61~魔法特訓
ジルコール郊外、風の通りのいい小さな丘。午前の光が斜めに差し込み、草の匂いと土の湿り気が混ざった空気の中で、いつもの顔ぶれが輪になって座っていた。
ノーラ、フレアリス、ルチェア、ミント、ソルト、ジンジャー、そしてピョコマル。
ピョコマルはルチェアの膝の上で丸くなり、「ぴゃう」と欠伸をひとつ。
「……じゃ、始めよっか」
ミントが黒板代わりに、地面へ枝で丸と線を描いた。
いつもどおり眠たげな目をしているが、その声には妙な迫力がある。
「今日のテーマは二つ。
『水魔法を使った応急処置』。担当がノーラ。
『印持ち+魔法生物の連携術』。担当、ルチェアとピョコ」
「……担当って言われたんだけど」
ノーラが片眉を上げる。
フレアリスは扇子で口元を隠し、にやりと笑った。
「ご愁傷さまですわ。今日からあなたは半ヒーラー見習いですの」
「やめて、その肩書きじわじわ来るから」
ソルトが補足するように、メモ帳を開きながら口を挟む。
「ミントさん、ざっくりまとめると――完全な治癒魔法は今まで通りミントさん担当、傷を悪化させない・死なせないための応急処置を、ノーラさんに覚えてもらうってことですね?」
「そう。さすが話が早いね」
ミントは地面に「肉」「血」「水」と雑な字を書き、ぐるりと丸で囲んだ。
「回復魔法の核は、この三つ。
【肉:組織】【血:流れ】【水:環境】
私の神聖魔法は、この全部を上書き”するイメージ。
でもノーラは水魔法だから、一番右――【水・環境】を整える方向で攻める」
「つまり――傷そのものは治せなくても、汚れを洗い流す、冷やして腫れを抑える、体液を補う。そういう医者の助手+看護師みたいな仕事はできるってことです」
ソルトの説明に、ノーラは指をぽんと鳴らした。
「それなら、私の専門分野ね。現場を整えるって意味では、商売と似たようなものだわ」
「さすが金の亡者。話が早い」
ミントはさらっと毒を混ぜる。
「じゃ、実践ね。ジンジャー」
「え? お、俺?」
名を呼ばれたジンジャーがびくりと肩を揺らす。
「安心して。今日は怪我させないよ。……代わりに、こっちに怪我をしてもらう」
ミントが取り出したのは、干からびた肉塊と、まだ新しい豚肉のような塊を包んだ布。
「ギルドの解体場で余ったやつ。ここにわざと切り傷をつけるから、ノーラは洗浄と冷却を担当」
「……なんか実験臭がすごいんだけど」
「実験だよ」
即答され、ノーラは肩をすくめた。
ミントが短剣で肉塊をざっくり切り裂いた。
生々しい赤が覗き、ルチェアが小さく息を呑む。
「はいノーラ。できるだけ水の量は少なく。勢いを殺して、撫でるように。最後に、周囲に薄氷を張って冷やすこと――やってみて」
「注文多いわね」
ノーラは両手をかざし、深く息を吸った。
腹の底に集めた魔力を、いつもより細く、細く、糸のように絞り出す。
「《ウォーターライン》……」
ぽたり、と。
肉塊の傷口の上に、糸のような水がゆっくり流れ落ちる。
勢いを殺すために、魔力を何度も調整しつつ――
汚れを撫でながら剥がすイメージで、水流を左右に揺らした。
ほつれた繊維に残った血と土が、じわじわと剥がれ落ち、
一度布の上に集まる。
「……へえ」
ミントが身を乗り出した。
「うん。今の撫で方は悪くない。あとは周りを冷やしてみて」
「はいはい。――《フリーズ・フィルム》」
ノーラが指先をひと振りすると、肉塊の周囲数センチにだけ、薄い霜が降りた。
白く曇る冷気が、じわりと周囲を覆う。
フレアリスが興味深そうに覗き込む。
「直接凍らせないで、周りだけ冷やす……ですの? 氷魔法より繊細ですわね」
「氷にしちゃうと、組織ごと壊れるしね」
ミントがうなずいた。
「この環境だけ整える水なら、私の治癒魔法と干渉しない。
――合格。一応、応急水療術と呼んでいいレベル」
「やったじゃないですか、ノーラさん!」
ルチェアがぱあっと笑う。
ノーラは、ほんの少しだけ口元を緩めた。
「……まあ、悪くないかもね。
これで負傷者=全部ミント丸投げって構図が、ほんの少しだけマシになるわけだし」
「そうそう。その分、私は大ケガ専門になれる。いい分業だよ」
ミントは淡々と言ってから、さらっと付け加える。
「ただし――現場で私がいないとき、水療術だけで何とかしようなんて無茶はしないこと。あくまで、時間を稼ぐ手段だって忘れないで」
「そこは約束するわ」
「じゃ、次。ルチェアとピョコの番」
「は、はい!」
ルチェアはピョコマルを抱き上げ、丘の少し開けた場所へ移動した。
風が流れる音が、一段と強くなる。
「今日やるのは、風の障壁ごっこ」
ミントが説明する。
「ノーラの水が『環境』を整えるのに対して――
ルチェアの風には、『接触するものをそらす』っていう特性がある」
「……矢とか、ナイフとか、火の粉とか」
ソルトが頷く。
「そういう飛んでくるものを、ほんの少し軌道をずらすだけでも、致命傷がかすり傷になったりするんです」
「ごっこという割には、内容が物騒ですわね」
フレアリスが渋い顔をした。
「で、ポイントは――」
ミントがピョコマルを指でつつく。
「風の魔法の核を、全部ルチェアが握ろうとしないこと。
ルチェアが方向を決めて、ピョコが強弱を調整する”。
役割分担を意識して」
「……できるかな」
ルチェアは不安げにピョコマルを見る。
ピョコマルはきょとんとした顔で「ぴゃう」と鳴いた。
ノーラが短く助言を送る。
「前にやった媒介魔法を思い出しなさい。魔力そのものはピョコに任せて、ここに風が欲しいってイメージだけ送るの」
「……はい!」
ルチェアは深呼吸を一つ。
胸の祝福印が、かすかに温かくなるのを感じる。
(風よ――ピョコマルの尻尾から、前に、ゆるく流れて)
そのイメージを、額にそっと触れた手からピョコマルへ渡す。
ピョコマルの耳がぴん、と立ち、尻尾がふわりと膨らんだ。
次の瞬間、彼の周囲に柔らかな風の膜が生まれる。
「……おお」
ジンジャーのマントの裾が、風に押されてわずかにふくらんだ。
「じゃ、試しに――」
ソルトが、足元の小石をひょいと投げた。
石はまっすぐルチェアの肩を目がけて飛ぶ――が、
風の膜に触れた瞬間、ふっと軌道をずらされ、隣の地面にぽとんと落ちた。
「できたっ!」
ルチェアが思わず歓声を上げる。
ピョコマルも「ぴゃう!」と尻尾を振った。
「今の、かなり綺麗に流れてたよ」
ノーラが素直に褒める。
「これが戦場でできれば、魔法や矢の被害を一段階減らせる。――あんた、立派な守りの要になるわ」
「ほんとですか……!」
ルチェアの瞳の奥で、胸元の印が微かに光った気がした。
ミントも頷きつつ付け加える。
「ただし、ずっと張り続けると魔力が枯れる。
『攻撃が飛んできそうな時だけ、瞬間的にふくらませる』って感覚、忘れないで」
「はい! ピョコ、一緒に練習しようね」
「ぴょ!」
――その夜。
銀刻交易連合のアナグラ事務所の裏、狭い空き地に、二つの魔法陣が向かい合って描かれていた。
片方は青い水のルーン。
もう片方は赤い炎のルーン。
間に立つのは、ノーラとフレアリス。
「それでは、魔力綱引き講座の開幕ですわ!」
「テンションのつけどころがおかしいのよ、毎回」
ソルトとルチェアは少し離れた場所から見学。
ピョコマルは、事務所の屋根の上で丸くなっている。
「ルールは簡単ですわ」
フレアリスが説明する。
「お互い、自分の陣から炎と水を出して――力で勝負するのではなく、どれだけ相手の魔力を観察できるかを競うのです」
「要するに、魔力の流れを読む訓練ね」
「そうですわ。相手の流れを感じ取れれば、攻撃の予兆もわかる。わたくしの炎に、水を合わせて無効化してごらんなさい」
「言ったわね」
二人は同時に魔力を練り上げる。
「《フレイム・スレッド》」
「《ウォーター・スレッド》」
夜気の中、細い炎と水の糸が、空中で絡み合った。
じりじりと熱と冷気がぶつかり合い、蒸気が薄く立ち昇る。
「ほらほら、遅れてますわよ?」
フレアリスが意地悪く笑う。
炎の糸がわずかに太くなる。
ノーラは目を細め、相手の魔力の揺れに意識を集中した。
(……ここでフレアリス、ちょっとだけ魔力を上げた。
ってことは――次の瞬間に、炎がはねる)
「《ウォーター・スプラッシュ》」
フレアリスが炎を弾かせた瞬間、ノーラの水がそこだけ先回りして覆う。
炎のはね返りは、しゅ、と音を立てて霧散した。
「……っ」
フレアリスの目がわずかに見開かれた。
「今の、予測ですか?」
「半分ね」
ノーラは肩で息をしながら答える。
「半分は、あんたの癖。本気を出す前に、必ず一段階だけ力を上げるっていう」
「なっ……」
図星を刺され、フレアリスは頬を染める。
「……それを知っていて、今まで黙っておりましたのね?」
「うん。あんたとケンカするたびに学んだもの」
ノーラは薄く笑う。
「だからこそ、こういう訓練は悪くないわ。
私があんたを読み、あんたが私を読む。
そのうち、見えない敵の魔力にも、嗅覚が育つ」
「ふふ……そうですわね」
フレアリスも笑みを返す。
「では――次は、わたくしがあなたの癖を暴いて差し上げますわ。
経済一筋の水魔女が、どれだけ戦場仕様に変わるか――この目で確かめてあげます」
「望むところよ」
炎と水の糸が、再び絡み合う。
その様子を、事務所の窓からルチェアとピョコマルがのぞき込んでいた。
「……なんか、すごいですね」
「うん。あの二人、口ではケンカばっかりなのに――
ちゃんと同じ方向見てるよ」
ソルトがぽつりとつぶやく。
その夜遅く。
ノーラはランプの下で帳簿の端に、小さな文字で書き込んでいた。
『応急水療術(清拭+冷却)
・材料:水魔法、清潔な布、消毒用のハーブ(仕入れ候補)
・コスト:魔力少、効果:死亡率の低下・治癒魔法との相性◎
→ 銀刻交易連合:医療補助サービスとして展開可能か?』
「……ふふ。やっぱり、結局こうなるのね」
自分で書いたメモを見て、苦笑する。
仕事と生存戦略とが、いつも同じページの上に重なっていく。
机の陰から、そっと覗き込む影があった。
「ノーラさん」
「起きてたの、ルチェア。もう寝なさいよ」
「はい……その前に」
ルチェアは小さなハーブ束を差し出した。
「昼間、ピョコのごはん用に買ったやつですけど――
ミントさんが、消毒用にも使えるよって教えてくれたので。
もし、応急処置のときに必要になったら、使ってください」
ノーラは一瞬だけ目を丸くして、それから優しく受け取った。
「ありがと。じゃあ、これはルチェア印の保険として預かっておくわ」
「はい!」
ルチェアが去ったあと。ノーラはハーブ束をしばらく指で転がし、それから帳簿の端っこに、さらりと書き足す。
『協力者:ルチェア&ピョコマル
風による飛翔物偏向バリア(要・実験継続)
→ 将来性:◎(小さな守護神候補)』
ランプの火が、静かに揺れる。
黒魔術師クリオ、異典執行局、二大商会――
これから待ち受けるのは、血なまぐさい大事件ばかりかもしれない。
それでも、その前夜に確かに積み重なったのは――
水の糸と炎の糸。
風の膜。
そして、小さなハーブ束。
誰かを死なせないためのほんの少しの前進だった。
閲覧いただきありがとうございます。




