第21話:魔王の留守と、忍び寄る影。
それは、織田信長が美濃を本格的に攻め滅ぼすため、小牧山城の主力を丸ごと率いて遠征に出かけた、ある夏の夜のことだった。
城主が留守になった小牧山城の守備は文字通りガラ空き。城下町も静まり返り不気味な静寂が広がっていた。
しかし、鉄のフェンスに囲まれた『四坪ハウス』の中は、今日もエアコンの涼しい風に包まれ、平和そのものだった。
「ねーね、これ、すっごく可愛いおー!」
「まぁ、鶴千代様! お給料で仕入れてくださったこの髪飾り(リボン)、おちよに本当にくださるのですか!?」
三歳の鶴千代はソファーの上で笑いながら、おちよと一緒にお駄賃で買った現代のお洒落なリボンを見て、ほのぼのと休日を満喫していた。
毎日、焼きそばやお好み焼きを二百食売って山分けしているため、家計は信長の仕送りなどなくても大富豪である。
(ふふ、お店もお休みだし、お小遣い(ポイント)もいっぱいあるし、引きこもりライフ最高だじょ!)
鶴千代がにんまりと笑った、その瞬間だった。
ガシャン、とハウスの外で不穏な金属音が響いた。さらにガラス戸の向こう、城下町の片隅から、ブワッと真っ赤な火の手が上がるのが見えた。
「若様! 火事でございます! ……いや、あれは曲者の手による炎にございます!」
ボロ小屋の奥から、異変を察して源蔵が刀を握りしめて青ざめた顔で飛び出してきた。
美濃の斎藤氏が雇った凄腕の夜襲部隊(忍びの軍勢)が、信長の留守を狙って城下町へと攻め込んできたのだ。
「大変だよ、げんぞう! 信長様がやられたら、毎日ご文をくれる、ぼくの『サブスク(定期購入)』が消えちゃうじゃん!」
「さぶすく……!? とにかく若様、このお社の中にいれば絶対に安全にございます! 門の鍵を閉めて立てこもりましょう!」
源蔵の言う通り、堅牢な鉄のフェンスを閉めていれば、戦国時代の刀や槍では一歩も中に入れない。ハウスの中に引きこもっていれば安全に終わるはずだった。
だが、暗闇から現れた忍びの別働隊が、邪魔なボロ小屋を焼き払うため、四坪ハウスのフェンスを乗り越え敷地の中へとドカドカと入り込んできた。
そこは、鶴千代とおちよが黄色いシャベルで一生懸命タネを植えた、あの『三畳の小さな家庭菜園』の土の上だった。
「むっ、この裏手から火を放つべし! 足元に気をつけろよ、緑の芽のようなものが生えておるが、踏み潰して進め!」
「心得た、ドカドカと踏み荒らしてボロ屋に近寄るぞ!」
フェンスの向こうから、忍びたちの粗暴な声がハッキリと聞こえてきた。
窓を覗き込んだ鶴千代は、自分たちが毎日大切に育て、ようやく可愛い芽を出し始めていたミニトマトの土が、敵の汚い草鞋で無残にも踏み荒らされていく光景を目撃してしまった。
その瞬間、精神年齢三歳児の、純粋で、あるいは最も沸点の低い『逆鱗』が完全に限界突破した。
「……ぼくの、だいじな畑(とまと)を、あらすなァァァーーーーーッ!!!!」
鶴千代のお顔が、見たこともないほどの怒りで真っ赤に染まる。
前世の記憶の冷静な計算など、三歳児のピュアな怒りの前では一瞬で消し飛んだ。
お小遣いも、信長も、もうどうでもいい。ぼくのミニトマトをいじめる奴らは、絶対に絶対に許さない!
「ひっ、若様!? どこへ行かれまする!」
源蔵とおちよが止める間もなく、鶴千代は短い手足をバタバタと動かして、中二階のロフトのさらに奥、屋上へと続く鉄製のはしごを猛烈な勢いで登っていった。
たどり着いた先は、夜風が吹き抜ける屋上(バルコニー)。
転落防止のピカピカなステンレス製の柵の手前――その左右には、ハウスの防衛とお掃除用として最初から『二基の超高圧放水銃』が死角なく設置されていた。
柵のギリギリ手前にあるため、ハウスの真下まで完璧に見下ろせる無敵の配置だ。
「これでもくらえぇぇぇおーーーっ!!」
鶴千代は西側の放水銃に飛びつくと、ちっちゃな体でレバーをがっしりと握りしめ、最大出力のボタンを思いっきりペチッと叩いた。
ズドオオオオオォォォンッ!!!
夜闇の小牧山に、戦国時代には存在しない、凄まじい高圧水流の質量が轟音とともに放たれる。
三歳児のトマトをかけた復讐の激流が、死角のない角度から、忍びの軍勢へと一網打尽に襲いかかるのだった。




