手く行くとエエな」

「だいじょーぶやろ」

自分達がこの学校で過ごして来た時間を振り返ると。

なんとなく頷き合ってしまう高校3年生達だった。



教室に戻って。スニッカーズを齧る星之介の隣で、孝星は入部届を書く。

でもボールペンを持つ手は少し汗ばんでいた。

進学して、これから少なくとも6年間は変らず星之介と一緒に居られるけれど。

孝星の中にはどうしても消せない硬くて冷たいカケラが在るから。


成長した自分はもう、母親が望むような子供では無くなって。

それは母親ルールから解放されと同時に宙ぶらりんでもあって。

ただそんな自分でも「ずっと好きや」と言ってくれる星之介だけが、孝星の座標軸。

星之介が見えないと、自分が何処に居るのか判らない不安定さを感じるくらい大切な存在。

でも。

星之介は自分だけを見てるワケじゃなくて。

星之介は星之介でやりたいコトやスキなコトがいっぱい有って。

星之介には趣味つながりの友だちもたくさん居る。

そんな星之介に、自分の一方的で歪な望みを求めるのはまるで。

(お母さんがオレにしとったみたいに、なってまう…)

自分は違うと思いたいのに。母親と自分が重なると、冷汗が流れる程の自己嫌悪を感じて。

胸の奥に刺さっている冷たいカケラをどうしたらイイのか判らなかった。




でもとりあえずオセッカイ兄達の願いは、どこかの神様に届いたらしく。

思い切り身体を動かす、と言うキッカケは孝星の導火線に火をつけてくれた。


ハンドボール同好会の部員は、高校は10人ちょい上居るけれど中学は4名。

4月で中学3年6名が高校へ上がったので、ごっそり人数が抜けてしまったから。

練習は中高合同なので、これまでと変わりないけれど。中学は試合エントリーが出来ない。

そんな小規模同好会でも関西地区ではちょっと有名。

人数不足部には複合校合同チームで公式試合にも参加出来る制度があって。

誠心学院は必ずお声が掛かるレベル。

OBにはクラブチーム所属になったり、大学推薦の対象になったのもいるほど。

それと言うのもOB繋がりで他県の強豪校コーチが定期的に指導に来てくれるし。

地元クラブチームの練習に参加させて貰えるから、公式ではなくても試合経験は豊富。

だから自然と技術レベルは高くなるし、ハンド好きになって卒業後も続ける部員は多い。

誠心学院のそんなOBや地元組織とつながりが深いのも伝統校ならでは。


だから大所帯部活とは違って、新入生は球拾いと言う状況ではなく。

いきなりボールに触れてパス受けて出して。思い切り走ってバテて。

上手くパスが通って興奮したり、パスカットされて悔しい思いをしたり。

孝星は毎日へとへとになるまで走り、六弘家で腹いっぱい食べて帰宅したらベッドにダイブ。

アレコレ悩んでいたコトは、汗と充実感で上書きされて行った。

ちなみに星之介はすぐ応援専門になったけれど。

イラスト部と掛け持ちしてる犬塚先輩と仲良くなれて、ソレはソレで大満足。


「視野を広お持ってな。

手元のボールと目の前のメンバーだけ見とったら、展開に結べへん。

点につながるパターンをようけ身体に沁みつかせて。

イチイチ考えんでも身体が反応出来るよーにするんや」

楠から爽やか笑顔でそう教えて貰えたから。

孝星は感情と身体を別々にすることを覚えて。

やりたい行動を邪魔しないように、偏らないフラットなメンタルを手に入れて。

シュートを決めた成功体験が「これでエエんや」と自分の輪郭をクッキリしてくれて。

気付けば、孝星は合同チームに選抜される程になっていた。


そして試合になると、星之介と六弘家の誰かが必ず応援に来てくれる。

今ではイラスト部がメインになった星之介だけど。

試合中はずっと孝星の名前だけを呼んでくれて。

試合後は「めっちゃカッコ良かったー!!」と汗ベタの孝星に抱き着いてくる。

そう言って貰えると嬉しくてもっと言って欲しくて。孝星は強くなっていって。

そしてもう何処に走ってパスするのか迷わなくなって。

自分の立つ場所を自分で決めることが出来るようになっていった。




高校最後の試合では全国大会地区予選で準優勝。

優勝校は全国TOP3の強豪校だったから10点差で終れたのは上出来。

おまけにセンターバックの孝星は、普段はゲームコントロール役だけど。

厳しいチェックを受けるシューターの代わりに、積極的にコートに切り込んで8点をあげた。

その瞬間だけは思わず孝星は応援席の星之介を振り返って、初めてのガッツポーズ。

星之介もぶるると身体が震えて心臓が爆発しそーなくらい感激して顔は耳まで真っ赤赤。

「こおせえ…かっこええ」

そんな最高の締めくくりになった。


そしてその日は帰宅すると父親が居た。

「おかえり」

「あ、うん。今日はお母さんとこ行かへんの?」

「行くけど、その前に一緒に飯でもどおや?」

「さっきメンバーとファミレス寄ったとこやし。

それに星之介ンとこで、お疲れ会してくれるんで。そっち行く」

「そおか、それは行かんとな。はは、要領悪いなあ父親やのに」

長い心労のせいか父親の髪は真っ白で実年齢より老けて見えて。

寂しそうに誤魔化し笑いをする父親が、孝星には知らない人みたいに思えた。

「六弘さんから連絡貰うてな、お父さんもさっきの試合観とったんや。

部活頑張っとるて聞いとったけど、試合の迫力にはビックリしたワ。

いつの間にか、あんな強お成っとったんやなあ。父親やのに全然知らんかった」

「お父さんはお父さんで大変やねんから。知らんでも仕方ないと思うし」

同じ家に居てもすれ違いばかりの父親には、怒りも恨みも何も感じては無くて。

孝星はただ居心地悪いだけ。


実際父親と会話をするのは、祖父の死を聞かされた時以来。

祖父は去年心不全で亡くなった。

祖父の死は、母親にとって「自分の世界が欠けてしまう」恐怖だったらしく。

酷いパニック状態で葬儀どころやなかったと、全てが終わってから孝星は話を聞かされた。

でもあまりに唐突過ぎて、孝星は何も考えられなかった時。

やっぱり星之介がぎゅっと手を握ってくれた。

「オレ孝星のじいちゃんに会いたい。言いたいコトあるんや」

それで六弘家の皆も揃って真新しい墓石の前で手を合わせてくれることになって。

皆が小さく想いや念仏を呟いてくれるのを、ぼんやり孝星は見ていた。

線香の煙と香りの演出で、視界は不明瞭で非現実的で。

現実と向き合いたくなくて、孝星はなかなか動けなかったけれど。

星之介が手をつないでくれて2人一緒に墓石の前に並ぶと、いきなり柏手。

さすがの孝星も目と口をパカと開けてしまっても。

星之介は大真面目に大宣言。

「じいちゃん安心して三途の川渡ってなっ。これからはオレが孝星の手ぇ引くから。

絶対手ぇ離さんと楽しートコに引っ張って行くから。任せてなっ」

星之介の強い言葉に、唇が震えて孝星は何も言葉が出なかったけれど。

ソコはさすがの六弘家。

須恵は「おいー三途の川て初七日に渡るンやで。もおとっくや」とツッコミ。

伊万里は「何ンで柏手すんの~ココ神社ちゃうでー」と焦るし。

釉はノーコメントだけど小さく笑ってる。

そして瀬戸は「プロポーズやんソレ。これで槌谷のじいちゃんも安心したやろ。

目出度いからこれからお好み焼き屋行こおや」がははと笑いながら孝星の背中をどつく。

だから孝星も笑った。はははと涙をこぼしながら笑った。


もちろん父親はそんなコトは知らなくて。

六弘家と孝星と祖父だけが知ってること。


父親はいつものように、また結果を孝星に伝えるだけ。

槌谷家は閉ざされていて、そこに入って一緒に考えるとか相談するとかは無いから。

「孝星は大阪の大学を志望しとるて聞いた。

父さんもな仕事は嘱託に切替えて、これからはお母さんと居る時間を増やすつもりや。

お母さんの状態は一進一退やし。おばあちゃんも身体キツうなっとるし。

せやから大学決まったら、ちゃんと生活出来る部屋探そおな」

それはつまりこの家を引き払うと言うこと。

父親は母親がいる槌谷の実家に戻って、孝星は進学先の近くで一人暮らしを始めて。

たぶん二度と両親達と孝星の時間軸が交わることは無い。

「…わかった」

「あんな今頃ンなって言うのは卑怯やねんけど。

孝星が生まれた時は、お母さんもまだ良え状態やったから。

お星さまの子ぉやて喜んでなあ、家族で上手くやって行けると思うとったんや。

ただお母さんの時間とか世界は違う早さで違う方向に流れとって。

父さんもおばあちゃん達も、いつかは巻き戻せるかもて庇って隠すばっかで。

家族全体をちゃんと見てへんで、孝星だけ取り残して来てもた。

ほんま全然アカン父親で…すまんな」

「別にそんな謝って貰うコトちゃうし。それに」

観客席で星之介がキラキラな瞳で自分を見てくれていて。

星之介が「かっこええ」と言ってくれる声が、自分の自信になっていって。

自分の足元がはっきり判るから宙ぶらりんじゃなくなったし。

卒業しても星之介とずっと手を握って一緒に進んで行けるなら、不安は無い。

もう大丈夫。腹の底からそう思っている。

「ヒトリやないから。心配せんといて」

「そお、か…」

ヒトリじゃない孝星の周りに居る人達の中に、両親は含まれていない。

そんな意味を含む言葉に、父親は少し苦しそうな顔になったけれど。

その方が良い、そんな現実も在る。

お互いそれは十分解っているから、もうこの話は終わり。

「六弘さんにはオレからもお礼言うとくワ。今日は楽しい時間過ごさせて貰い」

「うん。お父さんもな」


孝星はもう父親の方を見ずに、自分の部屋へ向かう。

着替えたら駅前のケーキ屋まで行って、注文品を受け取って六弘家へ行く手筈。

きっとケーキは星之介のスキなチョコ系だと思う。

「オレのお疲れ会言うても、食べ物ンはやっぱ星之介基準や」

観客席で誰よりも興奮して立ち上がって、自分の名前を呼んでいて。

顔を真っ赤にして腕振り回していて可愛かった。

それは孝星にとって一番の戦利品。

ふ、と笑みが漏れる。

試合を振り返って思い出せるのはソレだけ。

観客席に父親が居たのも知らないけど、もうどうでもよかった。

(星之介はプログラミングの専門に行くて言うてたな。

通学経路調べて下宿先探さんと。まあどんな場所でも平気や。

ヒトリやないんやから。星之介と一緒やったら毎日甘あて最高や)


孝星の胸の奥に在るカケラはそのままだけど。

もう冷たくも尖っても無くて、温度を持って身体の一部に成っているから。

そのまま丸ごと受け止めて進んで行けそうだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ