86~祭の影、裏路地の牙
行列が大通りを進むにつれ、街の熱気はさらに増していった。
神官たちの詠唱。
山車を飾る布の揺れ。
露店の呼び込み。
酒の匂い。
子どもの歓声。
すべてが混ざり合い、祭りは確かに成功しているように見えた。
だが、ノーラは最初からその成功した空気を信用していなかった。
人が多すぎる時ほど、流れは誤魔化せる。
歓声が大きい時ほど、足音は消える。
「ソルト」
観客側の雑踏の中で、ルチェアが小さく声をかける。
「どうしたの?」
「なんだか……変です」
ルチェアの腕の中で、ピョコマルの耳がぴくぴくと震えていた。
「風が、あちこちで切れてる感じがして……。人が避けてるのに、避け方が変っていうか……」
ソルトも周囲を見回す。
祭りの最中なら、人波はもっと緩やかに揺れるはずだった。だが今は、数か所で不自然な割れが起きている。誰かが通るために、人の流れが先回りするように避けているのだ。
「……来たわね」
その直後だった。
大通りの少し先で、露店の屋根布が突然燃え上がった。
「火事だ!」
「水を持ってこい!」
「子どもを下げろ!」
悲鳴と怒鳴り声が一気に広がる。
同時に、山車の近くでは酔客同士の喧嘩のような騒ぎが起き、神官の列がわずかに乱れた。
そして、そのさらに裏の路地では――護衛役の一人が、突然転んだ荷車に足を止められていた。
小さな異変が、同時に三つ。
ノーラは銀刻のブースからそれを見た瞬間、眉ひとつ動かさなかった。
「やっぱりね」
彼女は帳簿を閉じる。
「本命は山車じゃない」
バルロが横に立つ。
「どう見る?」
「山車を襲うなら、もっと派手にやる。見世物を壊したいなら、神官ごと吹き飛ばせばいい。でも今のは違う」
ノーラは燃えた露店と喧嘩騒ぎ、その奥の路地を順に見た。
「祭りを壊すためじゃない。祭りを壊しかけてるように見せて、護衛と視線を分散させてるのよ」
リュシエルが低く言う。
「裏路地か」
「ええ。表の山車はただの確認用」
ノーラはソルトたちの方へ視線を向けた。
「ソルト! ルチェア! 裏の風を追って!」
ルチェアはすぐにピョコマルの額に手を当てる。
「ピョコマル、お願い!」
「ぴゃう!」
風が、雑踏の隙間を縫って走る。
人々の裾を揺らし、露店の布を鳴らし、やがて裏路地の奥へと細く伸びた。
「こっちです!」
ルチェアが叫ぶ。
「流れが、裏へ抜けてます!」
「やっぱり」
ノーラは短く息を吐いた。
「バルロ、行列の表は最小限で維持。騒ぎの鎮圧はギルドの下位班に任せて。フレアリスとカルメノは裏へ回す」
「了解だ!」
「リュシエル。裏の囮馬車は?」
「予定位置にいる。異典の伏せも動いていない」
「よし。じゃあ噛ませるわよ」
裏路地は、祭りの喧騒が嘘のように薄暗かった。
大通りの歓声が、石壁の向こうでぼんやり響いている。
そこへ、粗末な荷馬車がゆっくりと進んでいた。
いかにも、大事なものを隠して運んでいます、と言わんばかりの速度だった。
その前後を、護衛姿の者たちが囲んでいる。
だが、その護衛の半分はギルド、半分は異典執行局の精鋭で、しかも全員が狙われる前提で息を潜めていた。
屋根の上から影が落ちる。
次の瞬間、短剣と弓を持った傭兵たちが一斉に飛び出した。
「荷馬車を押さえろ!」
「箱を奪え!」
「長引かせるな!」
カルメノが槍を構え、一歩前へ出た。
「来たか」
最初の傭兵が斬りかかった瞬間、槍の穂先が低く走る。足を払われた傭兵が石畳へ叩きつけられ、その上をもう一人が飛び越えようとしたところへ、カルメノの柄打ちが腹へめり込んだ。
同時に、後方で炎が爆ぜる。
「そこまでですわ!」
フレアリスが路地の角から現れ、手のひらを大きく振り払った。
「試しの魔火!(プロ―ピングフレア)」
いくつもの流れるような火線が路地の石壁を舐め、逃げ道を塞ぐ。
殺すためではない。路地を狭めるための火だ。
傭兵たちがたじろいだ、その隙を、異典執行局の隊士たちが詰める。
「封鎖!」
「退路を切れ!」
だが、敵もただの馬鹿ではない。
先頭の傭兵が荷馬車の蓋へ飛びつき、封を切ろうとする。
「再生魔石もらったぞ!」
ノーラが路地の入口に立っていた。
灰色のローブの裾を揺らしながら、彼女は荷馬車の箱を顎で示す。
「それ、開けても本物じゃないわよ」
傭兵の手が止まる。
「何……?」
「残念。山車も囮。こっちの荷馬車も囮」
ノーラは口元だけで笑った。
「本物の再生魔石は、最初から一歩も動いてない。あんたたちが追ってたのは、本物が動いてると思わせるための流れだけよ」
傭兵の顔が歪む。
「……なんだと……? ふざけるな!」
「ふざけてるのはそっちでしょ。祭りを壊して、行列を乱して、護衛を剥がして、それでようやく噛みついた先が空箱。高い仕事だったわね」
怒号とともに、傭兵たちが一斉に散ろうとする。
「ルチェア!」
「はいっ!」
ルチェアがピョコマルを抱き上げた。
「逃げる方、お願い!」
「ぴゃうっ!」
風が路地の奥へ吹き抜けた。
逃げようとした傭兵の足元に砂と埃が巻き上がり、視界が乱れる。そこへカルメノが踏み込み、槍の柄で一人、二人と打ち倒した。
フレアリスの火がさらに追う。
「往生際の悪い方々ですこと!」
火は壁際を走り、逃げ道だけを器用に焼き塞ぐ。
その加減が絶妙で、路地全体を燃やしはしない。相変わらずこういうところだけは器用だった。
ソルトは雑踏側から人の流れを押し戻し、巻き込みを防いでいる。
「こっちは一般人を通さない! 下がって、下がって!」
短い乱戦の末、傭兵たちは三人が拘束され、二人が負傷し、一人が屋根の上へ逃げようとして――ルチェアの風に足を取られ、そのまま異典の隊士に引きずり下ろされた。
「確保!」
最後の一人が地面へ押さえつけられた時、路地にようやく静けさが戻る。
ノーラは荷馬車の傍へ歩み寄り、拘束された傭兵の懐を探った。
出てきたのは、金貨袋と、小さく折り畳まれた契約文書の断片だった。
商会印が入っている。
ノーラの目が細くなった。
「……やっぱりね」
リュシエルがそれを受け取り、ざっと目を通す。
「外部契約傭兵への前金。差出人名は伏せられているが、流通印は商会筋だな」
「ドフォール、もしくはそこに近い誰か」
ノーラは言った。
「決定打じゃないけど、無関係とも言えない」
バルロが肩を鳴らす。
「祭りを壊して、再生魔石を狙ったように見せて、実際は街の信用を削るつもりだったか」
「ええ」
ノーラは路地の先に見える喧騒を見た。
大通りではまだ、行列の歓声が続いている。
つまり、祭りそのものは止まっていない。
「再生魔石を奪えなくても、祭礼が失敗したって噂が立てば十分だったのよ。神殿もギルドも銀刻も、みんな守れなかった側にできる」
「でも守った」
ルチェアが小さく言った。
ノーラはちらりと彼女を見る。
「そうね。だから相手の損よ」
路地の先で、満月前の淡い光が石壁を白く照らしていた。




