17 お願い
山小屋は地面から少し浮いている高床式だった。
屋根の上には風見鶏が鎮座している。
猟銃を一度地面に置いて、父親を横向きに寝かせ直し、腕を掴んで肩に回し────気合いを入れて、背負い上げた。
ピロン
『おお!大丈夫なのか!無茶していないか!と監視者が男をおんぶするあなたに驚いています』
子供の手前、答えられないのだから黙っていて欲しい。
そもそも無茶かもしれないが、引きずったまま膝ほどの高さにあるドアまで運べないのだから無茶するしかないだろう。
背負うと分かる。
父親のじっとりとした汗と熱。微かに震える唇から漏れる薄く荒い呼吸。
もっと重いと思っていたが、予想よりは軽い。
予想よりは、な。
ガクガクと震える足で一歩一歩を踏み締めながら、短い階段へ足を掛けた。段差が歪んでいる。
体重を掛けると踏み抜いてしまうんじゃないかと言う恐怖があったが腹を括る。
軋む音を響かせ、階段を上り切るが、板と言う板が歪んでいた。
家の中も同様だ。
おまけに泥や土で床は汚れている。高床式なのに背の高い雑草が、床板の隙間から生えている。光と共に。
見渡す程の広さもない狭い一間。
照明らしい照明もなく、窓と、床や天井の隙間から漏れる光だけで薄暗い。
心ばかりの家具はあるが、どう見てもまともな生活は出来ないだろう。
キッチンは竈で煤けている。唯一ある室内のドアの奥にはトイレとシャワーが見えた。
階段もある。だが壊れていて、2階には行けないようだった。
部屋の端っこに敷かれていた布団の掛布団を、子供が握り締めて剥がす。
「おにいちゃん。こっち」
そちらへと向かう。踏み出す度に不安を煽るギシギシとした音が響く。
薄っぺらい布団だ。清潔にも見えない。
布団の横で一度、父親を転がした。引き摺ったせいでかなり汚れている。
いくら清潔感がない布団とは言え、このまま寝かせる訳にはいかないだろう。
「………お父さんの靴と、服を脱がしたいんだけど、出来る?」
俺は止まらない息切れに体を揺らしつつ、床に座り込んだ。
子供はきょとんとして、父親を見下ろした後に首を傾ぐ。
「ぱぱ、あんまり靴脱がないよ」
「…………え、寝る時も?」
「うん。服もあんまり脱がない」
「…………それって、常識?」
「ジョーシキってなに」
「……………」
分からん。監視者に救いを求めるように空間を見渡すが、何も反応がない。
俺は考えた。このまま素知らぬふりで服も靴も脱がさずに布団に転がすか、殺される覚悟で脱がしてしまうか。
俺自身の汗を拭う。重い前髪がべったりと額についていて、払うように撫で上げた。
「……よし、決めた」
前髪と同じくらい重い腰を上げ、俺は父親の足元へと回る。
かなり重厚な編み上げブーツだ。ハンティングブーツとか言う物だろうか。よく知らないが。
しっかりと結ばれた紐を、疲労で震える指で解いていき、ブーツを脱がす。
恐ろしいことに素足だ。
蒸れるだろ。場違いな心配が込み上げた。
だが思ったより綺麗だった。
関係ないがホッとする。
ブーツを横に並べ、ズボンを見る。
暫く眺めた後、脱がすのはやめた。自分が同じ立場だったら、知らない男に勝手に脱がされるのは嫌だから。
再び両肩を持ち上げ、引きずって、上半身、下半身の順で布団に乗せる。
子供が掛け布団を父親にかけて、隣に座り込むと優しく胸を叩いてやっていた。
恐らく、いつも父親がやってくれているのだろう。
布団の周りには絵本が散らばっていた。大した物はないのに、絵本だけはまだ新しく、数が多い。
「………」
威圧と迫力に貫禄を感じたが、落ち着いて見てみると父親は若かった。俺とそう変わらないかもしれない。
ジッと父親を見る子供へ顔を向ける。視線に気付いたのか、目が合った。
「えーと……名前、聞いてもいい?」
「おれ? パッド」
「パッド。タオルか何かあるか?お父さんの熱を下げねぇと」
「あるよ」
指示を受けるとパッドは嬉しそうに立ち上がり、ぱたぱたと走ってシャワーがあった扉の奥に消えていく。
その小さな背中を眺める。
もしかするとあの子は、頼られるのが嬉しいのかもしれない。道案内の時も随分と張り切ってた。
パッドを追いかけようと立ち上がった所で、ピロンと音が聞こえた。
『ライガ、この男は栄養失調じゃないか。と監視者がしげしげと男の症状を眺めて呟いています』
「栄養失調……」
『脱水症状も起こしているな。と監視者が確信しています』
「…………っぽいなァ…」
妙に軽い体。手足は冷たく、体幹は熱い。じっとりと滲む冷や汗。
何もない家の中。冷蔵庫はもちろん、食糧になりそうな物もない。
でもパッドは元気だ。少し細い気もするが痩せすぎと言うことはない。
なのに父親は栄養失調と脱水症状。
導き出される答えなんて、ひとつだけだ。
俺は父親の脇に膝をつき、仰向けから横向きへと体勢を変えた。回復体位だ。
布団を掛け直し、リュックを外した所で後ろからパッドが来た。
「タオル!」
両手に3枚ほど積まれたサイズの違うタオルを差し出してくる。
「ありがと……パッド、水道は使えるんだよな?」
タオルを全部受け取りながら、シャワールームを顎で示す。パッドは「すいどう?」と言ったが示された場所を見て、理解したようだ。
「トイレはつかえるよ。でも他のはつかえない。パパが直せないって言ってた」
「あー……成程。トイレが使えるのは良いね」
しかし飲み水には出来ない。こればっかりは背に腹を変えるとしても相当な覚悟がいるだろう。いや覚悟で済む問題でもないか。
「ぱぱが直したんだよ」
自慢そうに言うパッドに「すごいな」と微笑んだ。
その間に、リュックから取り出した水筒の水で一番小さなタオルの端を湿らせた。
パッドは気付き、横からジッと見つめている。
「それで熱ひやす?」
「ん?ああ、いや、どうやら熱じゃないみたいだ。だから口を湿らせておく。……パッドは、水ちゃんと飲んでたか?」
カラカラと乾いた唇と口の中を、水を含ませたタオルで湿らせる。大きなタオルは広げて掛ける。少しでも暖かくなるように。
「水?うん。ぱぱが持ってきてくれるやつ」
「持ってくる?近場に水があるのか」
「近くにはないよ。ずっと向こうにね、川があるんだって。おれも行きたいけど、とおいんだって」
「………持ってきた水はどこにある?」
「こっち!」
走るパッドの後を追う。キッチンの端に置かれた壺の元に案内され、俺は愕然とする。
壺のサイズは子供と同じくらいだ。だが中を覗くと、下の方でゆらゆらと反射するだけの量しか入っていない。
「ぱぱ、最近はおでかけしなかったから少なくなっちゃった」
そろそろ俺は限界だ。
はっきり言う。俺は別に善人という訳じゃない。自分の手に負えないレベルの善行をする気もない。
人間界では自分が生きるのに精一杯だった。
今もそうだ。他人を助けている余裕などない。
だけど、これは、あまりにも可哀想だろう。
水甕の中を覗き込む、丸いフードを見下ろしていると同情心がむくむくと込み上げる。
「……パッド、サンドイッチは?」
あ、と言う顔をしてパッドが顔を上げた。そして俺の後方を指差した。ボロいテーブルの上に置いてあった。
「とりあえず食べようか」
「え、……ぱぱと食べる」
やめろ、俺をこれ以上揺さぶらないでくれ。
「パパはもっと柔らかい物を食べた方が良い。あれはパッドが食べてくれ。ちゃんとパパのも用意するから」
「………でも…」
もじもじするパッドの頭を強めに撫でた。
「良いから。食べたら、パッドにお願いがあるんだ。すごく大事なことなんだ。だから食べて力をつけて貰わないと」
「おれにお願い?…わかった、食べる」
力強く頷いて、テーブルの元に走っていくパッドを見詰めた。サンドイッチを取ると、父親のそばに座り込んで食べ始めた。
「外に置いてきた銃を取ってくる。よく噛んで食べろよ」
「ん!」
頬をパンパンにして振り返った顔に笑う。
玄関を出て、地面に置いていた銃のそばに立つ。そしてそっと声を出した。
「監視者様、ここから牧場までどれくらいですか?」
ピロン
『牧場から20分くらいの場所だ。と監視者が地図を見ています』
20分。往復で40分。今の俺の体力を考えると、1時間はかかる。
『連れて帰る気か?と監視者が渋い顔をしています』
「いやまさか。そこまで他人を盲信してないんで。ただ、パッドは俺の命の恩人ですし、少しくらい施さないとバチが当たるでしょ」
『そうか、ならば良い。しかしお前は命の恩人が多いな。見ろ、もう一組の命の恩人達が来ているぞ。と監視者が指を差しています』
ウィンドウから手のアイコンがにゅっと出てきた。茂みを指差している。
しゃがみ込み、そっと尋ねた。
「ノックノック。近くにいるのか?」
カサリと茂みから音がし、ひょことノックノックが顔を出した。1人現れると、次々と出て来る。
実は牧場を出る時も付いてきていたのだが、青色ゴブリンと遭遇した時に散り散りになっていた。
全員揃っているようだ。良かった。
安堵と同時に、ふと思い付く。
「……なあ、お前らに頼みがあるんだ。俺の家からカタログを持って来て欲しい。出来るか?」
俺はカタログのサイズを空中に描き、開く真似をしてみせる。ノックノック達は顔を見合わせたり、同じように本を開く真似をしてみせる。
「コンコン!」
1人が手を挙げた。そして素早く走り出す。気付いた仲間達も後を追っていく。
理解しているのかは分からないが、まあ、彼らを信じよう。
家のドアは開けっ放しで来ているから、問題なく中には入れるはずだ。
不用心だと思うだろうが、そもそも人など居ないと思っていたので盗難の心配をしていなかった。それより魔物に追いかけられた時に、森から家の中に飛び込める方が重要だったのだ。
ノックノック達が居なくなってから立ち上がった。
銃を慎重に取り、銃口を上に向けて、少し遠ざけた状態で持って家に戻る。怖いので一番部屋の片隅に寝かせて置いた。正確な置き方など知らない。
何となく壁に立てかけているイメージはあるが、倒れて暴発でもしたら目も当てられない。
銃口は人のいない壁側に向けておく。
「おにいちゃん!食べた!」
空のパックを持ってパッドが走ってきた。フードが外れている。父親と同じ、根本は黒く毛先は明るいオレンジの天パ。その一本が口端に入り込んでいた。
「髪まで食ってるぞ。食いしん坊」
指を伸ばし、髪を払う。「髪なんて食べないよ!」とパッドは笑ったが、指が近付く一瞬だけ身構えた気がした。
違和感はあったが、何も言わない事にした。
「お願いってなに?」
「ん?ああ、俺がさっきやったみたいにタオルを濡らして、パパの口を拭いてやって欲しいんだ。たくさん入れたら変なところに入ったりして危ないから、本当に湿らせるだけな」
「しめらせる…」
父親の横に戻り、やり方を教えた。タオルで水筒の口を塞ぎ、そっと傾けて湿らせる。濡れ過ぎたら絞って、口に当てる。何度かやらせて、慣れた頃に俺は立ち上がる。
「おにいちゃん、どこ行くの」
不安げにズボンを掴まれた。
「食える物を探して来ようかなって。元々、森に来た目的それだし」
「………帰ってくる?」
ズボンを掴む手に力が入る。ゴールドの瞳に不安が強く現れている。
「帰って来るよ。それまでパパのことよろしくな」
パッドの不安を完全に取り除くことは出来なかったが、ズボンから手は離れた。
「今、パパを守れるのはお前だけなんだ。しっかり頼むぞ」
伝わるか分からないが、拳を握って向けてみた。これは何かを任される時や、良いことがあった時、祖父がしてくれたグータッチだ。妙に好きな仕草だったが、祖父が亡くなってからは、する相手もいなかった。
「うん!」
パッドは拳をジッと見詰めた後、にこりと笑ってグーをぶつけてきた。
俺からした事なのに、伝わる事に驚いた。
嬉しそうにするパッドに目を細めた。あの頃の俺と同じ気持ちになってたら良い。そんな想いが湧く。
パッド達に背を向けて、俺は外に出た。
「監視者様、この辺りに何か実ってますかね」
ピロン
『建物や地形は見えるが、細かな作物などは分からんのだ。お前が見つけた物を鑑定してやることは出来るぞ。と監視者が誇らしげに言っています』
「監視者様って自己肯定感強いですよね」
前半の出来ない事などなかったように、出来る事に胸を張る。素晴らしい。俺も見習おう。
仕方ないので適当に歩き出す。
『しかしこの親子が居たのなら、周辺の採取物はとっくに取られている可能性が高いな。と監視者が落胆しています』
ウィンドウの文字に、俺はその場に崩れ落ちた。




