58~黒魔術師クリオ暗躍3
試練のコイン騒ぎがようやく落ち着き、偽銀鑑定は銀刻交易連合へという張り紙がジルコール市場のあちこちに貼られ始めた頃――ノーラは朝の帳簿を閉じ、インクのついた指先を軽く振ってから椅子の背にもたれた。
フレアリスは自身が事務所に持ち込んだ、専用ソファで詩集を読んでいる。ソファに詩集に料理器具、気がつけばフレアリスの私物も事務所には増えている。
「……ふぁぁ。偽銀の相談だけで、ここ数日でいくら稼いだかしらね」
まばらに続いた客足が途絶え、仕事が一段落したとこであくびを一つ。
「ノーラさん、これ、昨日までの鑑定料のまとめです」
ルチェアが恐る恐る差し出してきた簡易帳簿には、コルとフローの数字がきれいに並んでいる。
ピョコマルはその足元で丸くなり、「ぴゃ……」と小さくあくびをした。
「うん、悪くないペース。偽銀騒ぎも捨てたもんじゃないわね」
ノーラが満足げに頷いた、その時だった。
トントン、と事務所の扉が軽く叩かれる。
「開いてるわよー。まさかまた偽銀鑑定?」
「ノーラさん、いますか!」
顔を出したのはソルトだった。いつになく真剣な顔つきで、額には軽く汗が滲んでいる。
「何よ、その顔。ギルドでロクでもない依頼でも引いた?」
「……ギルドから、ノーラさんに正式な呼び出しです。ギルド長と、異典執行局の人間が来てるそうで……」
ノーラは片眉を上げた。
「異典まで? 物騒ね」
「はい。それに……あの黒魔術師クリオの件で、状況が悪化してるみたいで」
室内の空気が、ほんの少しだけ冷たくなる。
フレアリスはソファから身を乗り出し、扇子をぱちんと閉じた。
「……行きますわ、ノーラ。これは聞いておくべき案件ですわね」
「もちろん。その間、ルチェアは留守番。ピョコマルと一緒に店番お願いね」
「わ、分かりました!」
「ぴゃっ」
~ジルコール冒険者ギルド・応接室~
重い扉の向こうには、ギルド副長サイラスと、灰色のコートを纏った男女二人が座っていた。
胸元には、異典執行局の紋章――開いた本と、上に交差する二本の黒い羽ペン。
ノーラとフレアリスが入ると、全員の視線がすっと集まる。
「来たか、ノーラ。それに……ルクレール嬢も」
サイラスが立ち上がり、軽く会釈した。
「忙しいところ悪いな。まずは座ってくれ」
ノーラは椅子に腰掛けながら、正面の灰コートの女を値踏みする。
年は三十代前半ほど、切りそろえた黒髪を一つに束ね、瞳は冷静そのもの。
隣の男は無精ひげ、だが姿勢は軍人のようにまっすぐで、目だけがやけに鋭い。
「異典執行局・ジルコール出張隊の尋語士リュシエルだ。こちらは断章隊のカイン」
女が自ら名乗り、隣の男も短く頭を下げる。
「異典が、こんな辺境までご足労とは。歓迎すべきかどうか迷うところですわ」
フレアリスの棘のある挨拶に、リュシエルは口元だけでわずかに笑った。
「歓迎されないことには慣れている。私たちは火事が起きた場所にしか行かないから」
ノーラが腕を組む。
「で、その火事というのは――クリオ?」
「ああ。それと」
カインが机の上に一枚の羊皮紙を広げた。
そこには簡易地図と、ジルコール周辺に赤い印がいくつも刻まれている。
「ここ一月ほどで、街道沿いの商隊襲撃が急増している。ゴブリン、獣人、アメーバ系の魔物……種類はばらばらだが、どれも召喚の痕跡があった。そして現場周辺からは、黒魔術特有の魔力残滓が検出されている」
「ふぅん。つまり今、ジルコールを囲むように魔物の輪ができてるわけね」
ノーラは地図を覗き込み、顎に手を当てる。
確かに、赤い印は円を描くように街を取り巻いていた。
「物流、流通、人の往来……全部、じわじわと締め上げられている。
このまま放置すれば、冬を待たずに一部の村は干上がるだろう」
サイラスが苦々しい顔で言う。
「問題は、攻撃しているのが野生の群れじゃないってことだ。例の黒魔術師クリオが、魔物を線でつなぎ、街を包囲している。撃退しても、やつは空間魔法でひょいと逃げる。倒せないまま、被害だけが膨らんでいる」
「だからこそ、執行局としてはクリオを討伐対象と認定した。
正式な分類は――流災級。放置すれば一帯の秩序を崩す危険がある魔術師、という扱いだ」
リュシエルの声音は淡々としているが、その言葉の重さは部屋の空気を変えた。
「流災級、ね」ノーラは小さく息を吐いた。「厄介なラベルを貼ったものね」
フレアリスが扇子を握りしめる。
「そんな危険人物を、このまま泳がせるつもりですの?」
「もちろん、放置する気などないさ」
サイラスが机に拳を置いた。
「問題は、人手と懐具合だ。クリオのせいで砕石魔石の搬入も滞り、街の工事や運搬が止まりかけている。魔石価格は高騰寸前、商人たちは神経を尖らせている。……ノーラ、お前も肌で感じてるだろう?」
「ええ、砕石魔石どころか、水魔石まで値動きが怪しくなってきたわ。このタイミングで街道が封鎖されるのは、クリオが経済も巻き込んで遊んでるとしか思えない」
リュシエルがノーラをじっと見る。
「そこで、だ。ギルド長の推薦もあって――君に協力を依頼したい」
「また厄介な仕事が来たわね。内容を聞いてから考える」
「ではまず、内容を聞いてくれ」
「ギルドと執行局共同の護送隊を編成し、ジルコール近郊の砕石魔石採掘場とのルートを一時的に再開させること」
「砕石魔石の流通が滞って、街道の開拓や現場作業が進まないと聞いておりますわ」
フレアリスが神妙な表情でうなづく。
「ああ。それと護送の行程でクリオの出現を確認した場合、可能な限り術式の情報を採取し、討伐の足掛かりを作ること」
「つまり、砕石魔石の運搬も兼ねたおとり作戦ってわけね」
「察しがいいな」
サイラスが苦笑する。
「先日、銀刻で同じような依頼をギルド経由で発注したもの」
そう言い、ノーラが肩をすくめる。
「もちろん、ただでとは言わん。護送成功時には報酬のほか――砕石魔石の優先購入権を一部、銀刻交易連合に付与する。今の状況なら、砕石魔石一つでどれだけ儲けが出るか……想像つくだろ?」
ノーラの目が、わずかに細まった。
(砕石魔石のルートを押さえれば、今後の建設案件や運送案件で銀刻にとって長期の利益になる。再生魔石みたいな一点ものじゃない、回転する資産になる……悪くない)
フレアリスが椅子の背から身を乗り出した。
「つまり、高貴なるわたくしの炎と、ノーラの水魔法を必要としているわけですわね? いいでしょう、受けて立ちますわ」
「ちょっと、まだ受けるとは言ってない」
「ノーラが断るわけありませんわ。どうせ計算の結果、受けた方が得と出るに決まってますもの」
「……否定できないのが悔しいわね」
ノーラは頭をかきながら、リュシエルに向き直る。
「何かあれば、真っ先に切り捨てられる立場って自覚はあるけど――砕石魔石の件は無視できない。
あと、ここまで執行局が前に出る以上、クリオは放っておいても私たちの生活圏を壊しに来るでしょうし」
「引き受ける、と?」
「こちらから条件が一つ」
「護送隊の編成に、ギルドの他に商会を一つ混ぜてちょうだい。どうせ連中は砕石魔石ルートに喉から手が出るほど飢えてる。リスクを背負わせれば、後々の交渉材料になるわ」
「……どこを指名するつもりだ?」
サイラスの問いに、ノーラはにやりと笑った。
「そうね――砕石魔石の扱いに実績のある三商会。
クレオール、ドフォール、バルツのうち、一番話が分かりそうで、欲深いところ」
「……ドフォール商会、か」
サイラスが渋い顔をする。リュシエルは興味深そうにノーラを見た。
「敵を引き寄せて、同じ船に乗せる気か。随分、腹の据わったやり方だ」
「腹は据わってないわよ。リスクとリターンを計算してるだけ」
ノーラは肩をすくめた。
「で? 執行局としては、それでも構わない?」
「……我々の目的はクリオの排除と封じ込めだ。その過程で、欲深い商人が一、二人、痛い目を見るくらいは許容範囲だろう」
リュシエルはあっさりと頷いた。
「分かった。副長、商会との調整は任せても?」
「ったく……お前といると胃が痛くなるよ、ノーラ。だが――乗ろう」
サイラスは深く息を吐いた。
「三日後、護送隊を編成する。それまでに用意を整えておけ。
ルートはジルコール北東の砕石魔石採掘場。街道沿いの村の状況も合わせて確認してきてほしい」
「了解。……じゃ、帰って準備と計算ね」
ノーラが席を立つと、フレアリスも扇子をぱちんと鳴らした。
「よろしい! わたくしの高貴なる火と、ノーラのケチくさい計算で、この街の首を絞める黒幕をあぶり出して差し上げましょう!」
「ケチくさいは余計よ」
ノーラたちが応接室を出ていくのを見届けると、部屋に静寂が戻る。
カインが腕を組み、ぽつりと漏らした。
「……あの魔女、本当に一般登録なんですか?」
「ああ、ギルドの書類上はただのフリーの魔女兼商人だ」
サイラスが苦笑する。
「だが、あいつは金の匂いと危機の匂いには敏感でね。妙な勘も働く。クリオに対しても、他の商会の対しても――下手な執行官より、よほど面倒な変数になるだろうさ」
「面倒な変数、だからこそ使う価値がある」
リュシエルは窓の外――ジルコールの街並みを眺めながら言った。
「黒魔術師クリオ。再生魔石。砕石魔石の利権。これだけの材料が一つの街に集まれば、何が起きてもおかしくない。……我々は、記録と処理を同時に行うつもりで動くしかない」
カインが静かに頷いた。
「了解です――流災級・黒魔術師クリオ討伐作戦。始めましょうか」
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