70~黒魔術師クリオ捕獲作戦8~決着
異典執行局が張った封界杭が光を放っていた。
採掘場の底、拘束用に組まれた空間の中心で、クリオは初めて明確に動きを止めていた。
黒いローブの裾は裂け、白い仮面の端には細いひびが入っている。
足元には、何度もショートステップを試みた跡があった。
黒いルーンが浮かぶ。
弾ける。
空間がわずかに震える。
けれど、身体は一歩も動かない。
封界杭によって、座標そのものが固定されているのだ。
「……ふざけるな」
クリオの声は、低く濁っていた。
「この私を閉じ込める気か」
「ええ」
ノーラは指先に水の魔力を集めたまま、冷たく言った。
「商売の損害金もろもろ含めて、まとめて取り立てるわ」
クリオは一瞬、黙った。
そして、小気味良く笑った。
喉の奥で濁った音を鳴らす。
「取り立てるか。君は本当に何でも値札で物事を測ろうとする」
「少なくとも、アンタみたいに安全圏から、人の悲鳴を趣味で眺めてるよりはよほど健全よ」
「趣味ではない」
クリオはゆっくりと両腕を広げた。
「観察だ。人は何を失った時にもっとも美しい顔をするのか。家か畑か仲間か希望か? それがどんな時か私は知り得たいのだ」
その足元に、黒い魔法陣がじわりと染み広がる。
ノーラはすぐに気づいた。
これは転移ではない。
召喚でもない。
もっと悪い。
足場そのもの、岩盤そのものに呪術を流し込んでいる。
シエナの声が飛ぶ。
「全員、下がりすぎるな! 奴は採掘場を崩す気よ!」
クリオは笑った。
「そう。ここは古い採掘場だ。少し力を流せば、支えを失う。岩が落ちる。地面が割れる。君たちは仲間を抱えて逃げるのかな。それとも、誰を見捨てるのかな」
黒い煙が魔法陣から噴き上がる。
煙の中から、焼けただれた犬型の魔物が飛び出した。背には燃え残りの木片が刺さり、口からは炎と煤を吐いている。
「……家が焼け落ちる時の臭いに近いだろう?」
クリオが陶然と呟く。
「私はあれが好きでね。必死に金を稼ぎ作った心を整え雨風を防ぐ拠り所となる家屋。それが私の気まぐれで崩壊した時の絶望した時の表情ときたら、実にいい」
次に、角の折れた牛型の魔物が這い出てきた。体毛ではなく、焼けた土と灰がべったり貼りついている。踏みしめるたびに、炭化した土がぼろぼろと崩れ落ちた。
「畑が燃え育てた丹精を込めた作物が炎で焼かれる時の煙もいい。少し甘い匂いがする。家畜が地面に倒れる音もいい。鈍くて重い音だ」
ルチェアの顔が歪んだ。
ミントが小さく息を呑む。
ジンジャーは負傷した肩を押さえながらも、前へ出ようとした。
ノーラは奥歯を噛んだ。
怒りで視界が揺れる。
けれど、ここで感情に呑まれたら終わる。
クリオは今も見ている。誰が怒るか。誰が怯むか。誰が無理をするか。
だからノーラは、声を張った。
「ジンジャー、無理に前へ出ない! カルメノ、犬型を止めて! フレアリス、広範囲じゃなく足元を焼く! ミント、岩盤崩れに備えて結界!」
「了解!」
「言われずとも!」
炭まみれの犬型魔物が群れになって突進してくる。
カルメノが槍を構え、正面から受け止めた。焦げた牙が槍の柄に食い込み、火花と灰が散る。重い。だがカルメノは一歩も引かず、腰を沈めて受け流す。
そこへ、ノーラの水弾が叩き込まれた。
「《ウォーターガン》!」
焼けた皮膚に水が突き刺さり、白い水蒸気が立ち上る。犬型魔物の身体が大きく揺らぐ。
「フレアリス!」
「心得ましたわ!」
フレアリスは炎を放った。
だが、今回は燃やし尽くす炎ではない。地面を走り、灰を払い、魔物の足元を焼き切る細い炎だ。
「試しの魔火(プロ―ピングフレア)輪転!」
炎の輪が足元を薙ぎ、犬型魔物の脚を焼き落とす。
炭の塊となった魔物が、なおも呻き声を上げてのたうつ。
クリオは恍惚と笑った。
「どうだ? 燃え尽きた後が一番、美しいだろう? 灰になりきれないままのたうつ姿が。炎を操る君なら分かるのではないか?」
「黙りなさい! 気色の悪い口上をさっきから延々と!」
フレアリスの声には、怒りと嫌悪が混じっていた。
その時、採掘場の岩棚から矢が降った。
ワイルドホルダーの射手たちだ。
煤で黒く染まった鬣、ぎらつく目。クリオが最後のあがきとして、岩棚に潜ませていた残りの召喚獣だった。
「ルチェア!」
ノーラが叫ぶ。
「はい! ピョコマル、お願い!」
ルチェアがピョコマルの額に手を当てる。
風の魔力が、ピョコマルの体毛の間を走った。
「ピョコマル、矢の向きをずらして!」
「ぴゃう!」
谷底に渦巻くような突風が起こった。
矢の雨が横滑りするように軌道を逸らし、岩肌へ突き刺さっていく。
ミントも即座に光の幕を広げた。
「《聖障壁》! 抜けた分はこれで止める!」
光と風の二重の防壁が、前線を包む。
だが、クリオはまだ止まらない。
足元の黒い魔法陣が、さらに深く採掘場の岩盤へ染み込んでいく。
地面が鳴った。
ごご、と低い音。
岩棚の一部が崩れ、小石が降り注ぐ。
「……まだだ。ならば、この採掘場ごと埋葬してやる。もっと絶望する顔を見せてくれ」
クリオの声が響く。
「家が崩れ、畑が沈み、人が潰れる。あの刹那の瞬間が私を満たしてくれるのだ」
「いい加減にしなさい」
ノーラの声は低かった。
彼女は両手を地面へ向ける。
水の魔力を、攻撃ではなく浸透させる。
黒い呪術の線へ、水を流し込む。
水は燃えるものを冷ます。
汚れを洗う。
そして、魔力の媒介を薄める。
「アクア・ウォッシュ」
ノーラの足元から水が走った。
黒い陣の線に触れた瞬間、じゅう、と嫌な音が鳴る。
墨のような魔力が薄まり、地面に刻まれた呪術の線がかすれていく。
クリオが初めて、はっきりと顔を歪めた。
「洗い流す、だと……?」
「ええ」
ノーラは答える。
「商売の汚れも、こういう嫌な染みも、早めに落とすのが一番なのよ」
「ルチェア、続けて!」
「はい!」
ルチェアが風を送る。
ピョコマルがそれを受け、黒い呪術陣の線を横から削るように乱す。
水で薄める。
風で削る。
フレアリスの熱で乾かし、ミントの光で押さえる。
四つの力が重なり、クリオの呪術陣が少しずつ崩れていく。
「……邪魔を」
クリオの声が震えた。
「邪魔をするな。壊れる瞬間を、私は――」
「壊れるのは、あんたの足場よ」
ノーラは冷たく言った。
その瞬間だった。
カルメノが動いた。
犬型魔物を槍で弾き飛ばし、一直線にクリオへ踏み込む。
封界杭の拘束領域内にいるクリオは、もう転移できない。だがまだ杖は持っている。黒い魔石を埋め込んだ、召喚と呪術の媒介具。
クリオが杖を振るより早く、ノーラが水を地面に走らせた。
「水銀の罠!」
クリオの足元が濡れる。
滑る。
ほんの半歩、体勢が崩れた。
その隙を、カルメノは逃さなかった。
槍の柄が横から叩き込まれ、クリオの手首を打つ。
杖が宙を舞った。
「っ……!」
クリオが手を伸ばす。
だが、遅い。
フレアリスがそこへ踏み込んだ。
「あなたには、少々熱い現実を差し上げますわ」
彼女の靴が、落ちた杖を踏み砕いた。
黒い魔石が割れ、嫌な悲鳴のような音を立てる。
同時に、フレアリスの手元に火が集まった。
「熱界焦断!」
ただし、殺す出力ではない。
ローブを焼き、魔力の流れを断ち、意識を刈り取るための一撃。
火線がクリオの胸元を貫いた。
黒いローブが焦げ、仮面のひびが大きく広がる。
クリオは膝をついた。
「……いい」
それでも、まだ笑おうとした。
「こういうの終わりも……嫌いではない。罠にかかるのは獣だけだと思っていたが、私も同じだったわけだ」
「最後まで気色悪いわね」
ノーラは吐き捨てる。
次の瞬間、シエナがクリオの目前へ踏み込んだ。
封呪の印章を、仮面越しに額へ押し付ける。
「黒魔術師クリオ。お前を異典犯罪者として拘束する」
白い鎖が地面から噴き上がった。
腕を縛る。
胴を縛る。
首元の魔力路を締める。
クリオの身体から力が抜けた。
それでも、彼は最後に空を見上げるように呟いた。
「……夢が壊れる音も、私は嫌いじゃない」
ノーラはその言葉に、胸の奥がざらつくのを感じた。
だが、すぐに打ち消す。
壊させないために、今ここで止めたのだ。
だからもう、付き合う必要はない。
「黙って寝てなさい」
ノーラはそう言って、水弾を一発、クリオの足元に撃った。
跳ねた水しぶきが、焦げたローブを冷たく濡らした。
クリオはそのまま意識を失い、倒れ込んだ。
クリオ戦の決着は着きましたが、再生魔石の扱いや騒動のシリーズはもう少し続きます。次章、その次の章と話数のストックはまだまだあるのですが、再生魔石編でもってノーラの物語は畳むことにします。




