67~黒魔術師クリオ捕獲作戦5
最初に動いたのは、魔物の群れだった。
小型の魔物たちが、すり鉢状の斜面を駆け上がってくる。ゴブリン、獣型、爪の長い亜種。足場の悪さなど気にしない。むしろ四つ足で岩場に爪を立て、土を跳ね上げながら殺到してくる。
その後ろで、中型の魔物が重い足音を響かせた。
ワイルドホルダーの弓兵が岩棚に散り、上から矢をつがえる。さらに召喚陣の縁では、半透明の影が新たな形を取り始めていた。
数が多い。
だが、ノーラは怯まなかった。
「フレアリス!」
「言われずとも!」
フレアリスの魔力が燃え上がる。
彼女の周囲の空気が一気に熱を持ち、赤い魔法陣が扇状に展開された。炎は地面すれすれを這うように放たれ、斜面を駆け上がる小型魔物の群れへぶつかった。
「試しの魔火!」
放射線状に広がる炎の矢が魔物を呑みこむ。
悲鳴が上がり、黒い煙が渦を巻く。先頭の群れが一気に崩れ、後続がその死骸につまずいて足並みを乱した。
だが、炎を抜けてくる影もある。
大型の牙を持つ獣型魔物が、焦げた皮膚を引きずりながら跳びかかってきた。
ジンジャーが前に出る。
「来い」
低い声と同時に、彼の拳が獣の顎を撃ち抜いた。鈍い音がして、巨体が横へ吹き飛ぶ。そこへカルメノの槍が走った。獣が地面に落ちるより早く、槍の穂先が喉を貫く。
カルメノはすぐに引き抜かない。
突き刺したまま、獣の体を盾のように横へ振った。飛び込んできたゴブリンが巻き込まれ、岩場へ叩きつけられる。その動きには、力任せではない重心の使い方があった。
ノーラは一瞬だけその動きを見て、また評価を改めた。
カルメノは、強い。
ただ槍が上手いだけではない。乱戦でどう立てば味方の盾になり、敵の流れを切れるかを知っている。
以前より少しこちらに打ち解けたとはいえ、まだ口数は少ない。だが、戦場では十分すぎるほど語っていた。
「左、弓!」
ミントの声。
岩棚からワイルドホルダーの矢が降る。
ノーラは即座に水を走らせた。
「《ウォーターガン》!」
細く圧縮した水弾が矢を弾き、続けて射手の肩を撃ち抜く。弓兵が岩棚から転がり落ちる。もう一体が狙いを変えようとした瞬間、フレアリスの火線がその弓ごと腕を焼いた。
「上ばかり見ていてよろしいのかしら?」
フレアリスは不敵に笑う。
だがその笑みの直後、召喚陣の中心で魔力が膨れた。
低い咆哮。
土が割れ、巨大な腕が地面を掴む。
オーガ級だ。
完全に出現する前から、その圧だけで空気が重くなる。黒灰色の皮膚、歪んだ角、手には岩を削ったような棍棒。普通の護衛隊なら、それだけで隊列を乱される相手だった。
ノーラは即座に叫ぶ。
「フレアリス、出る前に止めて!」
「分かっていますわ!」
フレアリスの顔から余裕の笑みが消える。
彼女は両手を前へ突き出した。魔法陣が一枚ではなく、二枚、三枚と重なる。空気が焼ける音がした。範囲ではない。収束。貫通。オーガ級の胸部一点へ、火力を集める。
「熱界焦断!」
白に近い炎の槍が走った。
オーガの胸部に着弾し、岩のような皮膚を焼き穿つ。完全には倒れない。だが出現の勢いが止まった。地面から引きずり出されかけていた巨体が、膝をつく。
「カルメノ!」
ノーラが叫ぶより早く、カルメノは動いていた。
斜面を駆け下り、崩れかけた足場を蹴って跳ぶ。槍を大きく振りかぶり、オーガの手首へ叩き込む。棍棒を握っていた指が緩み、武器が地面に落ちた。
ジンジャーがそれを蹴り飛ばす。
「使わせん」
ノーラは水の魔力を集め、オーガの足元へ流し込んだ。
「水銀の罠!」
ぬかるんだ水が土と混じり、オーガの足元を滑らせる。巨体が傾いた。そこへフレアリスの二撃目が入り、胸部の亀裂を広げる。
地響きとともに、オーガ級が倒れた。
歓声を上げる暇はない。
召喚陣はまだ動いている。
クリオはその中心で、拍手をしていた。
ぱち、ぱち、と。
場違いなほど軽い音だった。
「いいね。実にいい。連携が取れている。役割も分かれている。弱い子を後ろに下げる判断も早い」
白い仮面がルチェアへ向く。
ルチェアの肩が固まった。ピョコマルが腕の中で低く鳴く。
「けれど後ろに置いたものほど、最後の時に顔に宿る絶望はより濃くなる。私はその光景が見たいのだ」
ノーラの中で、冷たい怒りが跳ねた。
あの男は見ている。
戦力だけではない。心の弱い場所を探している。誰を傷つければ空気が揺らぐか、誰を狙えば顔が変わるか、そればかりを測っている。
「ミント、ルチェアの前に結界」
「もう張ってる!」
ミントの指先から薄い光が広がり、ルチェアとピョコマルの前に簡易結界が生まれる。直後、クリオの足元から黒い針のような魔力が放たれた。結界に当たり、嫌な音を立てて弾ける。
ルチェアが息を呑む。
ノーラは振り返らずに言った。
「見なくていい。怖がるのは後。今は私の声だけ聞きなさい」
「は、はい!」
返事は震えている。
だが返事ができた。
それでいい。
ノーラはクリオへ向き直る。
「弱いところを探すのが趣味?」
「趣味ではない。効率だ」
クリオは穏やかに答える。
「心は壊れやすい。肉体よりも砕けゆく様は美しい」
「最低ね」
「よく言われる」
そう言いながら、クリオの姿がふっと消えた。
ノーラの背筋が粟立つ。
次の瞬間、彼は召喚陣の縁、少し離れた岩の上に立っていた。ショートステップ。封界杭の内側でも、完全には止められていない。
リュシエルが目を細める。
「やはり短距離は抜けるか」
「でも、前より少し動きが鈍い」
ノーラは見逃さなかった。
峡谷の時より、移動後の立ち上がりがほんの少し遅い。足が地面を掴むまでに、一拍だけ間がある。封界杭が効いている。完全ではないが、確かに乱している。
クリオもそれを感じ取ったのだろう。
仮面の角度が、わずかに変わった。
「なるほど。空間が重い」
声に、初めてわずかな不快感が混じる。
「これが異典執行局の封界杭か。面白い道具だ」
「感想は拘束されてから聞くわ」
リュシエルが短く言う。
だがクリオは笑った。
「拘束? 私を?」
その姿がまた消える。
今度は別の岩棚。
さらに一歩。
召喚陣の反対側。
封界杭がある。長距離転移は封じられている。けれど、ショートステップだけで採掘場内を動き回るなら、まだ捕まらない。
ノーラは水弾を構えた。
フレアリスも火力を集中させる。
けれど、クリオは仮面の奥で笑っていた。
「では、捕まえてみるといい」
その声と同時に、彼の足元に小さな転移ルーンが浮かぶ。
短く、鋭く、嫌になるほど軽やかに。
戦場が次の段階へ移る。
当たらない敵を、どう捕まえるか。
ノーラは奥歯を噛み、冷たい水の魔力を指先へ集めた。
「上等よ」
怒りを飲み込み、思考を研ぎ澄ます。
「逃げ足だけが取り柄なら、その足から値切り落としてやるわ」




