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44 豊かさへの一歩

翌朝、ブローンとマローが2台のスクーター音を響かせてやって来た。


散水柱(スプリンクラー)を携えて。


「そういや、うちの電話番号買ったんだってな。ローレルに聞いたよ。流石お目が高い牧場主様だ」


植えたばかりの小さなコーヒー苗(それでも異常な早さで育ってる)の端に散水柱を建てながらマローが言った。

明るい笑顔につられて口角が緩む。


「俺の電話番号も萬屋に置いてもらうつもりなので、何かあれば」


この夫婦には教えても全然良かったのだが、監視者が『対等で居たければ隙を見せるな!』と断固拒否した。それに、電話番号をタダで教えると言うことは、誰に教えても良いと判断されて勝手に広まったりするらしい。それは怖いので、魔界のセオリーに則り番号は売ることにした。


マローは気にせず「それは良いね!いつでも営業電話が掛けられる」と商魂逞しい事を言ってのけた。


そうこうする内に4本の散水柱はしっかりと畑の間に並び、ブローンが起動すると見事な虹を描いた。

コーヒーとイチゴの葉に雫が薄らとつき、土がしっとりと濡れていく。


畑の半分にも満たない範囲だが、水やりはぐっと楽になる。


空気までほんのりと湿った気がする。ひんやりと心地いい空気で肺を満たすと、不思議と胸がホッとした。

一区切りついたような、そんな充足感。


少しずつ、散水柱を増やしていこう。


2人に礼を言い、見送りにとついて行く。

家の前を通った時、ウッドデッキ前に積み上げられた木材の山を見て2人は足を止めた。


「こいつは何だ?わざと出してるのか?」


ブローンが足を止めて木材を指差す。


「こんなに沢山あるのに、放置してたら使えなくなっちまうよ」


マローが山からひとつ木材を手に取った。


「どう保管するかまだ考えてなくて。木ならまだ沢山ありますし……まあ、多少ダメになっても良いかなって」


監視者はマジックボックスを勧めてきた。

ゲームに良くある何でも入れられる箱だ。

確かに良さそうではあったが、何でも入れられるからこそ悩んだ。


何でもかんでも入れてしまうと、何を入れたのか分からなくなってしまいそうで。


それにマジックボックスにも容量がある。いずれ箱を増やすだろう。そしたら、今度は"どこに"まで入ってくる。


農具は農具、木材は木材、と見える形で収納したいのだが、監視者は『表示されるのだから同じだ』の一点張りだった。

表示されるタイプのマジックボックスの値段を考えて欲しい。だったら散水柱を増やしたい。


ぼんやりと監視者とのやり取りを思い出しながら、物憂げに木材を眺める。

そんな俺に、夫婦が目を光らせた事に気付かなかった。

ばふんっと手袋を大きく鳴らし、マローがにこやかに言った。


「木材の保管は箱型、棚型、小屋型の3つがあるよ。この牧場なら、棚型か小さな小屋型でちょうど良さそうだ。どうだ、何かこう、ビジョンはあるかい?」


営業モードに入ってしまったようだ。

でもそうか、これも工房の仕事になるのか。

ならば丁度いい。

監視者に言っていた俺の希望をマローに伝えた。


「木材は木材だけ集めて、目で見える形にしときたいんだね。だったら棚型が良いね」


「棚型、ですか」


「そう、屋根のついた棚だ。薪棚ってやつだね。木材しか置けないかわり、特殊な収納魔法が掛けられるんだ」


マローがブローンに向かって手を伸ばすと、ブローンは持っていた木材を手渡した。


「例えば、こいつを棚に10本置くとする」


「はい」


「すると10本が1束になる。見た目はこのまま、1本だ」


マローが木材を揺らす。

揺れる木材を見つつ、頭の中で想像した。


「つまり、棚に5本あったとしたら、本当は50本あるって事ですか?」


「そう!これなら見た目で大体何本あるか分かるし、百本でも千本でも収納出来る。ま、圧縮魔法の応用だな」


成程、かなり便利だ。

ウッドデッキ前を陣取る木材の山々を一気に片付けられるだろう。


「いくらですか?」


「2万ちょいだね」


「え、良心的…」


「素材持ち込みなら5,000円値引きだ」


「更にお得…」


「ここにある木材なら十分良い素材になる。どうする?持って帰って良いなら、すぐにでも着手するよ」


「よろしくお願いします」


すかさず片手を出した。


「それでこそ牧場主様だ!」


マローの大きな手にすっぽりと包まれてしまう。

もう初対面の時のような恐怖はない。

それでも手の大きさが違いすぎて、握り返すと言うより、彼女の手袋越しの掌を押すだけの握手とも言えない握手だった。

ブローンも後ろで満足げに笑っている。


この2人からの好感度は高そうだ、なんてゲーム脳が囁く。これほどありがたいことはない。


2人は必要な木材を鞄に詰め込み、今度こそ去って行った。森の中にふたつのエンジン音が鳴り響く。

音が遠ざかったのを確認してから、畑に戻り、西の森に向かって声を掛けた。


「パッド、出てきて良いぞ」


がさり、と茂みが揺れ、パッドがノックノックを引き連れて飛び出して来た。


「ライガ気付いてたの!?」


嬉しそうに声を弾ませながら、手にしがみ付いてくる。足元をちょろちょろする数匹のノックノックを蹴らないよう、パッドと手を繋いで歩き出す。


「まあ、もうすぐ来ると分かってたからな。ちゃんと隠れてて偉いぞ」


パッドは面映そうに頭を揺らして笑う。

甘えるように両手で捕まり、体重を委ねてきたので、更にしっかりと握り返す。


「ほら、これが言ってたスプリンクラー」


まだ霧雨を降らせている散水柱の方へと2人で近付いた。

指の先を追いかけたパッドの顔が、途端にピタリと止まってしまった。

何も言わないパッドの顔をしゃがんで覗き込む。


大きく見開かれた目が、一点を見詰めている。


パッドが見ている先には小さな虹があった。

俺は黙ったまま、パッドを待つ。

何を感じているのか、考えているのか、彼自身が深く浸れるように。


数分ほど経った頃、そろりと小さな口が動いた。


「………これ、さわってもいい?」


虹を指差すパッドに、頬が緩んでしまう。

「どうぞ」と片手で促すと、パッドは手を伸ばした。

小さな褐色の手に一気に雫が纏わりつき、指先が雨を遮ると虹が歪んだ。


はっと息を飲む音が隣から聞こえる。


「さわれない……」


何度か掴もうと霧雨の中を彷徨った手が戻って来た。

しっかりと濡れた手を握りしめ、呆然とした様子のパッドに笑みが深まってしまう。


「虹は触れないんだ。光だから」


「ひかり?……でも絵本の虹には、みんな乗ってたよ」


なんとも子供らしい言葉だ。


憧れていたのかもしれない。

彼の声にはほんのりと寂しさが乗っている気がした。


こう言う時、しっかりとした理屈を教えるべきなのだろうか。子供との接点など今までなかったので、どうする事が正しいのかわからない。


───と思ったが、そもそもしっかりした理屈など知らないし、何より、ここは魔界だ。


俺は少し考えた後に、深く頷いた。


「もしかしたら、この世界のどっかには、乗れる虹があるのかもしれないな。残念ながら、この虹は違うけど」


「……そっか」


またパッドが黙り込んだ。

じっと虹を見つめる様子を黙って見守る。ふいに、彼が俺に顔を向けた。


「ライガ」


「うん?」


「おみず、きもちいーね」


パッドは手を水の中に入れて、へへへと嬉しそうに笑った。


「そうだな、イチゴとコーヒーもきっと喜んでる」


相槌を打ちながら、立ち上がる。

パッドは俺を見上げたまま、また黙り込んでしまった。

先程とは違う沈黙だ。なんだろうか。


「……くさがよろこぶの?」


子供の純真さってやつは、時々とんでもない威力を発揮する。


「………それもまた、諸説ある」


そして俺は、ずるい大人だ。


「しょせつ?」


「喜ぶかもしれないし、喜ばないかもしれない……」


「それがしょせつ?」


「色んな意見がある、それが諸説……」


「ふーん」


相槌を打つが、その声も瞳も納得していない事がありありと表れていた。

少しだけ尖った唇が再び開いた時、俺の心臓はドキドキと早まった。


これ以上突っ込まれたら、上手く答えられる自信がない。


「じゃあ、ライガのコーヒーは喜んでるかもしれないね」


パッドの笑顔に後光が差した気がした。

気を使われたのかもしれないが、それを踏まえてもパッドの素直さに胸を打たれる。


「あれ、ノックノックなに持ってるの」


そんな俺の後ろを見て、パッドが呟いた。

いつの間にか仕事を始めていたノックノック達が持つ籠に、鮮やかなオレンジ色の野菜が乗っている。


「あ、ああ、あれはニンジンだ。今日始めて収穫するやつ」


「にんじん!おれもとって良い?」


「もちろん」


嬉しそうにパッドは駆け出し、ノックノックの中に混ざってしゃがみ込んだ。

葉を掻き分けてニンジンを探している。小さく丸まった後ろ姿のちんまりしたシルエットを眺めながら、俺はしみじみと呟いた。


「あんなに良い子だと、本当にジャウルさんの子なのか怪しいな……」


「ア?」


背後からドスの聞いた声が響き、全身が竦む。

振り向かずとも分かる。

めちゃくちゃ近くから感じる圧。


「良い意味で」


「それをフォローだと思ってんなら埋めるぞ」


そういう所だと言いたくなるが、怖過ぎるので言わない。

俺は振り向かずに足早にウッドデッキへと戻った。

ジャウルからの視線は痛いほどに背中に感じていたが、作業を始めると目を逸らされた。


睨むのに飽きたジャウルはパッドの元へと向かい、2人でニンジンの掘り方について語り出す。


分かっている、本当の子供だと。

2人が並ぶと、パッドはジャウルのミニチュアとしか思えない程に似ているのだから。

互いに向けるその笑顔も。


まあ、俺に向けられる事はないが。



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