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第二十話 帰る場所会議/城主の謝罪

翌朝、灰鴎城の食堂で会議が開かれた。


 会議といっても、王城の小会議室のように高い椅子や堅苦しい礼はない。長卓に地図を広げ、パンと麦湯を置き、必要な人が必要な席に座る。カイル様、私、クラリス様、トマさん、マルタさん、セルムさん、港の漁師代表、兵士長、そしてニルも端の席に座った。


 ニルは、自分が参加してよいのか何度も周りを見ていた。


 カイル様が言う。


「昨日、アルクのそばについていた。発言権がある」


 ニルは背筋を伸ばした。


 私はその姿を見て、少し嬉しくなった。


 帰る場所を作るには、帰る人の声が必要だ。大人だけ、貴族だけ、城主だけで決めれば、また誰かが閉じ込められる。


 石板の地図には、家守の火の線が刻まれている。王城、灰鴎城、潮見町の宿、道端の祠、港の倉庫、井戸、農家。私たちがすでに触れた場所のいくつかは、淡く光っていた。


 だが、森の奥の削られた空白は暗いままだ。


「ヴィクターは、この空白に空殿を作ろうとしている可能性が高い」


 カイル様が言った。


「王城の礎石から削った記憶、潮見町や灰鴎城から奪った帰る場所の記憶。それらを材料にして、王だけに従う空の城を作る」


 マルタさんが腕を組む。


「王だけに従う城なんて、使いにくそうだね。料理人の言うことを聞かない厨房なんて、火事のもとだよ」


 その言葉に、何人かが頷いた。


 政治や魔法の話より、厨房の火事の方が分かりやすい。


「空殿を止めるには、奪われた記憶を戻す必要があります」


 私は地図を指した。


「でも、私一人が全部の家を回るのは無理です。王城、灰鴎城、潮見町。これだけでも、皆さんの力が必要でした」


「つまり」


 トマさんが言う。


「家守を増やす?」


「正式な家守でなくてもいいのです。建物の不調を見て、痛む場所を放っておかない人。火を守る人、扉を蹴らない人、井戸の屋根を直す人、帰火を灯す人。そういう人が増えれば、黒い道は広がりにくくなります」


 クラリス様が手を挙げた。


「私の光で、黒い筋を見つける手伝いはできます。けれど、王都では私の名も悪くなっています。信じてもらえるでしょうか」


 マルタさんが即答した。


「信じてもらうんじゃなくて、働くんだよ。働いてから、信じるかどうかは相手が決める」


 クラリス様は一瞬驚き、それから小さく笑った。


「はい。働きます」


 港の漁師代表が、地図の海沿いを指した。


「潮見町から港までは、うちの者が見回れます。祠や倉庫に黒い粉がないか、見つけたら布で包む。それでいいですか」


「直接触れないでください。火に入れる場合も、風の流れを見て」


「風なら読めます」


 頼もしい答えだった。


 セルムさんは、灰鴎城の中の部屋ごとに担当を決めると言った。マルタさんは厨房の火を守る人を二人増やすと言い、トマさんは壊れた部屋を「とりあえず閉める」のではなく、どこが痛いか記録すると決めた。


 私はその場の熱を感じていた。


 これは作戦会議であり、同時に、帰る場所を皆で作る練習だった。


 ニルがおずおずと手を挙げる。


「子どもができることはありますか」


 カイル様は彼を見る。


「何をしたい」


「扉を乱暴に閉めないことを、子どもたちに教えます。あと、寒い部屋があったら大人に言います。平気って言わないようにします」


 マルタさんが笑った。


「それが一番難しいね」


 ニルは真剣な顔で頷く。


 アルクが食堂の入口で小さく鳴った。


 同意しているらしい。


 会議の終わりに、カイル様が全員を見た。


「これは、王都の問題でも、ローデン領だけの問題でもない。家を失えば、人は弱る。人が弱れば、王国も弱る。空殿は、強い城に見えるかもしれないが、帰る場所を奪ってできるものだ。そんなものを王国の中心にはしない」


 彼の声は大きくない。


 けれど、食堂の奥まで届いた。


 灰鴎城の壁が温かくなる。


 私は長卓に置かれた帰火の小さな火を見た。


 昨日、東棟で灯した火から分けたものだ。小さな皿の中で、静かに燃えている。


「この火を、必要な場所へ少しずつ渡しましょう」


 私が言うと、皆が頷いた。


 その瞬間、石板の地図に光が走った。


 灰鴎城から潮見町へ。


 潮見町から道端の祠へ。


 祠から王都へ。


 細い火の線が、黒い空白を囲むように伸びていく。


 ヴィクターの黒い道に対抗する、帰る場所の線。


 まだ弱い。


 でも、確かに始まった。


 ◇


帰る場所会議のあと、カイル様は一人で東棟へ向かった。


 私は少し離れて、その背中を見ていた。追いかけるべきか迷ったが、灰鴎城の廊下が私の足元で小さく鳴った。


 待って。


 そう言われた気がした。


 城主と城が話す時間なのだろう。


 私は廊下の曲がり角で立ち止まり、東棟の窓から入る海風を聞いた。


 カイル様は子ども部屋の前で足を止めた。扉は静かに開く。彼は中へ入り、しばらく何も言わなかった。


 やがて、低い声が聞こえた。


「灰鴎城」


 城が、かすかに鳴る。


「私は、お前を呪われた城だと思っていた」


 その言葉は、廊下にも届いた。


「人を迷わせ、火を返し、部屋を閉ざす。領民が怖がるのも無理はないと。だが、お前はずっと覚えていた。私たちが忘れたことを、忘れられなかっただけだ」


 床が静かに震える。


「先祖の罪を、私がすべて償えるとは思わない。それでも、城主として謝る。お前を一人で泣かせた」


 風が止まった。


 灰鴎城全体が、その言葉を聞いている。


 私は胸を押さえた。


 カイル様は、私に向けて話すときと同じように、城にも回り道をしない。飾らず、言い訳せず、必要なことを言う。


「これからは、聞く。分からないことは分からないと言う。だが、聞くことをやめない」


 子ども部屋の床が、ぎし、と鳴った。


 それは、痛みではなかった。


 返事だった。


 カイル様はさらに言った。


「それから、リネアを一人で背負わせない。お前も、彼女を頼るだけでなく、休ませる側に回れ」


 灰鴎城が、廊下まで響くほど大きく鳴った。


 私は思わず顔を赤くした。


 城にまで休めと言われるのは、かなり困る。


 カイル様が部屋から出てきた。


 私を見つけると、少しだけ眉を上げる。


「聞いていたか」


「廊下が、待てと言ったので」


「廊下に聞かれたなら仕方ない」


 真面目にそう言うので、私は笑ってしまった。


 そのとき、東棟の奥で大きな音がした。


 扉が開く音だ。


 セルムさんが慌てて駆けてくる。


「旦那様、リネア様! 東棟の最奥の部屋が開きました!」


 東棟の最奥には、長く封じられていた小さな礼拝室があった。


 礼拝室と呼ばれているが、神像はない。そこには、古い暖炉と、壁に刻まれた家守の印があった。中央には低い石台があり、その上に、灰鴎城の小さな模型が置かれている。


 模型の中に、火を置くための窪みがあった。


「帰火の台です」


 私は言った。


 祖母が語っていた場所に似ている。


 家守は、城や家が孤立しないよう、帰火をここに置き、周囲の建物へ火を渡した。灰鴎城の礼拝室は、その中心の一つだったのだ。


 カイル様が模型を見つめる。


「ここを使えば、灰鴎城から周囲へ火を渡せるのか」


「はい。ただし、城主の許しと、城自身の意思が必要です」


 私は灰鴎城へ手を当てた。


「使ってもいい?」


 壁が温かくなる。


 いい。


 そう返ってきた。


 カイル様は短く頷いた。


「ローデン領内の宿、祠、倉庫、家へ火を渡す。必要な人を集める」


「一度に全部は無理です」


「分かっている。少しずつだ」


 彼は私を見る。


「あなたも、少しずつだ」


「はい」


 今度は、少しだけ素直に答えられた。


 礼拝室の台へ、東棟の帰火を移す。


 火は小さいまま、しかし消えなかった。灰鴎城の模型の中心で、静かに燃える。その光が、壁の家守の印へ広がり、細い線となって石の中へ走った。


 食堂、厨房、東棟、玄関、城壁。


 灰鴎城の中に、温かい線が通る。


 外では、港の倉庫の灯りが一つともった。


 次に、潮見町の宿。


 道端の祠。


 遠い小さな農家。


 窓の外に、ぽつりぽつりと明かりが増えていく。


 灰鴎城は、もう孤独な砦ではなかった。


 帰る場所をつなぐ城になり始めている。


 その光景を見て、私は小さく息を吐いた。


 勝ったわけではない。


 ヴィクターはまだ動いている。空殿の場所も分からない。王城の礎石も傷ついたままだ。


 それでも、こちらにも力がある。


 人が帰る場所を覚え直す力。


 その夜、灰鴎城は初めて、眠るように静かになった。

ここで灰鴎城編の前半は一区切りです。次章では王都と空殿の計画が本格的に動き、リネアたちの「帰火」が王国全体へ広がります。

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