第9話:はじめてのお客さんと、具なしの衝撃。
ジューーーーーッ!!!
香ばしく焦げるソースの匂いが白煙とともに立ち上り、庭のフェンスを越えて小牧山の城下町へと拡散していった。
「な、なんという匂いだ……っ。具など一切入っていないというのに、鼻の奥が痛くなるほど美味そうな匂いが……!」
「鶴千代様、おちよ、お口の中のヨダレが止まりません……!」
ヘラを持った源蔵が目を剥き、十歳のおちよが口を押さえる。
その時だった。鉄のフェンスの向こう、夕暮れの通りに一人の人影がふらりと現れた。
「……な、何じゃ、この匂いは。おいら、こんな美味そうな匂い、嗅いだことがねぇべ……」
それは先日テラス席から見かけた、お腹を空かせて力なく歩いていた、あの泥だらけの貧しい農民だった。
農民は鼻をこれでもかとヒクヒクさせ、よだれを滝のように垂らしながら、引き寄せられるようにフェンスにしがみついた。
「これね、やきそば。あつあつで、すっごく美味しいんだよ!」
三歳の鶴千代はトコトコとフェンスの前へ歩み寄り、ちっちゃな指を三本立ててみせた。
「1ぱい『さんもん(三文)』だよ!」
「さ、三文……っ!? おいらの懐にある全財産が三文だべか……」
農民は見たこともない頑丈な鉄の柵と、そこに立つ気品に満ちた幼児(鶴千代)の姿を見て、神仏の化身ではないかとガタガタと震え出した。
しかし、胃袋を完全に掴まれた男は、懐からボロボロの銅銭を三枚取り出し、「これで、その美味そうなものを食わせてくだされ!」と差し出した。
「ねーね! お金もらって! お皿持ってくる!」
「は、はいっ!」
おちよがフェンスの隙間から三文を受け取ると、鶴千代はキッチンへと走りピカピカの『プラスチック製のお皿』を持ってきた。
今はまだ、お持ち帰り用の紙のお皿やパックを買う余裕(ポイント)はない。だから、このお皿を使って「この場で食べて、お皿を返してもらう」という、完全イートインスタイルから始めるのが三歳児のシビアな計算だった。
「げんぞう! 鉄板奉行! お皿にのせて!」
「ハッ! 鉄板奉行・末森源蔵、ただいま盛り付けまする!」
源蔵がヘラを駆使して熱々の具なし焼きそばをお皿にこんもりと盛り付け、フェンス越しに農民へと手渡した。
お皿の滑らかさに驚きつつも、農民は我慢できずに茶色い麺を手掴みで口いっぱいに放り込んだ。
次の瞬間、静かな庭に男の絶叫が響き渡った。
「う、美味すぎるべぇぇぇーーーっ!!」
農民の目から大粒の涙がポロポロと溢れ落ちる。
口の中に広がる、戦国時代には存在しない濃厚なウスターソースの甘酸っぱさとスパイシーさ。そして、ただの雑穀混じりのお粥とは違う、小麦の麺の圧倒的な食べ応えとボリューム。
「具など何もない……ただの茶色い麺なのに、なぜこんなに美味しいのだ! 腹の底から生きる力が湧き出してくるだべぇぇ!!」
男は文字通りお皿を舐め回すような勢いで、一瞬で焼きそばを完食してしまった。
そして、「ありがてぇ、ありがてぇ……」とお皿を返し、深々と頭を下げて去っていく。
「ふふ、お皿、あっち(水道)で洗えば綺麗になるもんね」
返ってきたお皿を受け取り、鶴千代はにんまりと笑うと、手に入れたばかりの三文を握り、中二階のロフトへとはしごを登っていった。
貯金箱の穴へ、ぽちょん、ぽちょん、ぽちょん、と落とす。
チャリン、チャリン、チャリーン♪
『ピロリーン♪ 300ポイントがチャージされました』
液晶モニターに映る数字を見て、鶴千代は「わぁ……!」と歓声をあげた。
おちよから借りた仕入れ代の二文(200ポイント)を引いても、一文(100ポイント)の純利益が出ている。
たった一回焼くだけで、大好きなうまいぞ棒が6本買えるのだ。
「ふふふ……これ、もっといっぱい焼いて、たくさん売ったら、お薬も、ぷりんも、なんでも買えちゃうね!」
冷たいお水をゴクゴクと飲みながら、鶴千代はちっちゃな胸を張りにんまりと悪巧みのような笑みを浮かべると、その姿を下から見上げていた源蔵とおちよは、
「おお……。若様のあの深遠なる笑み……! 具なき質素な麺で民の飢えを救い、同時に織田の殿様にも頼らず、斯波家の富を築く『至高の覇道』に目覚められたのだ……っ!」
と、再び凄まじい勘違いをして感動と恐怖でガタガタと震え上がる中――。
歴史のことはよく分からない三歳児が、プリン代のために仕掛けた具なし焼きそば。
「お金が潤ってきたら、今度は紙のお皿を買って、お外に『お持ち帰り(テイクアウト)』できるようにしよう!」という次なる野望を胸に、戦国時代をバグらせる大商人としての第一歩が、いま鮮やかに刻まれたのだった。




