32 ギルドから
町長と話した日から、1週間ほど経ったある日の事だ。
「農業ギルドから来ました。スクイッド・バーホッパーです」
青年は気怠そうに名乗った。
ピンクに黒のメッシュが入った派手な短髪で、目もピンクに近い色だった。ただそれ以外は人間と然程変わらない。
取引相手との初顔合わせに、空気をバリバリと裂くようなエンジン音を響かせながら、大型バイクで現れた事は、人間界との大きな違いかもしれない。
家の端に停められたバイクを見る。
細長いシルエットで随分と車体が低い。スタイリッシュでかっこいいが、山乗りには向いていない気がする。
川を背景に佇む艶々と輝く黒いボディが、持ち主にどれだけ愛されているかを誇張しているようだった。
「バイクが好きなんですか」
簡単な自己紹介の後、何気なく口にした。
青年──スクイッドは視線だけを向けてきた。20センチほど低い位置から睨め上げてくる目付き。ピンクの目は色のイメージの可愛らしさとは程遠く、薄暗く陰って見えた。
値踏みするような視線は一瞬で、すぐに興味を失せると背後からキャップを取り出し、深く被った。
プライベートな事には答えたくないタイプか。
「……出荷希望とお伺いしてますが」
彼の声は覇気がなく、囁くように喋るのでうっかりすると聞き逃しそうだ。
顎の位置を殆ど動かさないまま、顔を畑へと向けた。目元は見えないが、つばの角度が示している。
仕事柄、様々な牧場や農場を見て来たであろう彼から見たら、小規模な畑に見えるんだろうな。
畑は静まり返っている。
バイクの音に驚いてノックノック達はすぐさま姿を消した。
作業途中だったので、所々に収穫物が転がっていて、少々雑多に見えるかもしれない。
ウッドデッキへと運ぶ途中で落としたらしいじゃがいもが、家の前に転がっていた。
俺はそれを拾い上げながら「そうです」と頷く。
一泊置いて、スクイッドの声が返ってきた。
「……集荷用の出荷箱を設置したいのですが」
「集荷用の出荷箱……?」
顔を上げた時、まだスクイッドの顔は畑へと向けられていた。
聞き返した俺の声など聞こえていないように、その口は固く閉ざされた。
「えーと……それはどういったものですか?見ての通り、まだ始めたばかりで、大量の出荷はないんですが……」
「何個だろうが出荷箱は必要です。夕方に取りに来ますんで、それまでに出荷する物を入れておいて下さい」
面倒そうに早口で言われた。
ピロン
『ライガ!!もう少し気合を入れろと喝を入れてやれ!!と監視者が彼の態度に不満を感じています』
喝を入れるとか、そういうのは俺の役目じゃない。
それにボソボソと喋る彼は、昔の自分と重なってしまうので強く言えない。
俺も人間界では声が張れないタイプだった。
何度も聞き返されるのも、もっとちゃんと喋れと説教を食らうのも辛かった。精神的にも、肉体的にも。
もしかすると、彼にもそういう事情があるのかもしれない。
そりゃ愛想が良い方が嬉しいが、仕事をきちんとしてくれるのなら態度が悪くても構わない。
「分かりました。夕方……ってのは何時ですか?」
「………18…いや、17時」
「17時か。あ、出荷数の下限ってありますか?今の所、大量の出荷は予定になくて……」
「別にないですよ。一個でも二個でもお好きなように。ゼロの日でも集荷には来ます。そちらの収入がないだけで、俺には関係ないんで」
「……マジで、一個でも良いんですか?」
尋ねると、スクイッドが目をきつく絞った。「そう言ってんだろ」と言いたげな圧。
俺は口を閉ざした。圧に負けたとか、彼の態度に萎縮したとかではない。
マジで一個で良いのか。一個って、マジで一個?じゃがいも5個で1セットとかじゃなく?と色々と逡巡をしていたからだ。
無意識にスクイッドのキャップを見詰めていた。
キャップは、彼が着ている灰色がかったグリーンのつなぎと似た色をしている。中央にはバイクのシルエットがある。
農業ギルドのマークではなさそうだから、私物だろうかと思考が逸れる。
そのマークが少し動いた。影のバイクが、すっと前進したのだ。
彼の目線が戻ってきていた。
「………アンタさ、マジでひとりでこんなクソ広い牧場やってくのかよ。出荷箱の事も知らねぇのに?どんな素人だよ……」
「え?」
気怠さは変わらないのに、声に棘が生えたように聞こえる。
つばの下を覗き込む。影の中から呆れ返ったピンク色がじっとりとした視線を送って来ていた。
どうやら”ナメられた”ようだ。
目が合うと、目頭に皺を刻み付け、視線を遮るように手がつばを握る。
「こんな遠い所まで毎日来なきゃいけねぇとか……最悪……だっる……」
一度キャップを浮かせ、髪を掻き上げて被り直す。一瞬だけ見えたおでこが彼を幼く見せた。
ピロン
『ライガ!!教育的指導だ!!殴れ!!!私が許す!!!と監視者が拳を振り回しています』
ウィンドウの端が赤くなっているので、監視者は本気で怒っているようだ。
確かに、流石に態度が悪い。
しかし俺は揉め事は嫌だ。
麓の町に行くにはまだ体力がないと言われている今、牧場外との接触はこの農業ギルドが頼りになる。
ここで叱りつけたり、苦言を呈したりして、彼が取引を拒んだら?
農業ギルドとも町長とも自由に連絡が出来ないのに。
「えーと、とりあえず、出荷箱の説明くれます?」
ピロン
『ライガ!!この意気地なしめが!!と監視者が憤っています』
生意気な若者に耐性無さ過ぎだろ、監視者様。と言いたいが、意気地なしの自覚もあるし、小さく頷いてみせた。
すみませんね、と言う気持ちを込めて。
スクイッドは一瞬だけ、何かに驚いたように動きを止めた。
少しだけ上げられた顎の角度。それでも身長差のせいで、俺からつばの下は見えない。
そのつばを握り、更に俯かれてしまえば、表情を垣間見る事も出来ない。
「……出荷箱ってのは、農業ギルドから貸し出す出荷用の箱です」
「はい」
「出荷したい物を箱に入れて下さい。量に制限はありません。ただし、ゴミやガラクタは入れないでください。腐ったものもです」
「まあ、腐ったものはゴミだしね」
「そうです。腐ったもの、齧ったものなど、売り物にならないと分かっている物を入れた場合、罰金になります」
いれんだろ、そんなもん。と思ったが、入れる奴がいるのだろうな。
彼の口振りから察せられる。
「それと、一度箱に入れたものは取り出せません。取り出したい物があったら、集荷担当者に伝えて下さい。見つかれば翌日の集荷時に持って来ます」
「分かりました……て事は、出荷箱にいれる時は作物のみを入れる感じですか?こういう籠も必要ない?」
ウッドデッキに置いていた籠を見下ろす。籠には収穫した野菜が積まれている。じゃがいもの山の上に、ずっと握っていたじゃがいもを乗せた。
スクイッドも同じ場所を見ているとつばの角度で分かる。
じっと品定めでもするような間があった後、小さく頷く。
「籠やコンテナを出荷するつもりがないなら、入れないで下さい」
「その言い方だと、籠やコンテナでも出荷出来るように聞こえるな」
「………金になるならするだろ。ゴミ認定して罰金取る事もあるけど」
ぼそりと呟かれた言葉に、魔界ってのは本当に独特だなとしみじみと思った。
スクイッドは肩先を軽く回し、首を傾げるように俺を見上げてくる。
「で、そろそろ出荷箱を設置したいんですが」
「あ、はい。えーと、箱ってどのくらいの大きさですか?毎日集荷に来るなら、橋に近い方が良いですよね?」
「……箱はこんくらい。橋に近い方が俺は楽ですね」
こんくらい、と示された両手の動きはそこそこ大きく見えた。
「じゃあ……」と家と畑を見渡す。
橋は家の斜め後ろに位置する。畑は正面。中間である家の横に置いて貰うか───と考えている間、ふとスクイッドがまたウッドデッキの上を見ている事に気付いた。農具にカタログ、籠に水筒にタオルと、雑多に置いているから何を見ているのか分からないが、つばの向きは一点を向いている。
「なんか気になる物でもありますか?」
「………いや、別に」
声を掛けると、ふいっとそっぽを向いた。
単に汚いから気になっただけだろうか。「とりあえず、あの辺りに」と出荷箱の設置場所を指差す。
スクイッドは俺に背を向けて、指を差した家の端へと歩いて行く。
背中ごしに、胸ポケットを漁っているのが見えた。
「あ、そこ。そこに」
希望の位置を通り過ぎようとしたので、声を掛けるとスクイッドが怠そうに振り返った。
「………もう少し、橋に近いと助かります」
「これ以上畑から遠いと、俺が不便なんで」
わざとだったらしいスクイッドに首を振る。不満そうに口を歪めるが、それ以上ごねる事はなく、手に持ったアンカーシールを翳した。
先程、胸ポケットから取り出したのは、出荷箱のアンカーシールだったのか。
「ここ?」
「あ、はい。そこに横向きでお願いします」
グリーンのガイドラインが地面に引かれ、スクイッドがシールを中央へと貼った。
パッと大きな横長の木箱が現れた。ナチュラルウッドと言えば良いのか、明るく温かい木の色。四隅には鈍く光る銅色の金具が打ち込まれていた。
蓋の上に円形のマークが焼き入れられている。
二本の植物が交差し、やや下方に刻まれたG・Hのロゴに一羽の鳥(多分、ふくろうだ)が止まっている。
「……じーえいち?」
「グリーンハーベスト。農業ギルドの名前。その頭文字。……農家やるって癖に、農業ギルドについて何も知らないのどうかと思いますよ」
こちらを見ないまま、抑揚のない声でスクイッドが呟く。
ぐうの音も出ない。監視者に事前に聞いておくべきだったか。最近は雑談ばかりで肝心な事を話していない。
「……そうですね、自分でも勉強はするとして……今は質問しても良いですか?今後の流れってどうなります?お金はいつどう入る感じですか」
スクイッドは俺を振り返り、固まった。
固まったと言うより凝視している。
質問された事に驚いているようにも見えた。
何でだ、と俺もただ見詰め返すだけの時間が過ぎる。
そして止まっていた息を押し出すかに、スクイッドは盛大な溜息を吐いた。
「…………………だりぃ」
「そう言わず。今頼れるの、君しかいないから」
監視者に聞けば分かるだろうが、時々適当な事を言うので現職の彼の話も聞いておきたい。彼が嘘を吐いたり、適当な事を言う可能性もあるが、2人の話を統合すれば、それなりに本当の事も見えてくる筈だ。
そんな思惑で、スクイッドから聞き出そうとする。
スクイッドはまた動きを止めた。
ピンクの目を大きく見開いたかと思うと、つばを掴んで鼻先まで深く引き下げる。まるで顔を隠したがるように。
「………ハア…めんどくせぇ」
吐息混じりのぼやき。
どんな表情で言ってるのか気になったが、今の角度では見えなかった。
「……今から出荷箱と移送用リュックを繋げます」
言いながらスクイッドは突然歩き出した。
一瞬見送りそうになり、慌てて後ろをついていく。喋りながら離れられると、声が聞こえなくなる。
「繋げるってのは」
「出荷箱に入れられた物をリュックに移すためです」
スクイッドはバイクに乗せていた四角めのリュックを掴んだ。人間界でよく見た、デリバリー専用バッグのようなリュック。
それにも出荷箱と同じマークが描かれている。
リュックを肩に担ぎ、顔を伏せたまま足早にUターンし、俺を通り過ぎる。
「集荷場まで俺が運びます。集荷場で出荷物を査定し、手数料を引いた分の金額を翌朝までに入金します。手数料は大体5〜10%です」
遅れて踵を返してついて行く。
一切振り返らずにスクイッドは説明を続け、リュックをドンッと出荷箱のマークの上に置いた。下敷きになったマークから淡い緑の光が上り、呼応してリュックのマークも光った。
オーロラのように光は波打つと、すっと消え去る。
「……これで出荷箱の中身がリュックに移るの?」
「そうです。今日は契約のみなんで運びませんが」
リュックを背負うスクイッドの横に立ち、何気なく出荷箱の表面を指でなぞった。
しっかりと磨き上げられた頑丈な木材。ニスか何か塗られているのか、思ったよりつるつるとした質感だ。
「………カタログみたいに指定の場所に転送するとかじゃないんだな。その方が早そうなのに」
ふと思いつきを口にする。
視界の端に映るスクイッドが、ピクリと肩先を跳ねさせた気がして、顔を向けた。つばの翳りから少しだけ目が見える。
「……あれとはやり方が違うんで」
「そうなんだ」
「そーなンです」
わざと強調するような発音の合槌だ。心底呆れているのだろうな。年下に呆れられてしまう程の事なのか。
どうにも魔界の常識やら基礎知識やらが足りてないようだ。
1人脳内反省会をしていると、ぼそぼそと隣から小さな声が聞こえた。
「……大体物だけ送りつけられても、どこの誰の出荷物か分かんねぇし、柔らかい作物とかだと到着と同時に痛むだろ」
「………確かに」
仕組みを知らないので、反論など思い付きもしない。
魔界の先輩である彼が言うのならそうなのだろう。
スクイッドは急にパッと見上げてきた。
なんだろうか、と見下ろすと、微かに口端を歪めている。苦虫を噛み潰したと言うには大袈裟だ。小さな虫だったのなら納得出来る、そんな顔だった。
俺が口を開こうとしたのを察したのか、スクイッドは怠そうに顔を背けた。
「……あんたさ、ほんとにどっからきたんだよ。ここより田舎から来たとしても、このくらいの常識くらいは知ってる筈だろ」
目を合わせずに、口の中だけで喋る彼。
身長差のせいで隣にいても聞き取りにくい。頭を寄せる為に体を傾けると、煩わしそうに横目で見られたので姿勢を正す。
出身の話か?とあたりをつけ、俺は腕を組んだ。
「……実を言うと、ここに来るまでの記憶が曖昧で。出身もよく思い出せなくて…心配してくれた知人が、ここを紹介してくれたんだ」
ジャウルとのやり取りを踏まえ、監視者と考えた言い訳だ。生活に根付いた常識などは監視者でも把握し切れていないらしく『いっそ記憶喪失のフリでもしてろ』と言われたので、素直に採用した。
疑われても構わない。
相手が詮索を諦めてくれれば良いのだ。
下手くそなりに、感情に浸る芝居をした。
チラリとスクイッドを見ると、先程とあまり変わらない顔をしていた。
効果があったのか分からない。
目が合うとスッと逸らされ、重たげに小さな口を開いた。
「…………おも、だる」
「そんなカユ、ウマ、みたいな」
「何だそれ」
「何でもないです」
頭を振る。通じる人にだけ通じれば良い───と思ったが、魔界にそんな奴は1人も居ないだろう。
「出荷箱の説明はこのくらいで良い?」
「あ、うん。ありがと、分かりやすかったよ」
相手がタメ口になると、つられてタメ口になってしまう。
「あ、そ。じゃあ最後に、」
言いながらスクイッドが振り向いた。
右手に小さなプレートを持っている。端につけられた細い鎖が袖口の中へと続いてる。手首にブレスレットが見えたが、ただのアクセサリーではないのだろう。
「───魂結登録台帳と契約印を結べば、終了です。出して貰って良いですか」
「あ、はい」
右手を前に出し、魂結登録台帳の事を考える。それだけで手の上に出て来る。空中に浮かんでるので、手を出す必要さえないのかもしれない。
とは言え、このままでは相手に見せる事が出来ない。端を掴んだ所で、ピロンと音が聞こえた。
『表を見せる必要はないからな。裏面を差し出せ。と監視者が慌てて口出しています』
ウィンドウを横目に読み、言われたまま表を伏せて差し出した。裏にも魔法陣のようなマークがある。
スクイッドは差し出された紙を見て、つばを掴んでキャップの位置を調整した。その動作が少し引っ掛かった。
なんでかは自分でも分からない。
プレートを魔法陣に翳すと、緑色の魔法陣が浮かび、くるくると回ると吸収されていった。
「これで終わりです。お疲れ様でした」
チャリッと鎖を鳴らしてプレートを袖に引っ込め、スクイッドはバイクに向かって歩き出した。
一応お見送りにとついて行ったが、声をかけても彼は答えず、来た時と同じエンジン音を響かせて走り去って行った。
バイクが走っても橋は揺れず、ガタガタ鳴ることもない。タイヤ痕が橋板に残ってしまったが、こればかりは仕方ないか。
ピロン
『ほれ見ろ、存分にナメられたではないか。と監視者があなたの煮え切らない態度に耐えがたい不満を持っています』
「何その長い実況」
『ああいう輩にはガツンと言え!言わねば分からんのだ!!いや!言っても分からぬ!!戦え!!と監視者が拳を振り回しています』
「戦いませんよ……その偶に戦いを煽るのはなんですか、知の神でしょうに。理性的にいきましょう」
『私は確かに知の神だが、武も司っている。知性と武力を併せ持つ私が考えもなしに戦いを煽ると思っているのか!と監視者が腹を立てています』
「武力……どうりで…」
初めて知ったが、妙に納得してしまう。
知力の神にしては随分と血の気が多いと思っていたから。
監視者のウィンドウには『何故戦うべきか』や『抑止力とは何か』のような論理が高速で流れていく。
殆ど読まずに首を振る。
「俺は仕事さえしてくれりゃ良いです。口論になっても疲れるだけだし……」
ピタリと文字が止まり、パッとウィンドウが切り替わる。
『調子に乗ると何をしでかすか分からんぞ。と監視者があなたの楽観さに呆れています』
「いやまあ……許容できない範囲を超えてくんなら、その時は俺もガツンとやってやりますよ」
拳を振ってみせると監視者は喜んだ。
まあ、そんな事は起こらないだろうと思っていたのだが。この時は。




