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60~水魔法専門ですが回復魔法は使えません

 

 ギルドの作戦会議室には、重たい空気が漂っていた。


 長机の向こうで、ギルド長バルロが一枚の書状を机に置き、指先でこん、と叩いた。封蝋にはあの異典執行局の紋章――黒い天秤と灰の羽根。


「――以上が、異典執行局からの正式通達だ。

 黒魔術師クリオを異典災害指定とし、討伐か、少なくとも完全拘束を要請する、とな」


 ノーラは椅子にもたれ、腕を組んだままため息をつく。


「さらっと言うけど、異典災害指定って、相当じゃない? ただの危険人物じゃなくて、世界レベルのやっかいごと扱いでしょ」


「まあな。王都の上の方も、かなり警戒してるらしい」


 バルロは頭をかきながら続ける。


「クリオはここ最近、ジルコール周辺の山や谷で、召喚実験を繰り返してる。お前たちが廃教会へ行った時の魔物軍団も、あれの一端だろう」


 壁際ではソルト、ジンジャー、ミント、ルチェア、そしてフレアリスが並んで話を聞いていた。

 フレアリスは腕を組み、いつもよりも真面目な顔だ。


「つまりこういうことですわね。異典執行局は大義名分をくれてやるから、ギルドと銀刻交易連合は現場で働きなさいって」


「言い方ァ……」

 ソルトが苦笑する。


 バルロは咳払いをしてから、ノーラに視線を向けた。


「ジルコールの物流と情報網を一番握っているのは、今や銀刻交易連合だ。異典執行局の連絡官も、お前の顔を見て話をしたいと言っている。……どうする?」


「話を聞くだけ聞いて、条件が合えば協力。前線で突撃はごめんだけど、情報と補給なら、ギャラ次第、かな」


 ノーラはあくまで淡々と答える。


「ただし一つ問題があるわ。対クリオ戦になると、長期戦と被害はほぼ確実。……回復役が、圧倒的に足りない」


 その一言で、部屋の視線が一斉に仏頂面神官のミントにに向く。





 三白眼の神官は、露骨に顔をしかめた。


「ちょっと待って。なんで自然と、うちのパーティーの話になるの?」


「回復魔法を使えるの、今のところミントだけだからね」


 ソルトがなだめるように言う。


「ギルドの他の神官は、みんな長期遠征か王都出張中だし」


「だからって、はいそうですかって過労死コースに乗るほど、私はお人よしじゃないよ」


 ふてくされたように言いつつも、ミントは状況の深刻さを理解しているのか、それだけの言葉に留まった。


 そこで、フレアリスがすっと扇子を開く。


「――そこで、ですわノーラ」


「嫌な予感しかしないんだけど」


「わたくし、前々から気になっていたのです。貴女、水魔法の専門でありながら、どうして癒しの水ひとつ使えませんの?」


「はい出た。属性が同じなら何でもできる理論」


 ノーラはこめかみを押さえる。


「回復魔法は水属性だけじゃ無理なの。生命力を引き出す聖印とか、祈りのルーンとか、教会筋の秘伝とか、そういうややこしいのがセットなのよ。私みたいな魔女がそう簡単に扱えるものじゃない」


「ですが――」


 フレアリスはぐっと身を乗り出す。


「わたくし、最近ようやく自覚しましたの。いざという時、貴女が倒れたら、わたくし何もできませんわ。火を撒き散らして敵を焼くことしか」


「それは十分すぎる仕事だと思うけど」


「足りませんわ!」


 フレアリスの声に珍しく焦りが滲んでいた。


「この先、黒魔術師やら異典災害やらと関わるのであれば――戦線を支える要である貴女を、多少なりとも護れる術が必要。でしたら、自分の身くらい自分で癒せるようになってくださいまし」


 ノーラは目を瞬かせた。

 ルチェアも、思わず口をはさむ。


「……フレアリスさん、それってノーラさんのこと、すごく心配してるってこと?」


「と、当然ですわ! 銀刻交易連合が潰れたら、わたくしのグルメ生活と高品質消耗品の供給が途絶えるのですから!」


「本音と建前ごちゃ混ぜだよ!?」


 ソルトが思わずツッコミを入れ、部屋の空気が少し和らいだ。


 アーノルドは苦笑しつつも、真面目な声に戻る。


「……とはいえ、フレアリスの言い分にも一理ある。ミントだけに負担を掛けるのは危険だ。エレアノーラ、お前の水魔法で応急処置レベルの回復は、どうにかならんのか?」


「理論上は、ゼロじゃないわね」


 ノーラは指先で机をとんとんと叩く。


「傷口を洗って感染を防ぐとか、止血を助ける冷却とか、脱水しかけた人に体液に近い濃度の水分を補給するとか。いわゆる魔術的な医療行為なら、やりようはある。完全治癒は無理でも、死なせない程度には」


「それを、覚えておきなさいという話ですわ」


 フレアリスが扇子でノーラを指す。


「わたくしのために、お役に立てるように」



「なんで私の努力の動機が、あんたのため前提なのよ」


 ノーラはムスッとして口を尖らせる。


「高貴なる貴族は、庇護する配下が健康であることを求めるものですわ。庶民なりに理解なさい」


 ノーラは盛大にため息をついた。


「……わかったわよ。どうせクリオ討伐の前に準備期間があるんでしょ? その間に、水魔法+応急医療の試運転くらいはやってみる」


「本当ですか!?」

 ルチェアがぱっと顔を輝かせる。


「じゃあ、私も一緒に勉強していいですか? 風の魔法でも、何か人の役に立てるかもしれないし……」


「いいわよ。どうせ教科書もノートも共有だしね」


 ノーラは肩をすくめる。


「ミントも、その辺の治癒の基礎理論だけ教えてくれる? ガチ宗教秘伝は要らないから」


「んー……報酬次第かな」


 ミントの反応は実にあっさりしていた。


「ただ、素人の応急魔法で逆に悪化させた事例って、結構あるからね。その辺はちゃんと叩き込むよ。厳しくいくから覚悟しといて」


「それは歓迎だわ」


 バルロは腕を組み、まとめに入った。


「よし。クリオに関しては、異典執行局から正式な作戦案が届き次第、ギルド・銀刻・クレオール、ともに協議。それまでの間、エレアノーラは補給と情報網の整備に集中。並行して、簡易回復手段の習得――ミント指導の元でな」


「はいはい。じゃあ、診療代はギルド持ちでよろしく」


「図太いな、相変わらず」


 会議はそこで一旦お開きとなった。


 部屋を出る廊下で、ルチェアがノーラの袖をそっと引く。


「あの……ノーラさん」


「ん?」


「さっきフレアリスさん、ちょっとだけ、ほんとに不安そうでした。わたくし、火を撒き散らすことしかできませんわって言ったとき……」


 ルチェアは少し俯き、続ける。


「私は、あの人のそういうところ、嫌いじゃないです。だから、ノーラさん――ちゃんと、生き延びてくださいね。二人とも」


 ノーラは一瞬きょとんとして、それから小さく笑った。


「……あんた、こういうときだけ妙に重いこと言うわね」


「ご、ごめんなさい……!」


「謝るところじゃないわよ」


 ノーラはルチェアの頭を軽くぽんと叩いた。


「安心しなさい。私は、自分の財布と事業が黒字のうちは、そう簡単に死ぬ気ないから」


「動機がすごくノーラさんっぽい……」


「ついでに言うと、フレアリスに泣き顔を見られるのも癪だしね。――だからまあ、癒しの水もどきくらいは、本気で研究してみるわよ」


 その言葉に、ルチェアの表情がぱっと晴れた。


 廊下の角の向こうでは、フレアリスが腕を組んで待っていた。

 扇子をぱちんと閉じ、ふん、とそっぽを向く。


「聞いてましたわ。わたくしのために、身を粉にして鍛錬に励むと――」


「一言もそんなこと言ってないけど」


「よろしい。でしたら、わたくしも魔力制御の訓練に付き合って差し上げます。炎と水、相反するものが拮抗するとき、魔力の流れは最も美しく研ぎ澄まされる――これ、ルクレール家の家訓ですの」


「はいはい。じゃあ今夜から、水と火の魔力綱引き講座でも始めましょうか」


「望むところですわ!」


 そうして――


 黒魔術師クリオ討伐という、大きな渦の前夜。

 銀刻交易連合の面々は、それぞれのやり方で「生き延びるための準備」を始めるのだった。

閲覧いただきありがとうございます。

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