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31 おひとよし

「では、農業ギルドには私から連絡を入れておきます!」


三輪バイクに乗って去っていくシプシーパー町長を、手を繋ぎっぱなしのパッドと一緒に見送った。

後ろで静かにしているジャウルは、先程見せた笑顔が嘘のようにいつもの仏頂面で、時々居心地悪そうに髪を掻き上げていた。


「ライガ、はしってこれ?向こうに行けるの?」


手を引いてパッドが橋を指差した。


「そう、これが橋。向こうに行けるけど、俺かジャウルさんと一緒の時な」


「今いける?」


「ジャウルさんが良いって言うなら、良いよ」


「ぱぱ!」


ねだるような声でパッドが後ろを振り返る。

ジャウルが頷くと、パッドは嬉しそうにジャウルにも手を伸ばした。


一瞬だけ俺は固まった。


このままではパッドを挟んで三人で手を繋ぐ事になる。

家族みたいに。


沈黙が数秒流れる。


暫し考え込んでいたジャウルだが、結局パッドのねだりに負け、三人で手を繋いで橋を渡った。


硬い木の感触が物珍しいのか、小さなブーツの踵を鳴らしながらパッドは歩いた。コツコツと小気味の良い音がする。


「川がしたにある!」と俺達を引っ張って川を覗き込みに行った。手すりの隙間に頭を突っ込み、きらきらと反射する川面と同じくらいきらきらした目で眺めるパッドを挟み、俺とジャウルは無言だった。


橋の終わりでパッドはジャンプした。手にぐっと体重がかかる。掛け声もないまま、俺とジャウルは同時にパッドを持ち上げた。

思ったより高く跳んだことにパッドがご機嫌な悲鳴を上げた。


パッドの笑い声が川の音と一緒に流れる。


そのまま真っすぐ森を進んで、道なき道を辿れば、麓の町が見える場所に出た。


「たっけー!」


パッドがはしゃぐ声を上げて笑う。


「あ、さっきのちょうちょだ」


俺から手を離してパッドは指を差す。曲がりくねった道を進む町長の赤く丸いバイクが木々の間からチラチラと見えた。

まだそんなに離れていない。


「ちょうちょはどこに行ってるの?」


「あー……」


パッドに町の話をして良いのだろうか。

悩んでいたが、先にジャウルが口を開いた。


「自分の家に帰ってんだろ」


「いえ?ちょうちょの家がある?どこに?」


「あそこだろ」


ジャウルの指が、遥か足元に見える町を指し示す。


「あの町に帰ってるんだろ」


パッドはジャウルの腕を両手で握り、首を伸ばすように眼下に広がる町を見た。


「あれがまち?まちってなに?」


「色んな奴が住んでる場所だ」


親子の会話を黙って聞く事にする。

人目を避けて生きてきたジャウルが、他者の棲家を教えている。淡々としているが、何を思ってるのか。

俺には想像つかない。


パッドは何か言いたげにしたが、小さな唇を微かに開け閉めしただけで声にはしなかった。

聞きたい事を飲み込んだのだと、俺でも分かった。


強い風が枝を揺らす。静かになってしまった。

遠くで揺れる桜のような"陽の当たる幽玄"をただ見つめていた。



「……いつか」



柔らかいが、どこか押し出したような声が聞こえた。


「行けると良いな」


ジャウルがそう言った。俺は驚いた。

思わぬ内緒話を聞いてしまった時のように、無意味に息を殺したりもした。反応すると良くない気がして。


パッドもまさかの言葉だと思ったのか、目を大きく開いてジャウルを見上げている。

ジャウルの目線は町に向けられている。不安と諦め、懐かしさと期待。様々な感情が絡み合っているような眼差し。


「……行っていいの?」


小さな手が縋るようにジャウルの手を握りしめた。

一瞬だけ、ジャウルに葛藤があったようにも見えた。微かに喉が動いたからだ。言葉が詰まったのか、言うか躊躇ったのか。


だが、ジャウルは優しい父親の目をして、パッドへと視線を向けた。


「……いつかな。今すぐは無理だが……いつか、必ず行けるようになる」


パッドは込み上げる嬉しさを言葉に出来ないようで、微かに身震いをした後に「うん!!」と元気よく頷いて、ジャウルに抱きついた。

そのままパッドを抱き上げるジャウルの腕が力強い。


「ぱぱとライガもいっしょに行こうね」


ジャウルに抱きついて、俺にも笑顔を見せてくれるパッドに頷いた。


それからしばらくの間、眼下の景色を3人で眺めていた。

気付けばパッドがジャウルに抱っこされたまま寝入ってしまったので、俺達は引き返す。

来た時よりも日が傾いていて、木々の影が濃くなったように見えたが、森を抜けたら普通に明るかった。


川音が心地よい。

何だかんだ、橋ができた事に俺も浮かれている。

そのせいで隣を歩いていたジャウルの足取りが遅くなった事に気付くのが遅れた。


橋を渡る手前で振り返ると、ジャウルは再び警戒心を剥き出して俺を睨んでいた。


勘弁してくれ、今度は何だ───と思っていたら、ジャウルが口を開いた。


「テメェは良いのか」


質問の主旨が分からず、眉を寄せる事しか出来なかった。前髪で隠れているから、ジャウルからは見えないだろうが。


「……俺らがここに居て」


「………はあ、まあ…」


主語は分かったが、やはり真意が読めない。

ボヤッとした返事をすると、ジャウルは怪訝そうに目を細めた。その眼光が牙のようだ。

曖昧な返答はお気に召さないようだ。


「……居て良いも何も、ジャウルさん達は山に住んでるんだし、俺が許可する事でもないでしょ」


言い直す俺を見るジャウルの目はまだ鋭い。何だろうか、何かを見極めようとしているのか。咎められている気分になって、無駄に姿勢を正してしまう。


「ただ、パッドは牧場を手伝ってくれるし、ジャウルさんからは肉を貰ってる。居てくれたら助かる……いや、まあ、ジャウルさんが出て行くと言うなら、引き止められませんけど…」


「テメェを撃とうとしたんだぞ」


ごにょごにょと言い訳のように重ねていた言葉を、ジャウルがばっさりと切り捨てた。


「それも2回だ。どっちも俺は本気だった。本気でテメェを殺そうとした」


「……だから、近くにいて良いのかって?」


「……俺を信じられんのかって聞いてんだ」


じゃあ最初からそう言え。と思いつつも、人間不信に陥ってシャーシャー言う猫みたいに睨みつけてくるジャウルに、余計な茶々は入れられなかった。


「……うーん…流石に、三度目はないかなと思ってますけど」


正直に答えた。

ジャウルは眉を跳ねさせ、それからパッドを抱き直した。その腕に力が入っているように見える。


言葉の真意を探るかに、目線がチラチラと揺れていた。


だが何も言ってこないので、俺は敢えてジャウルに背を向けて歩き出した。

信じてないなら、そもそも隣を歩いたりしない。

でも口にすると途端に安っぽく聞こえそうだから、黙っておく。


男は背中で語ると言うし、背中を預けるとか言う言葉もある。ここは魔界で、そんな言葉は存在しないかもしれないが、──── 無防備に背を向けた俺を、ジャウルが信じられるかどうかだろう。


少しして、背後から重い足音がついて来た。ブーツの踵が橋板を粗雑に踏んでいる。


「……本当にパッドのフェロモンが分からねぇんだな。他の連中のフェロモンも同じか」


背後からの質問。俺は振り返らなかった。

いや、振り向けなかった。


答えられない問い掛けに、唇が引き攣ったからだ。


なるべく平静を装い、「うーん」と考え込むふりをしながら空中を視線だけで探る。

監視者に助けを乞うて。


しかし無慈悲な監視者は、ウィンドウを開いてくれない。


「多分」


おかげで漠然とした返答とも言えない返答しか出来なかった。


「多分って何だ。テメェのことだろ」


「そうなんだけど、……俺、何と言うか…あんま自分のこと分からないって言うか……」


「………やっぱ三度目を狙っても良いか」


「何でそうなるんだよ!信じらんねぇな!」


納得しないだろうとは思っていたが、まさかの殺人予告に思わず振り向いた。

しかしジャウルの腕には猟銃はなく、安心し切って眠るパッドが両手で大事に抱かれているままだ。


「テメェは銃を向けた方がシャキッとするからだよ。何なんだよ。張りがあんのかねぇのかハッキリしろ」


「そんな理由で人に銃を向けるのどうかと思う。絶対にやめた方がいい。教育に悪い」


一息に全部ぶち撒けてやった。

ジャウルは一瞬面食らっていたが、小さく、本当に小さくふっと笑った。

その後は勝手に穏やかな顔になって、パッドへと目線を向けたので、再び背を向けて歩き出した。


その間に必死に監視者を探す。

この長く厚い前髪のせいで、監視者は目の動きに気付けないのか。それとも離席しているのか。


フェロモンとやらについて説明してくれ。

このままでは、はぐらかす事さえままならない。


心の底から祈ったが、願い届かず、背後からまた声がした。


「テメェはどっから来たんだ。他にもフェロモン効かない奴がいんのか」


知らん知らん、何も知らん───と答えられたらどれほど楽か。


その時、やっと待ち望んでいた音がした。

───ピロン

天の助けだ。開いたウィンドウに目を向ける。


『魔神の子に魔人のフェロモンは効きにくい。しかし感じ取る事くらいは出来るぞ。全く感じ取れないのは、人間とのハーフだからかもしれんな。と監視者が言っています』


────助けになっていない。

魔神の子である事も、人間とのハーフである事も、口には出来ないのだから。


俺はさりげなく首を撫でながら、「そうじゃない」とゆっくり頭を左右に振る。

ウィンドウが切り替わる。



『?』



ただの記号に胃が熱くなった。

流石に叩き割ってやりたくなる。


背後から、ハアと大きめの溜息が聞こえた。

振り返って、胸に抱いているものが、パッドから猟銃に変わっていたらどうしようか。


「テメェが何なのかはもう聞かねぇよ。答える気ィねぇようだし」


思わず足を止めた。

丁度橋の終わりで、土の上で立ちすくむ。

隣にジャウルが並んだ。

顔を向けると目が合う。強い眼光はあれど、先程のような強い警戒心は感じられない。


「……もし、パッドのフェロモンが効くようになったら、教えてくれ」


ジャウルの声は祈るようだった。

小さな息子の背中を抱きしめる大きな腕が、この子を傷付けないでくれと必死に叫んでいる。


「うん、真っ先に知らせる」


俺の返答にジャウルの眉が下がった。微々たるものだ。同時に耐えるように眉間の皺が深まった。

物凄くか細い声で「頼む」と聞こえた。


まあ、多分、彼なりの「ありがとう」なのだろう。


ジャウルが黙ってしまったので、微妙に気恥ずかしい気持ちになり、歩きを再開した。

隣を歩くジャウルに向かって、顔を揺らしてパッドを示す。


「よく眠ってるな」


「……ここ3日程、寝つきが悪くてな」


「え」


「もうテメェに会えないんじゃないかって泣きやがって」


「え!?」


「可哀想だろ。二度と泣かすな」


「え、ええ……」


流石に最後のは言いがかりだと思ったが口にはしなかった。それ以上に気になることがあったから。

その思いが、勝手に口から滑り出た。


「……こんなに子供に懐かれるのは、始めてだ」


そもそも日本にいた頃は関わる事も殆どなかった。

通りすがりの小学生にお化け扱いされたり、目が合った幼児にギャン泣きされたりと、その程度だ。


だから、子供が可愛いと思った事もない。


でもやはり、そこまで懐かれると可愛く思えるものだ。

しみじみと眠るパッドを見てしまう。肩に押し上げられた頬の丸みまで可愛く見える。


「意外だな。お人よしだからガキに集られてそうなのに」


ジャウルがせせら笑うように言った。


「………俺が、おひとよし…?」


「ハア?」


妙なところに引っ掛かった俺に、ジャウルは訳がわからないものを見る目をした。


「お人よしだろ」


ジャウルは強めに断言した。まるで罪のように。

パッドを軽く抱え直すと「今日は帰るぜ」と言って、さっさと西に向かった。


俺は家の前で足を止め、ぼんやりと後ろ姿を見送った。


「……お人よし、なの、俺」


ピロン

『何だお前。自覚がないのか。私から見てもお人よしだぞ。少々心配になる程だ。と監視者が首を振っています』


「魔人の基準がおかしいだけじゃ……初めて言われましたよ。いや、まあ……お人よしする相手も居なかっただけかもしんないけど……」


体力もなければ、金銭的な余裕もなかった。

今は、ジャウルとパッドが望む物を偶々持っていただけだ。食い物とか、フェロモンが効かない体質とか。


それって別に、俺がお人よしって話じゃなくないか?


不思議に思っている横で、またピロンと鳴った。


『まあ、あまり魔人相手にお人よしをする意味はない。ジャウルとは利害が一致したから何事もなかったが、ナメられると色々面倒な事になる。と監視者が忠告しています』


「ナメられる……?」


こんな弱そうな(なり)をしているが、人間界でナメられると言う経験はしたことなかった。気付いてなかっただけかもしれないが。とにかく、あまりピンと来ない。

返事とも言えない返事以降、黙り込んでいると先程より大きめのウィンドウが正面に現れた。


ピロン

『聞いているのか!?お前の為に言っているのだぞ!と監視者が不満そうです』


そうは言われても、どう気をつければ良いのやら。

今のところ、出会った魔人達はみな友好的で親切に見えた。(ジャウルは条件付きだが)


「まあ、肝に銘じておきます」


ウッドデッキに立てかけていたクワを手に取り、休んだり働いたりしているノックノック達が散らばる畑へと向かう。


まだ耕していなかった場所にクワを振った。


土が泡立って弾け、正方形に近い形で色を変える。柔らかくなった土から湿った匂いが漂う。


農業ギルドと取引が出来るようになったら、コーヒー豆を植えてみようかな───そんな事を呑気に考えた。


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