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25 中春の月

洗面台の鏡の前、俺は腕を曲げてみた。

骨の形が見えるような細い腕、太い血管が皮膚を押し上げている。


しかし確実に、以前より血色良く、力瘤が小山を作り始めている。


「……すごい、筋肉がつき始めた」


痩けていた頬も張りが出て、艶の出てきた前髪を上げれば、落ち窪んでいた目の周りの影も薄い。


感動していると、ピロン、と馴染みの音がする。


『その程度で筋肉とは……!いや!お前はよく頑張っている!分かっているさ!しかしその程度の筋肉で……哀れなり!!と、監視者が咽び泣いています』


「その程度もつかない人生だったんだぞ。喜んでも良いだろ……」


憐れまれて恥ずかしくなり、置いていたシャツを着た。

ブラウンのシャツの裾をジーンズに押し込み、ベルトを締める。着慣れた服に、履き慣れた靴。

俺はいつも通りに外に出た。


魔界に来て、1ヶ月が過ぎた。


この世界の暦は1月2月のような数字ではなく、春夏秋冬がそれぞれ3ヶ月あり、上・中・下で区切られている。

今は中春の月、8日だ。


魔物避けの大鷲の石像は大いに威力を発揮してくれたのか、あれから魔物を見ていない。

時々、やたらとデカい鳥が空を飛んでいたが降りては来なかった。


おかげで畑は安定して広がり続け、あの日クマの魔物に全滅させられた畑の数を余裕で超えている。


そう、超えたのだ。


目の前に広がるじゃがいもの葉がさわさわと風に揺れる。その奥にアスパラガス、更に奥に倒れた玉ねぎの葉が並んでいる。収穫の合図だ。


念願のじゃがいもの初収穫は10マス分のじゃがいも。全部で36個だった。

1マス、2マスと喜び勇んで引っこ抜いていたが、10マス目には腰が悲鳴を上げ、種の植え替えも出来ず、料理も出来ず、作り置きのタケノコを食って寝るしかなかった。


あの日から、スクワットもしている。


「───お、ノックノック。お疲れ、今日も早いな」


じゃがいもの育った葉の間から、にゅっとノックノックが数匹姿を現した。

そしてすぐに葉の間に戻った。


畑の上、至る所にふわふわの白い雲が浮いている。苗や葉に当たっても雲らしく通り抜けるだけだ。

白い雲からはシトシトと雨が降っていた。


ノックノックの魔法だ。


腰をやられた日も、ノックノック達は俺を見ていた。足元をついて回る者から、畑の端でジッとしている者と、各々好きな場所で。


無惨に倒れ込んだ後は、まるで観察でもするように集まってきた。無言で見つめてくる袋頭にあいた黒い二つの穴。

一瞬不気味にも思ったが、それどころではなかった。


育ちも早く、土も選ばない強い作物だが、水やりを忘れると1日で枯れると言う最大の弱点がある。

また収穫手前で、大事な食糧を失うわけにはいかない。


地面を這いずりながら、必死にジョウロで水撒きをする俺を見ていただけの彼らが、突然その小さな手を上げた。何をしようとしているのか、と思っていたら、彼らの手の先に綿飴のような真っ白い雲が浮かび上がった。


その雲からサァッと小さな雨が降り出した。

太陽を反射する、涼やかな水の煌めき。

香り立つ濡れた土の匂い。

しっとりと若い芽の緑が艶めく。


小雨は俺自身も少し濡らした。

その光景に、優しい雨に、マジで泣くかと思うほど感動した。

嘘だ、本気で泣いた。


監視者が驚いて何度もウィンドウを出していたが、視界が滲んで読めなかった。


水やりが終わった後も、ノックノック達は俺の事を運ぼうとしてくれた。

土まみれで情けなく咽び泣く俺をバカにもしない。


なんでこんなに優しくしてくれるのか。

元々森に迷い込んだ子供を助ける妖精らしいが、それにしても優しい。


こんな当たり前みたいに優しくして貰って、バチが当たらないだろうか。


次の日、感謝の気持ちにとデカいハチミツを3瓶買って捧げた。表情もないしノック音以外は声も出さないが、嬉しそうにみんなでハチミツの瓶を運んでいった。


それからだ。

種蒔きも、収穫も、保管庫に運ぶ作業さえ、手伝ってくれるようになった。


畑から頭の上に籠を浮かせたノックノックが、1匹出てきた。じゃがいもは5個しか乗ってないが、よたよたと危なげに進んでくる。

その籠から、ごろりと一個転げ落ちた。


足を止めたノックノックの前で、じゃがいもを拾い上げる。


「重くなるからあんまり欲張って持つなって、いつも言ってるだろ。でも、ありがとな」


籠の下から見上げてくるノックノックは、相変わらず無表情だし喋らない。

だが、何故だか楽しそうに感じる。


俺の声に反応したのか。なんだなんだ、とばかりに近場のノックノック達が集まってきた。


なんか、また数が増えてる気がするが、まあ良いか。


「ライガー!」


名を呼ばれ、意識は軽快に近付いてくる足音へと向いた。


「パッド」


片手を振りながらパッドが走ってくる。フードは下ろしたまま、黒とオレンジの髪を揺らしている。その上に、彼の顔より大きな壺を乗せて。


「おはよう、ライガ!」


結構な距離があると言うのに、パッドは息切れひとつしていない。

目の前に立つと俺に壺を突き出してくる。


「あとでお水ください!」


「ん、じゃあ帰りに」


パッドはほぼ毎日顔を見せるようになった。

きちんと食事も取れているようで、以前よりもふくふくと子供らしい丸みが増えた。


壺を受け取ろうとしたら、パッドは無邪気な笑顔のまま言った。


「ライガ持てる?おれ、はこぶよ!」


「ありがとな、でもな、俺でも運べるんだ、そんくらいは……」


「ほんとにー?おれがはこぶよー」


パッドはにこにこと壺を頭の上に乗せ直し、てってけウッドデッキの方に走り出した。


以前パッドと腕相撲をし、まんまと敗北してからと言うもの、気を使われている。


本当に恥ずかしく情けないのだが、パッドはバカにしてるつもりが一切なく、何なら俺を助けられる事が嬉しいみたいで、強い否定が出来ない。


どうやら俺は、魔人の5歳児より腕力も体力も本気で劣っているらしい。


もちろん魔力もだ。


「きょうは何する?おれクサ切りたい」


壺を置いたパッドが振り返る。

ジャウルの許可の元、パッドはカマを使って草を刈ってくれるのだ。俺が慎ましく整地していた広さを1日で超えられた。


畑作業も手伝ってくれるのだが、草刈りが特にお気に入りだ。


まだまだ雑草は生えているので、正直ありがたい。


「パッド、その前に水筒」


ウッドデッキの階段に置いていたカマに手を伸ばすパッドに声を掛ける。

パッドは手を止め、斜めがけしたショルダーストラップを手繰り、後ろにぶら下がっていた水筒を突き出した。


元々は俺の水筒だったが、パッドが遊びに来るようになったので、あげた。

ショルダーストラップはジャウルが作ってあげたらしい。器用なんだなと驚いた。


パッドには少し大きい水筒だが、気に入ったらしく毎日持ち歩いている。


その水筒を受け取り、一度家に戻った。

後ろからひよこのようにパッドが付いてくる。

水筒に水道水を入れ、返す。


「ありがと!」


早速閉めたばかりの蓋を開けて飲んだ。ごくごくと元気よく飲むので、すぐに注ぎ足す。


2人で外に出ると、水撒きを終えたノックノック達が何匹か突っ立っていた。


「パッド、俺はあの辺で作業してるから何かあったら言ってくれ。分かってると思うけど、怪我しないように」


カマの柄を差し出す。両手で掴み、「ケガしない!」と宣言するとパッドは走り出した。


「……念の為、今日も誰か付いてってあげてくんない?」


突っ立ってるだけのノックノックに言うと、顔を見合わせた後、3匹程がパッドの後を追いかけた。

顔を合わせる内に互いに慣れたのか、今では仲が良い。


パッドとノックノックの楽しそうな声が、離れた位置からでも聞こえてくる。


ピロン

『本当に5歳児とは思えないしっかり者だな。と監視者が子供に感心しています』


「それな」


視界には入る距離で、草に半分ほど隠れながらもパッドがカマを振る姿が見えた。

カマを使う時の注意事項もちゃんと守っている。


俺が5歳の時など……比べるのはやめよう。しょっちゅう寝込んでは、母に我儘を言っていただけだから。


ウッドデッキに置いていた農具の中からハサミを手に取り、アスパラガスが成っている畑に向かった。

突っ立っていた残りのノックノック達が付いてくる。


アスパラガスは1マスに10〜12本生える。

野菜売り場でよく見るアスパラガスが、そのまま地面から生えている。


人間界では絶対こんな風には成らない気がするが、実際にどう成っていたかは分からない。


監視者に教えて貰った通り、根元をハサミで切っていく。手で折れるが、いずれは商品として出荷したいから、不揃いな形ではなく綺麗な状態で収穫する癖をつけようと思ったのだ。


だからアスパラガスだけは、ノックノックには収穫出来ない。それでも彼らは役に立つ。


切ったアスパラガスを入れる籠を持っていてくれるのだ。


その内、水撒きが終わったノックノック達も集まってきて、俺の作業を見守るフェーズに入る。

何となく、次の指示を待っている感じがする。


「アスパラガスの種が入った袋がいつもの所にあるから、空いた場所に植えてってくれるか?」


それぞれ顔を見合わせ、数匹が走り出す。不思議なもので、彼らが上を駆け抜けても作物には何の影響もない。一直線に家の前まで走り、ウッドデッキの階段に置いていた種袋を浮かせて戻って来た。


大体数匹で力を合わせて、ひとつの作業をする。


袋を開け、種用の穴を掘り、種を入れて、土を被せて、雲を作り、水をやる。


物凄く時間がかかるのだが、丁寧にやってくれるのが嬉しい。

その間にアスパラガスの収穫を終え、次に玉ねぎの収穫に向かう。


玉ねぎも人間界では掘った後は干さなければならないが、魔界産はその必要もないらしい。

楽過ぎる。


楽過ぎるが、それでも俺にとっては重労働だ。


玉ねぎを持つのはノックノックにも重労働らしく、一度に運べるのはふた玉まで。ふらつきつつ、家の前へと戻っていく。


俺も伸びをして、ノックノックが持って来てくれた玉ねぎの種袋を受け取った。彼らとは逆側から種蒔きをしていく。


後少しで種蒔きが終わると言う時に、ザシュザシュとパッドが草を刈る音がふと止まった。


顔を上げると、パッドは西の森の入り口に向かって手を振ってる。


振られているのは、猟銃を担いだジャウルだ。


パッドに手を挙げ返した後、俺に顔を向ける。まだ迎えには早い。とすれば来たのは別の理由だ。

ノックノックがズボンを引っ張り、俺の手に持っている種袋を指差す(と言っても指はない)


「代わってくれんのか、ありがと」


「コンコン!」


種袋を差し出すと、短い両手を上げて受け取る。頭の上でふわふわと浮かぶ種袋を持って、隣のマスへと走る。


ノックノックに任せて立ち上がり、こちらに向かってくるジャウルに家を指差して見せ、ひと足先に家に向かう。


「野菜と交換を。残りの肉の保管も頼みたい。それと、キッチンを貸して欲しい」


「オーケーです」


ジャウルは、パッドが牧場に来ている間に狩りに出かけるようになった。今まではパッドが気掛かりで碌に狩りが出来なかったらしいが、今では気兼ねなく出掛けられるようになったのか、大量の肉を持って来てくれる。


最初は血抜きをした獲物を丸ごと背負って牧場にやって来て、俺はビビり散らかした。

それは畑を全滅させた"暴れる巨体"だったから。


同じ個体かは監視者でも分からない。1匹しかいなかった事を心から願う。


生き絶えた生き物の姿など見慣れない俺は、恐怖心と気味の悪さを同時に感じた。

そんな俺の前で、俺の牧場で、ジャウルは獲物の解体をしようとしたので、悲鳴を上げて止めた。


あの日のことが懐かしい。


悲鳴を上げて慄く俺に呆れたジャウルは、森の中で屠殺し、解体までしてから持ってきてくれるようになった。


ありがたい。


今日もウッドデッキに色味の違うブロック肉が並ぶ。


肉の色がピンク系統ではあるのだが、人間界とは少し違うのでなかなか慣れない。ほんの少し悪くなった時の肉の色に見えるものもあったりする。

暴れる巨体も赤身ではあったが、少々どす黒かった。


しかし今回は随分と色の違う物がある。


「………この、青い肉は…?」


恐る恐る、赤々しい肉に並ぶしっとりとした青色の肉を指差す。


ジャウルは「また変なことを」と言う目で見てきた。


「青色ゴブリンの肉だ」


「ゴッ、ゴブリンの肉!!!???」


「そう言ってんだろ」


「えっ!?ゴブリンを食うの!?」


「食うだろ、魔物なんだから」


訝しげにジャウルのゴールドの目が光る。


ピロン

『魔人からすれば、どんな魔物でも食える部位があれば食糧だ。あまり騒ぐと疑われるぞ。と監視者がシィーと指を立ててます』


人がいる時はあまり出現しないようになった監視者のウィンドウが、久々に出た。

横目で読み、グッと声を噛み殺す。


人間とのハーフだとバレない方が良いと分かってはいても、流石に冷静ではいられない。


だって人型だぞ、ゴブリンって。

人型を食えるのか。

じゃあ人間は?

人間とバレたら食われる可能性もあるのか?


そんな想像をしてゾォーッと背筋が震えた。


「コイツには良い思い出がないから、俺は遠慮しとく……」


「そうかよ。じゃあ保管庫に入れておいてくれ」


「……………」


正直、保管庫に入れるのも嫌だ。

無言の抵抗はジャウルには伝わらず、「お前の分はこれとこれ」と仕分けを始めた。


無言のまま受け取り、勝手に家へと入るジャウルの後を追う。


きちんと靴を脱ぎ、猟銃を玄関の壁に立てかけ、キッチンに向かう姿は慣れたものだ。

ここ1ヶ月の間、山小屋では制限されてしまうキッチンや風呂などを貸している。ついでに減ってしまった家電のチャージをしてくれるので、俺も助かっていた。


保管庫に肉を入れる俺の後ろで、シンクに向かって腕を組んでいるジャウル。料理をする時は袖を捲るのだが、腕にも見事なトライバルタトゥーのような柄が入っている。

監視者曰く、あれは本当に生まれつきの模様なのだそうだ。


全身にあると言うのなら、少し見てみたい。


そんな邪な気持ちが微かに湧いた時、ジャウルが振り返った。


「ライガ、この間パッドに持たせた料理はどうやって作った。アスパラを肉で巻いたヤツ」


「どうって、肉で巻いて焼くだけだよ。調味料さえあれば、ジャウルさんの家でも作れるんじゃないかな。かまどは使えるんでしょ」


時々こうやってジャウルは俺から料理を学ぶ。気に入った物だけだが。タケノコ料理などひとつも聞いてこない。


彼の隣に立ち、作って見せる。

こう言う時、ジャウルは存外素直で熱心だ。


キッチンにジャウルを残し、畑の続きに向かう。

パッドはカマを置いて、ノックノック達と走り回っていた。楽しそうだ。

畑は種蒔きも水撒きも終えていた。

日向ぼっこのように点々と転がるノックノック、突っ立ったまま微動もしないノックノックと、各々自由に過ごしている。


俺は更に耕す為にクワを持つ。


今では15マスから20マスまでなら、一気に耕せるようになった。


しかしついに問題が立ち塞がる。


木だ。

木が丁度拡張したい場所に悠々と根付いている。


ピロン

『そろそろオノを買うか?今のお前の体力と魔力なら、問題なく切り倒せるだろう。と監視者が太鼓判を押しています』


「……うーん、取り敢えず今は良いかな。木を避けて、あっち方面に広げていきます」


ピロン

『意気地なしか!と監視者が罵っています』


「罵らないで下さい。金の節約です」


オノも50,000以上するのだ。

食糧問題は作物の収穫と、ジャウルの狩猟で何とかなっているが、収入がなく支出ばかりなのは変わらない。


「監視者様、野菜ってどのくらいから売れるように───」


ピロン

『来客だぞ。と監視者が川の向こうを指差しています』


手のアイコンが指差す方向へと顔を向けた。

果樹林より北側の川沿い、向こう岸に小さな人影が大きく手を振ったり、飛び跳ねたりしていた。

パッドよりかなり小さく見える。ゴブリンではなさそうだ。頭のシルエットがモコモコしている。


「………うん?お前らの仲間?」


ノックノック達を見下ろしたが、影も形もない。

どうやら隠れてしまったらしい。


「……て事は、魔人?」


クワを置き、懸命に手を振る影の方へと向かった。


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