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第五十二話 アルクの巡回日/帰火の春祭

アルクの最初の巡回日は、朝から騒がしかった。


 王城の正門の横にいたはずの門扉は、約束の時刻より早く帰火の橋へ体を向けている。休暇を破ってはいない、と本人は主張しているらしい。まだ動いていないから、という理屈だ。


「そういう抜け道を覚えないでください」


 私が言うと、アルクは少しだけ鉄飾りを伏せた。


 今日の行き先は、王城、灰鴎城、南区の灯室、空殿跡地の休み場。四か所を巡る。ただし、各地で開くのは一度ずつ。無理な開門は禁止。夕方には王城へ戻って休む。


 カイル様が条件を読み上げると、アルクは堂々と鳴った。


 最初に灰鴎城へ来たとき、玄関扉は少しだけ張り合った。


 同じ入口に二つの門はいらない、と言いたげだった。


「今日は客です」


 私が言うと、灰鴎城はしぶしぶ受け入れた。


 アルクは前庭に立ち、食堂へ向かう人々を見守った。ニルが皿を持って通ると、鉄飾りで少しだけ風を避ける。料理長は「便利ですね」と言い、アルクは誇らしげに鳴った。


 次に南区の灯室へ行く。


 狭い路地に大きな門扉は入れないので、アルクは小さな門ほどの大きさになった。灯室へ来る人々を驚かせないよう、壁際に静かに立つ。


 若い母親が赤子を抱えて通ったとき、アルクは音を立てなかった。


 門は、目立つことだけが役目ではないと覚えている。


 休み場では、ヴィクターがアルクを見て長く黙った。


「お前にも、私は傷をつけた」


 アルクの蝶番が、低く鳴る。


 許した音ではない。


 ただ、聞いた音だった。


 ヴィクターは頭を下げた。


 そのまま、排水溝の泥を掻き出す仕事へ戻る。


 アルクは彼を追わなかった。


 夕方、王城へ戻ったアルクは、明らかに疲れていた。


「休みますよ」


 私が言うと、今度は素直に鉄飾りを閉じた。


 王城の正門が、巡回から戻った門扉を静かに迎える。


 旅を覚えた門は、少しずつ、立ち止まることも覚えている。


 巡回を終えたアルクには、小さな贈り物が三つ届いた。


 灰鴎城からは、暖炉の灰を混ぜた小さな飾り。


 南区の灯室からは、灯りを遮りすぎない薄布の切れ端。


 休み場からは、外側の敷石を削ったときに出た丸い小石。


 どれも、門扉にとって実用的なものではない。


 それでもアルクは、ひどく誇らしげだった。


 王城の正門の横に、それらを並べる場所が作られた。宮廷の貴族が見たら首をかしげるだろう。門のそばに灰と布と小石を飾るなど、格式とは無縁だ。


 けれど王城は、それを許した。


 アルクが旅で得たものを、王城も見たかったのだと思う。


「次の巡回まで、休みますよ」


 私が言うと、アルクは素直に鳴った。


 贈り物を見張るという、新しい休み方を見つけたらしい。


 門は、通すだけではない。


 通った先で何を受け取ったかを、帰ってから抱えることもできる。


 ◇


帰火の春祭は、誰かが命じて始まったものではなかった。


 休み場に花を植えた人がいる。南区の灯室で湯を配った人がいる。竜骨屋根の教室で子どもが歌を覚えた。王城が休暇日を持ち、灰鴎城が灯室を増やした。


 それぞれの場所で小さな出来事が重なり、春になったら一度、火を持ち寄ろうという話になった。


 会場は灰鴎城の前庭だった。


 王城では広すぎる。休み場では遠い人もいる。潮見町では海風が強い。灰鴎城は、ほどよく不便で、ほどよく温かい。


 料理長は大忙しだった。


「祭と名がつくなら、温かいものを出さないわけにはいきません」


 ニルは危ない石を確認し、クラリス様は灯を低く並べた。ユリウス殿下は王都から来る人々の道を整え、カイル様は全体を見ながら、自分が働きすぎないよう料理長に監視されている。


 私は中央の火皿を置いた。


 そこへ、各地の火が集まる。


 王城の火。


 灰鴎城の火。


 潮見町の宿の火。


 南区の灯室の火。


 北の古砦の火。


 竜骨屋根の家の火。


 空殿跡地の休み場の火。


 どれも同じ色ではない。


 王城の火は深く、灰鴎城の火は少し潮の匂いがする。灯室の火は弱く、古砦の火は風に強い。休み場の火は、出ていく人を引き止めないように低く燃えている。


 火が集まっても、一つには溶けなかった。


 それぞれの違いを残したまま、輪になった。


 私はその光景を見て、胸の奥が熱くなった。


 空殿は、すべてを一つに集めようとした。


 帰火は違う。


 離れたまま、つながる。


 違う場所のまま、互いの存在を知る。


 祭の終わり、子どもたちが火の周りで「ただいま」と言う遊びを始めた。言うたびに、大人たちが「おかえり」と返す。


 何度も、何度も。


 その単純なやり取りが、前庭を柔らかく満たしていく。


 カイル様が私の隣に立った。


「よい祭だ」


「はい」


「毎年やるか」


「城たちが張り切りすぎなければ」


 灰鴎城の暖炉が、遠くで少しだけ火を大きくした。


 どうやら、もう来年の準備を考えているらしい。


 祭の途中、私は一度だけ、昔の言葉を聞いた。


「城に愛された令嬢だ」


 王都から来た若い貴族が、悪意なくそう言った。


 以前なら、胸が固くなっただろう。


 でも、その声に刺はなかった。隣にいた別の人が、すぐに笑って返す。


「城だけではないでしょう。潮見町の子どもたちも、南区の人たちも、灰鴎城の料理長も、みんなリネア様が好きですよ」


 料理長が遠くで「当然です」と胸を張った。


 私は少し照れた。


 言葉は、同じ形でも意味を変えることがある。


 嘲笑として投げられた言葉が、時間をかけて別の温度を持つこともある。


 ただし、それは傷ついた側が無理に変えなければならないものではない。周りの人々と、場所と、日々の行いが、少しずつ言葉の向きを変えていく。


 カイル様が横で言った。


「嫌なら、訂正する」


「今日は大丈夫です」


「今日は?」


「はい。だめな日は、言います」


 彼は満足そうに頷いた。


 だめな日があってもいい。


 それを言える場所にいるのだから。

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