35 強化週間
翌朝、気が逸っていたのか、いつもより早く目が覚めた。
7時半。眠気眼を擦りつつ、寝たまま片手を空に翳し、物臭に魂結登録台帳を出した。
しっかりとした銅色の紙。自分の名前から下へと進む。
所持金の欄を見たが、並ぶ数字がすぐには理解出来ず、暫くぼんやりと眺めるだけだった。
昨夜より10万ほど増えているように見えた。
支出の明細は所持金欄の下をスクロールすれば良い。現実味のない数字の謎を解明する為に、指でなぞる。
カタログの時も思ったが、魔界にパソコンやスマホ的な家電製品が存在しない理由は絶対に魔法だろうと思う。
便利過ぎる。
ピロン
『ふむ。矢張り高級食材の中でも、一番低いグレードの値段だな。始めたばかりでは致し方ないか。と監視者が明細を眺めつつ頷いています』
監視者は納得しているが、俺は夢うつつの状態から抜け出せない。ゆっくりとウィンドウを見上げ、じゃがいもの項目を指差す。
「…………じゃがいもだけで、4万近く入ってんですけど。140個くらいでしたよね、俺が出荷したの。これって、妥当……?」
『じゃがいもの査定額が1個300円だからな。玉ねぎは250円、アスパラガスが150円。そこから手数料を引かれている。計算は何も間違っていないぞ。と監視者が電卓を素早く叩いています』
「………いっこさんびゃくえん……?じゃがいもが…?」
『何を不思議がっている。お前も高級食材を使った料理に高い高いと言っていただろう。材料が高くても何もおかしくはなかろうが。と監視者が呆れています』
「それは、そうですが……う、うおお……金だ……」
じわじわと実感が湧いて来た。
アビスの『ゲームだと思って楽しめ』と言った言葉が脳裏に過る。
いや、実際畑を作るのには結構な苦労があったが、人間界の農業に比べれば確かにゲームのようなものだったと思う。
完全に目が覚め、のろのろと起き上がって魂結登録台帳を両手でしっかりと握り締めた。
何度数えても金は増えている。
増えているのだ。
予想も期待も超えた額が。
「これで……貧乏牧場から脱出出来る…!」
勝手に体が震え、口角が持ち上がる。
どれくらいそうやって台帳と見詰め合っていたのか、痺れを切らした監視者が『引くぞ』と言った事で我に返り、まだ少し早い時間だったがベッドから飛び出した。
労働とは、げに尊い事か!
自分でも驚く語彙力を発揮し、いそいそと着替え、いそいそと軽い朝食を済ませ、思い出したかにカタログを開いた。
俺1人で運べる大きめのコンテナとパッド用の籠などと共に、不足していた備品を買い揃え、念願だったコーヒーの苗も大量に買ってやった。人参とブロッコリー、そしてイチゴ。ついでにキャベツも買ってみた。農業ギルドが高値で買取中らしい。
にやにやとしながら届いた苗や種を仕分ける俺に、監視者が『現金な奴だな』と呟いていたがどうってことない。
うきうきで荷物を運びに外に出ると、数匹のノックノックが既に畑の前をうろちょろしていた。
俺の姿に気付いた奴からピタリと止まり、全員が止まった後、間を開けて一斉に走り寄って来た。
こんな時間に俺が動くのは珍しい事だと理解してるのだろう。
階段を全身で一段一段よじ登り、足元に集まった。
「おはようノックノック。荷物を運ぶから、足元にいると危ないぞ」
散り散りに逃げていくノックノック。持っていたコンテナは階段際に下ろした。
畑の中に置いても見つけやすいように、発色のいい黄色のコンテナだ。それを3個買った。
パッドの籠は毛先の色に合わせてオレンジにした。
ノックノック達は不思議そうにコンテナを見上げたり、登ったり、パッドの籠をひっくり返して閉じ込められたりしていた。
最後に持って来たコンテナの中には、新たな種袋が詰まっている。登頂を果たしたノックノックが種袋を覗き込み、落ちた。
種袋に埋もれながら、イチゴの袋をひとつ浮かせてみせる。
「新しい作物だ。お前達ジャムも食えたろ、これでイチゴジャムを作ってやるよ」
コーヒーの苗が入った苗箱を両手で運びながら、ノックノック達に声を掛けた。
全員が動きを止めて見上げてくる。もう慣れたので不気味さは感じないが、何を考えているのかは相変わらず分からない。
ただ、踵を返した俺について来て、玄関に置いていた苗箱のひとつを集まって浮かせた。運ぶ意思を感じて、俺は微笑む。
もうひとつの苗箱を持ち上げ、ゆっくりと運ぶノックノックの後をついていく。
先に置いていた苗箱の横にそっと置いてくれる様子を見て、持っていた苗箱を並べた。
「………増えてんな?おはよう」
ウッドデッキではノックノック達が数匹増えていた。コーヒーの苗が入った黒いポットを覗き込んでいたり、コンテナを囲んだりしている。
パッドの籠は未だにひっくり返ったまま動き回っていた。
新たな作物、何よりも初めての収入の高揚感も相俟って、俺は機嫌良く彼らの様子をにこにこ見ていた。
ピロン、と耳元で音がする。
『それで、この数の種はどこに植えるのだ。イチゴとコーヒーは継続収穫で、コーヒーに至っては夏まで収穫出来るのだぞ。適当な場所に植えたら後悔するぞ。と監視者が大量の種を見て、あなたの計画性を疑っています』
ぎくり、と背中に汗が出る。
『新たに耕すのならば整地せねば。と畑の様子を見詰めています』
「あ、とりあえずじゃがいもと玉ねぎを減らして、その空いたマスに植えて、残りはぼちぼち増やしていこうかな、と……」
『成程。それも悪くなかろう。しかし植え替えていくのなら尚のこと、数を把握しておかねばな。ギルドも各作物ごとに安定した量を出す農家に便宜を図ったりするものだ。と監視者が厳しい目であなたを見ています』
「……………はい、そう、ですね」
浮かれていた心が急激に萎んでいく。
カタログを見ていた時、ピロンピロンと何度も鳴っていたが、俺は真面目に取り合ってなかった。
もしかして、こう言うことを教えてくれていたのか。
暑くもないのに汗が出る。
『だが面倒だろう?と監視者が至近距離で囁きました』
「………え?」
『数の変更だ。今じゃがいもと玉ねぎはそれぞれ切りの良い数字になっている。潰すのは勿体無い。アスパラガスも減らすより増やす方が切りが良い。それにお前の体力も前よりは増えている、良い機会だ。と監視者が目をカッ開いてあなたを見詰めています』
背筋にぞわぞわと冷気が張っていく。
嫌な予感がする。
この神、知と武を司っているのだ。
多分、今、武が知を───
『今より畑の強化週間とする!!』
超えてしまった。
『クワを振れ!!オノを買え!!陣地を増やせ!!貴様が買った種、全て新たな陣地に植えるのだ!!と監視者が拳を握りしめ燃え滾っています』
赤く炎のように燃えるウィンドウ。
冗談でも言い返せる雰囲気ではない。
固まっていると、『返事ィ!!』と怒号が聞こえて来そうな大きなウィンドウが出た。
咄嗟に俺は「はい!!」と精一杯声を上げ、『カタログだ!カタログを持って来い!!』と言う指示に走った。
ノックノック達が無言で俺を見上げてくる中、言われるがままにオノを購入させられた。
木の伐採はまだ先で良いと思っていたのに。
黒鋼のオノ、50,000円。
昨日のじゃがいも分が一瞬で消え去った。
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.
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カァン!と春の空の下に響く音。
風は涼しいが陽だまりが暑い。俺は汗だくで握り締めたオノを振るっていた。
ピロン
『15発目!まだ木は倒れていないぞ!!しっかり腰を入れろ!!こう!こうだ!!と監視者が自前のオノを握り、素振りをしています』
監視者が手本を見せてくれようとしても、ウィンドウには文字しか表示されていない。
顎から滴り落ちる汗を、Tシャツから伸びるぶるぶると震える筋張った腕で拭った。筋肉がついた腕は、以前の骨と皮だけの痩せぎす丸出しの腕ではない。
それでもオノを振るうには、まだまだ力が足りない。
膝に手をついて肩で息をしていた俺は、急かされるままに再びオノを握る。
滑り止めのついた軍手だが、もう握力がない手では滑り抜けそうだ。
しかし、オノが手から抜けるなんて失態は絶対に出来ない。
近場でノックノック達がうろついているからだ。
パッドも心配して時々見に来る。
万が一にでも、彼らの元にオノを飛ばす訳にはいかない。
必死で柄を握り込む。
『黒鋼のオノは、平均的な大人の筋力魔力があれば10発で切り倒せるのだが……』
しっかりと生えた木だ。
確かに幹にはオノによる傷が出来ている。しかし、10発で倒れるとは思えない。
『まあ、お前にはまだ無理なのは承知の上だ。寧ろ15発も打ち込めた事を喜ぶところだろう。以前のお前であれば1発目で切り干し大根と化していた筈だからな。成長とはなんと美しい。やはり日々の努力、鍛錬こそが実を結ぶ。さあライガ!筋肉を奮い立たせろ!!振れェェェエエ!!と監視者があなたの背後からゴーサインを出しています』
返事などする余裕はない。もっと言うとウィンドウの文字もほぼ読めていない。
ただ『振れ』の文字に歯を食いしばり、オノを振った。
最早反射。パブロフの犬。
カァ───ン!!
木の幹に食い込んだ刃先。手が痺れるような衝撃。
『もう一発!!』
振る。
『もう一発!!』
振る──を繰り返し、22発目。
カァン!!と言う音と共に、微かに風が吹き抜けるような爽快感のある衝撃を感じると、嘘のように幹が真横に切れた。
枝葉が重たげに地面に落ち、バキバキと音を立てて転がる。
ピロン、と音と共に大きなウィンドウが現れた。
『クエスト成功!』
本当にゲームのような表示に少し笑ったが、すぐにしんどさに笑みは消える。
ゼエゼエと荒い息を零しつつ、倒れた木を見下ろし、残った切り株に腰を下ろした。
「ハア…ハーーー………死ぬ……」
足も腰も腕も信じられない程の怠さに見舞われ、オノの柄を支えに項垂れた。
「すごい!!ライガ!!」
パッドは彼用に買ってあげたオレンジの籠を頭に持ち上げ、軽快に駆け寄ってくる。その後ろから、珍しく畑作業を手伝ってくれていたジャウルも歩いてきた。
その手にはクワが握られている。
木を倒すと言うタスクを与えられた事に日和った俺は、いつも通りにやって来たパッドにお願いしてジャウルを連れて来て貰い、畑の整地をお願いしたのだ。
またぶっ倒れる恐れもあり、どうしてももう一人大人が欲しかった。
パッドとジャウルの後ろから、ノックノック達もわらっと近付いて来た。
俺は返事が出来ず、隣に立ったパッドに親指を立ててサムズアップしてみせる。
魔界でも通じるのか、パッドは笑顔のまま同じように返してくれた。
「クワよりオノの方が面白そうだな」
ノックノック達に囲まれている倒木を眺めながら、ジャウルが呟く。
「………代わって欲しい…」
カラカラに渇いた喉から掠れた声でぼやく。俯いたまま出した声は小さく、隣に立つパッドにすら届かなかった。
ピロン
『それではお前の鍛錬にならんだろう。カマよりもクワ、クワよりもオノの方が負荷が掛かる。しかし使う筋肉は違う。全ての農具を使い熟せ。そうすれば、おのずと力が手に入る!!と、監視者が自慢の上腕二頭筋を見せ付けながら言っています』
脳筋化してしまった監視者の言葉を、力なく読む。
分かっている。自分でやらなければ意味がない事は。
しかし、もう腕がパンパンだ。握力もない。
『とは言え、すぐさまに筋力が育つ訳もない。一先ずは一日一本を目標にし、切り倒した木と切り株の処理はジャウルに任せても良しとしよう。と監視者が腕を組み、頷いています』
思考力も低下している今、監視者の言葉に胸を打たれてしまう。
スパルタ監視者は全て俺にやれと言うのではないかと、危惧していたのだ。
「………助かる……けど、…処理って」
確かに倒したはいいが、別に消える訳じゃないのだ。このまま転がしていると邪魔なだけ。
しかし、どう処理するのか。
「ライガ、お水いる?のむ?」
ウィンドウに気を取られていた視界の端に、スッと蓋を開けた水筒が差し出された。パッドだ。
「……あ、ああ、ありがと。貰おうかな」
心優しいパッドの気遣い。それだけで少し疲労が抜ける心地だ。
水筒を傾ける。ただの水道水なのに、うんと美味い。
飲む度に、水が合う、と言う言葉が脳裏を過る。
喉を潤すと気力も多少は回復する。口を拭い、水筒をパッドに返しながら、その後ろに立つジャウルを見上げた。
「ジャウルさん、その、残りをお願いしても」
「ア?残り?」
「はい、その、処理を」
倒れた木と座っている切り株を指差して言う。
処理で伝わるのかは分からなかったが、ジャウルは意図を理解したようで「ああ」と素っ気ない返答をした後、クワを地面に置き、俺からオノを取り上げた。
ぼんやりとジャウルの動きを目で追う。
倒木の傍により、木に登ったり、枝葉の間に入ったりしていたノックノックを「どけ」と雑に追い払う。
慣れてきたとは言え、ノックノック達は怯えたように慌てて散っていった。数匹は俺とパッドの足の後ろに隠れる。
ジャウルは倒木の横に立ち、足で押さえるとオノを振り下ろす。
枝が生えている部分と、幹だけの部分が、たった5発で切り離された。長めの丸太と化した幹を足で転がしながら、ジャウルは俺を見た。
「丸太で良いのか、それとも、もっと細かくすんのか」
意味が分からない質問にただ呆然と見詰め返していると、目の前にウィンドウが出た。
『細かくして貰っておけ。丸太よりも使い道が多い。と監視者が言っています』
言われるまま、「もっと細かくしてください」と棒読みで答えた。
俺の変な態度に片眉を歪めつつも、ジャウルは更に丸太にオノを振るう。
丸太は5発ごとに形を変えていった。長い丸太から短い丸太、更に短い丸太、それがバラけ、木材(としか言いようのない様々な形)になった。
ジャウルは一ミリも疲労を感じさせず、葉の繁る枝が残る方へと向き、更に何発かオノを振った。
葉が飛び散り、あっという間に枝と木材がそれぞれ散らばった。
「これで良いか」
「……………あ、はい」
地面に飛び散る木材の数々。魔界ではこんなにも容易く木って処理出来るのか。
俺に近付いて来るジャウルの後ろ側、ノックノック達が枝を拾って遊んでいる。
ピロン
『木材を保管しておく収納ボックスを買っておくべきだったな。そうなると納屋も欲しい所だが……いや、贅沢は言うまい。一先ずノックノック達に木材を確保して貰っておけ。と監視者が指示しています』
「……ノックノック、落ちてる木材を拾っておいてくれるか。とりあえず……ウッドデッキの前に置いてくれ」
力なく指差したウッドデッキ。足元に隠れていたノックノック達が俺の顔とウッドデッキを順番に見て、駆け出した。一匹ひとつ、頭の上に木材を掲げ、畑を突っ切っていく。あまり大きくない枝は両手に握って持って行った。
収穫や種蒔きを任せていたグループからも数匹駆け寄って来る。作業を放棄したのか、それとも手が空いていたのかは分からない。
ジャウルがぞろぞろと動くノックノックを見つつ、俺の前に戻って来た。
「…………こんなに居たのか、コイツら」
「時々増えてるみたいだ」
ゆっくりと立ち上がり、切り株から退いた。
ジャウルの横に立ち、「お願いします」と呟くと、彼はオノを振り上げた。
やはり5発。
5発で切り株は放射状に散った。
土の下の根は残っているようだが、地表に出ていた分は粉砕されていた。
意味など分からない。だが、こういうのは考えるだけ無駄だ。
起こるべくして起きたのだから。
「ぱぱすごい!」
弾むようなパッドの声が軽やかに畑に響く。
その時、満更でもなさそうにほくそ笑んだジャウルを、俺は見逃さなかった。




