38 成長と変化
次の日、昼前の青空の元、畑に軽快な音が響く。
捲った袖から覗く腕に血管と筋を浮かせ、木の幹に食い込んだオノを引き抜く。
しっかりと握り直して打ち込んだ七発目。薄く光が走る。
深く食い込んだ手応え。
遅れて、ミシミシと軋む音が続く。
木はゆっくりと倒れていく。顎を伝う汗が落ちる頃、ずしんと地面が微かに揺れた。
寝ころんだ木の幹に足を掛け、息を整えた。今度は真上にオノを振り上げ、下ろす。
打ち込む度に、何とも言えない感覚が腕を駆け下りていく。
十発目の打ち込みで幹に刃が入った瞬間、空気の圧縮が破裂するように四方に飛ぶ。
その圧と共に、木材へと変貌した木が散った。
枝葉が多く残る上部と、切り株となった根本部分も同じく木材へと変える。
ピロン
『うむ!お見事!と監視者が両手のうちわを振って喜んでいます』
うちわに合わせてのことか、左右に揺れるウィンドウを見るが答える元気はなく、大きく息を吐き、そのまましゃがみ込んだ。どっと襲って来る疲労感。
項垂れる俺の耳に、軽やかな足音が近付いて来た。
「ライガ自分でできた!?すごい!!」
パッドが俺の肩を掴んで、地面に転がる木材を見渡す。
「ぱぱも見たかっただろうなー」
「パパは一ミリも興味ねぇと思うよ…」
ジャウルは狩りに行った為、今日は来ていない。「えー?そうかなー?」とパッドは首を傾げる。
噴き出る汗を肩で拭い、重い身体に力を入れて立ち上がった。
「パッドは水やりどうだ。楽しい?」
「うん!いちごの畑、半分くらいできたよ」
パッドは持っていたジョウロを揺らして笑った。
「もう?早いな。すごいぞパッド」
褒めるとパッドは少しだけもじもじして、スッと頭を突き出してきた。軍手を外し、その頭を撫でる。
手を離すと、はにかんだ笑顔を見せて踵を返した。跳ねるように、いちご畑へ戻っていく。
この強化週間の間、いつも以上に大変な思いをしたのは俺だけではない。そのおかげか、パッドとの絆も深まった気がする。
吊り橋効果とでも言うのだろうか。
軍手を嵌め直しながら、ふと、太さが増した腕を見下ろす。
今日の服は新調したものだ。着回していた服がいよいよ擦り切れ、少しばかり窮屈になってきていたから、満を持して買った。
ゆとりのあるテラコッタ色のカーゴパンツに、ネイビーの長袖シャツ。
どちらも少しくすんだ色味が気に入っている。
ピロン
『明日から下春の月だ。強化週間は今日で終わりにしよう。よく倒れずについて来たな。と監視者が広がった畑を満足そうに見渡しています』
"終わり"の文字に、重い荷物がすっと消えたように気が軽くなる。
「……倒れなかったのは奇跡ですよ」
木材を拾いながら、小さく呟く。
気付けばノックノック達がいくつか運んでくれていた。気の利く奴らだ。
『奇跡?バカを言え。お前の愚直な努力、勤勉な日々の成果だ。と監視者があなたを見つめて言っています』
並んだ言葉に一瞬固まってしまった。
そんな風に見てくれていたのか。
「……ま、まあ、それはそうかも……?…なんて、あざます…」
込み上げてくる照れ臭さに鼻の下を擦りつつ、得意気に小さく呟いてみたが、
『やはり限界を越える鍛錬こそが近道!私の指導は間違っていなかったのだ!流石私!と監視者が自らを讃えています』
礼など監視者は聞いちゃいない。
俺の感動もこそばゆさも、全てリセットだ。
そう、彼はこう言う奴だった。
ウィンドウは無視して、木材の回収を済ませる事にしよう。
17時になる前に、狩りに行っていたジャウルがパッドを迎えに来た。
水撒きの途中だったが、パッドからジョウロを受け取り、2人を見送る。
静かな夕刻、ノックノック達のミニ雲が畑の至る所に浮いている。湿った畑を通る風が涼しい。
長閑で穏やかな空気を引き裂く、エンジン音。
「─────来たか」
ノックノック達に水撒きの続きを任せ、畑から出た。スクイッドのバイクが家の脇から姿を現し、停まった所で声を掛ける。
「スクイッド、頼まれた物を買おうと思うんだけど。ちょっと時間くれるか」
相変わらず黒いシールドで顔が見えないフルフェイスヘルメットだが、何となく彼が訝しんでいる気配が伝わってくる。
「………なに」
小さくくぐもった声。不満さを隠そうとしないまま、それでもエンジンを切ってからバイクから降りてくる。
オリーブ色のツナギに両手を突っ込み、踵を引き摺るように近づいてきた彼に、親指で家を指差した。
「家ん中で話そう」
彼の足が止まった。不自然な姿勢で。
ゲームのフリーズみたいに動かなくなったスクイッドを不思議に思っていたが、遅れて理由を閃き、手を振った。彼の警戒を払えればと。
「何もしないから。少し話したいだけ。ついでに頼まれてる物を買おうかなって。嫌なら良いよ。金も返すし」
しかしスクイッドは黙り込んだままで、2分ほど経った。
俺も黙って彼の返事を待っていた。
「……………買っとけよ、先に」
文句と共に動き出したスクイッドに、適当に相槌を打って先を歩く。散らかったウッドデッキを上り、玄関を開く。ドアを押さえて待つ俺に、一瞬躊躇う気配を見せたが、意を決して中に入って来た。
どんな顔をしてるのだろうか。顔が見えないのが残念だ。
「靴脱いで、俺んち土足禁止」
靴のまま上がろうとしたスクイッドの足が止まる。いちいち考え込むように止まる姿が、だんだんオモチャのように見えて来た。いや、小動物か。
ドアを閉めた音にビクッと肩を跳ねた後、「だり」と文句の声を吐き捨ててしゃがみ込んだ。
先に上がり、キッチン脇のテーブルに向かう。
「座って」
靴を脱ぎ終わったスクイッドに向かいの席を指で示し、俺も座る。事前に置いていたカタログを開く。
スクイッドは遅い動作で椅子に座った。不満を全身で表そうとしてるのか、姿勢が頗る悪い。
「じゃあ、まず、ヘルメット取ろうか」
「………は?いやだけど」
「そう、じゃあこれはナシで」
切り抜きの束と金を、彼の前に押し出す。
彼はぴたりと動きを止めた。
「持って来た切り抜き、どれも普通のカタログじゃ手に入らないんだってな」
金額は、高いは高いが、目玉が飛び出る程ではなかった。メーカーが売り場に拘っているだけらしい。だからこそスクイッドは諦めがつかなかったのだろう。
金はあるのに、手に入れる手段がない。
スクイッドが危険を冒して(本人は危険とも思ってなかったようだが)まで盗みに来た理由。
意地を捨てて頼るほど欲しい物。
彼はどう出るだろうか。
完全に固まったスクイッドを眺める。
微かに身を震わせたと思ったら、盛大な溜息と共にヘルメットを脱いだ。久々に見た彼の顔は、記憶よりピンクがかっている。
「これで良いだろ」
今にもヘルメットを投げつけられそうな不機嫌さだったが、身を守るようにヘルメットを抱えるもんだから、全く怖くなかった。目も合わないし。
「うん、良い。やっぱ話す時くらい顔見たいし。────で、本題なんだけど、金を投げるのはマジで良くないよ」
「……………は?」
「投げただろ、昨日。あれは流石にない。うちに来る子供でもしないよ」
「………俺の金なんだから、どうしようと良いだろ」
「お前んちでお前の金をどうしようと勝手だけど、人に渡す時は投げるなよ。感じ悪いぞ」
「…………」
また黙り込んだ。顔を歪め、目線は斜め下を睨みつけている。子供が不貞腐れた時のようだ。
「ごめんなさいは?」
「……………は?」
思わず反応したらしいスクイッドと目が合う。
唖然としたスクイッドの頬が、更に鮮やかな桃色に変わっていく。唇を震わせ、わなわなと身も震わせた。
俺は立ち上がる。背丈のある俺を見上げるスクイッドの、微かに怯えた視線。仄かに口角を上げて見せる。
固まったスクイッドの細い顎を掴み、しっかりと目を合わせる。負けん気の強さか、単に目が離せないのか、視線が逸れることはなかった。
「ごめんなさい、は?」
振り払われるかと思ったが、スクイッドは目元を濃い桃色に染め上げて顔を歪めた。
悔しげにも泣きそうにも見える表情で、視線を引き剥がすように固く目を瞑り、
「…………ぜ、ぜってえ、いやだ…」
絞り出された声。
ぶるぶるとチワワのように震える彼に、俺は吹き出してしまった。
「あーそう、じゃあ良いよ。でも二度とするなよ」
手を離して座り直す。
スクイッドは顔を桃色に染め上げたまま、信じられないものを見る目で凝視してくる。
「次は絶対謝らせるからな」
切り抜きと金を取り、カタログを開いた。
スクイッドは睨みつけて来るが、今度は否定しなかったので、多分もうやらないだろう。
頑なに不機嫌そうにしていたが、目の前にバイク用品が増える度に目付きに柔らかさが出てきた。
ステッカー、デカール、キーホルダー、ツールポーチと、商品名と実物を見ても俺にはよく分からないグッズもあった。
とは言え、人様の趣味をとやかく言う気はないし、今質問しても彼は答えそうにないので、ただ黙って購入を繰り返す。
だらしなく凭れていた姿勢も、気付けばテーブルの上のグッズを前のめりに触っていた。嬉しそうに愛車と同じ形のキーホルダーを眺める姿に、俺もほっこりしてしまう。
最後のひとつ、エンブレムを差し出し、カタログを閉じる。いそいそとグッズを、今し方買ったバイクメーカーのロゴが入った袋に詰め込むスクイッドを見た。
「顔見えるヘルメットは持ってねぇの?」
ぴたりと動きを止め、怠そうに睨め付けられる。
「………あったら何だって言うんだよ」
「いや、どうせなら顔見える方が良いなって」
「…………」
黙り込み、残りを袋に突っ込むと、これまた黙ったまま立ち上がったスクイッドを見上げる。
「飯でも食って帰る?じゃがいもばっかだけど」
「……バカじゃねーの」
「あんま態度悪いと二度と頼まれごとしねぇからな」
断られるとは思っていたし、悪態が返ってくるのも想定内だ。滑らかに言葉を返すと、靴を履いていたスクイッドは「…ゔ」と何やらぼやいた。
小さく溢した笑いに気付いたのか、耳を真っピンクにしてドアを乱暴に閉じて出て行った。
「物欲に弱過ぎるな、あいつ」
おかげで扱いやすいが。
仄かに笑いを引きずりながら立ち上がると、ピロン、とウィンドウが開いた。
『お前、奴に対してだけやけに意地が悪いな…と監視者が若干引いています』
「そうですか?」
『ジャウルにはしないだろう、と監視者が顎を撫でながら首を傾げています』
「ジャウルさんにしたら弾が飛んで来ますからね。……ああ、なるほど」
玄関で靴を履き直していたが、ふと腑に落ちた感覚に顔を上げた。
『なんだ、と監視者が身構えています』
「分かったんですよ。これが、ナメるって事ですね。いやー俺にナメられるなんて、可哀想に」
『………そうだな、少々、あの小僧に同情する、と監視者が遠い目をしています』
「それは良かった」
これで監視者のスクイッドへの怒りも収まるだろう。
『あなたの言葉の真意が読めず、監視者が黙り込みました』
知と武の神ともあろう者が、と思ったが黙っておく事にした。
スクイッドとのやり取りも、監視者との会話も、丁度いい休憩だ。
「ノックノックたち終わったかな」
外に出て空を見上げた。夜が半分迫っている。
外灯や照明をつけていないので、陽が完全に沈むと暗くなる。月明かりはあるが、それでも作業するには頼りない。
ノックノックたちはまだ居た。
シャワシャワとミニ雲で懸命に水撒きを続けている。
ジョウロを持って俺も参戦する。
今日はジャウルの手伝いがなく、いつもより早めにパッドも帰った。魔力の少ない俺では、ジョウロの水を足しに往復する時間が増える為、水撒きが間に合わなかったのだと、陽が沈み切った畑の中で考えた。
終わりが見えて来たのでノックノックたちは帰し、1人作業を続けていたが、途中ジョウロの水がなくなった時、膝から崩れ落ちた。魔力がなくなり、重力が3倍くらいかかっているような疲労感に襲われて。
このままではまずい。
ジャウルは臨時の手伝いだし、パッドの勤務時間だって本来17時前にしている。
午前中、木を倒す作業にかかりっきりだったとは言え、それを差し引いても、急速に拡げた畑では人手が足りない。
倒れ込まないよう四つん這いで、土を固く握り締め、俺は宙を睨みつけた。
「監視者さま」
ピロン
『………どうした、と監視者が身を乗り出しています』
「スプリンクラーを買います。早急に、明日にでも」
『あ、明日はいくらなんでも………と、監視者が難しい顔をしています』
血走った目でウィンドウを睨む。
このままでは枯れてしまう、俺も、畑も。
『そうだな!それが良い!と監視者が力強く頷いています』
手の平返しした監視者の賛同を力に変え、月が昇り切る前にはなんとか水撒きを終わらせた。




