83~再生魔石の委託
ジルコール聖堂の地下は、ひんやりとした空気に満ちていた。
灯されたランプの火が、湿った石壁に揺れる光を描き出す。
中央には、小さな円形の部屋。
床には三重の魔法陣が刻まれていた。
一番外側――ギルドの紋章と武具のルーン。
中輪――聖印院の祈祷文と加護の印。
最奥には、異典執行局が持ち込んだ黒い封呪ルーンが、蜘蛛の巣のように走っている。
その中心に、小さな石台。
布に包まれた再生魔石がそっと置かれていた。
ノーラは腕を組んだまま、その光景を無言で見下ろしていた。
(これで、少なくとも――銀刻交易連合の保管庫に突っ込めば奪えるなんて甘い計算は、全部潰せる)
そんな計算を、ひと息の間に終わらせる。
「……始めよう」
低い声で告げたのは、異典執行局の男――断章隊士アランだった。
灰色の外套の胸元には、局章とともに小さな鉄板が止められている。
ギルドマスターのバルロ。
聖堂側の代表としてステラ司祭の代理の神官長。
そしてノーラ。
四者が石台の周りに立つ。
「確認する」
アランが淡々と告げる。
「再生魔石は、本日をもって――ジルコール聖堂地下封印庫に移管。持ち出しには、異典執行局・聖印院・ギルド三者の印が揃うこと。顧問魔女エレアノーラ=リッチポンドは、運用・鑑定・市場影響についての助言のみを行い、単独での使用・譲渡は認めない」
「はいはい。顧問扱いね」
ノーラは欠伸を噛み殺しながら片手を挙げた。
「ただし、現物を動かす時は必ず私にも声をかけて。
経済と流通にどれだけ影響が出るか、計算してからじゃないと、あとが面倒だから」
「……それは、こちらも助かる」
ギルドマスターバルロが口元を歪める。
「王都が奇跡の石を勝手に使い、周辺の薬師が一斉に干上がる――なんて事態はごめんだ」
「奇跡でも何でもないわ。ただの資源。
使い方を間違えると、みんなが損をするだけ」
淡々と言うノーラに、神官長が困ったように微笑む。
「資源を奇跡と信じたい民もいるのですよ。ですが――封印することには、聖堂としても異存はありません」
アランが一歩前に出た。
「では、封印を開始する――局印、展開」
黒いルーンが淡く光を帯びる。
次に、神官長が祈りの言葉を静かに紡ぎ、聖印院の加護の紋が重なる。
最後に、レイトンがギルド紋章の刻まれた小さな鉄板を魔法陣の端に置いた。
三層の光が、中心の石台へ収束していく。
ノーラは、布の端からわずかにのぞく再生魔石を、じっと見つめた。
かつて地下アジトで、血に濡れた床と一緒に拾い上げたあの光。
(本当に封印されるのは、この石じゃなくて――この石を巡って暴れたい連中の動き、かもしれないわね)
「……エレアノーラ殿」
アランが視線だけを彼女に向ける。
「最後に、良いか? 公的説明としては――この石の扱いを、どう伝えるのが得策だ?」
ノーラは一瞬だけ目を細めた。
「あら。そういう相談は、もっと早く欲しかったんだけど」
と言いつつ、すでに答えは決まっている。
「――過大評価されていることにしてしまいましょう」
レイトンが眉をひそめる。
「過大評価とは?」
「ええ。禁呪級の奇跡の石なんて印象のままだと、どこかの馬鹿が命を賭けて奪いに来る。なら、こう説明するのがいいわ」
「一度の大規模発動で、すでに力が半分ほど失われている。残りの力も、せいぜい傷を早く塞ぐ程度。そして――暴力的な使用は石を砕き、使い捨てになる。便利だが割に合わない、扱いづらい資源として、噂をコーティングするの」
神官長が「なるほど」と小さく頷いた。
「人は、完璧なものに群がりますからね。欠けがあると知れば、一歩引く者も増える」
「そういうこと。実際――乱用すれば壊れる危険はある。大嘘ってわけでもないわ」
アランはしばし沈黙し、やがて短く頷いた。
「……よかろう。その方針で、我々も説明する。過大な期待は抱くな。だが安全のため、封印はする――そういう形だな」
「ついでに、こう付け加えておけば完璧よ」
ノーラは口元だけで笑った。
「これ以上欲しければ、王都の承認と莫大な対価が必要だってね」
レイトンが吹き出す。
「やれやれ、金の亡者の台詞だな」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
そのやり取りの最中、三重の光がゆっくりと収束し、
布に包まれた魔石ごと、石台が地下へ沈み込むように消えた。
代わりに、床面には小さな銀のプレートだけが残る。
《R-22:封印済/共同管理対象》
――これで、公的には再生魔石は地下深く眠りについた、ことになった。
数日後。
ジルコール市場にある安酒場《コッパ屋》の奥の丸テーブル。
「で、あの石――そんなすごいもんでもなかったの?」
向かいに座るフレアリスが、興味津々といった顔で身を乗り出す。
「禁呪級とか神の奇跡とか、散々持ち上げられてましたわよ? そのわりに、封印がやけに地味でしたけれど」
「地味でいいのよ。派手な封印儀式なんてしたら、それこそ狙われるじゃない」
ノーラはうすいエールを一口飲むと、わざと肩をすくめてみせた。
「正直、期待はずれだったわね」
その一言に、隣でパンをかじっていたルチェアが目を丸くする。
「えっ……でも、あれで人を治したり、壊れたものを直したりできるんですよね?」
「一回はね」
ノーラは声のトーンを、周囲にギリギリ届くくらいに調整しながら続けた。
「前にも言ったけど、一度大きく使った時点で、わずかにヒビが入ってたの。今回もいろいろ調べたけど――無理に力を引き出すと、たぶん粉々になる。あとは高い金を払って、ちびちび使うしかない、割の悪い石よ」
斜め後ろの席で賭け事の話をしていた商人たちの会話が、ぴたりと止まる。
ノーラは、気付かないふりをして続けた。
「ギルドも聖堂も、封印庫にしまい込んだのは正解。あれを巡って争うほどの価値なんて、もうないわ。
――市場的には、ね」
「市場的には、ですのね?」
フレアリスが意地悪く目を細める。
「そう。夢を見るにはちょうどいいお守りだけど、商売のタネにするには扱いづらすぎるの。それに――」
ノーラは、わざと大きめにため息をついた。
「変に狙われて、うちの事務所が燃やされでもしたら困るじゃない。
だからもう、欲しがらないでくれると助かるんだけどね、世の中の皆さん」
斜め後ろ、耳をそばだてていた情報屋風の男が、さりげなく席を立つ。
カウンターに銅貨を2枚置き、足早に店を出て行った。
――銀刻交易連合のノーラ曰く、
再生魔石はほとんど使い物にならないらしい。
――封印はされたが、それは危険だからというより、
“割に合わないから倉庫行きになっただけ”らしい。
そんなニュアンスが、その日のうちに市場のあちこちにばら撒かれていく。
夕方。
別の酒場《青銅亭》では、商人たちが酒を片手に噂話をしていた。
「聞いたか? あの再生魔石、もう半分以上ひびが入ってるって話だ」
「ギルドの連中からも、似たようなことを聞いたぞ。とりあえず封印したが、長くはもたんってな」
「なんだよ、肩透かしだな。王都が欲しがってるからと期待していたが――もう値は伸びんか」
「ま、夢物語より砕石魔石と水魔石だな。堅く儲けられるのは、いつだって地味な石だ」
その会話を、カウンターの隅で酒を舐めていた行商人が聞きとめる。
(……へぇ。銀刻の魔女がそう言うなら、そうなんだろうな)
彼は心の中で、ひとつの判断を下した。
(なら、あの石を追いかけてる連中は――いずれ割に合わなくなる。俺は、別のところで稼がせてもらうさ)
一方その頃。
異典執行局ジルコール連絡所の一室では、別の噂が静かに共有されていた。
「……街では、石はガラクタ同然になったという噂が広がっています」
報告を上げた若い隊士に、上席の灰吏が頷く。
「よろしい。その噂は否定する必要はない。実態は、我々と聖印院とギルドだけが知っていればいい」
「ですが、本当に……あれほどの力を持つ石を、ここに置いておいてよろしいのですか?」
灰吏は窓の外――ジルコールの街並みを眺めながら、低く答えた。
「世界には、持っていること自体が危険な物がある。だが同時に、誰が持っているか”で危険度が変わる物もある」
断章隊士アランの名が、机上の書類に記されている。
R-22封印の報告書。その傍らには、銀刻交易連合・エレアノーラの名。
「今は――あの魔女が、まだこちら側にいる。
それならば、この街に封じておく意味はある」
「“まだ”、ですか」
「まだだ」
灰吏は静かに言った。
「いつか、彼女が世界の秩序と真っ向から衝突する日が来るかもしれん。
その時までは――再生魔石もまた、一つの賭け札として、この街に眠らせておけばいい」
そう語る局員たちの耳には、
市場で流れている「大した石じゃなかったらしい」という噂話は、届かない。
表の世界では、再生魔石の値打ちは、ゆるやかにしぼんでいく。
だが地下深く――
再生魔石は静かに、ひび割れた光を内側に秘めたまま静かに眠りにつく。




