57~フレアリスと試練のコイン
昼下がりのジルコール上流区。石畳の静かな路地に、白い壁と青い屋根の二階建ての一軒家が並ぶ。その一角――ギルド宿舎とは別管理の、高級賃貸の一軒家がフレアリスの住まいだった。
テーブルの上には湯気を立てるシチューと、焼きたての白パン。
フレアリスは優雅な所作でスプーンを運びながら、食後のハーブティーを一口飲み、家計簿をぱらぱらとめくった。
「……ふむ。家賃、光熱費、衣装代、化粧品代……外食費……」
視線が、一行でぴたりと止まる。
「――ギルド報酬、少なっ!?」
ページの端にメモされた今月の任務回数2を見て、フレアリスは固まった。
最近は、ノーラのところへ冷やかし半分・興味半分で通い詰めてギルドの依頼も、ノーラが絡まないものはつい後回しにしてしまい、いつの間にか前パーティーからは自然消滅=離脱扱いにされていたのである。
「このままでは……高貴なるルクレール家の末裔が、家賃滞納という庶民的悲劇に見舞われてしまいますわ……!」
真顔で現実を直視した高貴なるお嬢様は、ぱんと手を打った。
「こうなったら、私のセンスあふれる私服コレクションの一部を、手放すしかありませんわね。きっと店主が泣いて喜ぶほどの名品揃いですもの」
そう宣言してクローゼットを開き、飾り襟やレース、リボンまみれの服を何着か選び出すと、バスケットに詰め込んで家を出た。
ジルコール商業区。
古着屋と質屋が並ぶ通りの一角で、フレアリスは私服を査定してもらっていた。
「うーん、生地はいいんだが装飾がな……普段着にするには派手すぎて……」
「何かおっしゃいました? それは高貴なるルクレール家の――」
「いやいや、文句じゃねぇよ。……まぁ全部で6フローってところだ」
「な、ななななっ……!」
(元値の十分の一にも満たないんですけど!?)
声にならない悲鳴を上げつつも、家賃の現実がフレアリスを黙らせた。渋い顔で銀貨を受け取り、店を出る。
その時、ふと隣の露店の木箱に目が留まった。
「……ちょっと待ってくださいな。あの銀貨、なぁに?」
木箱の中には、妙にデザインの凝った銀色のコインが十数枚、がらがらと無造作に放り込まれていた。
表には奇妙な紋章、裏には意味ありげなラテン風の文字。縁は削れ、ところどころくすんでいるが――それがかえって「古びた由緒正しさ」を感じさせる。
「おっ、お嬢さん、見る目あるねぇ。そいつは仕入れたばっかりさ。古い記念貨幣って話でね、銀もそこそこ使ってる。1枚2フローでどうだい?」
「……ふむ。確かに、どこか惹かれる意匠ですわね……。ルクレール家の家紋ほどではありませんけれど」
さっき手に入れたばかりの銀貨が懐で重みを主張する。
(家賃……の一部……でも、これを転売すれば、もしかして大儲けのチャンスではなくて?)
脳裏に「ノーラの呆れ顔」と「値踏みで見返す自分の姿」が同時再生される。
「買いますわ。そのコイン、1枚――いえ3枚。
高貴なる審美眼で価値を見抜いて差し上げますわ!」
銀貨を支払い、フレアリスは、上機嫌で踵を返した。
~ジルコール郊外。
銀刻交易連合、森の中のアナグラ兼事務所。
ルチェアが帳簿運びをしている横で、ノーラは書類をめくりながらペンを走らせていた。
そこへ、扉が勢いよく開く。
「ノーーーラっ!」
「……何そのテンション?」
「見なさい、これ! 市場で見つけたのですけれど、どうやら相当レアな銀貨のような予感がしますの!」
フレアリスは自慢げにコインを差し出した。
ノーラは椅子から半身を起こし、その銀色の円盤を指先に乗せる。
重さ、縁の削れ方、刻印の浅さ――そして、コインを軽く爪で弾いた。
コツン。
「……はい、偽銀ね」
「はぁっ!?」
「音が軽いし、比重も足りない。縁の削れ方も、軟い金属が下にあるパターン。メッキよ。本物のフロー銀貨は、もっと重くて冷たい音がするわ」
もう一度、ノーラは自分の財布から本物の銀貨を取り出し、指で弾いてみせる。
キィン――。
わずかに高く澄んだ音が、アナグラの中に響いた。
「ほら、違いが分かる?」
「……っ、ぐっ……! わ、わたくしの高貴なる審美眼が、こんな安っぽいメッキに……!?」
フレアリスはショックで膝に手をつき、その場にがくりと崩れ落ちた。
ルチェアが心配そうに覗き込む。
「あ、あの……そんなに落ち込まないでください。デザインは、すごく綺麗だと思います……」
「ルチェア……優しい子ですわね……。でも、ノーラに偽銀と一刀両断された時点で、わたくしのプライドが……」
ノーラは肩をすくめた。
「まあ、授業料だと思っときなさい。偽物が市場に紛れてくるのは珍しくないし。
こういうのが増えると、本物の銀も巻き添えで信用落ちるから、あんたの嫌いな庶民も困るのよ」
「ぐぬぬ……偽銀め……市場の信用を穢す不届き者ですわ。
――よろしい、わたくしがこの偽銀の件、真相を暴いてやりますわ!」
「いや、別にそこまでしなくても……」
ノーラの制止も聞かず、フレアリスは拳を握りしめて立ち上がった。
翌日~
ジルコール市場の外れにある簡易鑑定所。フレアリスは、昨日と同じ銀貨を鑑定台に置いていた。
「これ、本物の銀貨であると証明してくださる? あのノーラに鼻を明かしてやりますわ」
老鑑定士は、ルーペを片目に銀貨をしげしげと眺め、天秤に乗せ、軽く指ではじいた。
「……これは銀ではありませんね、ただのメッキです」
「な、なんですって!? これは高貴なる私が――」
後ろで順番待ちをしていた商人たちが、どっと笑いをこらえる気配を見せる。フレアリスの耳まで真っ赤になった、その時。
「……それ、昔から“試練のコイン”って呼ばれてるやつに似てるねぇ」
列の端にいた腰の曲がった老婆が、ぽつりと呟いた。
「試練の……コイン?」
「そうさねぇ。持ち主は必ず一度は大恥をかくけど、その後に大きな幸運が舞い込むって噂だよ。昔、傭兵がそれ持って戦場に行ったら、矢が全部外れて帰ってきたとか、商人が賭場で一晩儲けたとか、そんな話さ」
フレアリスは、ぴたりと黙った。
(……一度、大恥……今、盛大にかきましたわね?)
その会話を近くで聞いていた行商人の男が、興味深そうにフレアリスの銀貨を覗き込む。
「へぇ“試練のコインね……面白ぇ。縁起物なら、話のタネに一本欲しいな」
それが――後々、ジルコール中に広まる小さな火種となった。
一週間後。
「おい、聞いたか? 試練のコインってやつ」
「持った傭兵、敵の攻撃が全部外れたってよ」
「商人がそれを持って賭場に行ったら、一晩で財産が倍になったらしいぞ」
「ただし、必ず一度は大恥かくんだとさ。だが、それも通過儀礼ってことで、今じゃ縁起物だってよ」
一週間も経たないうちに、ジルコール市場では妙な噂が飛び交い始めた。
極めつけは――
「元祖保持者は、あのルクレール家のフレアリス嬢なんだとよ」
「ああ、暦後の不死鳥って呼ばれてるあの魔女か」
「なら、効き目ありそうだな……」
あの日鑑定所で大恥をかいた一部始終もセットで広まり、「まず大恥→その後幸運」という物語性まで完備された結果――
フレアリス=試練のコイン第一号保持者 という妙な伝説ができあがってしまった。
「お嬢様、そのコイン……ぜひ譲っていただけませんか。20フローでどうでしょう」
「いや、うちは25フロー出す!」
「30フローで! 息子の受験に縁起物を!」
「は、はぁ!? ちょ、ちょっと落ち着きなさいな!」
高級住宅街にまで押しかけてきた買い手たちを前に、フレアリスは面食らっていた。
だが、家賃と家計簿の数字が頭をよぎる。
(待ちなさい……これはもしかして、わたくしに訪れた幸運的な何かでは?)
「ふふ……この試練のコイン、元祖保持者であるわたくしの手を離れるのですもの。
安売りはできませんわね。――120フロー、これでいかが?」
「か、買った!」
こうしてフレアリスは、自分が2フローで買った偽銀コインを、120フローで売り抜けることに成功した。
その後、彼女は調子に乗って市場中のそれっぽい銀メッキコインを買い集め、転売を試みる。
「試練のコインはこちらですわ! さぁ、幸運を求める庶民ども、順番に並びなさい!」
――だが数日後。
「なんだよこれ、鑑定したらただのメッキじゃねえか!」
「うちのコインもだ! 銀含有量ゼロ!」
「誰だ、幸運の試練のコインなんて言い出したのは!」
鋭い商人と鑑定士たちが本格的に調べだした結果、
試練のコイン=ただの銀メッキ記念コイン
という事実があっさり暴かれ、バブルは一気に崩壊。
市場価格は1枚0.02フローまで暴落した。
数日後、銀刻交易連合の事務所。
バスケットいっぱいに銀メッキコインを抱えたフレアリスが、机に突っ伏していた。
「……終わりましたわ。せっかくの120フローが、ほとんど在庫の山に……」
ノーラはコインを一枚つまみ上げて、苦笑する。
「まあ、勉強にはなったでしょ。噂と物語だけで値段が跳ね上がる時、市場はいつか必ず揺り戻す。最後に掴んでる人が、一番損をするのよ」
「……皮肉ですわね。わたくしが一番最初に恥をかき、一番最後に損をしましたわ」
「最初の大恥は、噂の種としてちゃんと回収されたからノーカウント。
一番美味しいタイミングで売り抜けたんだから、トータルでは黒字よ。ほら、これ計算」
ノーラは帳簿をめくり、簡単な収支を見せる。
「仕入れ2フロー+追加仕入れ分を差し引いても――ね? 致命傷にはなってない。それに」
バスケットのコインをぽん、と叩く。
「この偽銀バブル崩壊のおかげで、ジルコールの真っ当な銀貨や銀細工にとっては、むしろチャンスかもしれないわ。本物の鑑定は銀刻交易連合へって売り文句、使えるでしょ?」
「……まさか、この事態を利用するつもりですの?」
「ピンチはビジネスチャンス。偽物と本物を見分ける目があるなら、それを売るのが商会ってものよ」
フレアリスはしばし黙り込んだ後、小さく笑った。
「……本当に、貴女は性格が悪くて頼もしいですわね、ノーラ」
「褒め言葉として受け取っとくわ」
ルチェアが心配そうに尋ねる。
「あの……このコインたち、どうするんですか?」
「まとめて溶かして、ピョコマル用の鈴でも作る?」
「ぴゃっ!?」
ピョコマルが慌てて隠れ、アナグラに笑い声が広がった。
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