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第四十六話 灰鴎城の花道/二つの城が見送る日

婚礼の日、灰鴎城は朝から落ち着かなかった。


 玄関扉は何度も開きかけ、暖炉は料理長に叱られ、東棟の窓は風を入れすぎて侍女を困らせた。灰鴎城なりに、緊張しているのだと思う。


 私は支度部屋で、クラリス様に髪を整えてもらっていた。


「本当に私でよろしいのですか」


「クラリス様にお願いしたいのです」


 彼女は嬉しそうに笑った。


 ドレスは豪華すぎないものにした。白に灰色と青を少し入れた布。王城、灰鴎城、潮見町の色だ。裾には、鳥と波と小さな扉の模様が控えめに入っている。


 ニルが部屋の外から声をかけた。


「前庭の石、全部確認しました!」


「ありがとう、ニル」


「アルク様が帰り道で張り切っています!」


「張り切りすぎないよう伝えてください」


「はい!」


 クラリス様が笑う。


「賑やかな婚礼ですね」


「城が二つと門が一ついるので」


「幸せな賑やかさです」


 その言葉に、胸が温かくなった。


 支度部屋の扉が、そっと開く。


 カイル様が迎えに来た。


 彼は黒と灰の正装を着ている。いつもより厳めしく見えるはずなのに、目元が柔らかいので怖くない。


「リネア」


 婚礼の日だからか、彼は初めて敬称を外した。


 私の胸が跳ねる。


「はい、カイル様」


「行けるか」


「はい」


 彼は手を差し出した。


 私はその手を取る。


 前庭へ向かう廊下には、灰鴎城の人々が花を置いていた。王城から届いた白い花。潮見町の青い小花。北の村の乾いた草花。空殿跡地の休み場から来た、名のない野の花。


 豪華な花道ではない。


 でも、歩くたびに、これまで通った場所が足元に戻ってくるようだった。


 前庭には、人々が集まっていた。


 王も王妃もいる。ユリウス殿下もいる。クラリス様の灯室に助けられた女性、潮見町の姉弟、古砦の村人、長卓の仲間たち。


 そして、灰鴎城の石壁が温かく私を見守っている。


 遠く王城から、帰火の橋を通じて祝福が届いた。


 私はカイル様と並び、前庭の中央へ進んだ。


 あの日、王城の大広間で浴びた視線とは違う。


 今日の視線は、私を裁くためではなく、ここにいることを喜ぶためのものだった。


 灰鴎城の花道を歩きながら、私は思った。


 帰る場所は、選んだあとも育て続けるものなのだと。


 ◇


婚礼の誓いは、短かった。


 長い言葉で飾るより、日々の扉の前で守れる約束がよかった。


 カイル様は私の手を取り、王城から贈られた指輪をそっとはめた。


 小さな音が鳴る。


 ただいま、と言うような音。


 胸の奥に残っていた古い音が消えるわけではない。それでも、新しい音は確かに重なった。


 私も、彼の指へ同じ形の指輪をはめる。


「閉じ込めないこと」


 私が言う。


「置いていかないこと」


 カイル様が答える。


「聞くこと」


「待つこと」


「帰る場所を、一緒に直すこと」


「壊れたら、隠さないこと」


 灰鴎城の暖炉が、遠くでぱちりと鳴った。


 王城の帰火も、静かに光る。


 誓いのあと、前庭に大きな歓声が上がった。ニルは泣きながら笑っている。料理長は泣いていないと言い張っている。クラリス様の灯は、昼なのに柔らかく足元を照らしていた。


 アルクは帰り道に立っている。


 主役ではないと言われたのを守っているが、鉄飾りは明らかに誇らしげだった。


 宴の途中、私は少しだけ前庭を離れた。


 灰鴎城の玄関へ行くと、扉は静かに開いていた。


「ただいま」


 まだ出ていないのに、そう言った。


 玄関の石が温かくなる。


 遠く王城からも、帰火が届いた。


 おめでとう、というより、おかえり、と言っているようだった。


 カイル様が隣に来る。


「疲れたか」


「少し。でも、嫌な疲れではありません」


「ならよかった」


 彼は私の手を取った。


 指輪の小さな取っ手が、夕日に光る。


「明日から、また忙しい」


「はい。休み場も、古砦も、王城も、灰鴎城もあります」


「今日は?」


「今日は、帰ります」


 私たちは玄関をくぐった。


 背後では、人々の笑い声が続いている。


 灰鴎城が私たちを迎え、王城が遠くから見送る。


 二つの城に愛されることは、もう呪いでも侮辱でもなかった。


 それは、私が選んだ道の両側に立つ、温かい灯だった。


 その夜の宴で、私は何度も席を立った。


 潮見町の姉弟が鍵箱の話をしてくれた。妹は、預けた鍵をまだ取り戻していない。でも、箱の中にあると思うと、胸が軽いのだという。


 北の老女は、竜骨屋根の歌を子どもたちに教える約束をしてくれた。古砦の兵士は、避難する人へ最初に言う言葉を考えているらしい。「ここにいていい」と「出たくなったら言ってくれ」の順番で迷っていると、真剣に相談された。


 ヴィクターは宴の端にいた。


 彼はまだ自由に歩ける身ではない。けれど、休み場の敷石を踏んで来た旅人が、彼に短く礼を言った。石が歩きやすかった、と。


 ヴィクターは何も返せず、ただ頭を下げていた。


 それを見て、私は思った。


 物語は、誰かが幸せになったところで全員同時に終わるわけではない。


 償いは続く。修復も続く。許せない痛みも残る。帰れない人もいる。


 だからこそ、帰る場所は完成品ではなく、毎日直し続けるものなのだ。


 宴が終わるころ、灰鴎城の前庭には小さな灯がいくつも残っていた。クラリス様の灯、帰火の灯、厨房の火、王城から届く遠い光。


 それぞれ強さが違う。


 でも、どれも誰かの足元を照らしていた。

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