74~ノーラ流・身ぐるみ剥ぎ交渉回
翌朝のジルコールは、いつもより早くざわついていた。
市場の開く音はする。露店の布屋根が張られ、パン屋の煙突からは白い煙が上がり、馬車の車輪が石畳を鳴らす。けれど、その音のどれもがどこか浮ついていた。
荷が来ない。
その一言が、街全体の呼吸を浅くしている。
昨日半壊した橋は、ジルコールにとってただの橋ではない。北から来る魔石、南へ流す穀物、職人街へ入る金具、薬草、布、油、塩。そういったものを通す太い血管だった。
血管が詰まれば、人はすぐには死なない。
だが、手足の先から冷えていく。
ノーラはその冷えを、街の空気から感じ取っていた。
「……早いわね、みんな」
冒険者ギルドの大会議室には、すでに商人組合、ギルド、異典執行局、街の行政役人、橋梁職人の代表まで集まっていた。
昨日の戦闘で焦げた匂いがまだ服に残っているような気がして、ノーラは灰のローブの襟元を軽く正す。
隣にはルチェアがいる。肩にはまだ包帯が巻かれているが、顔色は昨日より少し戻っていた。胸元にはピョコマル。今日のピョコマルは妙に誇らしげで、時折「ぴゃ」と小さく鳴いては、ルチェアの腕の中で姿勢を正している。
フレアリスはやや不満そうに、煤を落としきれなかったローブの袖を気にしていた。ミントは治療具を持ったまま壁際に立ち、ジンジャーは肩を庇いながらも無言で控えている。カルメノは入口に近い場所で周囲を見張っていた。
そして、会議卓の向こうにはシエナがいた。
黒衣の異典執行局。
その横には、昨日の押収品の仮目録が置かれている。
ノーラの目が、真っ先にそこへ吸い寄せられた。
羊皮紙の束。
小さな木箱。
封がされた金貨袋。
砕けた杖の破片。
召喚素材の包み。
転移石柱の欠片。
全部、金になる。
いや、正確には、金にしなければならない。
クリオが壊したのは橋だけではない。物流、信用、予定、商機、人の安心。形のない損害ほど、放っておけば誰かが泣き寝入りする。
ノーラはそういう曖昧な損を嫌っていた。
曖昧な損は、強い者の帳簿から消え、弱い者の生活に押しつけられるからだ。
だから今日は、きっちり値段をつける。
「銀刻交易連合、来たわね」
シエナが言った。
「ええ。怪我人込みでね」
ノーラは席につきながら、机の上に分厚い帳簿と請求書の束を置いた。
どさり、と音がした。
商人組合の面々が、わずかに目を見開く。
ミントが小さく呟いた。
「本当に持ってきたのね」
「当たり前でしょ。交渉に丸腰で来る商人がいる?」
フレアリスが扇子で口元を隠す。
「剣や魔法より物騒なものを持ち込んでいますわね」
「帳簿は正しく使えば刃物より切れるのよ」
ルチェアが小さく頷き、勉強ノートを開く。
「帳簿は刃物より切れる……」
「そこは書かなくていいわ」
「す、すみません」
場の一部に小さな笑いが漏れた。
だがすぐに、会議室の空気は硬さを取り戻す。
橋はまだ直っていない。
クリオは捕まったが、損害は残っている。
そして、彼の背後には別の影がある。
会議卓の端に座っていた商人代表が、重々しく口を開いた。
「では、始めよう。まず橋梁被害の状況だが、職人の見立てでは、仮橋を通すだけでも早くて五日。本格修復には十日以上かかる。大型荷馬車の通行再開はさらに遅れる可能性がある」
室内がざわめいた。
「五日……」
「そんなに止まったら、薬草が腐るぞ」
「南の塩荷が詰まる」
「護衛料も上がる」
商人たちの声は、怒りより不安が勝っていた。
ノーラは黙って聞いていた。
数字を拾う。
日数を拾う。
損害の種類を拾う。
仮橋五日。大型荷馬車は十日以上。護衛料上昇。保管費増大。腐敗リスク。代替路の使用料。これだけで、請求項目はさらに増える。
ギルド支部長が続けた。
「冒険者ギルドとしては、仮橋の周辺警備、代替路の護衛、魔物警戒を増やす。ただし人手も費用もかかる。街からの補助が必要だ」
行政役人が渋い顔をする。
「街の予備費にも限りがある。橋そのものは公共物だが、今回の被害は異常事態だ。犯人の押収資産から補填できるなら、それを優先したい」
その言葉を待っていた。
ノーラは静かに手を上げた。
「発言していい?」
商人代表が頷く。
「どうぞ、ノーラ殿」
「まず確認。クリオの押収資産はどれくらい?」
視線がシエナに集まる。
シエナは淡々と羊皮紙をめくった。
「暫定目録では、現金が二十七ソルと八十六フロー。召喚素材、魔石片、転移石柱の予備、術具類を合わせると、鑑定前だが最低でも六十ソル相当。隠し拠点の存在も示唆されているため、追加押収の可能性がある」
会議室が再びざわつく。
少なくない。
個人の犯罪者が持つ資産としては、明らかに多すぎる。
ノーラは机上の帳簿を開いた。
「じゃあ、第一にその押収資産を橋の復旧と被害補填の原資にする。これは当然よね?」
行政役人が頷く。
「原則としてはそうなる」
「第二に、銀刻交易連合および討伐参加者への協力報酬と治療費。ジンジャーの負傷、ルチェアの負傷、消耗品、魔石使用、ピョコマル特別報酬も含める」
「ピョコマル特別報酬?」
役人が思わず聞き返す。
ピョコマルが胸を張った。
「ぴゃ」
ノーラは平然と言った。
「クリオの転移をずらした功労者よ。むしろ安いわ」
「それは……記録には残っているが」
「なら問題ないわね」
シエナが横から口を挟んだ。
「事実よ。あの小獣とルチェアの干渉がなければ、クリオは封界杭の拘束点に落ちなかった」
異典執行局の証言は重い。
役人は少し困った顔をしながらも、書類に何かを書き込んだ。
ピョコマルはますます胸を張る。
ルチェアが小声で言う。
「ピョコマル、静かにね」
「ぴゃ」
ノーラは続ける。
「第三に、橋梁復旧までの物流補助。代替路の護衛費、臨時倉庫費、腐敗リスクのある荷の優先通行。ここは商人組合とギルドで割り振る。ただし、費用は後で押収資産と犯人関係者への請求に回す」
商人代表が目を細めた。
「犯人関係者、とは?」
ノーラはシエナの方を見た。
「押収品の中に、ドフォール商会の印章が入った金貨袋があったわよね?」
空気が、すっと冷えた。
会議室の端に座っていた男が、ゆっくり顔を上げた。
質の良い服。
指に光る商会印の指輪。
表情は穏やかだが、目だけが笑っていない。
ドフォール商会の代理人だった。
本人ではない。
しかし、ドフォールの意思を背負ってこの場へ来ていることは明らかだった




