53~再生魔石の使いどころは
数日後。
銀刻交易連合の小さな事務所にも、朝から人の出入りが増え始めていた。
街道の小競り合いは増えたものの、砕石魔石の輸送を成功させたことで、「銀箱女の商会は危ない橋も渡せる」という妙な評判がつき始めたのだ。
「……ってわけで、街道の護衛付き輸送パックはひとまず成功ね」
ノーラは帳簿の手を止め、椅子の背にもたれる。
机の上には、砕石魔石の輸送報酬、豊穣魔石の売却予定額、そして――再生魔石の欄だけがぽっかりと空白のまま残っていた。
「ここだけ、動かさない貯蓄って感じですね」
ソルトが紅茶を載せた盆を持って戻り、帳簿を覗き込む。
「魔石の王様、って感じがする……」
ルチェアはきょとんとした顔で、透明のポーション瓶に入った小さな魔石を見つめた。
再生魔石は、ノーラの手で布に包まれ、普段は金庫にしまわれている。
今は鑑定と研究用に、短時間だけ開封されていた。
「王様っていうより、次元の違う兵器って感じね。市場に出した瞬間、世界中から変なのが寄ってくるわ」
ノーラは肩をすくめ、チラと窓の外を見る。
通りには、露店を引き払いながら噂話に花を咲かせる商人たちの姿が見える
「……で、商会の動きは?」
「再生魔石の噂に食いつてる商会ってことですよね」
「ええ。噂の広がり具合、あなたの情報網で」
ソルトは一瞬だけ目を閉じ、指で机を二度トントンと叩く。
「まず、繊維と日用品を扱う《ハルメス商会》。ここは様子見。
再生魔石の噂は本当らしい、銀刻がどう動くか見てからだ”って感じ」
「慎重派ね。で、ドフォールは?」
「相変わらず攻め姿勢。先に囲い込んだ方が得だというのが向こうの常識みたいですね。
ただ、黒魔術師クリオの件で、あからさまな武力行使は今は控えてる。目立つとギルドに睨まれるからね」
「ふぅん……」
「もう一つ、鉱石と魔石メインの《バルネ=ローレン商会》は――」
コンコン。
ちょうどそこで、事務所の扉が控えめにノックされた。
「……噂をすれば、って顔してますよ?」
「いやなタイミングの良さね」
ノーラは再生魔石を手早く布で包み、引き出しの奥に滑り込ませると、涼しい声で応じた。
「はーい、開いてるわよ」
扉が開く。
入ってきたのは、三十代前半ほどの男だった。
茶色の髪を後ろで束ね、質の良いが落ち着いた色合いのジャケット。
胸元には、小さな金属プレート――バルネ=ローレン商会の紋章が光っている。
「初めまして。ジルコール支部所属、バルネ=ローレン商会のテオバルトと申します」
男は丁寧に一礼した。
その仕草は洗練されているが、ドフォール商会の使者のような圧はない。
「ようこそ、銀刻アナグラ支店へ」
ノーラはわざとらしく両手を広げて見せる。「それで、どんな用件かしら?」
テオバルトは軽く苦笑する。
「……噂に聞く通り、歯切れの良いお方だ。単刀直入に申し上げます。
――再生魔石について、少々情報交換と提案をさせていただきたく」
ルチェアが小さく肩を跳ねさせた。
ノーラは椅子の背にもたれながら、顎に手を添える。
「持っているかどうかから、聞かないのね?」
「その程度の事前調査もできないようでは、商会の看板が泣きますので」
「気が利くわね。で――何が聞きたい?」
「まずは確認です。銀刻交易連合が、再生魔石を今すぐ売るつもりはない……というのは本当でしょうか?」
「ええ。本命の取引は、もう少し先に回すつもり」
テオバルトは小さく息を吐いた。
「そうですか。もっともな判断だと思います。
今、ジルコールは黒魔術師クリオの件で非常に不安定だ。
ここで再生魔石の売買など始めれば、餌撒きにしかなりません」
「その分、あなたたちの懐からも、落ちてくるはずだった利ざやがこぼれてるわけだけど」
「……痛いところを」
苦笑しながらも否定はしない。
ノーラも、そこが気に入った。
(正直な奴ね。嫌いじゃないわ)
「で、あなたたちは何を提案しに来たの? 先買権とか、独占契約とか?」
「いえ。もっと地味で、地に足のついた話です」
テオバルトの瞳が少しだけ鋭くなる。
「――再生魔石を、街の防衛にも使う気はありませんか?」
「……ほう」
ソルトが思わず身を乗り出した。
「具体的には?」
「ギルド経由で上がってきている報告……ご存知でしょう。
クリオの襲撃で重傷者は増えていますが、じきに戦えなくなる兵や冒険者が出始める。
そのタイミングで街の防衛線が薄くなれば、彼は必ず次の手を打つ」
「兵站の問題ね」
「ええ」
テオバルトは指を組み、静かに続けた。
「我々バルネ=ローレンとしては、ギルドと共同で治癒枠を一つ増やしたい。
通常のポーションや僧侶だけでは追いつかない場面で、一枚だけ切れる切り札として――再生魔石を、限定的に貸し出してほしいのです」
「貸し出し?」
ノーラの瞳が細くなる。
「売れではなく?」
「ええ。売れと言えば、あなたが即座に席を立つと分かっておりますので」
テオバルトは肩をすくめる。「こちらから出せる条件は三つ」
「一つ。再生魔石の保管場所と管理権限は、常に銀刻交易連合が持つこと。
貸し出しは現場へ持ち出すのではなく、重傷者を運び込ませる形で行う」
「二つ。使用の可否は、あなた――エレアノーラ殿の判断に一任する。
ギルドや三商会がこの者を優先しろと口出しすることはしない」
「三つ。再生魔石の使用回数が尽きた場合、バルネ=ローレンから銀刻交易連合へ、相応の補償金を支払う。金額は、街に在庫がある最高級の治癒ポーションを基準に計算して、10倍――」
「20倍」
ここまでじっくりと溜飲するように耳を傾けていたノーラが、食い気味に割って入った。
静かな声だったが、室内の空気は一瞬張り詰める。
「再生魔石は、たぶん世界にそう何個もないレベルの品。
あなたたちの在庫ポーションを10や20本束ねたくらいで、はいそうですかと納得すると思う?」
「……20倍」
テオバルトは軽く目を伏せ、すぐに顔を上げる。
「条件としては、妥当かもしれません。
ただ、商会としては承認に少々時間をいただきたいところです」
「もちろん。今すぐ決めろとは言わないわ」
ノーラはあくまで平然と、紅茶に口をつけた。
(街の防衛に貸す……か)
彼女の脳裏に、あの窪地の黒い紋とクリオのサインがよぎる。
(クリオが本気でジルコールを兵糧攻めに来るなら――こっちにも切り札の使いどころが出てくる)
「一つだけ、確認しておきたいわ」
「はい」
「あなた、ドフォールの動きにはどこまで関わってる?」
テオバルトの肩がぴくりとだけ動いた。
「……弊社は、彼らとは別ルートで動くと上層部も決めています。
ドフォール商会がどんな手を打とうと、我々は銀刻交易連合との約束を優先する」
「口約束だけ?」
「さすがにそれでは信用を得られないでしょう」
テオバルトは鞄から一枚の羊皮紙を取り出した。
そこには簡潔な文面が記されている。
――ジルコール支部は、銀刻交易連合との優先的な協調関係を結ぶ。
再生魔石の件について、ドフォール商会他、第三者への情報提供・横流しを行わない――。
「本社から、そこまでの確約は取っている。……信じるかどうかはあなた次第ですが」
ノーラは羊皮紙をざっと目で追い、ふっと笑った。
「いいわ。とりあえず、今日は打診を受けたってところまでにしておきましょう」
「ご検討のほど、よろしくお願いいたします」
テオバルトは立ち上がり、一礼して事務所を出ていった。
扉が閉まると同時に――ルチェアが堪えきれずに声を上げる。
「あ、あのっ……さっきの話、どうするんですか? 本当に、再生魔石をみんなのために使う……んですか?」
「ルチェア」
ノーラは椅子をくるりと回し、彼女と正面から向き合った。
「再生魔石はね、何のために使うかを間違えた瞬間、持ってる側にもリスクのある毒にもなるのよ」
「ど、毒……?」
「地方領主が自分のケガの為に、全部使ってくれって頼まれたら?
高名な伯爵が自分の息子のためだけに、使えって金貨を積まれたら?
うちの兵士だけ優先しろって、どこかのバカ王様に命じられたら?」
「……っ」
「誰をどこまで助けるか決めるのは、持ち主の胃袋を削る仕事よ」
ノーラは天井を仰いで、ため息をひとつ吐く。
「でも――」
静かに続ける。
「街ごと焼かれるような状況になって、それを一つ、ひっくり返せる可能性があるなら。
その時は、切らなきゃいけない。……それが、持ち主の義務ってやつね」
ソルトが苦笑した。
「ずいぶん、らしくない言葉ですね。もっと、損をしない使い方とか言うと思ってました」
「言うわよ? だからこそ、本当にここぞって時以外には絶対使わない。
クリオが、街を燃やすか人を玩具にするか――そういう局面を作ってくるなら、その時にぶつける」
「……あいつの笑い声を止めるために使うってことですか」
「そういうこと」
ノーラは、窓の外に目をやった。
ジルコールの空は、いつも通りの青さだった。
だが、その裏側で、黒い笑い声と商会たちの思惑が静かに絡まり始めている。
(再生魔石。砕石魔石。豊穣魔石。水魔石……)
指で机をトントンと叩きながら、呟く。
(全部、誰の手にあるか”で、ただの石にも、戦争の引き金にも変わる。
なら、せめて一番面白い使い方を、私が選んでやる)
「よし。今日はもう畳みましょう。ルチェア、ピョコマル連れて地下倉庫までついてきて」
「え? はい!」
「再生魔石の保管場所、もう一段階いじるわ。
私がいないと、絶対に開かない鍵をかける。そのための、ちょっとした実験よ」
「実験……?」
「ええ。銀刻交易連合式・魔石保管ルーン倉庫の、お披露目」
ピョコマルが「ぴゃう」と鳴いて首をかしげる。
ノーラは笑い、ピョコマルの額を軽く指でつついた。
「あなたにも、協力してもらうわよ、名誉看板魔獣さん」
こうして、再生魔石を巡る契約と守りの準備が静かに幕を上げる。
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