52~黒魔術師クリオ暗躍2
翌朝。
銀刻交易連合の看板に、朝日が斜めに差し込んでいた。
ノーラは少ない荷物をまとめて革紐でくくると、肩にカバンをかける。
銀刻の事務所の前には緊張した面持ちのソルト、そして用心棒としてノーラが雇った無表情のカルメノが直立不動で待機していた。
「じゃ、行ってくるわ。ルチェアは留守番とピョコマルの世話、お願いね」
「はい……! 気をつけてくださいね、ノーラさん、ソルトさん、それとカルメノさんも!」
「ん」
カルメノは短くうなずくだけだったが、今日の砕石魔石の護衛で“腕前と信頼”を証明できれば、そのうち正式に護衛契約を増やす――そんな暗黙の期待が、ノーラとの間にある。
「ピョコマル、番頼んだわよ。何かあればすぐ鳴いてちょうだい」
「ぴゃう!」
ピョコマルが胸を張る。
フレアリスは既に出かけており、情報収集のために庶民料理屋と酒場の梯子に向かったはずだ。
ジルコール冒険者ギルド。
掲示板には、いつもより「護衛」「街道確認」の札が目立っていた。
ノーラは受付カウンターに向かい、支部長代理の男に書類を差し出す。
「砕石魔石の小口輸送ね。うちの名前で護衛依頼一本、正式に立てたいの」
「銀刻交易連合から、か。商会発注なら……そうだな、街道の安全確認も兼ねて、ギルドとしても願ったりだ」
男は書類を確認し、ふっと笑う。
「運ぶ量は?」
「馬車一台分。採石場からジルコールまでの往復。危険手当込みで、報酬は5フロー。半分は自腹で出すわ」
「随分気前がいいな。儲かってるのか?」
「必要経費よ。街道が死ねば、こっちの商売も死ぬもの」
支部長代理は感心したように肩をすくめた。
「じゃ、護衛側のメンツは?」
「こちらからは、私とソルト、それにカルメノ。あとはギルド側で一人か二人、追加してもらってもいいけど」
「……いや、その三人なら十分だろう」
男はカルメノを一瞥してうなずいた。「お前の槍の噂は聞いてる。あとは……」
奥から、軽鎧姿の若い女戦士がひょいと顔を出した。
「暇してる下っ端一人、つけときます。街道脇の偵察と補助くらいはやれますよ」
「なら、それで」
手続きはあっさりと済み、一行は砕石魔石を積み込んだ荷車と合流した。
荷車を引く老馬の手綱を、採石場の管理人が握っている。
「いやぁ、助かります。最近は本当に物騒でねぇ。魔物の数が多いなんてもんじゃなくて、まるで誰かが号令をかけたように出るんですよ」
「……ええ、知ってるわ」
ノーラは曖昧に笑い、街門をくぐった。
街道は、一見すると穏やかだった。
秋の終わりを告げる風が草原を揺らし、遠くでメメロンの群れが「キュー」と鳴きながら草をはんでいる。フレアリスに火を付けられた個体と違い、この群れは平和そのものだ。
「ここ数日は、ここまでは特に被害報告は出てない」
ソルトが地図を見ながら言う。「問題は、丘陵が増えるあたりから先だね」
カルメノは無言で周囲を見渡しながら、槍を肩に担いで歩いている。
その歩幅や呼吸は、無理のないリズムで一定だった。
(……体力、視野、足運び。やっぱり動き慣れた傭兵って感じね)
ノーラは横目でカルメノを観察しつつ、時折、土に目を落とした。
轍の深さ、足跡の向き、擦れた草――。
旅人の往来が減ったせいで、以前より土は寂しげだ。
やがて、緩やかな上り坂を越えたところで、ソルトがぴたりと足を止めた。
「……ここだ」
「どうした?」
カルメノが問うと、ソルトは地図の一点を指差す。
「先週、ギルドの討伐隊がクリオを追いかけて、一時的に見失った地点。あの時も、この少し先でゴブリンとオーガに挟まれたって話だった」
「なるほど、一度使った舞台ってわけね」
ノーラは顎に手を当てる。
「荷車は、ここで待機させましょう。護衛の女戦士と一緒に、少し離れた場所に待機。何かあればすぐ戻るわ」
「了解」
指示を出すと、ノーラたち三人は、荷車から外れた獣道の方へ足を向けた。
谷筋に向かって、じわじわと空気が変わっていく。
湿り気と、どこか鉄臭い匂いが鼻を掠めた。
「……血の匂いが、薄く残ってる」
カルメノがぼそりと言い、槍を構える。
やがて視界が開け、小さな窪地が姿を現した。
折れた木、抉れた土、焦げ跡――つい最近まで、激しい戦闘があったことが一目で分かる。
「ここね」
ノーラはしゃがみこみ、土に手を触れる。
しっとりとした感触の中に、ひやりとした違和感が混ざっていた。
「……魔力の残滓。まだ消えきってない」
「クリオの、ですか?」
「たぶん。かなり癖が強いわ」
土の表面には、ところどころ黒く焼けた紋の名残があった。
ルーンなのか、呪術紋なのか――普通の魔術師が使うものとは明らかに系統が違う。
ノーラがそこへ指先を伸ばした瞬間――
ぐにゃり、と視界が揺れる。
黒い霧、裂かれる叫び、燃え落ちる藁屋根――。
一瞬だけ、どこかの村が炎に包まれる光景が脳裏をかすめた。
「ッ……!」
ノーラは反射的に手を引っ込める。
「ノーラ!」
ソルトが支えに回り、カルメノは槍を構えたまま周囲を警戒する。
「大丈夫。触れただけで、少し残り香を見せられただけよ。……趣味の悪い男ね、ほんと」
ノーラは額の汗を拭い、薄く笑った。
「クリオの魔法陣、少しだけ構造が分かった。召喚だけじゃなく、記録と嗜好がくっついてる。自分が壊した光景を、魔方陣の底に焼き付けてるのよ」
「……無駄に器用なことをしますわね、そいつ」
思わずフレアリスの口調が脳裏をよぎり、ノーラは自分で苦笑した。
「で、その残り香から、何か情報は拾えそうですか?」
ソルトの問いに、ノーラは頷く。
「完全に消えきる前に、陣の癖だけでも控えておけば、次に遭遇したときに同じ系統かどうか分かる。……それと」
ノーラは指先で、焦げ跡の縁をなぞるようにして小さな水のルーンを描いた。
微弱な水魔法で、焼けた土をほんの少しだけ柔らかくする。
「ここ、見える?」
浮かび上がったのは、子どもの落書きのような、歪な記号の一部。
──クリオ・クルセイド
歪んだ、しかし自己顕示欲を密に示すような自らの名前が刻まれている。
「……気持ち悪……」ソルトが顔をしかめる。「自分の魔法陣の端っこに、わざわざそんな字を……」
「壊すのが楽しくて仕方ないんでしょうね。自分の作品にサインを入れたつもりかしら」
ノーラは肩をすくめた。
「でも、これで一つ分かった。同じ字があれば、それはクリオの陣ってこと。サインは、追跡に使える」
「逆手に取る、ってやつですね」
カルメノが小さくそう言った。
「……それで?」
「今日は深入りしない。あくまで街道確認と、陣の癖を掴むのが目的。戻る途中で、周囲に魔物の気配がないかだけ確認する」
そう言いかけた、その時だった。
草むらの向こうで、「ギィ……」という乾いた声がした。
ゴブリンの声に似ているが、どこか湿った響きだ。
「来る」
カルメノが槍を半身に構え、ノーラとソルトが間合いをとる。
草をかき分けて現れたのは――
黒ずんだ皮膚に、骨の仮面をかぶったような小鬼たちだった。
手には錆びた短剣と、見慣れない骨の棒。
「骨仮面ゴブリン……! こんな亜種、聞いたことないぞ」
「召喚と混血を繰り返した結果ね。数は……」
左右の茂みから、次々と姿を現す。
一体一体は小柄だが、その動きは妙に統率が取れていた。
「十……十五……もっとか」カルメノが呟く。「俺が前を受ける。ソルト、後ろから魔道具で援護しろ」
「了解!」
「私は――」
ノーラは指を鳴らした。
「《ウォーターベイル》展開。石を投げるわ」
彼女の足元に薄い水膜の陣が広がり、周囲から浮いた小石に淡い光が宿る。
最初の一体がカルメノに飛びかかった瞬間、槍の穂先が正確に喉を貫く。
返す蹴りで二体目を距離の外へ弾き飛ばす。
その頭上を――石が飛んだ。
水で研がれた石は、まるで弾丸のような速度で仮面を砕き、骨と肉片を飛び散らせる。
「数は多いけど、質は低い。冷静に数を減らすわよ!」
ノーラの声に合わせ、ソルトが風の魔道具を起動させる。
足元に陣が広がり、突進してくる小鬼たちの足をとらえる。
カルメノの槍筋は無駄がなかった。
突き、払うたびに一体、二体と倒れていく。
(……やっぱり、こいつは壁役として優秀ね)
数分ののち、窪地に立っている小鬼は一体もいなくなった。
荒い息が落ち着いてくると、ノーラは周囲を見回し、眉をひそめる。
「……召喚陣は?」
どこにも、さっき見たような黒い魔方陣はない。
死体も、しばらくするとじわじわと黒い霧になって消え始めた。
「これ、完全に使い捨ての駒だね……」ソルトが呟く。
「ええ。でも、さっきの窪地の陣と同じ匂いがする。きっと、どこか少し離れた場所で陣を組んで、ここに流してきたんでしょう」
「つまり、まだ近くにいる可能性も、あるってことだな」
カルメノの一言に、ノーラは首を横に振った。
「今日は深追いしない。目的は果たしたし、砕石魔石の荷車を無事に戻すのが最優先。……それに」
ノーラは、さっき見つけたクリオのサインを思い出す。
「本番の舞台は、きっとここじゃない」
ジルコールへ戻った頃には、もう夕暮れが街を赤く染めていた。
砕石魔石を無事に納品し、ギルドで報告を済ませると、ソルトはカルメノと共に戦闘の記録を提出しに残った。
ノーラは一足先に事務所へ戻る。
扉を開けると、ルチェアとピョコマルが飛び起きた。
「ノーラさん! おかえりなさい!」
「おかえり」
「ただいま。留守番、どうだった?」
「はい、ちゃんと……! ピョコマルもいい子にしてました!」
「ぴょ!」
ノーラは微笑み、カウンターの上に今日のメモを広げた。
「――さて。黒魔術師クリオの輪郭が、ようやく少し見えてきたわね」
街では、まだ誰も気づいていない。
銀刻交易連合の小さな事務所で、ひとつの敵の癖が静かに掘り起こされたことに。
この先、三商会とギルド、そしてノーラたちを巻き込む大きな争いが始まるとは――
まだ、誰も知らなかった。
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