1.よこに
202X年6月28日は6個だか7個だかの惑星直列があって。
たまたまそれが肉眼でもかなり良く観察出来たもんだから。
ニュースやSNSでも盛り上がり、にわか天文ファンが増えたりして。
だからその日に生まれた赤ん坊の名前には「星」が人気だったとか。
そんな20年程前のSyzygy現象。
でも多分それが意味することは。
星はただぼんやり宇宙に浮かんでるワケでは無くて。
何んかの意味と関係が有って、その座標に位置しているってコトだと思う。
これはそんな感じに何んかの意味と関係があって繋がっている3人のお話。
月末の今日は上司と一緒に現場周りだったから、1日中夏用スーツで歩き回って。
速乾性インナーを着ているけれどシャツは汗ベタ。
短髪頭から額に汗が伝うたびに手の甲で汗筋を潰すしかナイ。
ポケットのハンドタオルはとっくに湿ってるから。
それでもエレベーターは苦手なので、槌谷孝星は蒸し暑いマンション外階段を上がる。
長身でガッシリした筋肉質体格でも動作は静かで一定で、几帳面過ぎるカンジ。
そんな性格なので、部屋の前まで来て、玄関の鍵が掛かっていないコトに気付くと。
その不用心さに眉がムスっと歪む。
でもリビングのドアを開けると肉を焼く芳ばしい香りが漂って来たから。
家事担当者に敬意を払う意味で、不機嫌を飲み込みイラつきを落ち着かせる。
「鍵開いとったで」
「ん?ああ、おかえりー。孝星のんが早かったんか。
星ちゃんが鍵を職場に置いて来てもた言うんで、開けっぱにしとる」
「え?今日は星之介帰って来るんか?」
「そおやで。ライン見てへんの?
なんとか納期間に合うたんで、今晩2日遅れの誕生祝いしよて。
せやから星ちゃんのリクエストで夕飯ステーキや」
神戸牛とプリントされた包装紙をチラつかせ、エプロン姿の綿野有星はにんまり。
そしてテーブルには、今ここに居ない3人目を含めた枚数の皿が並んでいる。
ちらりと状況確認すると、孝星はシャツのボタンを外しながら風呂場へ向かう。
「着替えて、星之介迎えに行くワ」
「ほんならついでにデザート買うて来てや」
「バースデーケーキか?」
「こんな時間にそーゆーケーキは残ってへんやろなあ。
星ちゃんはチョコ系やったら何ンでもええ思うけど。
まあどおせ食べるンは星ちゃんやし、スキなん選んだらええンちゃう?」
「判った」
孝星の返事半分はドアの向こう。それくらい急いでる。
3人目の同居人六弘星之介のコトになると、孝星はこうなってしまう。
仏頂面で融通利かない堅物なのに。
それはいつものコトで仕方ないと判っているけれど、有星は少々恨めし気な顔。
(2日前の夕飯ン時は誕生日も忘れとったクセにー。
あの夏野菜の冷スープ、裏ごしとかめっちゃ手間掛かったんになあ)
薄いピンクの唇を尖らしながら独り言ちる有星は、孝星とは正反対の外見。
すらりとした細身で、柔らかなふわ毛に整ったプリンス顔。
イマドキ顔とかホスト顔とも言えるけど、敢えてプリンスと例えるには理由がある。
母親が英国ロイヤルバレエ団所属経歴あるダンサーで。
姉は国内の小さいバレエ団ながらも現役ソリスト。
有星もバレエを習って育ったし、有名コンクール入選歴とかは無いけれど。
その長い経験を活かして今はダンス教室のアシスタント。
だから何んとなくフツーの仕草でも指先や足の運びが軽やかで優雅だったりする。
シャワーで汗を流した孝星が、濡れた髪をタオルでガシガシ拭きながら戻って来た。
「星之介が駅着くン何時や?」
「そんなん自分で調べえや」
呆れ声を返しながら有星はじーっと孝星を眺める。
Gパンは履いているけれど、髪が濡れてるから上はまだ何も着てなくて。
孝星の厚みある逞しい上半身は剥き出し。
大学までハンドボールを続けていたから、腕や肩回りは特にガッチリ。
有星は手を伸ばして、指先で孝星の肩甲骨から背筋をつつつとなぞる。
「ぉわっ!何ンすんねんっ」
「最近仕事ばっかでジム行ってへんのに。相変わらずエエ身体しとおなあ思うて」
「あほか」
イラぁと眉間にシワ寄せながら孝星は有星の腕を払うけれど、有星はニヤリと笑う。
「大仕事やっつけたンなら、星ちゃん1週間は休むやろ。久しぶりに川の字で寝れンな」
その言葉に孝星は益々不機嫌顔になって。
「それが何ンやねん。とにかく今晩は誕生祝するンやろ。夕飯の準備だけ頼むで」
そのままバタンとリビングのドアが閉まる。
部屋へ行ってシャツを羽織り、車のキーを持って玄関へ。
そんな感じの間があって、ガチャリと鍵が閉まる音の後は静かになる。
「はいはいはーい。行ってらー」
当然声は届かないけれど、送り出す言葉を小さく呟きながら。
有星はやわらかな笑みに変る。
(やっぱ3人揃うとおのがイチバン良え。2人やと近いか遠いかになってまうし。
せやけど3人居れば、3人目が真ん中なって安定するもんなあ)
ステーキは星之介の大好物。食べ応えあるモモをミディアムレアに。
野菜好きの孝星のために蒸し野菜をたっぷり。
スープは有星自信作枝豆ポタージュ。
3人座るには小さめダイニングテーブルの上は料理がテンコ盛りになった。
でも狭い机を取り囲んで、あーだこーだ喋くりながら食事する画は。
高校3年間毎日のように繰り返してた日常延長そのもの。
「やあっといつも通りになるわあ。早よ帰って来ぉい」
さっき閉められたドアの方へすぅっと伸ばされた有星の長くしなやかな指先は。
これから舞台へ登場するプリンシパルを迎える振り付けのように優雅だった。
「たっだいま~。あーエエ匂いやあ♪うひょーすごいご馳走やなあ。
有星のキレーな顔も久しぶりやあー」
あれから15分程して騒がしい足音と明るい声がリビングに飛び込んで来た。
ご機嫌な星之介は有星に抱き付いて頬を寄せるけれど。
「おかえりーって…星ちゃん何日着替えてへんの?めちゃ汗臭いで」
有星が王子顔をしかめると、ガリチビの星之介はにひひと笑う。
「しゃあないやん。ずっとエナドリと寝袋生活やってんから」
「髪の毛もゴワゴワや。飯ん前に風呂入ってき」
「えームリ。腹減り過ぎて動けへん」
星之介は有星の腕の下からにょっと手を伸ばして、テーブルのパンを取る。
薄いフランスパンにたっぷり明太子バターが盛ってあるのは星之介専用。
「ああもお、そのまんま食べンなって。
パン温め直すしスープもな。すぐ準備したるから。
その間に風呂でサッパリしてから食べる方が、美味しさ100倍増しや。なあ」
買って来たデザートのケーキ箱を冷蔵庫にしまう孝星に、有星は呼び掛ける。
「孝星、一緒に風呂入って髪洗うたり。
ヒトリやとぱちゃぱちゃてお湯浴びて出て来るで、星ちゃんは」
「え、風呂お?」
有星には強気に出るクセに、孝星は星之介が関わると焦ったり慌てたりカラ回ったり。
「星ちゃん風呂場に座っとるだけでエエて。
孝星がキレーに洗うてドライヤーもしてくれるし」
「そおなん?それならええワ。行こ孝星。風呂出て来たらすぐ食べよな」
「はいはい。ちゃあんとセッティングしとくで」
ぽいぽいと服を脱ぎ散らかしながら風呂場に向かう星之介と。
感情をぐっと押し殺して、星之介の服を拾いながら孝星は付いて行く。
まるで王子と従者みたいなパワーバランスで。
この3人はそれぞれがそれぞれの王子様みたいなモン。
お互いの名前に「星」が付いてるコトがきっかけで仲良くなって。
「もしかして6月28日生まれなん?」
「やっぱそおか!同んなじやあ」
それからは性格もタイプも全然違うのに一緒にツルむようになって。
ゲームオタクの星之介は、有星のイラストみたいに整ったプリンス顔にうっとり見惚れ。
ダンスで身体表現を習っていた有星は、孝星の体型にトキメクし。
幼馴染でずっと一緒に居る星之介は、孝星にとって唯一無二の存在。
社会人になった今も、惹かれ合って安定した三角関係だと互いに思っている。
一緒に風呂に入れと言われたけれど。裸にはなれず、とりあえず孝星は半パンTシャツ。
そして仕事のアレコレを熱量たっぷりで喋くりまくる星之介の髪を泡立てる。
軽く相槌打ちながら話を聞く孝星の表情はとても柔らか。
「ほんでな、メインキャラのひとりが亡国の王子言う設定やから。
防御アイテム着けとっても、こお気品とか優雅さとかが大切でな。
プログラム組むンむちゃ手間増えたんやけど。有星が踊るトコをイメージしたんや。
それが採用されてんで!もおめちゃ嬉しいて。設定全部オレやります!て言うてもて。
せやからずうっとモニター睨んでペンちまちま動かして」
「ほんまや。首の後ろも肩もめっちゃ凝っとぉワ」
「うぐぅ~痛キモチ良え~」
髪を洗いながら、孝星が指先に力を込めてマッサージしてやると。
きゅうっと目を瞑って、星之介は子供みたいにジタバタ。
星之介は憧れのゲームソフト製作会社にデザイナーとして就職出来たけど。
まだまだ下っ端でテンコ盛りの雑用に埋もれてるし。
夢中になると睡眠も食事も後回しになるタイプだから、職場で寝泊りするのは日常茶飯事。
その結果、伸び放題のクセ髪はあちこち絡まり、テキトーな食事でガリチビのまま。
今も子供みたいにケラケラ笑って泡だらけの身体を孝星に摺り寄せる。
小学校から同じで一番近くで同じだけの時間を重ねて来たはずなのに。
孝星から見ると、星之介は全然変わらない。
自分は身体も大きく重くなって、スーツのポケットには仕事スマホと名刺の束。
でも星之介は軽い身体でぴょんぴょん跳ねて、好きなコトを追い掛け続けていて。
きっと頭の中にも手にもポケットも、大好きで大切なモノだけしか入っていない。
そんな星之介が眩しくて、孝星は星之介を見つめ続けてしまう。
「食事終わったら、またマッサージしてやぁ」
「そやな背中もほぐさんとな。オレ先出るけど、湯船で寝たらアカンで」
「ほんなら一緒に浸かろおや」
「もお子供ちゃうんやで。オトナ2人なんて入れへん」
「昔は一緒に入っとたのに」
「星之介ん家の風呂デカイもんな」
「ほんなら今度銭湯行こ。3人で近場の温泉とかもええなあ」
湯舟で温まる星之介の頬はピンクでほかほか。
そんな笑顔を向けられると、孝星も釣られて口元がゆるむ。
「まあ今晩は温泉宿やナイけど、有星作の豪華メニューが待っとるで」
「そおや!ステーキやった!
オレあと100いや50数えたら風呂出るからっ!待っといてなっ」
「おう」
脱衣所に出た孝星は湿ったTシャツを脱ぎながら、洗面台前の鏡をちらりと見て。
湯気で白く曇ってて助かった、なんて思う。
きっと鏡には、楽しいひと時にデレる自分の顔が映ってただろうから。
そして。風呂から出て来た星之介は、孝星にドライヤーをして貰って。
有星が用意していたスゥエット上下に着替える。
それは今回の誕生日記念品だから3人お揃いのルームウェア。
明るい若草色が痩せっぽちな星之介をふんわり柔らかく見せて似合っているし。
裏地がガーゼだから、風呂上りの体温が程よく抜けてナカナカ快適。
星之介は嬉しくて顔がキラキラ輝く。
でも2人は。スゥエット下を孝星が履いて、上は有星が着ている。
「なんで2人はセットちゃうん?」
「SとLしか在庫無かってん。
孝星はLやと下は丈短めでも着れたけど、上はキツイ言うから。それオレが着て上下半分コ」
「えー何ンか2人だけ半分コて、ずるいなあ」
「ほんなら肉ようけ食べてLサイズまでデカくなり」
「野菜も食べえよ」
そんないつものカンジで楽しく食事は進んで。
全部の皿が空っぽになる頃には、満腹星之介は眠たそうな顔で身体はゆらゆら。
孝星と有星は顔を見合わせる。
「古文の授業思い出すワ」
「星ちゃん、文系全然アカンかったもんな。いっつも眠そおやった」
「授業や無いンやから眠いん我慢せんでエエのに。星之介、布団行くか?」
「んー…ケーキ…ろーそく消すんや…」
「それは明日のお楽しみにしよ。孝星、運んだり。
星ちゃんを抱っこする役をプレゼントしたるワ」
「何ンやそれ」
「嬉しーくせに」
「あほか」
孝星がヨイショと星之介を抱き上げると。
星之介は素直にその広い肩にコテンと頭を置いて、のろりと腕を有星に向ける。
「有ちゃん、おやすみのちゅーしてえ」
「はいはい。おやすみ星之介王子様」
有星は星之介の頬と唇の端っこに、ちゅちゅと音を立ててキス。
それでやっと満足そうにニマっと笑うと、星之介はOFFになって寝息をたてる。
力が抜けた星之介の身体を安定させる為に孝星が体勢を変えたとき。
素早く有星が孝星にもキスした。
「…おい」
「久しぶりの星ちゃん味やで。嬉しいやろ?」
「あほ」
「素直やナイなー」
眉間に皺寄せ低い声になる孝星に、有星はにっこりと深い笑顔を返す。
それは気まずい空気さえも一掃してしまう笑顔だから、孝星ももう何も反論しない。
「飯旨かった。台所はオレ片付けるワ」
「そお?ほんなら風呂入って来よ~」
ひらりとグランジュテみたいに有星は風呂場へ向かった。
マンションは2LDKで、その一室に大きなベッドを置いて3人ゴロ寝。
ゲームに夢中ですぐ二徹三徹してしまう星之介だし。朝が弱くて自力では起きられない有星。
そうなると孝星が生活監督役になるしかなく、自然とこうなった。
ベッドに降ろしても星之介は目を覚ますこと無く、すぅ~ぷぴ~とノンキな寝息。
寝相の悪い星之介が蹴飛ばすのは判っていても。
几帳面な孝星は、柔らかなケットをしっかり首元まで掛けてシーツを伸ばす。
そして枕元に座って両手を組んで握りしめる。それ以上は何もせえへんと戒めるみたいに。
ただ視線だけはまばたきも忘れて星之介を見つめて。
でも思考も胸の内も静かに凪いでいる。
20年近く一緒に居ると、友情と愛情の境目とか欲望のコントロールとか。
そんな小難しいコトは、とっくの昔に踏み越えて来た一段になっているから。
確かにちょっとシンドイ時も有ったけれど。
それが無ければ今ココに達することが出来なかったから、それも無視せず受け止めている。
それよりも。
(今が一番良え。この位置と関係が安定するしホっとするワ。
近過ぎても苦しいし。遠過ぎても寂し過ぎるしな)
ゲームの夢でも見ているのか、星之介の寝顔は表情豊か。
ふへっと笑ったり悔しそうに顔をしかめたり。
飽きることなく、いつまでも眺めて居られそうだけれど。
「台所片づけンとな」
自分に言い聞かせながら、孝星は立ち上がる。
夕飯の残りを使った朝食を考えるのは自分の役目だし。
今日の外回り報告書もまとめておきたい。
そして明日は定時上がりで帰宅して、また3人揃っての食事と蝋燭付きケーキ。
子供の頃、誕生日は星之介の家で一緒に祝って貰ってケーキを食べた。
大家族用の幅広テーブルいっぱいのご馳走とハッピーバースデーの歌。
鼻と額にもチョコクリーム付けてご機嫌な星之介はほんとに可愛い。
1年経つとどうしても巡って来てしまう誕生日。
歳を重ねて小さな子供ではなくなるのを自覚する日。
幼い時は怖かったその日を「おんなじや♪」と照らしてくれたのが星之介。
これからもずっとずっと一緒にこの日を重ねて行く。
それだけが「生まれて来てよかった」な証やと孝星は思っている。
有星はカーテンの隙間から差し込む陽の光を感じて、うっすら目を開ける。
ベッドには自分ひとりで、広い空間がうら寂しい。
さっきまで隣にヘソ天な星之介と、その向こうに孝星の背中が在ったはず。
でも枕元のスマホを確認するともう昼前。
ぼんやりと孝星の声を思い出す。
「昨日残った野菜は汁物ンの具材にしたんで。星之介にもちゃんと喰わせてな。
洗濯物も目一杯干しとおから、後頼むで」
多分それは何時間も前に孝星が出勤した時のこと。何んて返事したかは覚えてない。
自分は休日だからイイけれど。
「星ちゃん…?」
まさか職場に戻ったのかとイヤな想像で有星は起き上がる。
たまにそういうコトがあって。
納品後に修正を依頼されたり、星之介自らやっぱり直さんと!と家を飛び出したり。
でも今日はまだ誕生祝いの続きをするつもりだし。
星之介が居なかったら、帰宅した孝星はきっと凹む。
まだ出掛けてないなら引き留めたくて、有星は急いでベッドを降りる。
寝間着Tシャツからダンサーらしい形良く長い脚剥き出したままで。
そして寝室のドアを開けた有星は悲鳴をあげてしまう。
「せいちゃ…わああーっ」
廊下が泡だらけで、足を置くとぬるり。
「ゆうせええ、どないしよおお洗濯機壊してもたかもぉ」
脱衣所から半べその星之介がパンツ1枚の姿で四つん這いになって出て来た。
「オレそっち行くんで、星ちゃんはソコ居って。な」
「ごめん~」
滑らないように気を付けながらナントカ有星が星之介の所へ辿り着くと。
洗濯機の排水口から泡が逆流して溢れ出ていて。
そしてロックされている洗濯槽ドアの隙間からも泡がぶくぶく。
「何んがあったん?」
洗濯機を強制終了させ、棚から取り出したタオルで泡だらけの星之介を拭いてやる。
すっかりショゲ顔で星之介はぼそぼそと説明。
「腹減って目ぇ覚めて。鍋にスープあったからレンチンしよ思うて。
皿に移しよったらスープこぼれて、貰うたばっかりのスゥエットやのに汚してもて。
急いで洗濯しよ思うたら、洗剤落としてわーってこぼれて。
しゃあナイから替わりにキッチンの洗剤入れたら」
「はあ確かにその流れやと、こーなるわな」
落として広がった洗濯洗剤のせいで廊下はぬめぬめ。
泡立ち良すぎる食器用洗剤のせいであちこち泡だらけ。
どちらも洗うための薬剤だけど、用途が違えばこんな惨事になるなんて。
でも星之介のベソ顔を見てると、有星は笑えてきた。
「あはははっ、えーやんえーやん。
ついでに床掃除しよ。ぬめり取れるまで拭いたらピカピカになるで。
孝星帰って来たら、きっとビックリするワ」
「スゥエットの染みも取れるやろか?」
「なるやろー。こんだけ強烈に洗たんやからなあ」
5人兄弟の末っ子で、祖父母も含めた大家族で育った星之介は。
皆から大切にされて来た根っからの愛されっ子。
だから3人共同生活が始まってからも、基本ヤッテモラウ担当。
そんな星之介が自分でスゥエットを洗おうとしただけでも褒めてやりたい。
そう思って有星が優しく微笑むと、星之介にもエヘラと笑い顔が戻る。
「えへへ。床掃除でも、有星と一緒やったらエエかあ。
有星の動きはキレーやから、見とるだけでうっとりやもんな。
オレが感じとる有星のキレーさを表現するプログラミングが出来るよーになりたいワぁ」
洗濯大失敗でショゲてたはずの星之介なのに。
キャラが必殺技をキメるシーンでも連想してるのか「好きな物に夢中」の顔に変って行く。
せっかく仕事がひと段落ついたのだから、暫くは3人揃って過ごしたい。
今そのモードに入ると困るんやけど、と慌てて有星は星之介の頬を包んで額と頬にキス。
星之介はキスで催眠術から覚めたように、目をパチパチまばたき。
「オレはアニメでもCGでもナイで、リアルやで。星ちゃんも今はアッチの仕事忘れえや。
腹空いたり足ぬめぬめしたり。ココはめっちゃリアルな感覚やろ」
「うん…ちゅうもやわらかやった…」
「そおや。慌ててもしゃあないし。
コーヒー淹れてバースデーケーキ喰って。エネルギー充電してから動こか」
「そおやオレ腹減っとったんや」
空腹を思い出すと急に力が抜けて、星之介は座り込む。
逆に有星はリビングへ行ってカーテンを引っ張り、窓を全開。
「窓開けるで。無香料の洗でも無臭ちゃうもんなあ。
石鹸の匂いでいっぱいや。コーヒーの香りも洗うてまうワ」
昼前の高く昇った陽差しが降り注ぎ、有星の整った顔立ちにくっきり陰影を作る。
床の白い泡も光を通して虹色に輝くし。Tシャツから長い腕と脚がすらりと伸びて。
ちょっと絵画「ヴィーナスの誕生」みたい。
星之介はすべてが一時停止した顔で、有星に見惚れてしまう。
星之介が有星のことを「理想の王子様や」と言うと周りの誰もが笑って。
現実と想像がごっちゃになっとる、なんてバカにされるけれど。
そういう風に現実と想像をつなげてくれる有星こそが、星之介にとって奇跡的な存在で。
ただ星之介自身が上手く説明出来ないだけ。
実家の大家族生活はいつも誰かの声が飛び交って賑やか。
個性的な兄達の中で、末っ子が自分を主張する為には大袈裟にジタバタするしか無くて。
小さい頃から落ち着きが無いと注意されるばかり。
だからいつまでたっても多動気味な星之介だったけれど。
高校編入してきた有星を見た時はびっくりして、呼吸と行動が止まってしまって。
ただひたすらじいっと見つめてしまった。
でも有星もそんな星之介を避けるどころか。
誕生日が同じだからと、一緒にツルんでいつも笑いかけてくれた。
そして「星ちゃんはカワエエなあ」と頬をちょいと突かれると。
家族から「星之介はカワイイ奴っちゃ」と頭を撫でられるのとは全然違う気持ちになる。
自分が見つめる先から優しい視線と言葉が返って来ると落ち着けて。
自分が何処に居て、何を言いたいのかが整理し易くなって。
いつの間にかそうジタバタしなくても、星之介は自分を見失わなく成っていた。
でも、そんなコトもやっぱり上手く説明出来ないから。
「有星はキレーやあ」しか言えない。
それは有星の外見だけじゃ無くて。
星之介自身が安定位置に居るための、座標の原点のように大切で必要で唯一と言う意味。
ほんとナカナカちゃんと伝えられないけれど。
それでも有星は「星ちゃん」と笑顔を返してくれるから、それで充分通じ合えている。
冷蔵庫のケーキ箱を開くと、何種類ものフルーツがたっぷり飾られたタルト。
「うわあ豪華やなあ。星ちゃんがこーゆーの選ぶン意外やワ」
「そおやろーオレはいつもみたいにチョコクリームのつもりやってんけど。
孝星が、有星はコッチのんがスキやろて言うたんや」
「えーオレの好みに合わせてくれたん?」
「まあな。考えてみたらオレ職場でずっとチョコ喰うとったし。
特別な日やねんから、いつもとちゃうのんが良えやんな。有星はコレで良かったん?」
「うん嬉しい。ありがと」
「ほんなら良かったー!コーヒー淹れるワ。有星は切り分けてな。
こーゆーのやったらオレ半分くらいイケるで」
「ほんま甘いモンよお食べるなあ」
チビガリの星之介は好き嫌いがはっきりしていて、スキな物はいくらでも食べてしまう。
その身体のどこに吸収されているのか不思議なくらい。
しかもフワフワ甘々が好みだから朝食替わりにカステラだの蒸しパンだの。
逆に有星はパンならハード系だし、甘味はフルーツくらい。
だから3人揃う休日の朝食となると。
孝星は、ふわふわのロールパンと硬いライ麦パンを用意して。
それぞれに合う焼き時間を調整して、甘いジャムとゴーダチーズとか並べる。
そんな風に孝星は星之介のことを一番に思っていても、有星も気に掛けてくれるから。
(不意打ちでこーゆーコトされるとなあ。また甘えたぁなってまうやんか)
タルトにナイフを入れながら有星はちょっと唇を尖らかせる。
でもその頬は淡いピンクを帯びたシアワセ色。
元々は、高校卒業してから星之介と孝星が進学先の近くで同居を始めて。
そこに有星が転がり込んだ3人生活。
ちょっとキスとかはするけれど、恋愛関係と言えるほど温度が高いモノでは無くて。
互いを必要として、居心地が良い関係なだけ。
ずっと一緒に居るし。別々になる理由も無いから、この先も一緒に過ごすと思ってる。
有星はゲイの自覚があって。
初めて見掛けた時から、好みドストライクな身体の孝星をそっと目で追っていたけれど。
真面目優等生な孝星がノンケなのも判っていたし。
星之介が自分に懐いているから、隣に居るだけなのも判っていた。
でも孝星はある時、ちょっと妥協する顔になってキスしてくれた。
そんな風に時々甘えさせてくれるし、有星が逃げ込める場所にもになってくれて。
孝星の方から踏み込むことはしないけど、離さないでいてくれる自分の対。
そしてそんな孝星は、拠り所として星之介が必要なワケで。
(ははは。オレらって三角関係?いや三角安定やんなー)
ふふっと有星は小さく笑う。
「ゆうせい」
星之介が覗き込んできて、有星ははっと我に返る。
「いくつ切るつもりなん?そんな小さあせんでもエエんちゃう?」
気付くと、何回もナイフを入れられたタルトはボロボロ。
「わー!ごめんっ考え事しとった。この崩れたンはオレ喰うワ」
「丁度ええやん。
このボロなった小っこいんを孝星に置いといて。残りはオレらで喰うてまお。
孝星はケーキとかあんま食べへんから、雰囲気だけでエエやんな」
にまっと笑いながら、星之介は一番大きいピースをもう頬張ってる。
「こんな小さいと蝋燭刺されへんで」
「ほんならオムライス!夕飯はオムライスにして蝋燭刺そおや!」
「あははは、それめっちゃ良え考えやな。最高や~」
星之介は丼物とか炊込み飯とか、味付き米がスキ。
孝星は白米そのまま茶碗に盛りたいタイプ。
半熟卵が乗ったケチャップ飯と言うだけでも孝星は無言になりそーなのに。
炎ゆらめく蝋燭がぶっ刺してあったら、どんな顔になるのやら。
有星と星之介は額を突き合わせて笑う。
そして有星は心の底から思っている。今が一番エエなあ居心地エエなあと。
もう何も隠すことも、無理に作ること要らなくて。
感じるままに声に出して笑い合える、この場所とこの関係。
(これからもずうっと大切にしいたいなあ)
そう思うだけで心の奥にぽわっとぬくもりが灯る。ケーキの小さな蝋燭の炎みたいに。
「なあ明日はレッスンあるん?有星のダンス見学行ってもエエ?」
「あるけど、文化会館でする子供の初心者レッスンやで」
「全然構へん。小さい子が一生懸命なんカワエエやんな」
「優雅なクラシックが好きなんやろ?」
「それはまた今度観せてえな。文化会館やったら、近くの商店街で買物ンも出来るやん」
「そやな一緒に食材買いに行こか。
ついでに星ちゃん、カットも行こ。知り合いの美容院予約したるから」
「えー?10分カットでええし」
「あかんて。星ちゃんはクセ毛やから。
放置しても崩れへんように、上手いカットして貰わんと」
「でもなあ美容院て時間掛かるやん。オレ途中で寝てまうかも」
「それはヘーキ。その美容師さんゲームとかアニメとか好きやし。
星ちゃんトコが作ったゲームも知っとったで。きっと話盛り上がるワ」
「えっ!そんなら行くっ感想聞きたいっ」
有星はゲームコントローラーを使うのは下手だけど。
星之介をコントロールするのは上級者レベル。
いつのまにか残り半分以下になったタルトをそっと星之介の前から避けて。
大きなマグカップいっぱいのカフェオレに置き換える。
「ほんなら美容院予約するワ。
そんでいつもの総菜屋さんには餃子予約しよか。明日の夕飯は中華パーティーや」
「やったあ!パリパリに焼いてなっ!
ええなええな♪毎日3人で美味しいもんパーティーや」
にぱぁと大きな口を開けて星之介はキラキラな笑顔。
有星は指先で、星之介の顎に付いたタルト生地を取ってやりながら笑う。
「星ちゃんが家に居ってくれると、料理のし甲斐あるわぁ」
「そらあ有星が作ってくれるモンが何んでも旨いからや」
「嬉しいコト言うてくれるなあ」
「ほんならキスして」
「んっ」
残ったタルトを冷蔵庫に戻そうと、立ち上がった有星は屈み込み。
星之介の頬にキスしようとしたら。
星之介の両手が有星の頬をきゅっと抑え込んで唇を重ねる。
マグカップを持っていたその手は温かくて、キスはカフェオレ味。
そして星之介はにっと笑う。
「ちょおっとだけ孝星の味したワ」
「…はは」
するコト言うコトは相変わらず子供っぽいのに。
その小柄な身体にはヘンに大きな許容量があって。
理屈や常識なんか気にせず、星之介は直観で「エエこと」にしてしまうから。
有星と孝星の関係についてアレコレ言うことは無いけれど、色々知ってるようでもある。
(星ちゃんには敵わんなあ)有星はそんなキモチになってしまう。
「ケーキ食べたら何んか腹減った」
「えー?食べたらフツー腹いっぱいになるンちゃうん?」
「こお腹が起きて動き出したカンジやー」
「あははは、ややこしい身体やなあ。
孝星が作ってくれたスープあんま残ってへんから。チーズ足してパスタソースにしよか」
「ごめんなあオレが溢してもたから」
「大丈夫や美味しいパスタに変身させたる。
さ、そん前に床掃除しよか。重曹取ってくるワ」
「じゅーそー?」
「そ。雑巾で拭くだけやと、ぬめり取れへんからな。ほら前に油溢した時と同じや」
「そーや、そーゆーコトもあったワ」
へへへと照れ笑いする星之介はホントに愛されドジっ子そのものだけど。
平和とか穏やかとか、そんな温かさが生まれるゼロ支点みたいにも思える。
孝星は終業時刻を記録するとPC電源を落とし、資料を再確認しながらファイルに入れる。
「明日は現場直行します」
「おう。オレは現場着くン9時頃やから、作業記録は先に終わらしとってくれ」
「了解です。現場朝礼の準備しときます。すんません今日はお先に失礼します」
隣の先輩社員にペコリと頭を下げて孝星は立ち上がって本日終了モード。
ファイルやノートPCで膨らんだビジネスバッグだけど、そんなに重そうに見えない。
それはたぶん孝星のサイズがデカいせいと、早く帰宅したくて動きが軽やかなせい。
着替える時間も惜しいし、どうせ明日は現場直行だし。
ロッカーのシャツだけバッグに押し込み、作業着のまま孝星はビルの階段を駆け下りた。
1階でエレベーターに乗り込もうとする女性社員達とすれ違ったけど、孝星は気付かない。
でも彼女達はちょっと心配そうな顔を見合わす。
「今の槌谷さんやんな?」
「エライ急いどったけど、何んかトラブルやろか?」
「この時間に?よっぽどのコトやで」
「でも現場トラブルやったら所長か部長と一緒やろ、ふつー」
エレベーターの中でひとりがププっと思い出し笑い。
「そー言えばなあ、このまえ六甲の橋梁工事でトラブルあった時な。
課長の後ろに槌谷さんが立っとったら、怒鳴っとった先請の人トーンダウンしてもたて」
「それ判るワー」
「うんうん。槌谷さん冷たい圧有るもんな」
「そおやで。課長はいっつも、前見えへんから後ろ居れ!てむくれとるし」
「あはは。そんで課長の後ろに居ったら居ったで、用心棒役なんや」
エレベーターがフロアに到着してドアが開き、お喋りはおしまい。
だから最後にみんなでちょっと意味深な視線を交わす。
「あの槌谷さんが仕事で慌てるとか無さそおやんな」
「うんうん。どっちか言うとデートに遅刻とか、プライベートなコトに振り回されそお」
「仕事の話しかせえへんけど。たまには恋バナとか聞かせて欲しいわあ」
孝星は中堅建設会社の技師。
真面目過ぎるほどの仕事ぶりに、入社2年目で東京本社から声が掛かったけれど。
同棲相手の仕事があるんでと出世コースを断って地域枠社員を選んだりしたから。
いっとき噂の的になったけれど。
孝星の堅い仏頂面が崩れるコトは無いし、変わらず正確確実に仕事をこなすだけ。
おかげで職場ではただの愛妻家として黙認されている。
帰宅ラッシュが始まって、電車は少し混雑していた。
でも空席があっても孝星は座らないし、ドア近くに立たないようにしている。
自分の大きな身体が圧迫感を作り出してしまうと判っているから。
だから車両とかエレベーターとか限定的な空間で他人と一緒になるのは苦手。
そんな居心地悪い気分になると、いつも思い出すコトがある。
有星がサポートで出演するダンス教室の発表会を観に行った帰り。
後片付けを手伝って結構遅くなったし、各駅停車に乗ったから車両はガラガラ。
空席を指差して星之介がにかっと笑う。
「ココ座ろ」
「ええよオレ立っとおし」
「めっちゃ空いとおもん。一緒に座ろ、孝星が座らんとオレ座れへん」
少々強引な言い方をされて、仕方なく孝星はシートに腰を下ろすけれど。
やっぱり1.5人分くらい空間を占めてる気がしてしまう。
だからさっきの舞台を観る時にも、すごく気を遣っていて。
踊る我が子を撮影する親達の圧に追いやられ、結局ずっとドア近くに立ったまま。
たぶん星之介が座ることに拘るのも、そんなコトがあったから。
孝星には「枠からはみ出る」ことに嫌悪感を持ってしまう過去があるからどうしようも無い。結局落ち着かなくて、席を立とうとしたら。
ぽすんと星之介が座った。孝星の膝の上に。
「え?」
孝星も、2人のことを眺めてた有星も目がテン。
「こないして座ったら2人分以下しか使うてへんやろ。
何ンも遠慮要らんし、オレら3人で居ればどんなコトも大抵何とか成るし。
ほらアレや「3人寄ればぼてじゅう」て言うやん」
星之介はドヤ顔だけど。
有星はぶふっと噴出してしまうし。孝星はもうどうツッコんでイイか苦悶の顔。
「あはははっ星ちゃんソレたぶん「文殊の知恵」や。
でも何んか、ぼてじゅうでもエエ気がすんな。
3人でお好み焼き喰いに行ったら、何んでも解決しそおやなっ」
そう笑いながら有星まで、星之介の膝の上に座ってしまう。
正確には星之介の足をズラして孝星の腿の上だから。
「ちょっ、重いワっ」
「ウソつけ~キュートなケツが乗っかって嬉しークセに~」
「孝星ぜんぜんデカ無いやん。狭いワ」
「ほんなら乗るなっ」
車内マナー違反どころではナイふざけっぷりだったけれど。
孝星にとって星之介と有星が居る場所は「それでエエやん」と受け入れて貰える場所。
傍から見れば、腐れ縁とか同居仲間とか色んな言い様があるかも知れないし。
この関係を言い表す言葉は無いかも知れない。
でもきっと言葉は要らなくて。
ちょっと視線を絡めて笑い合えば、それで充分な関係。
孝星は大きな手でそっと自分の口元を覆う。
夜闇を背景にした車窓は鏡になって、ニヤケる孝星の顔を映し出してしまったから。




