16 猟銃
一触即発の空気だ。
森の中が急に静かになり、空気がヒリつく。
目の前の長髪男は、一切の揺れもなく銃口を俺に向けていた。
「ぱぱ」
「お前は黙ってろ」
長髪男の後ろで裾を引っ張る小さなもの。男は片手の掌を小さなものに向け、前に出ないよう牽制している。
俺は切実に願った。小さなもののフォローを。説明を。頼むから黙らないでくれ。
「…………」
黙るんかい。と思いつつも、激昂している父親のドスの効いた声で黙ってろなんて言われたら黙るか。
きっと俺でも黙る。
俺はそっと手をあげようとした。通じるかは分からないが、人間界の時の降参ポーズをしようと。
本当にそれだけだった。
──────ズガァンッ!!
二度目の発砲。男は撃つ直前に、一瞬だけ銃口を下に下げた。俺の足の間、地面に穴が開いている。弾はめり込んで見えないが、穴が予想より大きい。
片手だぞ。反動とかどうなってんだよ。
血の気が引き、背筋がひやりとする。なのに汗が熱くもない頬を滑り落ちる。
「動くな」
男は再び銃口を持ち上げた。
顔にかかる髪の間から、獣のような眼光が鋭く突き刺さる。
こんな時にピロンと呑気な音が聞こえる。しかしこの呑気な音に、張り詰めた心が少しだけ緩む。
何の助けにもならないと知っていても。
『どうやら猟師のようだな。どうするライガ、相手は本気のようだぞ。言動には気をつけた方が良い。と監視者がポップコーンを片手に眺めています』
映画感覚で眺めてんじゃねぇぞ、と最早呆れるばかりで怒りもない。
この監視者はどうも危険な場面ほど楽しいらしい。
「パッド、遊びに行くのは良いが他の魔人と関わるなと言っただろ」
俺から目を離さないまま、父親が小さなものに向かって苦言を呈す。そう言う話は俺を見逃してからでも良くないか?
「逃げてたから…」
「逃げてた?」
「……ゴブリンがおにいちゃんを」
「そんなもん放っておけ。何にも出来ねぇ癖に危ねぇことしやがって」
「で、できるよ…!おれ、あのね、」
「出来ねぇだろうが!何も!!」
怒声が響いた。森が震える。
小さなものはビクッと跳ねた後、俯いてしまった。震えている。「ごめんなさい」と、か細く途切れた声が聞こえてきた。
─────お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、おれ、みんなと授業受けたいよ
保健室登校に話が進む時、大人達が仕方ない、俺の為だと言う度に飲み込んだ言葉。
状況は全然違うが、縮こまってしまった小さなものの気持ちが分かる気がして胸が痛んだ。
それに、何より、あの子が謝る必要がどこにある。
ふつ、と湧いたのが怒りなのか、勇気なのか、分からないが俺は口を開いた。
銃口なんぞにビビっている場合ではない。
「危ない事するなってのは同意する」
父親の意識があの子から俺に向いたのが分かる。ビリビリとした視線が突き刺さる。銃口はぶれない。
「だけど、子供だってちゃんと考えてる。大人の言葉も理解してる。だから、そんな風に言わないでやってくれ」
「………あ?」
「助けてくれたんだ。その子。青色ゴブリンに追われてる俺を。それって良い事だろ」
「……助けられた奴が偉そうに」
「それはそう。俺はマジで情けない、全然偉くない」
心の底から自覚している。
父親は不審なものを見るような、呆れているような、絶妙な気配を漂わせた。顔に長い髪がかかっているから、はっきりとは分からない。
俺は、父親の後ろから、不安げに見上げてくる子供に目を向けた。
「子供に助けられるような情けない大人なんて、見捨てても良かったんだ。でも、その子はそうしなかった。その理由を聞いてやって欲しい」
「………」
「その理由に納得がいかなかったら、その時にしっかりアンタの言い分を伝えりゃ良い。ただ、助けられた俺としては、その子が考えなしに助けに来たとは思えない。ゴブリンより足が速くて、道もしっかり覚えてて、ゴムカズラの仕掛けまで誘導してくれたんだ。その子の勇気と知恵に、俺は助けられた。だから、怒るのなら、情けない俺を怒ってくれ。子供に危ないことをさせてしまったのは、俺の責任だ」
俺が黙ると沈黙が舞い戻ってきた。
助けて貰った俺が出来ることは、あの子の功績を伝えることくらいだ。
これで撃たれるなら、何をしても撃たれるだろう。
せめてあの子が人を助けたことを後悔しないと良い。
父親の銃口が、初めて揺れた。
「…………うるせぇな、テメェに、ごちゃごちゃ言われる筋合いなんて、ねぇ、んだ、…よ…」
「え?」
急に声が震えたと思ったら、父親はゆっくりと前のめりになり、膝から崩れ落ちた。
「ぱぱ!」
手放されたサンドイッチのパックがぐしゃりと音を立てて地面に落ちた。
「ぱぱ!!」
「え?なになに?どういう事?」
子供が父親の背に縋り付く。懸命にゆすっているが父親はピクリとも動かない。
突然の事に動揺しつつも、俺はそろりと近付いた。
子供が「うあーん!」と泣き出す。
銃口を避け、子供と向かい合う形で父親の横に膝をつく。
「お父さん、聞こえますか?体に触りますよ」
背中は上下している。息はある。
声をかけるが反応がないので、意識はないのかもしれない。
俺も結構ボリュームのある髪なのだが、この父親は長さのせいか、更に多く見える。その間に手を突っ込み、首に触れた。
「………熱い」
脈も速い。だが汗は冷えている。
「ちょっと良い?」
目の前でグズグズと泣いている子供の手を、軽く握る。もしかしたら、この魔人親子の平熱が高いのかもしれないと思って。
子供はビクッとした。驚かせてしまった事を詫びてすぐに離した。
子供の体温は普通だ。
俺よりは高そうだけど、まあ子供としては多分普通だろう。
「……えーと、ぼく、大丈夫か?」
子供が顔を上げた。可哀想なほどに目が真っ赤になっている。
「ぱ、ぱぱ、」
「うん、パパも今は大丈夫。でもちゃんと寝かせないと。家は近い?他の大人は誰かいる?」
子供は泣きながらも質問に頷いたり首を振ったりした。
ピロン、と久しく感じる音が聞こえた。
『近くに山小屋がある。そこから来たのだろう。と監視者が地図を眺めながら言っています』
その横に新たにウィンドウが出た。3Dの森の中、半透明なグラフィックで、矢印が書いてある。
「……見た事ある…」
人間界でそこそこお世話になった事のある、立体的な地図だ。子供は俺の呟きを聞いて、あらぬ方向に向けられている視線を追った。
子供には見えていないのだ。
俺は気を取り直す。
「とりあえず、お父さんを………」
ピロン
『運ぶのか?運べるのか?恐らく15分ほどかかるぞ。と監視者が訝しんでいます』
「……運ぶしかない」
幸い、父親は俺より少し小さい。筋肉質ではあるが、ムキムキと言う訳でもない。
ひとまず肩を掴んで仰向けにした。顔が完全に髪で隠れてしまい、少し怖い。
これで髪を捲ってこっち見てたら、めちゃくちゃ怖い。
しかし子供の手前、ビクビクするのはあまりにもカッコ悪い。何でもないふりをして、父親の髪を払う。
おお、良い顔をしている。眉間に皺を寄せ、ふうふうと熱い息を繰り返している相手に思う事じゃないかもしれないが。
汗が止まらない。体調不良の中、子供を探して家を飛び出してきたのだろうか。
掌で汗を軽く拭うと、少し擦り付いて来た。俺の掌の方が冷たいから、気持ちよかったのだろう。
早く休ませないと。
立ち上がろうとして、視界の端に猟銃が見え、立ち上がる力が抜けてしまった。
あれはどうすればいいんだ。
銃の知識など、それこそゲームや映画でしか知らない。
恐らく、人間界のライフルに近い形状なのだろう。それくらいしか分からない。
子供は知ってるのだろうか。
いつの間にか正面から消えた子供を見る。落としたサンドイッチを拾い上げていた。
知ってるとしても、やらせるのは大人としてどうなのか。
俺はこそりと監視者に声をかける。
「監視者様、あの銃が安全かって分かりますか?」
ピロン
『何を持って安全と言ってるのか分からんが、さっき撃った後、薬莢を捨てなかったから撃てる状態ではない。だが安全とも言い難い。と監視者がマイ銃を引っ張り出して磨いています』
マイ、銃。この監視者は本当に神様なのだろうか。
考えるのをやめよう。
「………どうすれば安全になりますか?」
『ボルトを引いて薬莢を捨ててしまえばいい。前に押すなよ。装填される。と監視者がボルトを指差しています』
ウィンドウが猟銃のボルトを指差している。
やっと俺は立ち上がり、猟銃に手を伸ばす。そこで父親の指がまだトリガーに引っ掛かっている事に気付く。
「まだ撃つ気だったんか…」
ゾォッとすると同時に、少しばかり父親の強さに感心してしまった。
子供はとことこと足元に寄って来た。泥のついたサンドイッチのパックを大事そうに抱えている。
「……ちょっと、薬莢を捨てるから離れてて。俺触るの初めてだから」
「かってに触るとぱぱ怒るよ。大丈夫?」
「………怒られる時は、生きてるって事だから大丈夫」
失敗。うっかり。暴発。さよなら。
怖い想像が過りまくる。子供は「?」と首を傾げた。
俺はそっと父親の指を離し、猟銃を手に取った。ウィンドウが『ここ』『ここ』とボルトを示して点滅している。
しっかりと握り込み、後ろに引こうとするが硬い。単に度胸がないだけだ。
一度息を吸い、吐き、力一杯引いた。銃身から何かが落ちた。カラン、と地面を転がる薬莢。
『薬室を見てみろ。空になっただろう。もう安全だ。と監視者が薬室部分を示しています』
ピコピコと手のアイコンが別の場所を指差す。薬室か。確かに空だ。これで良いのか。
一命を取り留めた。色んな意味で。
俺は猟銃のスリング(肩掛けベルト)を肩に引っ掛け、背中に担いだ。銃口は上。
ずしりと、本来の重量よりも重く、冷たく背中にのしかかる。
先程、自分の命を脅かした存在。怖いが仕方ない。
「……よし、行こうか。道案内頼む」
道なら分かっているが、知っているのは不自然なので子供に頼んだ。
子供は一瞬ポカンとした後、嬉しそうに笑って「こっち!」と指を差す。
俺は父親の後ろにしゃがみ、両肩に腕を回して引きずる。
担ぎ上げるなんてかっこいい事は出来ない。背負うのも無理だ。
父親が怪我するかもしれないが、辛抱してくれ。
「おにいちゃん、もうすぐだよ!」
子供は張り切って案内してくれる。先程父親に怒鳴られてシュンとしていたとは思えない。
しかしもう何度目の「もうすぐ」だろうか。
引き摺る父親の体が重い。体重が、ではなく、土を削る踵だとか、足に引っ掛かる木の根だとか、斜面で上手く踏ん張れないとか、道の悪さが余計に重く感じさせるのだ。
俺はヒイヒイ言いながら、何度も転んでは、その度に休憩した。
子供は「重い?手伝う?」と父親の手を掴んだり、「ぱぱ、起きて」と胸を叩いたりしていたが、父親は起きない。
苦しそうな父親に不安げにする子供を見ていたら、きついとか辛いとか口に出来なかった。
「………行こう。もうすぐなんだもんな」
「うん」
立ち上がって、背中の猟銃を背負い直す。カチャカチャと背後で揺れる度に恐怖心が湧く。
父親を引っ張る時など、スリングが食い込んで来て痛いし、枝に当たったり引っ掛かるのも邪魔だ。
しかし捨てていく訳にもいかない。
汗が滝のように溢れ、腕が痺れて来た。
人を1人運ぶ事がこんなにもしんどいとは。
手に力が入らずに、肩から抜けて思いっ切り尻から地面に落ちた。
痛みに奥歯を噛み締め、そのまま仰向けになった。喉が熱い。酸素が足りない。
ハアハアと荒い呼吸を繰り返しながら、木々の間から見える空を見上げた。
降り注ぐ花弁が重なる枝葉の間に見える。
こんな時でも綺麗なものだ。
「おにいちゃん、大丈夫?」
子供が顔を覗き込んで来た。俺は頷き、立ち上がる。
「大丈夫。お父さんを安全な所に運ぼうな」
子供は力強く頷いた。使命感に燃える目に俺自身も多少は奮い立たされて、再び引き摺り始める。
足に力が入らなくなってきた。手なんかもう震えている。
「ついた!」
子供の声に俺は振り返る。
少しだけ拓けた場所だ。木々が周りを囲い、その中にぽつんと建っている。
本当に飛び出して来たのだろう。ドアが大きく開きっ放しだ。
俺は唖然とした。
本当に山小屋だったから。
頑丈そうではあるが、かなり小さく、年季が入っている。本気で、こんな所に住んでいるのだろうか。
そんな疑問を振り払うのは、家の中から手招く子供の姿だ。




