第12話:魔王の使者と、秘密のラムネ。
小牧山城、天守閣。
美濃攻めの軍議が一段落したところで、上座に座る織田信長がふと思い出したように側近の丹羽長秀へ視線を向けた。
「そういえば、あの斯波のガキはどうしている? 尾張から無理やり小牧の麓へ引っ張ってきたが、餓死せぬ程度に息はしているか?」
「ハッ。斯波鶴千代様にございますな。移住させてからはこれといって怪しい動きもなく、静かに暮らしていると聞いております」
「ふん、名門の血など、牙を抜かれればただの飾りよ。……長秀、念のために様子を見てまいれ。魔王の情けを忘れてないか、その目で確かめてくるのだ」
「御意。ただちに参りまする」
長秀は一礼すると、小牧の城下町の片隅へと馬を走らせた。
◇◇
よりによって、その日は日付に『5』がつく日――すなわち、四坪の焼きそば帝国の『お店の定休日』であった。
「信長様からの上意である。変わりはないか?」
ボロ小屋の薄暗い土間に、織田家の重臣・丹羽長秀が足を踏み入れる。
そこにあったのは、家具も何もないガランとした空間。
信長から支給される「年四貫文」の低予算を証明するかのような、畳もすり減ったひもじい部屋だった。
出迎えた中年武士の末森源蔵は、あえて汚れの目立つボロ布のような羽織を着て、床に深く平伏した。
「ハッ、ハハッ! 丹羽様、わざわざのお運び、恐悦至極にございまする……! 我ら斯波家、信長様よりいただく過分な扶持のおかげで、なんとか、なんとか餓死せぬ程度に、泥水をすすりながら生き長らえておりまする……ううっ」
源蔵は顔を床に擦り付けながら、必死の嘘泣き(貧乏演技)を披露した。
昨日まで焼きそばで何百文も荒稼ぎし、毎日お腹いっぱい餃子やハンバーグを食べていることなど、口が裂けても言えない。
心臓が爆発しそうなほど高鳴り、源蔵の背中には冷や汗が滝のように流れていた。
長秀はガランとした部屋を見回し、満足そうに頷く。
「うむ、殊勝な心がけである。牙を抜かれた狼らしく、今後も織田の影で大人しく泥水をすすっているが良い」
(よし、相変わらず無力なまま貧しく暮らしているな。これなら謀反の心配はあるまい)
長秀が完全に油断した、その瞬間だった。
ボロ小屋のすぐ隣――フェンスに囲まれた『四坪ハウス』の西側のテラス席から、カラン、と軽快なガラスの音が響いた。
「むっ……? 今、隣から妙な音が聞こえなかったか?」
「は、はあぁっ!? い、いえ、何も聞こえませぬ! き、きっと小牧山に棲まう妖狐か、野良犬の悪戯にございまするッ!!」
源蔵は声を裏返して必死に誤魔化したが、その真横のテラス席では、冷房の効いたハウスのガラス戸を開け放ち、三歳の鶴千代と十歳のおちよが優雅に『休日』を満喫していた。
「ねーね、これ、上のフタ(キャップ)をこうしてグッて押すんだよ」
「こうでございますか、鶴千代様? ――それっ」
おちよが小さなプラスチックのピンをラムネの瓶の口に力強く押し当てる。
プシュッ!!! カランカラン……♪
心地よい炭酸の弾ける音とともに、ガラスのビー玉がカラコロと涼しげな音を立てて瓶の中に落ちていった。
前世の夏の終わりに、ドラッグストアのレジの横で見かけて思わず箱買いした、あの冷え冷えの『瓶のラムネ』そのものだった。
「まぁ……! ガラスの玉が中に閉じ込められました! シュワシュワと泡が弾けて、まるで星が踊っているみたいでございます!」
「つるちよ、これだーいすき! ねーね、かんぱーい!」
三歳児の鶴千代とおちよは、お財布に貯まった数万ポイントの中から、お駄賃(1文)を使って仕入れたラムネの瓶を優しくカチンとぶつけ合った。
お口の中に広がるパチパチとした甘い炭酸の刺激。
「ぷはぁー! ラムネおいちいねー!」
「おいしいです、鶴千代様! お口の中がパチパチして、夏の暑さが吹き飛んでしまいます!」
ハウスから流れてくるエアコンの風を感じながら、テラス席でデッキチェアに腰掛け、冷たいラムネをゴクゴクと飲む。これこそが、5のつく日の極上のスローライフだった。
まさか隣のボロ小屋の土間で、源蔵が「泥水をすすりながら……」と涙の演技をしていることなど、子供二人はちっとも知らなかった。
◇◇
「――信長様、斯波の家、相変わらずあばら家で、お仕置きの仕送りをありがたがってチビチビと粟をすすりながら、ひもじく暮らしておりました。衣服もボロをまとい、完全に牙は抜けております」
小牧山城へ戻った丹羽長秀は、信長へそう完璧な勘違い報告を入れた。
信長はそれを聞いて「ふん、そうか」と満足げに低く笑った。
「天下の織田に逆らうなど、百年早いわ。そのままそこで、一生惨めに這いつくばらせておけ」
魔王の目が完全に逸れた。
こうして鶴千代たちは、信長の目を完璧に欺きながら、裏では「焼きそばで荒稼ぎし、エアコン完備のハウスでラムネを飲む」という、戦国時代最強の隠密ニート引きこもり体制を完成させるのだった。




