37 続々・強化週間
畑の強化週間、2日目。
泥のように眠り、目覚めた瞬間に、俺は全身の違和感に気付いた。本当に泥にでもなったような身体の重み、ただ起き上がるだけの動作で生じる鈍い痛み。
筋肉痛だ。
それも相当に重い。
手足は浮腫み、腕はパンパン、膝はガクガク。
ジャウル親子を見送った後、早めに就寝したと言うのに、ちっとも疲れが取れていない。
黙って様子を見ていたのだろう監視者の、ウィンドウが現れる音が聞こえた。
ピロン、と。
『うむ。良い傾向だな!筋肉痛は成長の証!と監視者が喜んでいます』
まだ脳筋モードが続いていた。
「……成長は良いですが、これじゃ碌に働けませんよ…」
『しまった!昨夜の内にプロテインを飲ませるべきだったな!と監視者が自分の額を叩いています』
「プロテインより、早急に筋肉痛を治す方法を教えてください…」
『まあ今からでも良い!飲まないよりはマシだ!と監視者がオススメのプロテインリストを作っています』
「話聞かねー」
ウィンドウが複数個開き、馴染みのないカタカナが並ぶ。その前後にはホエイプロテインと書いてあるので、プロテインの名前なのは分かる。
その後はそれぞれの味やら成分の違いやら、説明が延々と増えていくだけになってしまった。
これはもう、買わないと終わらない。
ベッドから下ろすだけで痛む足をなんとか床につけ、座ったままサイドテーブルの引き出しからカタログを取り出した。いつもの3倍は重く感じる。
プロテインの事は良く分からない。一番最初に名前が出たプロテインを検索し、オススメだと言うバナナ味にした。
ピロン
『筋トレ直後であれば水で割る所だが、今は牛乳で割ると良い。バナナミルクの味になり、飲み慣れてない者でも飲みやすくなる。腹持ちも良く、朝食の代わりにもなる。素晴らしいな、プロテイン。あ、シェイカーも要るぞ。と監視者が自分のシェイカーを振りながらしみじみと言っています』
言われるまま、シェイカーと牛乳も一本買い、床に現れたそれらを────呻きながら────拾い上げ、寝巻きのまま寝室を出た。
プロテインを飲んだ監視者は何かが漲ったのか、走りに行くと言ってログアウトしたので(普通は飲む前にするんじゃないのかと思わなくもなかった)袋の説明通りに作ってみる。
牛乳を注ぎ、粉をいれ、振る。
匂いはバナナミルクっぽい。
一口飲んでみる、すごく濃い。
バナナもミルクも。
こういうものなのだろうか。癖のある、少し苦手な味だ。
だからと飲めない訳でもない。お薬シロップや漢方を長年飲み続けて来たのだ、ただコッテリと甘いだけならば特に問題はない。
そうして半分を過ぎた辺りで、俺は重大なことに気付き、思わずシェイカーをテーブルに強く置いた。
ほぼ同時に、ピロン、とログインの表示が出た。
『ふう、良い汗をかいた。む?どうしたライガ?そのプロテインは気に食わなかったか?と監視者が汗を煌めかせながら戻って来ました』
動かない俺を不思議に思った監視者のウィンドウが、目の前に展開され、ようやく口を開く。
「────………俺、冷たい牛乳飲むと、腹下すんです」
自己暗示か、ノセボ効果(プラシーボの逆)か、腹が痛くなってきたような。
『それは人間界の話だろう!ここに来てもうすぐ2ヶ月だぞ!胃腸も改善されている筈だ!よってそれは気のせいだ!!と監視者が決めつけています』
「決めつけんでもろて良いですか」
エセ関西弁が出てしまう。ここではそれを突っ込んでくれる人も、嫌がる人もいない。────と思ったが、人間関係が希薄だった人間界でも碌に居なかった。
『いいや!この私が監視、指導していたのだ!そんなヤワに育つ訳がない!残りを飲み干せ!!一気だ!!と監視者があなたを煽っています』
アルハラならぬプロハラか。
ウィンドウの大きさと圧から、本気で言っていると分かる。確かに腹の痛みは気のせいのような気もしてくる。
次のウィンドウが顔面スレスレに出て来た。よく読めないが監視者が俺を至近距離から見詰めているらしい。
まあ、アレルギーとかではないのだ。
俺は意を決して残りを流し込んだ。
濃いバナナミルクが喉に張り付き、胃を重くする。
空になったシェイカーを置き、そのまま目を瞑った。
腹に異変を感じたら、すぐにでも走り出せるように。
しかし、その時はいつになっても訪れなかった。
腹の痛みもそれに伴う冷や汗も、何も。
何もだ。
「…………監視者様、腹は痛くなりませんでしたが」
俺は目を開く。
「他の変化もありません」
『どういう意味だ?と監視者がストレッチをしながら聞いています』
「筋肉にも何の変化もありません。体、痛いまんまだし……」
『当たり前だろう。プロテインは筋肉のメシだぞ。タンパク質!別に回復アイテムなどではない!と監視者が頭を振っています』
「いやァ……だって、魔界のプロテインな訳だし…なんかびっくりするような効果でもあんのかなって。やけに飲ませたがってたし」
『タンパク質濃度や吸収率は人間界とは比べ物にならんのだぞ!そもそも今のお前の食生活では圧倒的にタンパク質が足りない!肉!卵!魚!と監視者があなたの食生活を嘆いています』
「………それは、すみません」
確かにじゃがいもばっか食っているし、肉は節約の為に少しずつしか使わない。そんな生活が癖づいていて、更にはそんな生活でも身体は持っていたから気にしていなかった。
「……あれ?だったら、もっと早くからプロテイン飲んでも良かったのでは?」
ふと気付いて顔を上げた。ピロン、と小さめのウィンドウが目の前に出る。
『監視者が口笛を吹きながらシャワーへ向かいました』
「ええ………?」
ウィンドウは歩くように軽く弾み、そのまま小さくなっていった。
これまで飲ませられない理由でもあるのかと思っていたのだが、監視者もプロテインの事を思い出したのが、まさに今日だったのだろうか。
良く分からんが、話している内に寝起きの時に比べれば、痛みは幾分マシになっていた。
深く考えるのはやめて、今日も畑に向かおう。
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そんな日々も早5日。
主な収穫はパッドとノックノックチームに任せ、俺の最初の仕事は一本の木を切り倒す事。
木を切り倒した後は、整地してくれていたジャウルが代わりに処理してくれる。
整地された部分に種を撒き、水を撒き、収穫物を仕分けて出荷箱に運ぶ。
収穫日数が長いブロッコリーとキャベツを優先的に植え、手分けしてにんじんも並行する。
監視者は全ての作物を区画に分けるように言った。それはつまり、当初予定していた収穫が終わったじゃがいものマスをにんじんと入れ替えると言う技を封じられ、マスの数が増える一方になったと言うことだ。
終わらない種蒔き、永遠とも言える水撒き、集荷時間に間に合わない収穫物。
誰よりも早くバテて、へろへろになりながら、陽が落ちるギリギリまで働く毎日。
ジャウルは度々呆れた顔で「なんで急にこんな無理してんだテメェ」と引いていた。
監視者のウィンドウが見えない彼らからすれば、自発的に自分を追い込んでいるようにしか見えないだろうから、当然と言えば当然だ。
しかし不思議だ。ジャウルが農作業で大して疲れを見せないのは、魔人の大人だからとか、そういう理由なのだろうと理解出来るが、子供のパッドと小さなノックノック達もその日疲れ果てても次の日にはケロッとしてる。
いつだってオノは重いし、足は常にふらつくし、全身を痛めている俺とは大違いだ。
今日もまた一足早い休憩にウッドデッキの階段に腰を掛けた。
タオルで汗を拭い、そのまま前髪を後ろに撫で上げる。ぼんやりと目の前の光景を眺めた。
木がなくなった事で見通しが良くなった家の前の畑。
左右に広がった緑の葉、更に奥に向かって続いている。その緑の中にパッドの頭が見えた。
遠くでジャウルがオノを振り、パカン!と心地の良い音が聞こえる。
それぞれ数匹ずつで作業分担しているノックノック達の姿が、ちらちらと視界に入り込んで来た。
景色は全然違うが、祖父母の畑に近付いて来た気がする。
すごい、と他人事のように感心してしまう。
「あー!ライガお顔みえてる!……あれ?おめめ、キラキラしてるよ」
前髪を上げてる俺が珍しいのか、収穫物を運んできたパッドが駆けて来る。
顔を覗き込まれ、俺は慌てて頭のタオルを剥ぎ取った。
危ない。無意識に込み上げて来たものが目から溢れかけていたようだ。
「……だいじょうぶ?」
「え?大丈夫大丈夫、ちょっと目から汗がな」
咄嗟にくだらない言い訳をしてしまう。
パッドはきょとんとして「ライガはおめめから汗でるの」と素直に返してきたので、恥ずかしさと同時に騙してしまったような罪悪感が湧いた。
パッドは籠を下ろして自分の水筒を取り、俺の隣に座った。
何気なく見下ろしていると、飲み終わったパッドが視線に気付いたのか、横目に目が合う。そして水筒を離すと、じっと顔を覗き込んで来た。
「……ん?なに?」
まだ顔に何かあるのかと少し焦る。
「ライガって、けっこうおめめ強いよね」
おめめが強い、とは?と尋ねる前に、パッドは笑ってぴょんと立ち上がると、籠を持ってコンテナの方へと走っていった。
「……目付きが悪いって、事かな」
目尻を指で撫でた。
切れ長と言えば聞こえはいいが(良いよな?)、どうにも良い印象を与える目ではないようなので隠す癖がついていた。
ジャウルの目は眼光こそ鋭いが、目の開き具合で言えば俺より開いている。
あの優しいパッドに指摘されたのだ。魔界でも、今のまま隠しておいた方が良さそうだな。
頭を振って前髪を戻し、立ち上がる。
さっきよりは足に力が入る。相変わらず筋肉痛を引き摺っているが。
「今日中に、にんじん、植え終わるかな」
目の端に動きがあり顔を向けると、種蒔き部隊のノックノック達がにんじんの種袋を掲げて待っていた。
俺は疲れも忘れて笑ってしまう。
「ありがとう、頑張ろうか」
俺も種袋を持てるだけ持って、畑へと向かった。
作業に集中していると時間を忘れてしまう。
だからスクイッドのバイク音が、いつの間にか丁度良い時報になっていた。
とは言え、大体が聞き流してしまうので、彼と話す事はなかった。
更に2日経ち、ついに残る種蒔きは、いちごだけとなった。
いつも通りにスクイッドのバイクが17時を知らせてくれる。
区切りが丁度ついたので、俺は手を止めて両手を上げ、ゴキゴキと鳴る背骨を伸ばしつつ立ち上がった。
パッドとジャウルは晩飯を作ってくれるそうで、畑にはノックノック達と俺しかいない。
ぼんやりと植えたばかりのいちご畑を眺めた。
簡易的な溝で区切った隣の区画では、コーヒーの苗がその背丈を立派に伸ばしていた。
達成感は、かなりある。
毎日毎日毎日、筋肉痛を引き摺っていた身体も今ではだいぶマシになった。
これもプロテインのおかげなのだろうか。
心なしかシャツの肩辺りが引き攣るような窮屈さすら感じる。
そんな事を考えていたので、背後に近付いて来る音に気付くのに数分かかった。
遅くも早くもない速度。軽やかに走るパッドでも、肉食獣のようなジャウルでもない。
振り返ると、フルフェイスヘルメットが割と近くまで来ていて、内心で心臓が縮こまった。
黒いシールド越しではあるが、目が合ったのだろう。立ち止まったフルフェイス────スクイッドが片手に持っていたものを「ん」と言いながら、突き出した。
「………うん?」
突き出されたのは様々な紙だ。受け取るとチラシや雑誌の切り抜きのようだった。
様々なバイク用品。名も分からない部品もあれば、ステッカーなんかのグッズもあり、赤い丸で商品をいくつか囲ってある。
「これを頼めば良いのか?」
パラパラと捲りながら尋ねると、「ん」と全く同じトーンの声が返ってくる。
「わかった」と頷いて顔を上げたら、踵を返して帰ろうとしていたので、思わず手を伸ばす。
「え、ちょっと待った」
腕を掴むとスクイッドは大袈裟にビクンと身体を跳ねさせて止まった。
振り返らないし、フルフェイスの黒いシールドで表情が見えないので、なんでかは分からない。
「………何」
素っ気ない返事に俺は手を離す。
「いや、金。前払いって言ったろ」
俺がそう言うと、スクイッドが唐突に金をぶち撒けて無言のままバイクへと歩いて行った。
あまりにも唐突な行動に俺はひたすらにビビッて、中指を立てて走り去っていくスクイッドをただ見送ることしか出来なかった。
「………魔界でもファックってあるんだ…」
新発見だ。
ピロン
『何を感心してる!!やられたらやり返せ!!!と監視者が両手で中指を立てています』
「確かに」
一応真似て中指を立てておく。まあ、既にスクイッドは居ないのだが。
『お前はもう少し怒りを表に出した方が良い。屈辱を甘んじて受け入れるな!!と監視者が地団駄を踏んでいます』
「いやァ……俺って体力なかったからか、瞬発力が身に付いてないみたいで」
地面に散った紙幣を拾い集めていると、連日訪れるバイク音に慣れたのか、逃げ出さずに様子を見ていたノックノック達が集まって来た。
紙幣を拾うのを手伝ってくれた彼らの小さな頭を撫でて、立ち上がる。
「でも瞬発力がないだけで、やり返さないとは言ってませんよ。金をばら撒くなんて、バチ当たりだ」
ぼそりと呟いた瞬間、足元でノックノック達がぶるりと柔らかな身を波立たせた事に、俺は気付かなかった。




