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54~ドフォール商会の暗殺者

 

 ジルコールの夕暮れは、いつもより少しだけ騒がしかった。


 露店の片付ける音、行き交う荷馬車の軋み。

 その喧騒の中に、誰も気づかない「別の気配」が混じっていた。


 屋根と屋根の境目――薄暗い瓦の影から、細身の青年が目を細めて通りを見下ろす。


(……あれだな)


 長めの黒髪を後ろで軽く束ねた青年――セラ・ナイトフォールは、手帳に素早く走り書きする。


 黒いローブの少女と、明るい髪の小柄な少女、そして鹿のような顔をしたふわふわの魔獣。


 ローブの少女は露店の商人と短く言葉を交わし、値札の裏や瓶の底を一瞥しただけで「今日はここまで」とばかりに手を振って去っていく。


(銀刻交易連合。エレアノーラ。……再生魔石の持ち主)


 彼女の後ろを歩く少女――ルチェアが、ピョコマルの首にリボンを結び直しながら笑った。


「ノーラさん、今日もすごかったです。あの人、瓶の中身見ただけで水増しされてるって……」


「単に泡の量が不自然だっただけよ。あと目つき」


「目つきで分かるんですか?」


「怪しい値札を見る目は、だいたいみんな似てるのよ」


 くすり、とセラは屋根の上で笑う。


(噂通り、銀貨の匂いの嗅ぎ分けは本物ってわけか)


 手帳を閉じ、腰に下げた小瓶を指先で軽く回す。


 背後から、ざり、と瓦の音。

 振り返ると、黒鉄の鎧が夕陽を鈍く反射していた。


 全身鎧の大男――バルグ・アイアンメイスが、無言のままこちらを見上げている。

 隣の屋根の縁では、細い老人が、首にまとわりつく蛇の頭を撫でていた。


 ヴィルゴ・ザ・スネークマン。皺だらけの顔と白濁した片目が、夕闇の中で不気味に光る。


「どうじゃ? 獲物の勝手はだいたい掴めたかの?」


「ええ」


 セラは肩をすくめる。


「昼間は事務所から市場とギルドの往復、夜はアナグラ住まいの傾向が多い。

 今日みたいに、ルチェアと一緒に歩いてる時はあの魔獣もいる。……狙うなら、一人の時がベスト」


「一撃浴びせれば遅いか早いかだけ、毒で死なぬ者などおらぬ」


 ヴィルゴは喉の奥で笑い、指で蛇笛を撫でる。


「だが――依頼は生け捕りだ。女の魔女は殺すな。

 再生魔石を持ってる場所を吐かせ、石と一緒に渡せ――そういう話だったかのう」


「そう。再生魔石の獲得が獲得が優先」


 セラは壁によりかかり、面倒そうにため息をひとつついた。


「いいですか、じいさん。

 あなたは足止め、バルグが壁役。俺が締めと。

順番を間違えなきゃ、誰も死なせずに済む。くれぐれも勝手に蛇で独断せんでくださいよ、報酬が減る」


「ふん。分かっておるわ、何年この稼業をやっとると思うておる」


ヴィルゴは不機嫌そうにそっぽ向く。

その方向にいる全身鎧の大男――バルグは、窓から見える開けた景色に視線を合わせたまま動かない。


「その割には、あなたの仕事は死人の数が多いんですよ」


「フン。当然じゃろう、殺し屋の仕事は相手を素早く消し己の痕跡を消すこと」




 下を見れば、ちょうどノーラたちの後ろ姿が見える。通りを外れ、細い路地へと消えていくところだった。


「……今日の本命は、夜ですね。

 銀刻交易連合の事務所前。護衛も薄い時間を狙いましょう」


「了解」


 バルグは短く言い、鎧のきしむ音とともに屋根の影から姿を消した。


 ヴィルゴもまた、蛇笛を懐にしまいながら呟く。


「毒を流し込むには、暗がりがちょうど良い」


 夕焼けの朱が、ゆっくりとジルコールの瓦屋根から消えていった。


~その夜~


 ジルコールの一角にある、銀刻交易連合の小さな事務所は、灯りを一つだけ残して静かに沈んでいた。


 ノーラは帳簿を閉じ、硬くなった肩を回す。


「ふぁ……。今日はここまでね」


「お疲れさまです、ノーラさん」


 ルチェアは椅子の上で丸まり、半分眠たげな目でピョコマルを抱きしめていた。

 ピョコマルは「ぴゃう」と小さく鳴き、尻尾をふる。


「ルチェアは先に寝てていいわよ。地下の寝床、ちゃんと毛布追加しておいたから」


「でもノーラさん、一人で大丈夫ですか?」


「この事務所、金庫と帳簿以外盗るものないわよ。

 それに――」


 ノーラは壁際の棚を指さした。そこには、ルーンを刻まれた鈍い銀色の箱が鎮座している。


「こっちの大事な子たちは、全部あれの下。

 私の魔力と合鍵がなきゃ、触れもしない」


 再生魔石は、ピョコマルの協力を得て構築したルーン倉庫のさらに奥、二重三重の結界で守られている。


「……それでも不安そうね」


 ノーラは微笑み、ルチェアの頭をぽんと撫でた。


「だったら、ピョコマルを置いていきなさい。

 何かあったら、代わりに叫んでくれるでしょ」


「ぴゃっ!」


 ピョコマルが胸を張るように鳴いた。


「じゃあ……ピョコマル、ノーラさんをお願いね」


 名残惜しそうに抱きしめた後、ルチェアは地下への階段を降りていく。

 足音が遠ざかり、やがて静寂だけが残った。


 ノーラは溜息を一つ吐き、立ち上がる。


「さてと。戸締まりして、私も――」


 その瞬間。


 ピョコマルの耳がぴん、と立った。


「……?」


 ノーラも動きを止める。

 事務所の外――扉の先、ほんの少しだけ空気の流れが変わった気がした。


(風向き……? 違う。これは――匂い)


 かすかに、湿った土と……爬虫類の冷たい匂い。


 次の瞬間。


 壁の隙間、窓枠のわずかな裂け目から、するりと細い影が入り込んできた。


 ――蛇。


 灰褐色の細い蛇が、音もなく床を這う。

 続けて、二匹、三匹。気づけば事務所の床一面に、細い糸のような蛇が滲み出ていた。


「ちっ……」


 ノーラは即座に指先でルーンを切る。


「《ウォーター・ミスト》」


 床一面に薄い水膜が広がり、蛇たちの動きが一瞬鈍る。

 だが、それでも止まらない。蛇たちは水をものともせず、じりじりと近づいてくる。


 外から、かすかな笛の音が聞こえた。


 しわがれた息を吐くような旋律――蛇笛。


「……蛇使いね。こんな時に」


 ノーラは歯噛みし、扉の方を振り返る。


「ピョコマル、後ろ!」


「ぴゃっ!」


 ピョコマルが尻尾を大きく振り、ノーラの背後に飛び退く。

 蛇の群れから、一本だけ妙に白っぽい蛇が首をもたげた。牙の先に、乳白色の液体が光る。


(おそらくは麻痺毒……!)


 ノーラは左手を突き出し、即座に水を圧縮する。


「《ウォーターボール》!」


 圧縮水球が白蛇を打ち、壁に叩きつける。

 だが、弾けた水飛沫の一部が、別の蛇の肌を伝って床に散った。


 その水の中にも、わずかな毒が混じっている。




 笛の音が、さらに強くなる。

 蛇たちはまるで一つの生き物のようにまとまり、ノーラの足元を取り囲もうとする。


「ピョコマル、ジャンプ!」


 ノーラは自分の体ごと軽く跳躍し、棚の上へ飛び乗る。

 ピョコマルも「ぴゃうっ」と叫びながら、ノーラの肩にしがみついた。


(扉の外に本体がいる。ここで蛇を相手しててもキリがないわね)


「じゃあ――まとめて洗い流しましょうか」


 ノーラは宙にルーンを走らせる。

 指先で、流体・圧・放出のルーンを三つ重ね――


「《ウォーターガン》!」


 ほぼ無詠唱に近い短い詠唱。

 狭い室内に、圧縮された水の奔流が放たれた。


 床を這っていた蛇たちが、一気に扉の方へ押し流される。

 蝶番が軋み、扉が内側から蹴り飛ばされるように開いた。


 水と蛇と木片が、夜の路地へと飛び出していく。


 その向こうで、老人の笑い声が響いた。


「クク……派手な水洗いよのう。だがワシの操る蛇を全て捌けるかの」


 路地の暗がりに、長外套をまとった老人が立っていた。

 首と腕に絡む蛇たちが、こちらをじっと見つめる。


 ヴィルゴ・ザ・スネークマン。


「依頼は生け捕り。おとなしくついてきてくれれば、苦しまずに済むぞい?」


「お断りよ」


 ノーラは、わざとらしく肩をすくめる。


「それに――生け捕りにするって前提で、こんなに毒ばらまく人、信用できないでしょ?」


「ワシは毒のプロじゃ。どれほどの量を流してやれば死に至るか理解しておる」


「その量を誤った例が、ここまで来る間に何人いそうかしらね」


 短いやりとり。


 その背後――路地の影が、ぬうっと盛り上がるように動いた。


 黒鉄の巨体。大盾。


 バルグ・アイアンメイスが、一歩前に出た。


「標的確認。黒ローブ、水魔法使い。小型魔獣一体」


 低く落ち着いた声でバルグは標的となるノーラを見据える。


「俺は前に出る。ヴィルゴ、蛇で足を止めろ。……セラ、準備は?」


 返事はない。

 だが屋根の上の暗がりから、微かな金属音が聞こえた。小瓶が揺れる音。


 ノーラは路地を見渡す。

 左右の退路は、樽と木箱で塞がれている。

 前には大盾、後ろにはまだ数匹の蛇。上には、見えない暗器使い。


(……立派な袋小路)


「ピョコマル」


「ぴゃ?」


「風をお願い。上の空気を揺らして」


 ピョコマルの耳がぴくりと動く。

 ルチェアとの訓練で覚えた、媒介魔法


 ノーラはピョコマルの額に指をあて、さっと簡易ルーンをなぞる。


「《ウィンド・フラップ》」


 ピョコマルの尻尾が大きくしなり――


 ぱさっ。


 路地の上空に、突然、不規則な風の渦が生まれた。


「っ……」


 屋根の上の影が、一瞬だけバランスを崩す。

 そのわずかな揺れを、ノーラは逃さなかった。


「そこね。《ウォーターショット》!」


 弾丸のような小さな水球が、暗がりに飛ぶ。

 金属音と短い呻き声。数本の小瓶が瓦の上を転がり落ちた。


「……へぇ。今のだけで居場所が分かるんですか」

 かすれた声が、別の位置から返ってくる。


 セラは素早く屋根から飛び降りた。

 細身の体が、ノーラとバルグの中間地点に着地する。


「想像以上だ、金の亡者と聞いていたが」


「私にとっては誉め言葉ね。迷惑な暗殺者に褒められたって、嬉しくないけど」


「暗殺者じゃなくて、今日は捕獲屋だ」


 セラは前に手を出し、見せびらかすように指を開く。

 指先の間には、細い針が一本ずつ挟まれていた。


「ただ、少しの間動けなくなってもらうだけだ」


 その合図のように――バルグが盾を構え、突進してきた。


 地面が低く唸る。

 鉄の塊が、まっすぐにノーラへ向かって押し寄せる。そのまま突き飛ばすような勢いだ。


(正面突破か……!)


 ノーラは即座に後ろへ飛び退く。

 だが足元では、ヴィルゴの蛇たちが一斉に鎌首をもたげた。


「逃がさんよ」


「しつこいわね、ほんと!」


 ノーラの表情に焦燥が見え始める。


「《アクア・スリップ》!」


 足元の石畳が一瞬で濡れ、ぬるりと滑る床に変わる。

 バルグの巨体が、その上でわずかにバランスを崩した。


 しかし――倒れない。


 大盾を支えに、巨体は無理やり姿勢を立て直す。


「悪あがきだ」


 盾が壁に叩きつけられ、石が砕ける音が響く。

 ノーラはギリギリで身を捻り、壁と盾の間をすり抜ける。


(速いわね……! あの巨体ででこの突進速度……)


 その時。


「――それ以上は…進ませない」


 低い声と共に、別の影が路地へ飛び込んできた。


 すばやく長槍の穂先による応酬が繰り出され、バルグの大楯と激しくぶつかる。


 


 ノーラの前に突然現れた助っ人は、カルメノだった。


 簡素な鎧に身を包んだ槍使いが、盾ごと巨体を押し返した。


「……あんた、どうして?」


「……報酬の相談。のついでだ」


 カルメノは目線をずらさずに答える。


「だが、今はそれどころじゃないらしい」


「一人邪魔が増えた。依頼にあったリストか?」

 バルグはぼそりと呟き、盾を構え直す。


「契約は対象の生け捕り。第三者の殺害は極力避ける。

 ここから先は時間との勝負だ」


 セラが口元を歪め、小瓶を一本取り出す。


「さあ――どうしますか、銀箱女」


 ヴィルゴの蛇たちが、再びノーラとカルメノを取り囲む。

 路地の出口は、大盾と暗器使いに塞がれた。


 ピョコマルが震えながらも、「ぴゃう」と一声鳴く。


 ノーラは深く息を吸い、指先に魔力を集めた。


(……なるほど。ジルコールに現れてる火種は黒魔術師だけじゃない。石を狙う連中が、いよいよ本気になってきたってわけね)




「カルメノ」


「なんだ」


「ちょっとだけ、無茶してもらうわよ」



ノーラの声には少し焦りが混じっているようだった。


「……ああ。」


 短いやり取り。



 銀刻交易連合の路地裏で、

 再生魔石を巡る最初の本格的な実力行使が、今まさに幕を開けようとしていた――。


閲覧いただきありがとうございます。

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