16.神官たち、急ぐ
「ハザマ村が、大聖女生誕の地だって?」
「厳密に言うと、大聖女ブルーベル様のご母堂がハザマ村の出身です。隣村出身の男性と結婚し、大聖女様が幼い頃に夫婦共々病で亡くなり、それ以降の大聖女様は孤児院で育ったと記録が残されています」
宿屋の一室で休憩中に、ダグラスがヴェルデ侯爵家の者から受け取った書類を読み上げたところ、そこには公にされていない大聖女の生い立ちが記されていた。
「大聖女になる前、ただの村娘だったブルーベル様は、15歳で孤児院を出てハザマ村で働きながら一人暮らしをしていた、とのことです」
「孤児院育ちということは、最低限の教育しか受けていなかったんだろう?よく子爵家は養子に迎え入れたな」
「王都に来た頃には、下級貴族程度の立ち居振る舞いは出来ていたそうですよ」
18歳で王都に移住したブルーベルは、城下町の食堂に住み込みで働きながら薬師になるための勉強をしていた。彼女の作る食事や栄養剤に心身の不調を癒す効果があると評判になったことがきっかけで、とある子爵夫妻と養子縁組したと伝え聞いている。
「大聖女様は、豊穣の女神フローラリアのいとし子だったな。幼い頃から女神と暮らす中で、様々な教えを受けたんだろう」
マリーエは大神殿で暮らし始めた直後に、愛の女神ハルメイア様のいとし子となった。猫姿ではあるが、ハルメイア様はヴェルデ家の者と同じようにマリーエの保護者と言える存在だ。きっと大聖女も同じような感じなのだろうと想像する。
「ですが、こちらのマデリーン・ヴェルデ神殿長からの便りには、気になる記述があります」
ダグラスが差し出したのは、優美な手跡で書かれた神殿長からの手紙だ。
『ブルーベル様は豊穣の女神のいとし子でありながら、他の神の加護を授かっておられました。既に喪われた神でありましたが、娘時代を共に過ごした大切な存在なのだと話してくださったことを覚えています。ハザマ村に向かわれるなら、このことを覚えておいてくださいませ』
ヴェルデ神殿長は大聖女様と姉妹のように親しく、切磋琢磨する間柄だったと聞いている。お二人の現役当時の大神殿は今より活気があったそうだ。そんな二人だからこそ、深い話をしたこともあるのだろう。
それにしても、神が喪われるとはどういうことだろう。
神には年齢や老いの概念はないはずで、ハルメイア様の真の御姿も、いつ見ても若く美しい女性なので、この認識に誤りはない。
「一人の人間が複数の神から加護を得るなんて……リュカ様は聞いたことがありますか?」
「いや。それが可能だということ自体、今初めて知った。フローラリア様のいとし子となった頃には、他の神とやらは既に喪われていた……ということか」
ハルメイア様は愛を司る女神だから殊更その傾向が強いが、神々がいとし子へ注ぐ愛情は並大抵のものではない。その上神は執着心も強いので、一人の人間に複数の神が同時に加護を与えたとは考えにくい。
「これはあくまで俺の推測だが、大聖女はハザマ村で最初に加護を授けてくれた神と暮らしている間に、何らかの理由でその神を喪ったんじゃないだろうか」
「なるほど。その後に豊穣の女神からの加護を授かって王都に出て来たと考えれば、しっくりきますね」
「更に、最初の神を喪った……その現象そのものが、年月を経てハザマ村の土地そのものに何らかの影響を与えた可能性がある」
何十年も昔の出来事だが、神にとってはそれくらいは誤差の範囲内だろう。喪うというのがどういうことなのか、人間で言うところの死と同じものなのかはわからない。だが、悠久の時を生きるはずの神がいなくなるのは、どう考えても異常事態だ。それが周囲にどれほどの影響を与えるのか、未知数だ。
「村で起きている異変の原因はそれだと、リュカ様はお考えですか?」
「不特定多数の村人への精神汚染となると、人間の仕業じゃないだろう。もっとも、何が引き金になったのかわからない以上、何者かの関与も疑うべきだが……」
それより問題なのが、そこにマリーエがいることだ。村人に起きている異変の原因が喪われた神だとして、そのことを知ったらマリーエは絶対に放っておかない。
「悠長に休んでる場合じゃないな。ダグラス、休憩はここまでだ。すぐに向かうぞ」
◇◇◇
「も、もう行っちゃったの……!休憩短すぎない!?」
リュカ神官を追ってハザマ村の隣村に着いたら、そこには既に彼の姿はなく、数名の供回りの者だけが残されていた。なんでも予定を早めて急遽ハザマ村に向かったらしく、側近のダグラスだけを連れてたった二人で向かったという。
「申し訳ございません、ヴェルデ神官長。リュカ様はどうしても先を急ぐとおっしゃられて……」
「あ、いや、いいんだ。こちらこそ取り乱して申し訳ない」
リュカ神官がそれほど急ぐということは、マリーエの身に何かあったのかもしれない。それに加えて、マリーエが彼のことを誤解したまま二人が対面してしまったら、まずいことになるに違いない。
(噂を聞いただけで神力を暴走させたんだ。自分を捨てたはずのリュカがここまで追いかけてきたら、また同じことが起こるかもしれない)
マリーエもリュカも、ユリウスにとって大事な子供だ。リュカのことをそんな風に思うのは些か不敬かもしれないが、彼の本来の身分や立場を知っていてなお、この気持ちが消えることはない。幼いころから大神殿で共に生活し、慈しんできたのだ。
二人が傷付く姿など見たくない。
ユリウスは休憩の予定を取りやめ、すぐさまリュカの後を追うことにした。




