78~フレアリス、ピョコマルで魔法実験する
その日、銀刻事務所にはソルトが来ていた。
ピョコマルが自身を媒介とし、黒魔術師クリオの転移魔法を変換したいきさつを聞き、考古学者の血が騒ぐのか、日当たりの良い壁際で丸まっているピョコマルをまじまじと観察していた。
「ふむ、すごいな。こいつ、術媒に使える系の魔獣なんだな」
ソルトが目を細めてピョコマルを観察する。
「魔力経路が安定してる。流しても抵抗しないし、こういう個体は貴重だよ」
その言葉に、にわかに目を光らせたのがフレアリスだった。
「……ふふふ……」
彼女は扇子をぱたりと閉じ、堂々と腰に手をあてた。
「ならばわたくしも、前から試してみたかった実験をここで!」
「嫌な予感がするわ」
ノーラは椅子から立ち上がりかけるが、フレアリスの勢いは止まらない。
「火のルーンを! このピョコマル殿の背中に――っ!」
「いや、それは――!」
ルチェアが慌てて止めようとしたときには、もう遅かった。
フレアリスの指先が空をなぞる。簡易詠唱は無し。
火の符文〈試しの魔火〉が、ぴたりとピョコマルの背に貼り付いた。
ぼっ。
一瞬、宿の室内が昼間のように明るくなった。
ピョコマルの背中の毛が、見事に着火したのだ。
「ぴゃああああああああるるるるるぅっ!!?」
悲鳴のような叫びとともに、ピョコマルが部屋中を転げ回る。
焦げた毛の匂いと白煙が一気に広がり、寝具にまで火花が飛ぶ。
「っっ、アクア・パージ!」
ノーラの詠唱は速かった。
床から小さな水の渦が巻き上がり、ピョコマルの背をぐるりと洗い流すように回転する。
炎は一瞬で消え、布団も床もびしょ濡れになり、ピョコマルは水浸しで呆然とそこに座り込んだ。
「ん……ぶるっ……!」
大きく身震いすると、水飛沫を四方に撒き散らしながら、ピョコマルはずるずると立ち上がる。
そして、ずぶ濡れのままフレアリスに詰め寄った。
「ぶるるるぶうう!!」(全力抗議)
前足をパタパタと振り回し、耳をピンと立てる。明らかに怒っている。
「ふ、不可抗力ですわ! ちょっと、近い近い! やめなさい、毛が冷たいですわ!」
フレアリスは一歩、二歩と後ずさる。
「ええい、落ち着きなさい! わたくしの実験意欲が悪いというのですか!? 高貴なる探究心への冒涜ですわ!」
「全部その探究心のせいだよ!」
ノーラがぴしゃりと言い放つ。
「ピョコマルは水と風向きの媒介には向いてても、よりにもよって火を流すなって前に言ったわよね?」
「でも、水と風で出来るのなら、火もいけるかと思ったのですわ……!」
「いけるかで火を流すなバカ貴族」
ソルトが珍しく真顔でツッコむ。
ルチェアは慌てて駆け寄り、タオルでピョコマルを拭きながら、涙目でフレアリスを睨んだ。
「フレアリスさん、ピョコマルに謝ってください!」
「な、なぜわたくしが魔獣に頭を下げ――」
「――謝ってください」
ルチェアの声色が、ほんの少し低くなった。
その背中から、淡い風の気配がふっと漏れる。
フレアリスは一瞬だけ言葉に詰まり、扇子で口元を隠した。
「……っ、わ、分かりましたわよ。……ごめんなさいね、ピョコマル。ちょっとだけ燃やしただけですわ」
「ぶるるるるぶぶるるるる!!」(ちょっとじゃない
尻尾で床をぱしんと叩いて主張するピョコマル。
ノーラは額を押さえ、深いため息をついた。
「ほら見なさい。媒介としては優秀でも、火属性とは相性が悪いって、今のだけでよーく分かったでしょ」
「……水と風専属、ですの?」
「そう。変換の癖があるのよ。さっきも風に変わったし、今のも半分は水に逃げてた。
だから――少なくとも、あんたの爆発系火術を通そうなんて、百年早い」
「ぐっ……!」
フレアリスの胸に突き刺さる“爆発系”という単語。
ソルトが苦笑しながら補足する。
「そもそも、媒介にするなら本人の了承を取ってからね。魔法生物とはいえ、意思のある相手だし」
「ぴゃう!」
ピョコマルが元気よく鳴き、ルチェアの膝に頭を擦りつける。
そうだそうだと言いたげだった。
ルチェアはそっと抱きしめながら、小さく笑う。
「ごめんね、ピョコマル。今度はちゃんと私が聞いてからにするから……」
「……まぁ、結果としては貴重なデータは取れましたわ」
フレアリスが、まだ懲りていない顔で言う。
「水と風の変換適性、火は拒絶、反応の遅延は約一秒。これは立派な研究成果ですわ!」
「次やったら、掃除費用とピョコマルの精神的損害費用をこっちで要求するから」
ノーラがじろりと睨む。
「風呂焚きから暖炉の使用も火の魔法は使用禁止」
「それはあまりにも非人道的な処遇ですわ!? 人権侵害ですわ!? 火の魔女から火を――」
「だったらピョコマルに二度と火を通すな」
ノーラの一言で、フレアリスは口をつぐんだ。
しばし腕組みして逡巡した末――
「……分かりましたわ。ピョコマル殿は、水と風の名誉専属媒介として扱ってさしあげます」
「ぴゃう♪」
今度は機嫌を直したのか、ピョコマルはフレアリスの足元をくるりと一周してから、ルチェアの膝に丸くなる。
ノーラはほっと息をつき、部屋の惨状を見渡した。
「……よし。じゃあまとめね」
「ピョコマルは――
1、水と風には高い媒介適性がある
2、火は厳禁、フレアリスも触らない
3、訓練に使うときはピョコマルの了承を得ること」
「はいっ」
「了解ですわ……」
「分かったよ」
ルチェア、フレアリス、ソルトが順に頷く。
びしょ濡れの布団と床だけが、ひどく現実的な光景だった。
「……で、誰がこれ乾かすの?」
ノーラの問いに、三人と一匹の視線が同時にフレアリスへ向く。
「ちょっ、なぜ一斉にこちらを向きますの!? わ、わたくしは高貴なる火の魔女で――」
「はい、火以外で乾かしてね」
「ひ、火以外!? そんな無茶な――ソルト、風魔法を手伝いなさいな!」
こうしてまた一つ、
銀刻交易連合のアナグラに、二度と忘れられない失敗例が刻まれることになったのだった。




