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89~銀箱女と安物市の一日


 祭りが終わって三日後、ジルコール南端の空き地には、朝から色とりどりの布屋根が並んでいた。月に二度だけ開かれる安物市である。


 売り手は行商崩れ、在庫を抱えた露店主、潰れかけの小商い、型落ち品を抱えた職人見習い、そしてこれ、本当に売り物にしていいの? と聞きたくなるような半端品の山が目につく。


祭りの余り物も、行き場をなくした道具も、ちょっとした失敗作も、ここではまとめて値切り前提の品物になる。

 

ノーラは市の入口に立ち、いつものように細く目を眯めた。


「……いい匂いね」


 ルチェアがきょとんとする。


「えっと……揚げ物とか干し肉の匂いですか?」


「違うわよ」


 ノーラはにやりと笑った。


「値崩れの匂い」


 ルチェアは一拍遅れて、ああと小さく声を漏らした。


 確かに、今日はいつもの市場より声が落ち着かない。祭りの余り物を早く現金に換えたい者、橋の騒ぎで仕入れが狂って少しでも損を埋めたい者、見栄を張る余裕のない者。そういう空気が、値札の端や店主の声色に滲んでいた。


 ノーラはそれを嗅ぎ分けるみたいに、通りの奥へ視線を流す。


「今日はいいものを安く買う日じゃないわ」


「え?」


「早く手放したい相手を見つける日よ。品物より、売り手の顔を見る」


 ルチェアは真面目な顔になって頷き、手帳を取り出した。


「売り手の顔……」


「そこ書くの?」


「大事そうなので」


 足元でピョコマルが「ぴゃう」と鳴いた。

 今日はルチェアの足首の辺りをついてきている。

人が多くて楽しそうだが、屋台の方を見るたびに耳がそわそわしていた。


「ついで買いは禁止よ」


 ノーラが釘を刺す。


「ぴゃ……」


「今のうちに言っておくけど、今日はお祭りじゃないからね。おやつ予算はなし」


 ピョコマルはがっかりしたように耳を伏せた。


 ルチェアが少し笑う。


「でも、頑張ったら何か一つくらい……」


「甘やかさない」


 そう言いながらも、ノーラの口調はあまり厳しくなかった。

 市の入口近くでは、祭りの飾り布が山積みで叩き売られている。少し奥へ入ると、木皿の端欠け、片方だけの燭台、柄の短い箒、余った蝋燭、色味の合わない織布、子ども用の玩具。

雑多で、どれも今すぐ必要というほどではない。


 でも、そういう場所ほどノーラは足を止める。


「ルチェア、あの山の右端」


「右端……えっと、木箱ですか?」


「違う。木箱の手前の金具つき革袋」


 ルチェアが目を凝らす。

 言われてみれば、ほこりをかぶった雑貨の山の下に、小さな革袋が半分だけ覗いていた。

金具は曇っているが、留め具の作りは案外しっかりしている。


「気づきませんでした……」


「こういうのは、見える場所にあるものじゃなくて、“隠れたままでも値札が付いてるもの”を拾うの」


「どうしてですか?」


「店主が把握しきれてない可能性が高いから」


 ノーラはさっさとその雑貨屋の前へしゃがみ込んだ。


 店番は、祭り帰りらしい若い男だった。椅子にだらしなく座って、昨日の残り酒でも引きずっているのか、目の下に薄い隈がある。


「これ、いくら?」


 ノーラが革袋をつまみ上げると、男は面倒くさそうに顔を上げた。


「……どれだ?」


「これ」


「ああ、端革の余りを縫ったやつだ。30セン」


 ノーラは袋を開けて内側を見る。


 縫い目は雑に見えるが、底だけは二重。口金も安物ではない。薬瓶や薄い帳面を入れて持ち歩くにはちょうどいい。祭りの余り物ではなく、たぶん本来は少し上の品を作る途中で余った革を、見習いが処分用に組んだのだろう。


「20」


「は?」


「祭り明けの30センは強気すぎる。これ、あんたが自分で縫ってないでしょ」


 男の眉がぴくりと動いた。


「……何で分かる」


「角の始末が途中だけ丁寧。途中で人が変わってる。最後にまとめたのが雑なのよ。見習い二人以上で触ってる品は、たいてい売れ残る」


 ルチェアが横で目を見開く。


 ピョコマルまで「ぴょ」と感心したように鳴いた。


 男はしばらくノーラの顔を見ていたが、やがて肩をすくめた。


「25」


「20。代わりに、次に端革袋をまとめるなら口金は真鍮で揃えなさい。見た目が揃うだけで安く見えなくなる」


「……商売敵に助言するのか?」


「助言じゃないわ。今後の値切り代を前借りしてるだけ」


 男は思わず吹き出した。


「20でいい。持ってけ」


「ありがと」

 

ノーラはすぐに代金を払い、革袋をルチェアへ放った。


「それ、あなたに」


「えっ、わたしですか?」


「いつまでも同じ手帳と羊皮紙を抱えて歩いてると、角が折れるでしょ。書きつけを持ち歩くにはちょうどいい」


 ルチェアは慌てて袋を受け取り、中を覗いた。


 大きさは確かにちょうどいい。今使っている手帳も、筆記具も、小さな控え紙もすっぽり入る。肩紐も調整できそうだ。


「ありがとうございます……!」


「まだ早いわよ。20セン以上の働きをしてもらうんだから」


「すぐそういう言い方をする……」


 そう言いながらも、ルチェアの顔は明るかった。


 安物市の中央あたりには、祭りの残り物が集められた一角があった。


 赤白の飾り紐。色の薄い提灯。片輪が欠けたおもちゃの車。


 そして、木箱いっぱいの再生魔石もどき。


「……うわあ」


 ルチェアが思わず声を漏らす。


 透明なガラス玉や水晶の欠片を布で巻き、金色の糸で飾り立てた、あの祭り用の玩具である。祭礼当日は飛ぶように売れていたが、終わってしまえばただのかさばる在庫だ。


「再生魔石、こんなに余ってたんですね」


「余るわよ。祭りの勢いで買ったものなんて、大体翌日には飽きるんだから」


 ノーラは箱の一つをつまみ上げ、光に透かす。作りは粗い。けれど、子どもの玩具としてなら十分だ。しかも箱の底には、祭り用に作られた小さな飾り座まで入っている。

 店番をしていた老婆が、深いため息をついた。


「見てっておくれよ。祭りの前はこれがあれば一財産だって張り切って作ったのにさあ。終わったら誰も見向きもしない」


「いくら?」


「一個20セン……と言いたいとこだけど、今は10センでも持ってってくれたら御の字だよ」

 

ノーラは箱ごと見た。


 全部で40個近い。

 祭りが終わった今、それを単体で売っても厳しい。だが別の形ならまだ使い道がある。


「全部で2フロー」


 老婆が目を丸くする。


「そんなに出してくれるのかい?」


「条件つき。座も紐も箱も全部込み。あと、今後こういう祭り専用の一発物を作るなら、最初から売れ残りの使い道を考えておきなさい」


「使い道って?」


「子ども向け景品、占い屋の演出、小芝居の小道具、旅土産の安物箱詰め。祭りが終わっても別名義で回せるようにするの」


 老婆は口を開けたまま、しばらくノーラを見た。


「……おっそろしいねえ、あんた」


「褒め言葉として受け取るわ」


 ルチェアが小声で訊く。


「これ、何に使うんですか?」


「まだ決めてない。でも、余り物っていうのは、名前を変えると急に売れることがあるのよ」


 ピョコマルが箱の中を覗き込み、「ぴゃう?」と首をかしげる。


 あまり興味はないらしい。

 食べ物ではないと分かっている顔だった。


 昼を回る頃には、ノーラの手には細かな戦利品がいくつか増えていた。


 革袋。

 真鍮の小さな留め具。

 割れにくい小瓶の余り。

 錆びを落とせば使えそうな小ぶりの匙。


 そして安く買い叩いた祭りの余剰品。

 どれも今すぐ大金になるものではない。


 でも、こういう小さな拾い物を繋いでいくのがノーラの商売だった。


 市の外れでは、古道具を並べた敷布の前に、フレアリスが立っていた。

 思いきり浮いている。


 高台地区からそのまま抜け出してきたような小綺麗な外套に、いつもの高慢そうな姿勢。安物市の客というより、間違えて見世物小屋に紛れ込んだ令嬢だ。


「……何してるの、あんた」


 ノーラが呆れ半分で声をかけると、フレアリスは優雅に振り返った。


「見れば分かるでしょう。市場観察ですわ」


「嘘。迷子でしょ」


「違いますわ! ちょっと興味本位で覗きに来ただけですの!」


 ルチェアがくすりと笑う。


 フレアリスの足元には、店主が困り顔で並べ直したらしい食器が散らばっていた。どうやら値札の付け方か品の置き方に口を出したらしい。


「この皿、釉薬の色が揃っていませんわ。しかも本来なら一組の意匠でしょうに、無造作にばらけて置かれていて……」


「売る側にとっては揃ってないから安く回す品なのよ」

 ノーラは皿の一枚を手に取った。

 確かに色味は微妙にずれている。だが、縁の模様は悪くない。


「でも、言いたいことは分かる」


「でしょう?」


「うん。これ、四枚まとめてなら体裁が整うわね」


 店主の中年女が疲れた顔で言った。


「揃い切ってない半端皿なんだけどね。あんたら、まとめて引き取るのかい?」


 フレアリスがすっと胸を張る。


「高貴なるわたくしの目利きにかかれば、この程度の不揃い、むしろ味わいですわ」


「味わい、ねえ……」


 ノーラは横目でその皿を見る。

 色の揺れはある。けれど、確かに4枚並べればわざとらしい揃えよりは温かみが出る。銀刻で使うにも悪くない。


「いくら?」


 ノーラが聞くと、店主はフレアリスを見てから、少しだけ値を下げた声で答えた。


「4枚で1フロー……って言いたいけど、80センでいいよ」


「60」


「急に現実へ戻すねえ!」


「この皿、持ち帰る方が重いでしょ」


「70だよ、これでも赤字ぎりぎりさ」


「じゃあ70。代わりに、次は並べ方を変えなさい」


「どう並べりゃいいんだい」


 ノーラは皿を4枚まとめ、2枚ずつ少しずらして重ねた。


「不揃いだから安いじゃなくて、色の揺れが味って見せるの。布も無地じゃなく、少し濃い色を敷く」


 フレアリスが扇子を鳴らした。


「そう、それですわ! 最初からそうすればよろしくてよ!」


 店主は目を細め、ふっと笑う。


「なるほどねえ。あんたら、片方は口うるさいけど、片方はちゃんと売り方が見えてるんだね」


「片方も口うるさいのよ」


 ノーラが70センを置くと、フレアリスは満足そうにその皿を抱えた。


「銀刻の食卓に、少しばかり格が出ますわね」


「そうね。格が出ると気分も変わる」


「でしょう?」


 そのやり取りを見ていたルチェアがぽつりと呟く。


「安物市なのに、なんだか少しだけ上等なものを見つけた気分です」


 ノーラはその言葉に、小さく頷いた。


「そういう日もあるのよ」


 市を一回りして戻る頃には、日が少し傾いていた。


 川沿いの風はまだ冷たいが、冬ほどではない。広場の端に積まれた祭りの残り材木や、崩し途中の屋台骨組みを見ると、この数日の慌ただしさがようやく街から剥がれはじめているのが分かる。


 ノーラは買った品を一つずつ確認しながら歩いた。


 革袋はルチェアへ。

 小瓶は銀刻で使える。

 皿は事務所の食卓に。

 祭りの余剰品は名前を変えて再利用。

 匙や留め具は、少し手を入れれば商品になる。


 そして、もう一つ。


 ノーラは鞄の底にしまった、まだ誰にも見せていない小さな紙片に指を触れた。


 鍛冶屋の名。

 魔道具店の名。

 予算の見込み。


 フレアリスが料理を持ってくるたび、銀刻の食卓は少しだけまともになっていた。騒ぎの中でも、張り詰めた日でも、温かいものが出てくるだけで空気が違う。


 その価値を、ノーラはちゃんと分かっていた。

 だから今日の安物市を見て、ますます思ったのだ。

 

 半端品を寄せ集めるだけじゃ駄目だ。

 あれはちゃんとした道具を渡した方がいい。

 

 ただし、高すぎず、実用的で、少しだけフレアリスが喜びそうな見栄えもあるものを。


「ノーラさん?」


「なに?」


 ルチェアが革袋を抱えながら首を傾げる。


「さっきから、ちょっと楽しそうです」


 ノーラは一瞬だけ黙り、それから肩をすくめた。


「安物市って、そういうものでしょ」


「それだけじゃなさそうですけど」


「……細かいわね」


 フレアリスがすぐに横から口を挟む。


「この女、何か企んでいる時はだいたい目つきが商売前の猫みたいになりますの」


「たとえが嫌」


「図星ですの?」


「半分くらい」


 ピョコマルが「ぴゃう」と鳴く。

 なんとなく、もう答えを知っているみたいな顔だった。


 銀刻へ戻る道すがら、ノーラは夕暮れの空を見上げた。

 大きな再生魔石も、祭礼の山車も、橋を巡る騒ぎも、今はもう少し遠い。

 でも、世界がどれだけ大きく揺れても、結局自分はこうして安い市を歩き、小さな得を拾い、誰かに渡す品を考えている。


 それでいい、と思った。

 むしろ、そういうところへ戻ってこられるからこそ、あの騒ぎにも意味があったのかもしれない。


「さて」

 ノーラは小さく息を吐く。


「今日は十分拾ったわね」


「はい。わたし、革袋、すごく嬉しいです」


 ルチェアが言った。


 フレアリスは皿を抱えたまま、少し得意げに顎を上げる。


「こちらも悪くありませんわ。安物市にも、たまには見るべきものがありますのね」


「たまにはじゃなくて、ちゃんと見ればよ」

 

ノーラは笑った。


「値札の低い場所ほど、意外と本音が落ちてるものだから」


 その言葉を、ルチェアはまた手帳に書こうとして、ふと止めた。


 代わりに、胸元の革袋をそっと撫でる。


 もう書かなくても分かることが、少しずつ増えてきたのかもしれない。

 夕暮れの道を、三人と一匹が歩いていく。



 でもこうして小さな得と、確かな目利きと、少しの気の利いた買い物で締まる日がある。それはたぶん悪くない一日だった。

次回、最終話。

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