85~囮の行列と銀刻の祭り日和
満月の前日――その夜、ギルドの奥まった会議室には、いつもより多くの灯りがともっていた。
地図と書類で埋まったテーブルを挟み、ノーラ、バルロ、ソルト、カルメノが席につく。少し離れた壁際には腕を組んだフレアリス、そして落ち着かない様子で椅子に座るルチェア。ピョコマルはその膝の上で、会議の空気も知らずに丸くなっていた。
「――最終確認するわよ」
ノーラが地図の上に指を置く。
ジルコールの街路には、赤い線と青い線が引かれていた。
「表向きの再生行列は、このメインストリートを一周。先頭は王家と神殿の儀仗隊、その後ろに再生魔石を載せた山車。ここまでは完全に見世物」
「実物は?」とカルメノが短く訊く。
「最初から私たちの手元にはないわ」
ノーラはあっさり答えた。
「本物の再生魔石は、教会、異典、ギルドの三者管理。封印庫からも出さない。――だから私たちが守るのは本物じゃない。本物が動いてると思わせる流れよ」
ルチェアが目を丸くする。
「じゃあ……山車の魔石は……」
「精巧な偽物。透明水晶に魔力演出を重ねて、本物そっくりに見せる。遠目じゃまず分からないし、近くで見ても、気づけるのは相当目がいい奴だけね」
フレアリスが扇子で口元を隠した。
「ずいぶん嫌らしい罠ですのね」
「商売も罠も、食いつかせてからが本番よ」
ノーラはさらりと言う。
「それともう一つ。裏路地にも荷馬車を通す。こっちも囮。本命を運んでいるように見せかけた二重の餌よ」
バルロが腕を組んだまま唸る。
「表の山車に目を引かれた連中と、裏の動線を読む頭の回る連中。その両方を炙るってわけか」
「そういうこと」
ノーラが頷く。
「敵がどっちを噛んでも、歯型が残るようにしてある。理想は、誰も死なず、祭りも無事、再生魔石も無事、ついでに銀刻とギルドの株だけ上がること」
「最後の一文が本音ですわね」
「当然でしょ」
ノーラは悪びれもしない。
「でも現実はそう甘くない。何かしら騒ぎは起きるわ。だから役割をはっきりさせる」
彼女は一人ずつ見渡した。
「カルメノ。あんたは即応戦力。行列側でも裏路地側でも、穴が開いたらそこを塞いで」
「分かった」
「フレアリス。後列警備隊に紛れて待機。最初から目立たないで。派手な火力はここぞという時に使って」
「任されましたわ」
「ソルト。観客側で流れを見る。雑踏が妙に割れた時、人が逃げる向き、露店の騒ぎ、全部拾って」
「了解です」
「ルチェア」
「は、はい」
「あなたはソルトと一緒に観客側。ピョコマルと一緒に変な風を探して。人が動く時も、魔力が動く時も、流れは歪む。異変があったら、すぐ合図を飛ばして」
「わかりました」
ルチェアは真剣な顔で頷く。
その膝の上でピョコマルが「ぴゃ」と小さく鳴いた。
バルロが地図の端を叩いた。
「ギルド側は南門と裏路地の分岐に人を置く。異典執行局は?」
「こちらで裏の囮馬車を監視しつつ、本命が動いていないことも確認する」
低く落ち着いた声とともに、リュシエルが会議室の奥から進み出た。
黒衣の異典執行局らしく、表情は淡々としている。
「敵が狙うのは魔石そのものだけとは限らない。祭礼の失敗、街の混乱、教会やギルド、銀刻の信用低下。それらも十分な戦果になりうる」
ノーラは小さく笑った。
「ええ。だからこそ、こっちも信用の守り方で勝つ」
彼女は最後に地図を見下ろした。
赤い線。青い線。交差する街路。人の流れ。金の流れ。噂の流れ。
再生魔石よりもよほど厄介なものが、明日は街じゅうを走る。
「――まあ、祭りだと思って働きましょう」
そう言って、会議は解散になった。
翌朝のジルコールは、夜明け前から浮き立っていた。
大通りには露店が並び、「再生焼き」「不死身串」「冥土の手前まんじゅう」といった、どう聞いても縁起がいいのか悪いのか分からない品名が踊っている。子どもたちは木製の再生魔石を棒にくくりつけて振り回し、大人たちは朝から酒をあおって笑っていた。
「……名前のセンス、すごいですね」
ルチェアが少し引きつった顔で言う。
「でも売れてるから、商売としては正しいんだよねぇ」
隣を歩くソルトが苦笑する。
ピョコマルはルチェアの胸元から顔だけ出して、楽しそうにきょろきょろと辺りを見回していた。
「ぴゃう」
「あ、ピョコマルも楽しそう」
「こいつは人が多いと機嫌がいいからね。変なのも拾いやすいし、今日には向いてる」
少し先には、銀刻交易連合の簡易ブースが出ていた。
布看板には、いかにもノーラらしい文句が並んでいる。
・行列中の売上一時預かり
・露店向け短期融資
・盗難・騒擾時の保険相談
「祭りほど金が動く日に、金を守る商売をしない手はないわよ!」
ブースの前でノーラが声を張る。
「預かった売上は銀刻名義でギルド保管! 手数料は二パーセント! 盗まれて泣くより、先に預けて笑いなさい!」
「預けるぞ!」
「俺もだ!」
「銀刻なら昨日の件で名前が売れたしな!」
露店主たちが次々に列を作る。
ノーラの前では帳簿がぱらぱらとめくられ、数字が見る間に積み上がっていった。
後列警備隊の軽鎧に身を包んだフレアリスが、その様子を見て感嘆したように息をつく。
「さすがですわね。祭りの前にひと稼ぎとは」
「ひと稼ぎじゃないわ。信用づくりよ」
ノーラは書類から目を上げずに言った。
「祭りの混乱の中で銀刻に預ければ安心って印象を残せれば、それだけで次につながる」
「ついでに手数料も入る」
「ついでじゃない。大事」
フレアリスが肩をすくめる。
「はいはい、強欲な商人様」
「そっちはそっちで、騒ぎが起きるまでは目立たないでね」
「承知しましたわ。高貴なる護衛の力、見せる時まで隠しておきます」
フレアリスが去ると、ノーラはふと目を細めた。
人は多い。笑い声も多い。
けれど、その流れの底に、どこか妙な淀みがある。
祭りの熱に浮かれている者たちとは別に、冷えた視線で全体を見ている者がいる。
(来るわね)
ノーラは帳簿を閉じ、ブースの裏へ回った。
そこではバルロとリュシエルが短く言葉を交わしている。
「こっちは準備完了だ」とバルロ。
「異典側も配置済み。囮馬車の監視も問題ない」
リュシエルが言った。
「ただし、相手が狙うのは物だけとは限らない。祭礼そのものを壊しに来る可能性も高い」
「分かってるわ」
ノーラは灰色ローブの胸元を軽く押さえる。
「だから、流れごと値踏みする」
正午の鐘が鳴った。
ジルコールの中心広場に歓声が上がる。
紅白の布で飾られた山車が、ゆっくりと大通りへ姿を現した。
その中央には、柔らかな光をまとった再生魔石が鎮座している。
「本物みたい……」
ルチェアが思わず息を呑む。
実際、遠目には完全に本物だった。光の揺らぎも、魔力の気配も、神官たちの詠唱も、すべてが本物の儀式のように見える。
だが、だからこそ。
高台の建物の影から、その様子を見下ろす人影があった。
一人はドフォール商会の使節。
もう一人は、外部契約傭兵の取りまとめ役。
「見事な囮だな」
「だからこそ価値がある」
短いやり取りののち、二人は視線だけで群衆の流れを追った。
その足元には、一枚の小さな紙があった。
――外部契約傭兵隊、配置完了。
満月はまだ昇っていない。
だが、祭りの熱気の裏で、すでに誰かが実力行使の時を測っていた。




