11.マリーエ、眠りの淵で
夢を見た。
ずっとずっと、昔の夢を。
「あなたは今日から、この神殿で暮らすのよ」
そう言って私を置き去りにしたのは、私を生んだ母親なのだろう。赤子の頃に別れたので、顔も名前も知らない。そもそもこんな光景を覚えているはずもないのに、夢の中だからか妙に生々しい手触りがある。ぼんやりと目の前の光景を見つめていたら、ふっと場面が切り替わった。
「おばあ様、この子には名前がないのですか?」
「そうみたい。せめて一つ、親からの贈り物をこの子にあげたかったのだけどね……」
「であれば、代わりに僕らが素敵な名前を贈りましょう。この赤子に似合う、とびきり可愛らしい名前を一緒に考えてください」
「……ふふ、そうね。私たちが、この子を育てることが出来なかったご両親の代わりに、いいえ、それ以上に精一杯慈しんで、この子を幸せにしましょう」
私のマリーエという名前は、神官長がつけてくれたと聞いている。この青年が出会った頃の神官長なのだろう。今と変わらない優しい瞳と、温かい声色に心が落ち着く。
生みの親のことは何一つ知らないけど、知りたいと思ったこともない。それは、こうして愛してくれる人がいたから。神官長に神殿長、ハルメイア様やリュカに神官たち。
親に捨てられたことから動き出した私の人生は、あの日までは穏やかで幸福なばかりだった。
◇◇◇
「ただの孤児が、こんな神力量なわけがないだろう!一体どこの貴族の落とし胤なんだ!?」
「孤児と私生児、どちらがマシかしら?神力量だけ多くても……ねぇ」
「当家には娘がいないから、引き取ってやってもいい。聖女の後見人ともなれば、我が子爵家は今以上に重用されるだろう」
再び目の前の景色が切り替わる。これは、自分の出自を知りたいと初めて思った、神力量を測定した日の光景だ。
神力は誰にでも宿る可能性があるものだけど、ここアルモニー王国では貴族の血筋に発現することがほとんどだ。神々に祈りが届きやすい大神殿が王都にあり、地方には中神殿や小神殿しかないから、必然的に大神殿に足を運ぶことが多い貴族に神力持ちが多く生まれる、という仕組みらしい。
とはいえ祈りを捧げられる張本人の女神ハルメイア様は『まぁ、そうなんじゃない?よく知らないけど』と言っていたので、神々から些細な事なのだろう。
要するに、誰の子とも知れない私が、齢5歳にしてその場にいる全ての人間を凌駕する神力量を計測したことは、貴族たちにとって耐えがたい結果だったのだ。
私を利用せんとする者、値踏みする者、排除を試みる者。
神殿長も神官長も私を守ってくれて、よからぬ貴族たちはすぐに立ち去った。だけど、身に宿す神力を国のために役立てるようにと王命がくだり、たったの5歳で大神殿の聖女に就任することが決まってしまった。
この一連の出来事は、それまでぬくぬくと暮らしていた幼い私にはあまりにも衝撃的で、心に大きな負荷が掛かり、その日以来宝物庫に忍び込んで毎夜泣き明かしていた。聖女になったことで与えられた新しい部屋は立派過ぎて居心地が悪く、ハルメイア様にも泣いている姿を見せて心配を掛けたくなかったので、一人になれる宝物庫はちょうどいい泣き場所だった。
「私に聖女なんて、むりだよ……っく、ふぇ、ぇ……っ」
聖女になんて、なりたくない。
貴族のお嬢さまたちを差し置いて聖女になってしまったので、また悪意に晒される。それに加えて、今代の聖女を手元に置きたくなった貴族が私を大神殿から無理矢理連れ出してしまう可能性を恐れて、ずっと怯えていた。
そんな私を救ってくれたのが、リュカだった。
「マリーエ、見付けた」
「リュカ……こ、こんな時間に、どうしたの?」
「それはこっちのセリフだ。ほら、おいで」
すっかり冷えてしまった私を抱き寄せ、暖かなブランケット包み込んでくれたリュカは、少し息が上がっていた。部屋に居ない私を心配して探し回っていたのだろう。誰かに遭遇しても誤魔化せるよう、いつもは目元の腫れを癒してから宝物庫を出ていたけど、既に見付かってしまったのでリュカにはもう隠せない。
「そんなに目を真っ赤にして……よほど聖女の地位が嫌なのか?どうしてもなりたくないなら、俺から神殿長に言うよ」
「うっ、ううん!それはだめなの!」
「どうして?」
私のような孤児はもちろんのこと、神官長や神殿長だって、王命には逆らえないだろう。私のワガママで、皆に無茶をさせるわけにはいかない。
「なりたくないけど、ならなきゃいけないって、わかってるの。聖女でいれば、私みたいな孤児でも、王様はここにいていいよって言ってくれるから。聖女なんかいやですって言ったら、追い出されちゃうかもしれない……」
せっかく拭った涙が、また溢れてきた。だけどぐずぐず泣いている私にリュカはずっと寄り添ってくれて、泣きながら話すので聞き取り辛いハズの私の嘆きに耳を傾けてくれて、これからのことを真剣に考えてくれた。
「あのな、俺も神官たちも、神官長も、もちろん神殿長も、マリーエを大神殿から奪わせたりしないよ。どんな偉い貴族にだって、王様にだって奪わせない。だからマリーエは、聖女だろうがそうじゃなかろうが、ここにいていいんだ。いてくれなきゃ困る」
「でっ、でも……」
「ハルメイア様だって、マリーエをよそにやるなんて言ったら、怒り狂って大神殿を壊しちゃうかもしれないだろ?」
「…………そうかもしれない」
そうだった。私に加護を与えて、いとし子だと言ってくれる愛の女神ハルメイア様は、大神殿をとても気に入っている。そして、偉大なる女神様のことだから「王命なんて関係ないわ」と簡単に言ってのけるだろう。
「大神殿はマリーエの家で、ここで暮らすみんなは家族みたいなものだよ。マリーエの帰る場所はここなんだから、追い出される心配なんてしなくていいからな」
「うん……」
「ん?」
なんでも言ってごらんと、優しく促してくれるリュカに心が緩むのを感じる。
「わたしには、お父さんもお母さんもいないから、家族はいないって思ってたの。だけど、家族みたいな人たちがたくさんいるって、リュカが教えてくれてわかったわ」
すっかり安堵した私は、リュカに無邪気に抱き着いた。
「それだけで、じゅうぶん嬉しいの。リュカ、ありがとう」
「あぁ……」
私の頭を撫でながらリュカは何かを考えている様子で、しばらく見ていると、覚悟を決めたように口を開いた。
「なぁ、マリーエ。いつか俺たち、本当の家族になろう」
「ほんとの、家族?」
「今ここで暮らしている皆のことは、俺も家族みたいに思ってる。大事な存在で、誰一人欠けて欲しくない。だけど、みんなにはそれぞれの将来がある。いつかここじゃない場所で、家族になりたい相手に出会って、大神殿を去る日が来るだろう。だけど俺は、マリーエとずっと一緒にいたいんだ」
「リュカが家族になりたい相手は、わたしなの?」
「あぁ。誰か一人を選ぶなら、俺はマリーエがいい。俺の家族に……なってくれるか?」
それまでもリュカのことは好いていたけど、この日を境に、彼は私にとって特別な存在になった。誰よりも何よりも一番大切な、私の本当の家族になってくれる、唯一の人。
勿論私は「うん」と答えたはずなのに、その光景を目にする前に、眠りの奥底に沈んでいった。




