39 初めての下山
朝、山の中は涼しかった。
青い木々が陽射しを遮り、木漏れ日を風に揺らす。
「これなら俺でも余裕かも」
畑を任せたジャウルとパッド、そしてノックノック達に手を振り、牧場から出た時に自然と溢れた言葉。
ピロン
『山を舐めるな!!と監視者があなたの尻に向かってバットを振っています』
感じもしないケツバットは無視して、俺は山道を下り始める。この為にトレッキングシューズも買った。
時刻は8時前、いつもより早く起きてジャウル達を迎えに行ったのは他でもない────昨夜買うと決めたスプリンクラーの為だ。
カタログにもあったが、かなり高額な上に取り付けは自分だった。いや、その程度は覚悟していたのだが、監視者曰く、カタログで買う場合、修理やアップグレードなどが出来ないとの事だった。
何かある度に買い直すのは、あまりにもコスパが悪い。
「町で買えないかな?」
問い掛け後、暫しの沈黙が続いた。
おしゃべりな監視者が何も言わない。なにかまずい事でも言ったかと不安が過る頃、ピロン、とウィンドウが現れた。
『………些か早い気もするが────』
戦えだとか鍛錬だとか、武の部分が強く出ると脳筋になる監視者とは思えない歯切れの悪さだったが、町行きを許可してくれた。
その後、山登りアイテムの購入や注意事項が怒涛の勢いでウィンドウに表示され、ある程度の装備を揃えて今日を迎えたに至る。
『まあ、気温天候共に山登りには丁度良いのは事実だ。最近は雨も降っていないから、ぬかるみで足を取られることもあるまい。と監視者がバットを捨てて周囲を見渡しています』
「言うてハイキングコースレベルなんでしょ。乗り物があれば楽だけど、歩きでも行けない事もないって」
監視者もジャウルもそう言った。
山登りなどした事はないが、一応整地の痕跡はあるので道を間違える事はなさそうだし、傾斜は結構緩やかだ。
それでも下り坂だと、足は半ば勝手に進んでいく。
『それは魔人の話だ。お前は並の人間以下、魔人の幼児以下からのスタートだぞ。と監視者が眉を顰めています』
「ま、まあ……さっきの余裕ってのは、流石にマジで言ってる訳じゃないんで……」
ぐうの音も出ない。
以前に比べれば格段に体力はついたし、筋肉も出来た。見た目は細マッチョと言っても怒られないくらいにはなっている。
監視者から言わせれば、まだまだモヤシらしいが。骸骨からモヤシになったのなら、かなり良い成長だろう。
『山登りは心肺機能を上げ、体幹を鍛えるのにも役に立つ。いずれは山の中で鍛えてやろうと思ってはいたが……と、監視者は腕を組み唸っています』
「………そもそも畑をあそこまで一気に拡張しなければ、スプリンクラーはもう少し後でも良かったんですよ」
先に計画を潰して来たのは監視者だ。
『ぐぬ…!』と気まずそうな小さなウィンドウが一瞬だけ出た。
『し、しかし、あの状態を維持する事を決めたのはお前自身だろう!と監視者が言い返しています』
「そうですよ。だってあそこまで広げたら維持したくなるでしょ。その為にも、俺はスプリンクラーが早急に必要なんです」
監視者は何も言わない。
俺は小さく笑った。
「俺をその気にさせたのは監視者様ですよ。つべこべ言わずに、いつもみたいに応援してて下さい」
と、かっこつけたは良いが、1時間後には膝が痛み出し、太腿に重い疲労感が乗っかった。
涼しいと思っていたのに汗が止まらない。いや、風は涼しいのだが、体が熱い。少しでも立ち止まると汗が噴き出す。
2時間後には中身の少ないリュックの紐が肩に食い込んで痛み出し、無駄口を叩く余裕などなくなった。
大きくもない石を踏んで転びもした。
尻を強打し、掌や肘を怪我した。
水筒を取り出して水を飲むが、少し歩くとすぐに喉は渇いた。
山の下りが、これほど苛酷とは。
山道は緩やかなカーブが多く、その度に麓の町が隠れて見えなくなり、目的も一緒に見失いそうになる。
町が見えても然程近くなった気もしない。景色は全然変わらない。
手頃な枝を手に入れ、杖代わりに歩いては、もう何度目か分からない休憩に道端の岩に腰を下ろした。
水筒を取り出す手が震えている。
おまけにこれが最後の給水になった。
水筒を戻し、足の間に挟んだ枝に顎を乗せ、荒い呼吸が収まるのを待つ。
『言わんこっちゃない』
そんな言葉が見えた気もしたが、全部を読む気力も、答える元気もない。
時間も正確に分からないが、既に予定を大幅に遅れているのだろう。
空を見上げると桜色の花弁がここにも舞い散っている。青い木々に踊るような花弁、透き通る青い空、揺れる木漏れ日。眺めているだけで癒される心地がする。
しばらく休めば、歩く気力が湧いてきた。
『今ならば帰る事も可能だぞ。まだ牧場の方が町よりは近い。と監視者が提案しています』
「何で急に弱腰……行くよ、ここで心折れたら町に行く事が億劫になりそうだし」
『そうか。と監視者は嬉しそうに頷きました』
「そうだよ。大丈夫、一番心配だった靴擦れはしてないし」
立ち上がり、爪先を鳴らして見せる。足首までしっかりと靴紐で締め上げているトレッキングシューズは、薄汚れてもまだまだ新品の輝きを残していた。
改めて前を向き、歩き出す。
それから4時間後、杖とほぼ同じ位置で項垂れた頭を揺らし、へろへろと森を抜けた。
両側に聳えていた木々が消え、細い土の道に出た。人工的に固められた土の道は左右にも広がっているが、俺の目に飛び込むのは、少しだけうねる道の向こう側にある門だ。白いレンガで組まれた、あまり大きくはない門。
気を取られていたせいで、自らの杖に足を引っ掛けて転んでしまった。地面に腕をつけ、重い身体をなんとか座る体勢へと起こした。
「ハァハァ……つ、着いた…」
ピロン
『うむ!うむ!!辿り着いたな!!お前にはまだ早いと…下手したら遭難するのではないかと心配していたが、一先ず辿り着いた!天晴!!と監視者が大きな拍手を送っています』
「どうも、どうも……」
拍手に応えるように両手を上げてみた。しかし腕が上がらない。俺は地面に足を投げ出し、天を仰いだ。もう太陽は真上からかなりズレている。
「………これはもう、ズルしても怒られないな。大丈夫、怒られない。怒られる方がおかしい」
呼吸が落ち着いた頃、ぶつぶつ言いながら背中のリュックからエネルギードリンクを取り出した。
18,000もする缶。そのプルタブを開けた。
『怒る訳がないだろう!と監視者が心外だと腹を立てています』
「あ、そう?」
ぷんぷんと湯気を出すウィンドウにヘラリと笑いながら、缶を口につけた。シュワッと炭酸が弾け、ケミカル臭のする甘いマスカットが体内を流れ落ちていく。
飲み終わった時には、疲労感が溶けてなくなっていた。手の震えも、足の痛みもない。
自分の手と缶をしげしげと見比べる。
「………すご」
ピロン
『エナジードリンクは優秀なアイテムだ。様々な不調を治してくれる。筋肉は育てられないがな。と監視者もエナジードリンクを片手にしみじみと語っています』
「これ飲みながら畑仕事すれば、無限に働けるんじゃない?」
『…………それはズルだな!と監視者が缶を握り潰しました』
謎にエナジードリンクを飲んでいるらしい監視者に笑っていたが、急に凶暴になったので黙って空き缶をリュックに入れて立ち上がった。
身体が軽い。痛みもない。
ここ最近で一番調子が良いかもしれない。
おかげで町を探索する事も出来そうだ。
浮き足立つまま足早に辿り着いた門、近付くとより小さく見える。年季の入った白レンガは、薄汚れてはいるが優しい色合いだ。小さな花や草が門の下に寄り添っている。
門からは、白と青のコントラストが綺麗なレンガ道になっていた。この道がメインの通りとなるのだろうか。
脇道に逸れるような小道は土のままだ。
数メートル進むと、木の杭が打ち込まれた区画が左手にあった。芝生というには土が多いが、小さな土地に動物が放されてある。
思わず立ち止まり、持ってきていたマスクをしてから口を開いた。
「………監視者様。これは、ヤギですか…?」
マスクの中でしか響かない程度の小さな声で話す。
姿形は知っているヤギのままだが、毛色がブルーだ。猫や馬の毛色に使う濃い灰色のようなブルーではなく、絵の具で塗ったようなブルーなのだ。
ピロン、とウィンドウが開く。
『青ヤギだな。主に乳用に飼育されている魔物だ。ほれ、あそこに鶏もいるぞ。と監視者が示しています』
指のアイコンがヤギとは別の柵の中にいる、青い鶏を指し示す。黒い鶏冠に嘴、毛色はやはり青い。
ここはインブルーム地方と言う名だ。最早あらゆる物がブルーであっても驚く事ではないのかもしれない。
ふと、鶏の柵の奥に座る老人と目が合った。
伝わるかは分からないが、一応日本式のお辞儀をしてから歩き出す。特に老人からの反応はなかった。
「あの鶏も魔物ってこと?………そう言えば、魔界って動物はいないんですか」
『ああ、言ってなかったか?魔界では、人間界で言う所の動物はいない。野生種の魔物か、飼育種と呼ばれる改良された魔物の二種類だ。と監視者が指を2本立てています』
「改良…?」
『家畜、愛玩、使役に適した形に魔人達が改良していったんだ。お前に縁があるのは家畜だろう。鶏は良いぞ。体調が良いと毎日卵を産んでくれる。と監視者が頷いています』
「欲しいですけど……今の状況じゃ生き物の世話まで手ェ回るかなァ…」
そんな事を話しながら、街並みへと目を向ける。
家と家の間はそれなりに距離がある。小さな庭や畑を作ってる家も多い。
だがどの畑も雑多な様子だ。
雑草の中に大玉のタマネギが転がっていたり、実っているだろうにんじんの隣で枯れた植物が放置されていたり。
そこを自由に歩き回る鶏や、兎らしき動物がいる。これも青い。
それ以外は、普通だ。
煉瓦と木造の建物が点々と並ぶ街並みは、どことなく西洋の田舎を思わせた。
長閑な昼下がりで人の気配は薄い。どこか遠くから子供の声がしたような気もしたが、すぐに風の音しかしなくなる。
ピロン、とウィンドウに道案内が出た。
同時に広場らしき場所に出た。白い噴水に端の方にはベンチがいくつか設置されている。ちょっと座ってみたい気もしたが、時間がないので案内の先へと急いだ。




