第四十二話 竜骨屋根の家/嵐の帰火
古砦の修復を終えた夜、村の古い集会家で風が鳴った。
その家は、屋根の形が船底に似ていた。地元の人々は「竜骨屋根」と呼んでいる。大嵐の夜、村人が集まって過ごす場所だという。
ところが、空殿の崩壊後から屋根鳴りがひどくなった。風がない日にも、ぎしぎしと骨を軋ませる。村人は不吉だと言って、最近は誰も集まらなくなっていた。
私は屋根裏へ上がった。
カイル様が下から支え、ニルは階段の下で灯を持つ。クラリス様の光が梁を照らすと、古い木材に細い割れが見えた。
「壊れそうですか」
ニルが不安そうに聞く。
「壊れたいわけではなさそうです」
私は梁に手を当てた。
家は、歌っていた。
ただ、歌い方を忘れかけている。
この集会家は、昔から風の音を受けて鳴っていた。村人はその音を聞き、嵐の強さを知った。高い音ならまだ大丈夫。低く長い音なら避難を急ぐ。屋根は村へ知らせてきたのだ。
だが、空殿に記憶を奪われてから、村人はその意味を忘れた。
屋根だけが鳴り続け、誰も聞かなくなった。
「寂しかったのですね」
梁が軋む。
怒りと疲れが混じった音だった。
下へ降りると、村長たちが待っていた。
「この家は、嵐を知らせるために鳴っています」
「屋根が知らせる?」
村長は半信半疑だった。
しかし、横にいた老女がはっと顔を上げた。
「そうだ。昔は、音で風を読んだ。祖母が言っていた。高い鳴りは北風、低い鳴りは海からの大風だと」
忘れられていた知恵が、戻る。
帰火は壁だけでなく、人の記憶にも触れる。
カイル様は村人たちへ言った。
「屋根の割れを直す。ただし、鳴らない屋根にするのではなく、正しく鳴る屋根にする。村の者も音を覚え直してくれ」
クラリス様が柔らかい灯を梁の下へ置いた。
「夜に音を聞くのは怖いでしょうから、最初は皆で聞きましょう」
その夜、村人たちは集会家に集まった。
パンと温かい汁を持ち寄り、子どもたちは毛布にくるまる。屋根は最初、遠慮がちに鳴った。
老女が耳を澄ませる。
「これは、海の風だ。明日の昼に強くなる」
村人たちが顔を見合わせる。
ニルが私の袖を引いた。
「家が、村に話しているんですね」
「はい」
「聞く人がいると、家も嬉しいですか」
「きっと」
竜骨屋根は、もう一度鳴った。
今度は、少し誇らしげだった。
◇
老女の読みは正しかった。
翌日の昼、海から大風が来た。
空は急に暗くなり、波は白く砕け、岬の道に横殴りの雨が走る。古砦の扉は開いていた。武器を置いた兵士たちが、村人を案内している。
「焦らず、一列で!」
カイル様の声が風の中を通った。
集会家の竜骨屋根は、低く長く鳴っている。
危ない風だと告げている。
私は帰火の火皿を持ち、砦と集会家の間に立った。灰鴎城から届く火が、手の中で揺れている。王城と灰鴎城の橋を通じて、遠くからも状況を見守る気配があった。
嵐の日、帰る場所は一つでは足りない。
家に戻る道が危ない人は砦へ。
砦に入るのが怖い人は集会家へ。
灯が必要な人はクラリス様のそばへ。
動けない老人の家には、村の若者が向かう。
長卓で決めたことが、初めて本当に試されていた。
雨の中、少女が泣きながら走ってきた。
「弟が、家に!」
風で声が飛ぶ。
カイル様がすぐに護衛へ指示を出す。だが、少女の家は崖下の細い道の先で、馬では行けない。
「私が行きます」
「一人では行かせない」
カイル様は迷わなかった。
私たちは少女の案内で、雨の道を下った。
家は小さな漁師小屋だった。屋根の一部が剥がれ、扉が風で開きかけている。中で男の子が泣いていた。
私は扉へ手を当てた。
「少しだけ持ちこたえて。今、出します」
扉は震えながらも、内側へ倒れないよう踏ん張った。
カイル様が男の子を抱き上げる。私は火皿を小屋の床へ向けた。
この家を今すぐ直すことはできない。
でも、火を消さずに避難させることはできる。
「帰火、少しだけ預かります」
小さな火が火皿へ移った。
小屋の壁が寂しそうに冷えたが、扉は納得するように閉じた。
戻る途中、道に倒木があった。
風が強い。
カイル様が子どもを抱えたまま、私を背でかばう。
「リネア、足元を見ろ」
「はい」
私は帰火を掲げた。
灰鴎城の火、王城の火、竜骨屋根の家の火、古砦の火が、細くつながる。
足元の石が光った。
通れる場所を教えてくれている。
私たちは倒木を避け、砦へ戻った。
扉は開いていた。
中には、震える人々と、温かい汁と、クラリス様の低い灯があった。
男の子を姉に渡すと、二人は泣きながら抱き合った。
古砦の扉が、雨の向こうを見つめるように少し開いている。
閉じ込めるためではなく、最後の一人が来るまで待つために。
嵐の中で、帰火は逃げ道になった。
それは、空殿が決して作れなかった道だった。




