26 来訪者
ザアザアと流れる川の向こう側に、白い綿毛のような頭の小さな老人が立っていた。右目のモノクルが陽光を反射する。
対岸に立つと、遠近感などではなく本当に小さいのだと分かった。60センチ程しか無いように見える。
「こんにちはーー!わたくし麓の町で町長をしているシプシーパー・クリンプと申しますー!」
懸命に飛び跳ねながら町長を名乗る老人が大声で話しかけてくる。川を挟んでいるせいでよく聞き取れない上に、横文字の長い名前は耳が滑る。
「しぷ?しぱ?りぷ?」と呟くと、小さなウィンドウに"シプシーパー・クリンプ"と表示された。
監視者が気を利かせてくれたようだ。非常に助かる。
「どうも」
俺は声を張れず、会釈をした。
町長もぺこりと深くお辞儀で返してくれる。ものすごく物腰が柔らかい人に感じた。
「こちらの牧場の方ですかーー?」
「…………監視者様、これ、ハイって言って良いんですよね」
ピロン
『ん?勿論だとも。ここはお前の牧場なのだから。と監視者があなたの問いかけを不思議に思っています』
「よくよく考えたら不法侵入じゃねぇかな、と」
『この辺りは元々誰のものでもないのだ。お前が名乗ればお前の土地になる。堂々と行け!と監視者が発破を掛けています』
相変わらず魔界のシステム(と言って良いか分からないが)はガバが凄い。
名乗れば良いだけならば地主になり放題じゃないか。
そんな疑問を抱きつつも、今は町長を名乗る老人へと向き直す。
「はい!」
答えて見たが、老人は耳に手を当てて首を傾げている。
どうやら俺の声は届かないらしい。
『腹に力を込めて声を出せ!と監視者が叫んでいます』
割と頑張って声を張ったつもりだったのだが。
仕方なく俺は両手で丸を作って見せた。
老人は万歳のように両手を上げた。
羊のような髪と小ささのせいで人形みたいだ。
「やはり!ようこそいらっしゃいました!!実は常々牧場に誰か来ないかと思っていたのです!!最近新しいおうちが建ったとか、夜に灯りがついているとか、町に噂がありまして!!様子を見にきた次第でございます!!」
川の音のせいで断片的にしか聞こえない。
俺はとりあえず、大きく頷いてみせ、深くお辞儀した。
老人は嬉しそうだ。
「あのーー!良ければ近くでお話がしたいのですがー!川を通れる場所はありますかーー!?」
俺は頭を振り、腕でバツを作る。
老人は悲しそうだ。
表情は見えにくいのだが、すごく分かりやすい。
「橋を作るご予定などはーー!?」
老人の質問に思わず顔を上げ直す。
橋。この流れの早い川を安全に渡れる手段。
作りたいに決まっている。
思わず俺は丸を作った。
「いつ頃出来ますかーー!?」
「あー……そうなるか、そりゃそうだ……」
予定ではなく、願望を答えてしまった。
俺は一度大きく首を振り、身振りで何とか作りたいが手段がない事を伝えようと頑張った。
ピロン
『大声さえ出せればすぐ済む話なのに……やはり腹筋も鍛えるべきだ!と監視者があなたの筋トレメニューを見直しています』
声って腹筋の問題だけじゃない気がするが、弱々な俺は文句を言える立場ではないので黙っておいた。
しばらく腕を組んで考え込んでいた老人だったが、何か閃いたのか、分かりやすくポンッと手を叩いて頷いた。
「橋を作る大工をお呼びしましょうかーー?」
即大きな丸を作った。
そう、どれだけカタログが優秀でも、技術者が必要なものは解決できなかったのだ。
橋にかかる費用は監視者に相場を聞いていたので、その分の金額は余裕を持って残してある。
「では連絡しておきますねーーー!その時にまたーー!」
老人はぴょんぴょん跳ねた後、大きく手を振って帰って行った。
のどかな田舎によく似合う、愛嬌のある老人にホッとする。
物凄く偉そうにされたり、余所者と煙たがられたりしたらと考えない事もなかったからだ。
ピロン
『これで橋が出来たら野菜を売れるようになるな。と監視者が頷いています』
「麓の町に売りに行けるって事?」
『それも良いだろう。だが、お前の体力では行き来するだけでも重労働になる。やはり農業ギルドに卸すのが最適解だろう。と監視者が人差し指を立てています』
「農業ギルド?」
ギルド。異世界物ではよく出て来た単語だが、実際に聞く(見る)と不思議な気持ちになる。
『農家から作物を買い上げ、各店舗に卸してくれる仲介組織だ。収穫物はギルドが直接回収に来てくれる。お前がわざわざ町に運ぶ必要はないのだ。便利だろう!と監視者が胸を張ってます』
「ああ、農協みたいなもんか。俺が行かなくて良いのは良いな」
『人間界の農協よりも便利で使いやすい筈だ!と監視者が不満そうに言い返しています』
「……何で監視者様が農協ギルドのことで熱くなってんの」
『農 業 ギルドだ!!熱くもなろう、何せこのシステムは私が作ったのだから!と監視者がふんぞり返っています』
大きく膨らんだウィンドウの横に、小さなウィンドウが出て来て、わざわざ『私が作りました』と表示されている。
俺は生暖かい目でウィンドウを横目に眺めた。
『何だその目は!!流通を滑らかにする為に人間界のシステムを一から勉強したのだぞ!!極限まで無駄を削ぎ落とし、単純かつ分かりやすく!使いやすく!魔界の連中の間でも長く生き残るシステムになるように……!と監視者が過去を思い返して涙しています』
なんか各方面に喧嘩を売っているように見えるが、突っ込まずにおこう。藪を突くのは良くない。
「監視者様がシステム作ったりするんですね」
農協の事をシステムと呼ぶのか謎だが。恐らく俺がシステムと認識しているから、そう翻訳されている。
『私は知の神だからな。魔界のルールやシステムの殆どは私の発案だ。まあそれも大昔の話だが。あくまでも基盤を作った程度のこと。農業ギルドもそのひとつだ。と監視者が頷いています』
「魔界のルールって……全国で共通なんですか?」
そういえば法律や政治の話は殆どしていない。まるで存在しないかのように話すから。
『殆ど共通だが、統治者がいる場所だけは例外もある。とは言え、基盤を大きく逸れることは……おっと、父親がこちらに来るな。と監視者が口を押さえました』
ウィンドウから目を逸らすように振り返った。
足音もなく、ジャウルがこちらに向かってくる。
その顔にはありありと不信感が表れていた。
「誰と話してたんだ」
「ああ、町長さん。麓の町の」
「町長だァ?……ソイツがテメェに何の用だ」
「なんか牧場が復活してて嬉しかったみたいだ。あ、そうそう、橋を架けるって話になって。いつになるか分からないけど、大工が来ることになった。……ジャウルさん達は会いたくないよな?」
質問をする前から、ジャウルの顔も気配も険しくなっていたから、答えは聞かなくても分かる。
「ジャウルさんが他人と関わりたくないのは分かってる。でも俺はそれだと人生詰むから」
「うるせぇな、何も言ってねぇだろ」
「いやもう顔が……」
「顔が何だよ」
怖い。が、口にするのはやめておこう。
「………パッドは会わせるな」
「ああ、うん、分かった。もしパッドがいる時に来たら、その時は隠れてて貰うよ」
2人で家に戻る道すがら、ジャウルは無言だった。
不安そうに顔を顰めたまま、ウッドデッキに腰を掛けて水筒を飲んでいるパッドを見詰めている。
少しは距離が縮まったとは言え、まだ2人のことは何も聞いていない。そもそも俺から聞く気はない。
パッドが俺達を見て笑った。
事情がどうであれ、あの笑顔は曇らせたらいけないと分かっている。
2日後。
「おーーーーい!!!」
春らしい陽光に包まれた午前、牧場を揺るがす大声が響いた。
一緒に作業していたノックノック達はその場で身を波打たせて飛び上がり、一斉にどこかへと姿を隠した。
気持ちはわかる。
地面が揺れたんじゃないかと思うほどの大声だったから。
ピロン
『来客だ。と監視者が指差しています』
「……襲撃でなく?」
指差されているのは川の方角だ。
この時点で薄っすらと来客の予測はついた。
しかし向かう足はどことなく怯んでいる。
念の為に木の棒を持っていく。
クワやカマは何かあったとしても、ブッ刺さった時のことを考えたら振り下ろせる気がしない。
川の向こうには2つの影があった。
大きくガッチリと逞しい影だ。
「おっ、オメェが新しい牧場主か!!俺ァ大工のブローン・ビルドってんだ。こっちはワイフのマロー」
しっかりと対面する前から片方が紹介を始めた。名前が書かれた小さなウィンドウが、それぞれに重なるように出た。
「町長からの依頼で橋を架けに来たよ。よろしくな」
もう片方の声も、川の音に負けずに届く。旦那と変わらぬ男っぽい口調だ。
その声量にも怯みつつ、何よりも彼・彼女の見た目に俺は唖然とする。
ムッキムキのガッチガチなのだ。2人とも。
格ゲーにでも居そうな厚みと太さ。
ボールにモンスターを捕まえるゲームの、青い怪力モンスターのシルエットを彷彿とさせる。
男はピチピチの半袖、女はタンクトップにベスト。どちらも腕丸出しで、肘から下に不自然なほどに大きな手袋をしていた。
よく見るとブローンの方には額に角が2本生えていた。
鬼では。
いや、アビスにも生えていたか。
ピロン
『おお、夫妻とは珍しい。それも巨拳巨足の魔人とは。膨らんだ大胸筋、張り裂けんばかりの僧帽筋、爆弾のような上腕二頭筋まで!あれは働く筋肉だ!うむ!見事なり!!と監視者が2人に拍手を送っています』
監視者が大興奮しているが、答えなくて良いか。
答えるべきは対岸の彼らにだ。
「……えー、と…」
しかし自分の声量では川の向こうに届かない。
困りつつ、とりあえず手を振ってから頭を下げた。
とりあえず、魔物ではないし襲撃でもない。
2人は似たような顔でニカリと笑うと、「それじゃあ早速始めて良いかい!」と尋ねて来たので、俺は大きく頷いてみた。
始める、と言っても手ぶらに見える。
いや、それぞれ腰に大きな鞄をぶら下げているので、ジャウルが持っていたマジックバッグの類を持っているのだろう。
案の定、そこから一本のロープをマローが取り出し、ブローンが投げられた片側を取る。
何をどう始めるのか気になり、ぼんやりと見ていた。
するとマローは踵を返した。その時、きっちりとオールバックにされていた亜麻色の髪が、実は後ろで長く太い三つ編みにされていた事に気付いた。
恐竜の尾のように揺れる三つ編みが、再び背中に隠された────と思ったら、地面を踏み抜く勢いで駆け出した。
ドスンドスン、と地面が揺れそうな音。
そして高くジャンプ。
巨体からは考えられないくらいに身軽に川を超え、その巨体らしくドォンッ!と激しい着地を見せる。
俺は呆気に取られた。
川は20〜25メートルある。それをひとっ飛びで超えて来たのだから、人間技じゃない。
そもそも人間じゃなかった。
マローは何でもないように立ち上がり、隣で固まっている俺を少しだけ見上げた。
「ずいぶんとひょろっこい子だと思ったけど、背はアタシらより高いじゃねぇか」
「あ、192です」
思わず身長を口にした。聞かれてもいないのに言うなんて、自慢みたいじゃないか。恥ずかしい。
「そうかい!そりゃ高いな。デカいってのは良い事だ。後はたくさん食べて、横にもデカくならないとな!」
バンッと背中を叩かれた。
マローは本当に軽く叩いたつもりだったと思う。
俺は吹っ飛んだ。
持っていた木の棒が地面に食い込んだおかげで、川のぎりぎり手前に転んだだけですんだが、後数センチ前に行っていたら確実にダイブしていた。
顔面すれすれに川があり、飛沫が飛んでくる。
「なんてこった!大丈夫か!!」
マローが慌てて駆け寄り、ぐわしと大きな手で肩を掴む。その時、大きいのは手袋ではなく、本当に手がデカいのだと分かった。
頭など軽々と潰される大きさだ。
川に落ちかけた事にドキドキしていた心臓が、今度はマローに対してバクバクと鼓動を強めた。
まるで子供を立たせる気軽さで、192センチの男の脇を掴んで立たせる。
「ごめんな!吹っ飛ぶなんて思わなくてよ!」
「何やってんだ!?どうしたってんだ!?」
マローの謝罪も響き渡り、見ていなかったらしいブローンが対岸で慌てている。
俺は片手をロボットのように上げ、震えた声で答えた。
「ダ、ダイジョブです。お、お気になさらず……は、橋の事は、おま、お任せします。は、畑仕事が残っているので、わた、私はこれで…」
人生で"私"と言う一人称を使ったのはこれが初めてかもしれない。
俺は木の棒を掴んで、ふらふらと畑へと静かに逃げた。




