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59~奪われたサンドイッチ



 銀刻交易連合事務所に一通の手紙が届いた。


――平素より、港湾貨物の仲介にご協力いただき感謝申し上げます。

 さて、最近一部で噂される再生魔石について、

 当商会は貴女が慎重に取り扱っていることを承知しております。

 もし、今後その効能を公的な医療・救済用途に用いる意思がおありなら、

 王都医療院との橋渡しを当商会が担うことも可能です。

 一度、ご相談の機会を――クレオール商会


クレオールとは以前、ノーラ個人が鑑定士としての仕事を依頼された懇意の仲だ。


クレオール商会へと続く丸石を敷き詰めた石畳みは、陽射しで白く乾いていた。ジルコール中央広場の噴水脇。ここで昼休憩をとってから向かう手筈だ。


ノーラ達は石造りのベンチに腰を下ろし、フレアリスが自慢げにバスケットを開いた。


「さあ、ご覧なさい。高貴なるルクレール家特製――三種サンドイッチ盛り合わせですわ!」


「おお……」

「お腹すいた……!」


 ルチェアとノーラの視線が、一斉にバスケットに吸い寄せられる。


 中には、彩り豊かなサンドイッチがぎっしり詰まっていた。ハーブ香る鳥ハムとチーズ、甘く煮た卵とピクルス、トマトと魚のオイル漬け――焼き色のついたパンから具材がこぼれそうだ。


「これ全部、フレアリスさんが……?」

「当たり前ですわ。ジルコールが誇るお洒落貴族にして料理の申し子、わたくしですもの」


「……普段の言動さえマトモなら、完璧な貴族なんだけどねぇ」


 ノーラがぼそっと呟きつつも、視線は完全にサンドイッチにロックオンされている。


「……っとその前に、高貴なる食事には高貴なる飲み物が必要ですわね――」


 一行が立ち上がり、向かいの露店で飲み物を買おうと一歩ベンチから離れた、そのほんの数歩のスキだった。


 柔らかな咀嚼音がする

 誰かがフレアリスのサンドイッチを、もぐもぐしているのだった。

 


「……え?」


 ルチェアが瞬きをする。隣のベンチの端――さっきまで誰もいなかったはずの場所に、いつの間にか若い男が腰掛けていた。


 ぼさっとした栗色の髪。地味な麻上着に、擦り切れたズボン。旅人か日雇い労働者にしか見えない。だが手つきだけが妙に洗練されていて、サンドイッチを当たり前のように掴んでは口に運んでいた。


「……うん、うまいなこれ」


 もぐもぐ。


 ノーラとルチェアが固まる。


「え、えっと、それ――」

「私達のサンドイッチ……」


 

ノーラとルチェアが戸惑っているその横で、ちょうど、紙コップに飲み物を三つ抱えたフレアリスが戻ってきた。


「さ、冷たいフルーツ水も買ってきましたわ。では改めて――」


 視界に入った。


 自分のサンドイッチを、他人が、もぐもぐしているを見てフレアリスはフルーツ水の入った木製コップをカランと落とした。地面にコップのフルーツ水がブチまかれる。


「……………………」


 沈黙が、数秒。


 次の瞬間、フレアリスの笑顔がバキッと音を立てて割れた。


「なにをしてますのォォォ!? それは! わたくしの! 高貴なる! 昼食ですわよ!!」


奇妙な怒声とともに繰り出される腰の入った裏拳。それが男の顔面を素早く捉えたかに見えたが――若者はベンチに座りながらも咄嗟に半歩だけ身を引いた。その動きは妙に軽い。


「避けるな!」


スルリと攻撃を避けられたフレアリスは、さらに激しく怒り、素早く三日月蹴り。



若者はしなやかな猫のように、背もたれのベンチから身体を半身回転させ後ろに回る。

 

「避けるさ! 痛そうだから」


と口の中をもぐもぐさせ答えたので、フレアリスの顔はノーラ達が見たこともないほど真っ赤に燃え上がる。


「人の物を勝手に食べるなぁぁッ!!」


 ひゅ、と空気を切る拳。

 若者は、腰を落として軽く体を捻り、その拳をギリギリで避けた。まるで訓練された兵士のような回避。


「美味そうだったんだから仕方ない。俺を誘ったこのサンドイッチが罪なのだ」



「お黙りなさい! 訳の分からないことを……!」


 すかさずフレアリスは回し蹴りを放つ。スカートがひらりと舞い、かかとが男の頬を掠めた。男はそのままベンチの背もたれに手をつき、ひょいと身を翻して距離を取る。


「待ちなさいこのコソ泥っ! 今すぐ代金と謝罪と新しいサンドイッチを要求しますわ!!」


「えと……」


 若者はサンドイッチを持ったまま、口をもぐもぐさせながら振り返った。


「まず、その……釈明させてくれ、悪気はなかったんだ。不用心に置いてある食べ物は、共有物かと」


「そんな訳ありませんでしょうがぁ!!」


「ぴゃう……」

 ルチェアの肩のピョコマルは若者とフレアリスを交互に見て困惑している。


 ノーラは溜息をついた。


「……ちょっと、あんまり騒ぐと衛兵来るわよ。フレアリス、落ち着きなさい」


「こっ……これが落ち着いていられますか!? このわたくしが丹精を込めて作った特製サンドイッチを無断で貪る不届き者ですわよ!?」


「でも、その……」ルチェアがおそるおそる口を挟む。「すごく、身のこなしが軽い……ただのコソ泥さんには見えないというか……」


「身のこなしが軽かろうが泥棒は泥棒ですわ! このわたくしの断りもなくサンドイッチもぐもぐとは万死に値しますわ! そうですわ燃やしましょう! なにルクレール家の禁術を使えば骨も残りませわ!」


「ちょっと落ちつきなさいよ」


やれやれといった感じでノーラが後ろから羽交い絞めにし、ルチェアも必至に取り押さえ、市場通りには好機の眼差しで見る見物人も増えていく。


「離しなさい貴方達!」


 若者はそこで、ようやくサンドイッチを飲み込んだ。


 そして軽く咳払いをして、腰の小袋をごそごそと探る。


「分かった! 代金はちゃんとお支払いする。ええと……銀貨一枚で足りるか?」


「足りてしまいますわよ!」フレアリスが即座に答える。「どれだけ高級サンドイッチでも一枚は取りませんわ! というか、最初から買ってくださいまし!!」



「それはそうだな。すまんすまん、腹ペコだったんだ。この辺りの屋台は美味いもの特にないし」


 若者は、にこりと人懐っこい笑みを浮かべた。


 その笑みは、場違いなほど柔らかく、どこか人前に出慣れている者の笑いだった。


「味は本当に素晴らしかった。間違いなくこの街で食べたものの中でも上位だ。ごちそうさま」


 そう言って、軽く頭を下げると――若者は人混みへ紛れるように駆け出した。


「待ちなさいって言ってるでしょうがぁぁ!! まだ話は終わっておりませんわよ!」


 フレアリスが追いすがろうとするが、ノーラが腕を掴んで止める。


「やめなさいって。今日はクレオールとの会談が先。遅れたくないでしょ」


「む、むぅぅぅ……!」


「それに」


 ノーラは、彼が置いていった銀貨を指先で弾いた。


 縁に、ごく小さく王家の紋章を変形させたような刻印がある。普通の流通銀貨には使わない意匠。


(――やっぱりね。只者じゃない)


 彼女は心の中だけでそう結論を出すと、銀貨をくるりと回し、懐にしまった。


「フレアリスのサンドイッチ代は、後でちゃんと弁償するから。今は会談に集中」


「……あの顔、絶対に忘れませんわ。次に会ったら、正式な決闘状を叩きつけてやります!」


「ぴゃう……」


 そうして騒がしい一幕を背に、三人と一匹はクレオール商会ジルコール支部へと足を向けた。


~クレオール商会ジルコール支部~


 港からの荷路に面した、石造り三階建ての商館。


 入口には葡萄と天秤を組み合わせた看板。

 クレオール商会ジルコール支部だ。


 受付で名前を告げると、すぐに上階の応接室へ案内された。


 重厚な机の向こうに座っていたのは、四十代半ばほどの男だった。濃い茶髪を後ろで束ね、整えられた髭。仕立てのいい紺のジャケットに、控えめな金糸の刺繍。


「初めまして。クレオール商会ジルコール支部長、ラドクリフ=クレオールと申します。遠路わざわざ」


「銀刻交易連合代表、エレアノーラ=リッチポンドです。こちらは協力者のフレアリス=ヴァン=ルクレール。そして従業員のルチェア」


 ノーラは簡潔に名乗り、椅子に腰を下ろす。フレアリスは優雅に、ルチェアはおそるおそる続いた。


 ラドクリフは、にこやかだが油断のない目で三人を順に見やる。


「まずは、砕石魔石の護送件では大変お世話になりました。あの件で、我々と銀刻交易連合の信用は、相互に一段階引き上がったと感じております」


「こちらこそ。砕石魔石は使い道が分かりやすいから、扱いやすくて助かるわ」


「ですが――今回お招きしたのは、それとは別件です」


 ラドクリフは声を落とし、机の上に一枚の紙を置いた。王都医療院の印章が押された紹介状だ。


「手紙でもお伝えしましたが、再生魔石について。あくまで噂の段階とはいえ、貴女がそれを手元に置いている可能性を、王都はかなり真剣に見ております」


 フレアリスが扇子で口元を隠しながら、小さく呟いた。


「……いきなり核心に触れてきますわね」


「こちらとしても、遠回しな探り合いをしている時間はあまりありませんので」


 ラドクリフは率直だった。


「黒魔術師クリオのせいで街道事情は悪化し、怪我人や行方不明者は増加傾向にあります。王都でも、魔物による被害地域は年々広がっている。再生魔石の真偽がどうであれ、その言葉がもたらす希望だけは、既に独り歩きし始めている」


「……だから?」


 ノーラが静かに促す。


「クレオール商会としては、銀刻交易連合と共同の枠組みを作りたい。再生魔石が一本しか存在しないとしても――それを使った治療サービス、あるいは修復サービスを、公的なものとして枠組化する。その際の窓口を、我々が担う」


 ルチェアが目を丸くする。


「えっと、それって……再生魔石を、クレオールさんのところに渡すってことですか?」


「いいえ」


 ラドクリフは即座に首を振った。


「そこまでは求めません。――むしろ、我々としても実物がどこにあるのか知らないままの方が安全でしょう」


「……ほう」


 ノーラの目がわずかに細くなる。


「はっきり言います。再生魔石そのものは貴女が持っていて構わない。譲渡も保管も要求しません」


 ラドクリフは指を一本立てる。


「その代わり、我々が求めるのがあります」


 「再生魔石を用いた治療・修復サービスを、銀刻交易連合の特別商品として正式に設定すること。その受付と予約・料金徴収・記録管理を、クレオール商会が代行すること。王都医療院と王立トラスト商会に対し、『銀刻交易連合+クレオール』という形で共同提案を行い、王都側の承認を取ること」


 フレアリスが小声でノーラに囁く。


「……要するに、実務と看板はこっちで持ちますから、石の力だけ貸しなさいってことですわね」


「そういうこと」


 ノーラも小声で返す。


 ラドクリフは微笑みながら続けた。


「もちろん、報酬配分は対等に。再生魔石を実際に扱う貴女方に、利益の六割を。残り四割を、我々の運営費・リスクヘッジ・王都への交渉窓口分とさせていただきたい」


「6:4……ねぇ」


 ノーラは天井を一瞥し、指先で机をとんとん叩く。


「悪い条件じゃない。けど、今のままなら、まだ時期尚早だわ」


「黒魔術師クリオの件、ですか」


「ええ」


 ノーラはあえて視線を逸らさず、ラドクリフを見据えた。


「街道がこの有様じゃ、再生魔石のサービスなんて公表した瞬間に、クリオか似たような連中が飛びついてくる。『価値あるもの』は燃やすのにちょうどいいから」


 ルチェアが不安そうにノーラを見る。


「だから、条件を一つ追加させてもらうわ」


「伺いましょう」


「黒魔術師クリオの外堀を埋めるための護衛隊と情報網――その一部に、クレオール商会も正式に乗ってきて」


 ノーラは手を組み、身を乗り出した。


「銀刻交易連合単独じゃ限界がある。ギルドと異典執行局だけでも手が回らない。だから、商会の方からも押さえをかける。各商隊の護衛に対する共同出資、被害報告の早期共有、クリオに雇われる可能性のある傭兵情報の交換――そういったものを、クレオールの名前で引き受けて」


「……ほう」


 ラドクリフの目が、少しだけ愉快そうに細まった。


「こちらにとっても、悪くない提案です。クリオのせいで街道が止まれば、儲けどころか大損ですからね」


「再生魔石の枠組みを作る前に、盤面の安定を作る。その代わり、枠組みができてからの果実は、ちゃんと分け合う」


 ノーラは肩をすくめる。


「それが、銀刻交易連合としての回答よ。今すぐ再生魔石ビジネスは始めない。けれど、その前提条件を整える共同戦線なら、乗る価値はある」


 フレアリスが、扇子をぱちんと閉じる。


「それに、黒魔術師退治に協力した商会という看板。後々、ずいぶんと高くつきますわよ?」


「高く――、ですか」


「評判という意味で、ですわ。王都の噂好きはそういう話、大好物でしょう?」


 ルチェアも、おそるおそる言葉を足した。


「クリオさんがやってることって、たぶん……人の心を壊していくことだから。

 それを止めた人たち、止めようとした人たちのことは、きっと誰かが見てます」


 しばしの沈黙。


 やがてラドクリフは、ゆっくりと立ち上がった。


「――よろしい。クレオール商会ジルコール支部としては、その提案を受け入れましょう」


 彼は手を差し出す。


「まずは、街道防衛・情報共有に関する覚書から始める。それが形になった時点で、再生魔石を用いた共同提案の具体案に移る。……いかがです?」


 ノーラも立ち上がり、その手を握った。


「銀刻交易連合として、合意するわ」


 握手が交わされた瞬間、ルチェアの肩の上でピョコマルが「ぴゃう」と鳴いた。


 まるで、新しい取引の行く末を面白がるように。


 部屋を出たあと、階段を降りながらフレアリスがぼそっと呟いた。


「にしても……腹立たしいですわね」


「クレオールの条件? それとも黒魔術師?」


「どっちもです。でも今一番は――」


 くくっと拳を握る。


「わたくしのサンドイッチを盗み食いしたあの男ですわ。

 あの身のこなし、裁きの対象に追加決定です」


「まだ根に持ってるのね……」


 ノーラは苦笑しつつも、懐の中の銀貨を指先で撫でた。


 そこに刻まれた、ささやかな王家風の紋章。


(――あれがもしソラリア王子のなら噂通り、ぼんくらに見せかけるのが上手いわね)


 彼女は心の中でだけ、そう呟いた。


 ジルコールの街は、静かに揺れ続けている。

 その渦中で、銀刻交易連合はまた一つ、新しい線を結んだのだった。

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