77~煤まみれのフレアリスと銀刻式節約術2
夕方になると、次の問題が出た、食事である。
戦後処理と会議続きで、銀刻の面々はまともな食事を取りそこねていた。だが、ノーラは外食に出る気などなかった。
「今日は余り物で作るわよ」
彼女がそう宣言すると、フレアリスが目を見開く。
「余り物?」
「そう。昨日買い取った調理器具を磨きついでに使う。野菜の端、豆、硬くなったパン、干し肉の切れ端。十分食べられるわ」
「ノーラ」
「何?」
「食卓にも格式というものがありますわ」
「格式はお腹を膨らませない」
「言い切りましたわね」
フレアリスはしばらく腕を組んでいたが、やがて妙に得意げな顔をした。
「よろしいですわ。そこまで言うなら、このフレアリスが見せて差し上げます」
「何を?」
「余り物を、貴族の食卓にふさわしい一皿へ昇華する技を!」
ノーラは少し警戒した。
「高い材料を追加するのは禁止」
「しませんわ」
「香辛料の使いすぎも禁止」
「少しは使いますわよ。料理に魂がありませんもの」
「魂は安く済ませて」
「魂まで値切るんですの!?」
結局、料理担当はフレアリスになった。
意外なことに、彼女の手つきはかなり良かった。
野菜の端を大きさごとに分け、硬くなったパンを細かく砕いてとろみづけに使い、干し肉の塩気を煮汁へ移して味を整える。鍋の火加減も見事だった。火の魔女だけあって、煮込みの温度管理はお手のものらしい。
ミントが感心したように覗き込む。
「意外と料理上手いわねアンタ」
「当然ですわ。火の扱いはルクレールの本領ですもの。料理こそ火の品格が問われる場ですわ」
フレアリスは胸を張った。
ノーラは鍋の中を見て、少しだけ目を細める。
確かにうまそうだった。
香りがいい。余り物の寄せ集めのはずなのに、豆と野菜の甘み、干し肉の旨み、香草の匂いがきちんとまとまっている。硬いパンも煮込まれて柔らかくなり、スープに厚みを出していた。
「これは売れるわね」
「食べる前から商売にしないでくださいまし」
「一杯いくらなら出せるか考えてただけよ」
「それを商売と言いますのよ」
やがて、木皿に温かい煮込みがよそわれた。
フレアリスは全員の前に皿を並べると、なぜか堂々と片手を胸に当てた。
「さあ、召し上がりなさい。名付けて――ルクレール式、焦土を越えし赤き再生の煮込みですわ」
沈黙。
ノーラは皿を見た。
豆と余り野菜の煮込みだった。
「ただの節約スープでしょ」
「名前というものは料理の格を上げるのですわ!」
「格が上がりすぎて中身を見失ってるわよ」
ルチェアが真面目な顔でノートを開く。
「余り物でも名前を立派にすると高級感が出る……」
「半分正しいけど半分詐欺だから、そのまま覚えないで」
ノーラがすぐに止めた。
「商品名は大事。でも中身とあまりにかけ離れると信用を失う。商売では、盛っていい範囲と駄目な範囲があるの」
「はい。盛っていい範囲と駄目な範囲……」
「その前に食べなさい」
ミントが匙を取る。
一口食べて、目を少し丸くした。
「……おいしい」
ジンジャーも静かに頷く。
「温まる」
カルメノは無言で食べていたが、二口目へ進むのが早かった。
ルチェアも一口食べ、表情を明るくする。
「本当においしいです。フレアリスさん、すごいです」
フレアリスはふふんと笑った。
「当然ですわ。ルクレールの火にかかれば、余り野菜も再生の煮込みへと昇華されるのです」
ノーラも一口食べる。
悔しいが、うまい。
身体に残っていた疲れが、温かいスープで少しずつほどけていく。胃が温まると、昨日からずっと張り詰めていた神経もようやく休む気になったらしい。
「……一杯三十センなら売れるわね」
「感想がそれですの?」
「褒めてるのよ」
「分かりにくいですわ!」
ピョコマルが足元で香草の束へ近づいていた。
ルチェアがすぐに気づく。
「ピョコマル、それは料理用です」
「ぴゃ……」
「あとで少しだけです」
「ぴゃう」
ピョコマルは不満そうに鳴いたが、結局ルチェアの膝元へ戻った。フレアリスはそれを見て、残った香草を小さくちぎり、ピョコマル用の皿に乗せる。
「今日のあなたにも、少しだけ格のある香草を分けて差し上げますわ」
「ぴゃう!」
「調子に乗らせないで」
ノーラが言うと、フレアリスは澄ました顔をした。
「功労者には報酬が必要なのでしょう?」
「……それを言われると弱いわね」
ピョコマルは嬉しそうに香草をかじり始めた。
その姿を見て、ルチェアが笑う。
昨日、クリオに狙われた時の青ざめた顔ではない。まだ少し弱々しいが、確かに日常へ戻ってきた顔だった。
ノーラは匙を持ったまま、少しだけ目を伏せる。
戦いが終わっても、傷はすぐ消えない。
でも、温かいものを食べて、くだらないことで笑って、誰かが隣にいる。
そういう時間が、人を戻していくのだろう。
フレアリスの大げさな料理名も、煤まみれの洗濯騒動も、無駄ではない。
たぶん。
いや、少なくとも今日のルチェアには必要だった。
「フレアリス」
「何ですの?」
「今日の夕食代、かなり浮いたわ」
「そこですの?」
「あと、うまかった」
フレアリスは一瞬、言葉に詰まった。
それから、ほんの少し頬を赤くして、ふいと横を向く。
「最初からそう言えばよろしいのですわ」
「照れてる?」
「照れていませんわ!」
ミントがにやにやする。
「照れてるわね」
「ミント!」
「はいはい、煮込みおかわり」
「……ありますわ」
フレアリスは文句を言いながらも、きちんとおかわりをよそった。
食事が終わる頃には、外はすっかり暗くなっていた。
事務所の灯りが、磨き途中の銀のスプーンに柔らかく反射している。洗い終えたローブは奥で乾き、鍋には少しだけ煮込みが残っていた。ピョコマルは満腹になったらしく、ルチェアの膝の上で丸まっている。
穏やかな夜だった。
少なくとも、その扉が叩かれるまでは。
こん、こん。
控えめだが、事務的な音。
ノーラは顔を上げた。
カルメノが静かに立ち上がり、扉の方へ近づく。ノーラは手で制して、自分で扉を開けた。
そこにいたのは、商人組合の使いだった。
「夜分に失礼します。銀刻交易連合のノーラ殿へ、ドフォール商会代理人より返答書です」
差し出された封書には、見覚えのある商会印が押されていた。
ドフォール商会。
さっきまでの温かい空気が、少しだけ冷えた。
ノーラは封書を受け取り、蝋印を見つめる。
紙は上等。封も丁寧。
だが、丁寧すぎるものほど、裏に何かを隠していることがある。
フレアリスが隣に来た。
「来ましたのね」
「ええ」
ミントも表情を引き締める。
「読むの?」
「読むわ」
ノーラは封を切った。
中には、短い文面の書状が入っていた。
橋梁復旧基金への拠出は了承。
資材供出一覧は明日夕刻までに提出。
台帳確認については、商会本部との照合に時間を要するため、三日の猶予を求める。
ノーラは最後の一文を見て、目を細めた。
「三日、ね」
ルチェアが不安そうに見る。
「長いんですか?」
「長いわ」
ノーラは書状を机に置いた。
「証拠を整えるにも、消すにも、十分な時間よ」
フレアリスの表情が険しくなる。
「つまり、時間稼ぎですの?」
「その可能性が高い」
さっきまでの笑い声が、嘘のように遠ざかった。
けれど、ノーラはすぐに書状を畳んだ。
「今日はここまで」
ミントが意外そうに眉を上げる。
「あんたが?」
「食後に不味い話をしすぎると、せっかくの煮込みの価値が下がるでしょ」
フレアリスが少しだけ笑った。
「わたくしの料理の価値を守るため、ですの?」
「そういうことにしておいて」
ノーラは封書を帳簿の下に挟んだ。
「明日、返事を書く。三日なんて待たない。せめて明後日の朝までに縮める」
「結局やるんじゃない」
ミントが呆れる。
「もちろん」
ノーラは椅子にもたれ、窓の外の暗い街路を見た。
橋はまだ壊れている。
ドフォール商会はまだ白を切っている。
クリオの背後にいた金の流れも、まだ見えきってはいない。
けれど、今夜の銀刻には温かい煮込みの匂いが残っている。
煤まみれのローブは洗われ、ルチェアは少し笑い、ピョコマルは香草を食べた。
それもまた、守るべきものだ。
ノーラは小さく息を吐き、口元をわずかに上げる。
「さて。明日はまた、帳簿で殴るわよ」
ルチェアが反射的にノートを開く。
「帳簿で殴る……」
「だから、それは書かなくていいってば」
「ぴゃう」
ピョコマルが寝ぼけた声で鳴いた。
フレアリスが扇子で口元を隠して笑う。
「まったく、銀刻は騒がしい場所ですわね」
「嫌なら出て行ってもいいわよ」
「誰が出て行くと言いましたの?」
フレアリスは、干されたローブをちらりと見た。
「まだ、わたくしのローブが乾いておりませんもの」
「理由そこ?」
「それに」
彼女は少しだけ胸を張る。
「明日の朝食に、今日の煮込みをさらに美味しくする方法を思いつきましたわ」
ノーラは笑った。
「材料費が上がらないなら採用」
「本当に油断も隙もありませんわね!」
そんな声が、夜の銀刻に響いた。
不穏な封書は机の上にある。
けれど今はまだ、鍋の温かさと仲間たちの笑い声の方が、少しだけ強かった。




