10.急ぐ神官、追う神官長
大神殿から一度生家に戻ると、神官長の手の者から報告書が届いた。それによると、マリーエは彼女を追放したエンダ侯爵家の領地内にある小さな村に連れていかれたらしい。
そして、その村から侯爵家には、何度か嘆願書が届いていたという。
「ハザマ村では、少し前から一部の村人に精神汚染のような症状が出ていて、神官の派遣を望まれていたそうです」
「侯爵は対応したのか?」
「いえ。訴えの内容を確認した上で、些事と放置していたとか……。あの家の三男は、それを知った上でマリーエ様をハザマ村に追いやったのでしょう。許しがたい所業です」
この男は神官長の乳兄弟で彼に長年仕えているため、マリーエとの付き合いも長い。
「マリーエが神官に代わって対処しているだろうな……」
「そうですね。マリーエ様は、そのような事態を見過ごすお方ではないでしょう。ご自身の安全を第一に考えていただきたいのですが」
こればっかりはもう、仕方がない。それがマリーエなのだ。一刻も早く駆け付けて彼女の身の安全を確保し、成すべきことを手助けするのが自分の役割だと心得ている。
人の不幸を見過ごさず、人の幸せを我が事のように喜ぶのが、マリーエの聖女としての在り方だ。その上あの愛の女神も一緒とあれば、二人は止まることはまずないと断言できる。女神はいとし子に甘い。
一度主家に向かうという男を見送り、自分の従者に声を掛ける。
「なぁ、どうしても馬車を使わないといけないのか?俺とダグラスなら、馬で行った方が……」
「ダメです、焦って駆けたら危ないですよ。それに、帰りの足はどうするんですか!」
「馬車は後から手配すればいいだろう。一刻も早くマリーエの元へ駆けつけるには、最速の手段を……」
「殿下は御身の安全も考慮してくださいね」
普段はそんな呼び方しないくせに、こんな時だけわざわざ釘をさしてくるのが、この男の憎いところだ。とはいえダグラスは、俺の従者として付き従うためにわざわざ神官の資格を得て、上級神官になるため国内のあちこちを飛び回る俺を日々支えてくれる、得難い存在だ。忠告は素直に聞いておくとしよう。
「……言っておくが、俺はお前だけを危険に晒して、自分だけが安全圏に留まるつもりはないからな。お前の奥方も子供たちも、一日も早い帰りを望んでいるだろう。ついて来なくていいとは言ってやれないが、さっさと片を付けて全員無事に戻って来るぞ」
「はい!」
◇◇◇
外に出ると、既に馬車が用意されていた。当たり前だが、生家に仕える人間はみな優秀だと改めて実感する。生活の基盤が大神殿にあるためこちらにはほとんど顔を出さないが、それでもこうして自分を受け入れ、愛情を注いでくれる家族たちには感謝しかない。
(まぁ、マリーエへの求婚を反対されている間は、そんな風には思えなかったけどな……)
「リュカリオール!もう行ってしまうのか!?」
「えぇ、兄上。馬車の用意をありがとうございます」
「……本当に行くのか?危なくないか?護衛を増やすべきでは」
「今更必要ありません。兄弟の中で誰よりも国中を飛び回っているのは俺ですよ?」
「それだって、兄様は反対したんだ!可愛いリュカリオールに万が一のことがあったら……っ!」
「お気持ちだけいただきます。では、俺は俺の可愛い人を迎えに行くので」
「うぅ……っ……!お前に結婚だなんてまだ早すぎるよぉ……っ!!」
こういうのを、愛が重いと言うのだろう。異母弟にここまで気持ちを傾けられるのだから、大したものだ。
「兄上、運命の相手に出会うのに早いも遅いもありません。そして運命は、自らの手で掴み取り、決して離してはいけないのです。今この状況は、俺にとって何よりも耐え難い……一刻も早く、彼女をこの手の中に連れ戻します」
「弟が男前過ぎる……っ!」
あんなに可愛かったリュカリオールがとブツブツ言い始めた兄を尻目に、馬車に乗り込んだ。
◇◇◇
「も、も、もう、出ちゃったんですか!?」
「すまない神官長。あの子の成長に感動していたら、いつの間にか出発してしまっていたんだ……」
「いっ、いいえ!こちらこそ動揺してしまい、申し訳ございません。王太子殿下」
見習いたちが話していた内容を伝えるべくリュカ神官の元に駆けつけたが、一歩遅かった。彼は、彼の事を大好きな家族たちが『少し休んでいけ』『お兄ちゃんとお茶しよう!』『義母様とお菓子食べてから出発しなさいな』と引き留めても全く聞く耳を持たず、あっという間に出立してしまったという。
「もうっ!リュカリオール兄様は、愛する聖女様の元へ一刻も早く駆け付けたいのですから、引き留めるなんて無粋ですわよ!ヴェルデ神官長、すぐに馬車を手配しますから。どうかリュカ兄様を追ってくださいませ」
「リーディア王女殿下……い、いえ、それには及びません。一度大神殿に戻ってから、改めて追い掛けますので」
「まぁ、遠慮しないでくださいませ!戻っていては出立に時間が掛かってしまいますし、一刻も早く兄様にお伝えしたいことがあるのでしょう?マリーエ様も、兄様だけでなくヴェルデ神官長も迎えに来た方が、きっとお喜びになりますわ」
第一王女のリーディア殿下は神力持ちでよく大神殿にやって来るので、王族の中でも神殿とは気安い関係だ。何より彼女は、マリーエとも交流があり親しくしている。リュカ神官の家族では唯一マリーエとの婚約を支持していたほどだ。もっともマリーエ自身は、リュカ神官とリーディア殿下の関係を知らないけれど。
そんなリーディア殿下の申し出にたじろいでいると、救いの手こと乳兄弟のアルズがやってきた。
「ユリウス様、マデリーン神殿長からこちらを預かりました。内容を確認しましたが、我々も一刻も早くマリーエ様の元へ向かうべきでしょう」
「まぁそうですのね!誰か、至急馬車を手配してちょうだい!!」
アルズの言葉を聞いて口を開くより先に、リーディア殿下が動いてしまった。ここまでされては、断る方が失礼だ。
「マデリーン神殿長のお言葉を聞けば、遠慮なんてしている場合じゃなくなりますよ、ユリウス様。マリーエ様が連れていかれたハザマ村では、とんでもないことが起こっているようです」
「マリーエが勝手に追放された時点でとんでもないというのに、これ以上なのかい?」
「えぇ。詳しいことは、馬車で話しましょう」
「でっ、でも、事前の準備もなく大神殿を何日も離れるわけには」
「神官長並びに聖女が不在の間は、神殿長が大神殿に滞在されるとのことです」
既に半隠居状態の祖母マデリーンこと神殿長は、王都のはずれにある別宅で過ごしていて、大神殿には年に数度しか顔を出さなくなっている。その祖母が自分たちの代理を勤めるなんて、余程の事態だ。
「というわけで、こちらが神殿長からの伝言です」
「それ、見ないとダメなやつ……?」
「見たくないでしょうが、見ないと困るのはあなたですよ」
それも嫌だなと思い、腹を括って手紙を開くと、シンプルに一言こう書いてあった。
『マリーエを傷一つなく連れ戻すまで、帰ってきてはなりませんよ』
これはもう、覚悟を決めるしかないと悟った。




