80~クリオの最後と三者会談
氷露草の箱を預かったあとも、少しだけ薬草棚を眺めてから、ノーラたちは市場の喧噪へと戻った。
「じゃあ契約書は明日以降ね。シム、今日のところは在庫、あんまり無茶して売らないでよ」
「は、はい! 氷露草の件は銀刻さん経由ってだけ伝えておきます」
「それで十分。いい宣伝になるわ」
シムの屋台を離れながら、ルチェアが楽しそうに笑う。
「ノーラさん、本当に商人さんって感じですね……。話してると、どんどん相手の表情が変わってくの、すごいです」
「表情は値札と一緒よ。相手がその時に抱いてる感情が『不安』か『期待』かそれがわかれば、どこまで踏み込んでいいかの線引きもなんとなく分かってくるものよ」
ノーラは軽く肩をすくめた。
「それに、こっちだって得してる。安定した薬草ルートは、魔石とは別に保険になるからね」
「保険……」
「どっちか潰れても、もう片方で食べていけるでしょ? 商売は逃げ道を何本持てるかが大事」
ぴょこ、ぴょこ。
ピョコマルは二人の足元を器用にすり抜けながら、屋台から屋台へと鼻をひくつかせて歩く。
「ぴょ……」
「ダメ。今日はもう財布閉じたから」
「ぴゃう!」(抗議)
夕方。
銀刻交易連合の事務所に戻ると、壁の時計はちょうど黄昏時を指していた。
ルチェアはピョコマルの足を拭きながら、「氷露草」の箱をちらちら見ている。
「これ、本当に高く売れるかな……」
「売るわよ。むしろ安く売らないようにするのが、銀刻の仕事」
ノーラは机に帳簿を広げ、さらさらと羽ペンを走らせる。
「氷露草二十束。仕入れ原価――シム側の言い値は追って算出。売値目標は一束コル22。
最初の客は、教会の治療院か……それとも、ギルド経由の薬師か……」
ルチェアが首をかしげる。
「教会さんに売るんですか?」
「ええ、命を救う薬の材料だから。そういうのは人を治す場所に置いておくと、評判が広がりやすいの」
「評判……」
「『あそこの銀箱女から買った氷露草は効き目が違う』――って噂が一本立てば、それだけで他の商品も売れる。とくに再生魔石みたいな得体が知れない高級品を扱うときは、同じルートから買ってきたって信頼が効いてくるのよ」
ルチェアはぽんと手を打つ。
「だから、すぐに再生魔石は売らないんですね」
「そう。今は銀刻って看板を太らせてる最中。この看板が細いままだと、太い獲物を載せた瞬間に折れるでしょ?」
「……そう聞くと、ちょっと怖いですね」
「怖いから、細かい仕事を積み上げるの。今日の氷露草も、その一本」
ちょうどそのとき――
コンコン、と控えめなノックが聞こえた。
「はーい?」
扉を開けると、そこにはギルドの少年使いが立っていた。息を切らし、額に汗を浮かべている。
「エレアノーラさん! ギルドからお手紙です! ギルマスから直ちに渡せって……!」
「物騒な言い回しね」
ノーラは封筒を受け取り、蝋印を確認する。
ジルコール冒険者ギルドの紋章。封を切ると、中から二枚の紙が滑り出た。
一枚目は簡潔な文面だった。
『件名:再生魔石および銀刻交易連合の取扱いに関する協議
場所:ギルド・第二会議室
参加予定:ギルド側代表三名、異典執行局側一名、聖印院連絡役一名
貴殿も利害関係者として出席を求む。
匿名通報および市場での噂から、事態を放置できなくなった。
本日、日が暮れるまでに返答されたし。』
「……いよいよ、来たわね」
ノーラは二枚目――添付資料に目を走らせて、眉をひそめる。
そこには、ギルドが独自に集めた噂が箇条書きになっていた。
・『銀刻の魔女が、致命傷さえ癒す石を持っている』
・『一度砕けた武具も直る』
・『異典執行局も狙っている』
・『王都の貴族が裏で手を伸ばしている』
・『銀刻交易連合の裏倉庫に、魔女同盟の禁制品が隠されている』
「……裏倉庫なんて、持ってないけど」
ノーラが思わずぼそりとこぼすと、ルチェアが不安そうに覗き込む。
「ノーラさん……?」
「大丈夫。半分以上は尾ひれがつきまくった噂話よ」
だが、放置できなくなった”という一文だけは、笑い飛ばせない重さがあった。
(ギルドはまだ中立でいたい。異典執行局も、魔女を敵に回しすぎたくない。――でも、再生魔石は放っておくには目立ちすぎる……クリオの騒動で忘れそうになってたけど、再生魔石は経済や国家のバランスすら変えかねない危険な天秤)
「……わ、私も一緒に行くんですか?」
「んー、今回は私一人で行く。ルチェアは留守番。ピョコマルと一緒に事務所を守ってて」
「ぴょ!?」
「戦うんじゃなくて、留守番。いい?」
ピョコマルが不満げに鼻を鳴らす。
「ぴゃ……」
「ほら、ピョコマル。今日は大事な氷露草もあるし事務所の守備隊長よろしくってことで」
ルチェアがなだめるように撫でると、ピョコマルは渋々といった様子で丸くなった。
ノーラは封筒を片手に立ち上がり、黒のローブの裾を払う。
「……さて、上手いこと立ち回ってくるわ」
「ノーラさん……あの、その……」
ルチェアが裾をつまんだ。いつもより真剣な目だ。
「もし、ギルドの人たちが、ノーラさんから再生魔石を取り上げようとしても――わたし……ノーラさんの味方ですから」
ノーラは一瞬、きょとんとしてから、ふっと笑った。
「ありがと。じゃあ、そのときは頼りにさせてもらおうかな。――祝福印持ちの証言っていうのは、案外、効力があるかもしれないしね」
「はいっ!」
ローブの内ポケットに封筒をしまい、ノーラは扉へと向かう。
黄昏の光が、事務所の薄い窓から差し込んでいた。
静かな商談の日常から――
銀刻の魔女を巡る、大きな話し合いの場へ。
ノーラは小さく息を吐き、冒険者ギルドの扉の取っ手に手をかけた。
「……さて、話し合いで済むといいんだけどね」
扉が閉まる音が、事務所の中に静かに響いた。
ノーラはギルドの最上階に通される。
何度か足を運んでいるノーラでも、今まで入ったことはない部屋だった。
窓の少ない会議室には、いつになく重たい空気が漂っていた。
長机の手前側に、ノーラひとり。
向かい側には、三つの席が並ぶ。
中央には、ギルドマスター支部長のバルロ。
右には、灰色の外套を纏った男――異典執行局の尋語士。
左には、白金の刺繍を施した法衣を纏う、若い司祭が座っていた。
(……ついに三者会談ってわけね)
ノーラは、内心で苦笑する。
これまで何度も、ギルマスの部屋で呼び出されてきた。
最初は妙な魔石を拾ったらしいじゃないかという世間話に毛が生えた程度。
次は危ないから、しばらく売るなよという口約束。
やがて黒魔術師クリオの騒ぎが広がり、
異典執行局の名前が出る半公式会議へと格上げされ――
そして今、初めて書類付きの正式協議になった、というわけだ。
ギルドマスターが、咳払いをひとつ。
「……では、始めようか」
「はいはい。銀刻交易連合代表として参りました、エレアノーラ=リッチポンドよ」
軽い口調に、灰外套の男が片眉をわずかに動かす。
「異典執行局・尋語士、カイム=ベルネン。
貴殿の名は、既に局内でも共有されている」
低くよく通る声だった。
はっきり言って、あまりいい意味での“共有”とは思えない。
続いて司祭が穏やかに微笑む。
「聖印院・連絡官レミウスと申します。噂の銀刻の値踏み姫にお目にかかれて光栄です」
「お世辞は値引き対象外よ。で、本題は?」
ノーラが促すと、まずギルドマスターが口火を切った。
「本要件に入る前にひとつ報告がある。黒魔術師クリオの件だ、異典執行局の保護の下、グラマにア方面を抜けて岩石地帯を移送中に、落石事故に巻き込まれ死亡した」
「……えっ?」
クリオが死んだ。
ノーラ自身、驚きともとまどいともつかない声だった。
まだ現実が思考に追いついておらず、ノーラは話が全て終わるのを待った。
カイムが口を開く。
「異典執行局の者に生存者が一人いてな。話によれば、移送中に魔女同盟過激派と思われる者、2名に急襲され馬車は崖下に転落。応援部隊がクリオの死亡を確認した。やつは派手に暴れまわっていたから、過激派に目をつけられても不思議ではない」
「とはいえ今回の落ち度は我々、異典執行局の管理体制の甘さにある。詫びを入れさせてくれ」
カイムは黒い長髪を垂れさせるほど深く頭を下げ――やがて顔を上げる。
顔を上げた時に苦渋に満ちた表情は、元の渋顔に戻っていた。
「まあいいわ。あの男があっさり死んだのは意外だったけど……墓の下に入ってしまえばもう転移も破壊もしないでしょうから」
「では改めて本題に入ろうエレアノーラ。もう耳に入っていると思うが……再生魔石と銀刻交易連合の名は、ジルコールを越えて各地に広まりつつある」
「そうでしょうね。あれだけ市場で騒ぎになれば、隠し通すのは無理だわ」
再生魔石の値付けを試した日。
札の前でどよめいた商人たち。
その場に居合わせたドフォールのエスタス。
あの瞬間から、情報が街という器から溢れ出すのは避けられなかった。
カイムが机の上に、一枚の書簡を置いた。
「王都発・異典執行局本庁よりの通達だ。『再生魔石と思しき禁呪級資源について、所在・保管者・利用状況を正式に報告せよ』――要約すると、そういう書きぶりだな」
「禁呪クラスねぇ」
ノーラは薄く笑う。
「たしかに力は破格だけど。今のところ、私が勝手に戦争を起こしたり、死者軍団を蘇らせたりした覚えはないわよ?」
「問題は、『起こしていない』ではなく『起こせてしまう』可能性だ」
カイムの視線が、再生魔石を想定した一点を刺すように見据える。
「我々は可能性を管理する機関だ。魔女も、魔術師も、禁呪も、すべて」
レミウスが、そこで柔らかく言葉を挟んだ。
「もちろん、現時点でエレアノーラ殿を異端と断じる意図は、教会側にはありません。むしろ――」
彼は、わずかに目を伏せる。
「命を救う奇跡の石が、略奪や独占ではなく、一定の道徳と責任をもって扱われるなら……それは、神の御心にかなうことでしょう」
(まあ、建前としてはそうなるわよね)
ノーラは心の中で肩をすくめた。
「では、要するに――」
彼女は指を一本立てる。
「1、再生魔石は確かに私の管理下にある。
2、それが街や国を揺らすほどのカードになりつつある。
3、だから今後は、ギルドと異典と聖印院で、首輪をつけておきたい――そういうことでしょう?」
バルロが、苦い顔で頭をかいた。
「……もうちょっとオブラートにだな」
「概ね、正確な理解だ」
カイムはあっさりと頷いた。
「我々からの提案は三つある」
指が、机を軽く叩く。
「ひとつ。再生魔石を王都へ移送し、王権と異典執行局と聖印院の三者管理とする。貴殿の手からは離れるが、その代わり安全だ」
「それは却下するわ」
ノーラは即答した。
「運搬中に事故で消える未来が見えるもの」
バルロとレミウスが同時に目をそらす。
否定しきれないあたりが、この世界の現実だ。
「ふたつ目」
カイムは続ける。
「ここジルコールの聖堂地下に封印し、使用する際はギルド・聖印院・局の三者合意を要する。銀刻交易連合は、その際の顧問・運用担当として関わる形だ」
「つまり、私の持ち物じゃなくなるわけね」
「所有権ではなく、責任の所在の問題だ」
「……で、三つ目は?」
「現状通り、貴殿の管理下に置く、ただしだ。
・無断で売却・譲渡しないこと
・軍事利用や大量殺戮に繋がる案件には用いないこと
・使用実績をギルド経由で局に報告すること
これらを文書にて取り交わす。
そして――」
カイムは、ポケットから小さな金属札を取り出した。
「再生魔石は、異典執行局の管理簿において
《資源管理コード:R-22》として登録される。
そして、銀刻交易連合もまた監視対象となる」
「監視対象、ねぇ」
ノーラは金属札をじっと見つめる。
そこには、局の紋章と簡素な番号だけが刻まれていた。
「メリットは?」
カイムの口角が、わずかに上がる。
「少なくとも、真っ先に摘み取るべき危険因子とは見なされなくなる」
レミウスが補うように言う。
「簡単に言えば――エレアノーラ殿と銀刻交易連合は、危険だが必要な相手として、正式にテーブルにつく資格を得る、ということです」
(……なるほどね)
ノーラは、天井を一瞬見上げ、すぐに視線を戻した。
王都行きの封印は論外。
教会地下封印も、いつ誰の名目で凍結されるか分かったものじゃない。
残る三つ目――監視付きの自由。
バルロが、気まずそうに口を開いた。
「ノーラ。こっちとしても、もう『ギルドの個人案件です』じゃ押し切れねえ段階だ。異典が動き、教会が見ている。ここで文句だけ言って席を立てば、いずれ本当に摘み取られる側に回っちまう」
「脅し文句の代弁、ありがとう」
ノーラは小さく笑った。
「……いいわ。条件がひとつある」
カイムが顎を引く。
「聞こう」
「再生魔石の存在を理由に、銀刻交易連合の民間取引や、私のギルド活動を勝手に制限しないこと。私自身を半犯罪者扱いで拘束しないこと。――これを文書に書いて、あなたたちの署名をつけて」
レミウスが、少し目を丸くした。
「なかなか、したたかですね」
「商人だから」
ノーラは平然と答える。
カイムは短く考え込み、やがて頷いた。
「よかろう。『再生魔石に関する行使と直接関係しない限り、銀刻交易連合および代表者エレアノーラに対し、任意拘束・財産凍結・活動停止命令を行わない』――この文言を入れよう」
「ただし、重大な違反があった場合は別です」
レミウスが釘を刺す。
「もちろん」
ノーラはにやりと笑った。
「その時は、私ももう銀刻じゃなくて黒刻になってるでしょうしね」
ギルマスが思わず吹き出した。
「はは……勘弁してくれ。俺の胃袋がもたん」
重たい会議室に、わずかな笑いの気配が混ざる。
カイムは静かに立ち上がった。
「では、文案を整え、明日には正式な覚書として提示する。それに貴殿が署名すれば、再生魔石は《R-22》、銀刻交易連合は《監視対象・準協力機関》として登録される」
「了解。――監視付きの自由、ね。悪くないわ」
ノーラも立ち上がり、軽く頭を下げる。
「その代わり、そっちもちゃんと仕事してよ。黒魔術師クリオとか、魔女同盟の過激派とか。ああいう連中を野放しにされると、商売に差し障るんだから」
カイムの目が、一瞬だけ細くなった。
「……それについては、すでに動きがある。近々、そちらにも知らせがいくだろう」
(――動き、ね)
ノーラは、その言葉を胸の中でひっかけたまま、会議室を後にした。
ギルドの廊下には、いつもの顔ぶれが揃っていた。
フレアリスが、扇子をぱたぱたさせながら駆け寄ってくる。
「どうでしたの!? あの無愛想灰外套男に、何か失礼なことを言われました?」
「大丈夫よ。監視付き優良物件に格上げされたってところ」
「何それ不名誉ですわ!」
ルチェアは不安そうに見上げる。
「ノーラさん、捕まったりしないんですよね……?」
「しないしない。向こうも、そう簡単に手放したくないでしょ。世界で唯一の、再生魔石持ちの商人なんだから」
ノーラは遠くギルドの窓外――ジルコールの街並みを一瞥した。
(さて。世界の大人たちが、ようやく本気でこの石を意識し始めたわけだ)
街の商人。
三大商会。
異典執行局。
聖印院。
そして――水面下でうごめく魔女同盟の過激派たち。
(その全部と取引して、全部を出し抜いて――
それでも、この街の人間にはちゃんと飯が回るようにする)
ノーラの口元に、いつもの、薄くて強欲な笑みが浮かんだ。
「さ、仕事に戻りましょ。監視されるにしても――稼いだもん勝ちよ」




