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51~黒魔術師クリオ暗躍


 ジルコールの街は、いつもより静かだった。


 銀刻交易連合の事務所に座るノーラは、帳簿の端にペン先を置いたまま、ソルトの話を黙って聞いていた。


「――ってわけで、最近の街道周辺の魔物の増加、やっぱりあいつが原因らしいんだ」


 ソルトは机の上に簡単な地図を広げる。

 ジルコール周辺の街道に、赤い印がいくつもついていた。


「ここ、ここ、それからここ。全部、ここ一週間で集団で”出現した地点です。ゴブリンの群れ、ワイルドホルダーの小隊、それとオーガ二体……。普通だったら、そんなもん同じタイミングで出ないですよ」


 ノーラは頬杖をつき、地図を覗き込む。


「で、その背後にいるのが――黒魔術師クリオ、ね」


「うん。ギルドに戻ったときに、支部長から聞いた。ジルコールだけじゃなく、近隣の村につながる街道でも被害が出始めてる。商人も巡礼隊も冒険者も、みんな足止め。物流も人の流れも、ガタガタだよ」


 窓の外から聞こえる荷馬車の音も、今日は明らかに少ない。


 フレアリスがソファから身を乗り出した。


「で、そのクリオとやらは、ギルドが討伐し損ねた、と?」


「何度か討伐隊が出たみたいですけど……。姿を確認した瞬間、空間魔法でどこかへ転移してしまうんですって。しかも、そのたびに魔物だけが残る。完全に、街道封鎖を狙ってますよ」


「逃げることだけは一流、というわけですのね。姑息にも程がありますわ」


 フレアリスは鼻で笑い、扇子をぱちんと閉じた。


 ルチェアは、少し青ざめた顔で地図を見つめていた。


「……前にノーラさんが言っていた、谷でたくさん魔物を操ってた人ですね」


「ああ。その男だよ」ソルトがうなずく。「あいつ、あれから昇格したらしい。ギルドの区分で、危険度Bランク相当の継続的脅威って扱いになった」


「継続的脅威、ね。つまり放置すると、長期的に街の経済が死ぬってわけ」


 ノーラの声は淡々としていたが、瞳は鋭さを増していた。


「実際、街の雰囲気も変わってますわよ」

フレアリスが窓の外を指さす。


「遠征隊商の荷馬車も減っているし、宿屋の灯りも心なしか少ない。昨日なんて、食堂のオーナーがそろそろ仕入れがきつくなってきましたわとぼやいていましたもの」


「市場の人も言ってました」ルチェアも小さく手を上げる。「遠くからの魚が全然入ってこないって。パン屋さんも、粉の種類が減ってきてて……」


 ノーラはペンを指でくるくる回し、帳簿をぱたんと閉じた。


「……かなり厄介ね」


「街が困るから、ですか?」ルチェアが尋ねる。


「それもあるけど――」


 ノーラは椅子にもたれ、天井を仰ぐ。


「物流が止まると、相場が歪む。必要な物が届かない場所と、余って腐る場所ができる。そこに、妙な連中がつけ込むのよ。人身売買、盗賊、戦争前夜の買い占め、情報の独占……。全部、混乱が大好きな連中」


 ソルトが頷いた。


「ギルドもそれを懸念してる。討伐依頼だけじゃなくて、護衛依頼や臨時の物資輸送依頼も一気に増えたよ。ただ……」


「ただ?」


「クリオを直接どうにかする依頼は、まだ正式には掲示されてない。冒険者を何度か無駄足にさせられてるから、支部長も相当慎重になってるみたい」


「そりゃ、姿を見せた瞬間、転移で逃げる相手だものね」


 ノーラは地図の赤い印に視線を走らせた。道の分岐、谷、丘、旧街道跡――魔物の出現地点には、ある程度の共通性があった。


(街道の交差と、地形のくぼみが多い……。こいつ、ただの破壊衝動持ちじゃない。流れを見て撃ってる)


 ノーラが指先で印を軽く叩くと、フレアリスが顎を上げた。


「どうやら何か、思うところがあるようですわね、ノーラ」


「まだ確証はないけど……。クリオは街道上の物流を狙ってるように見えて、実際は魔術的な流れの方を見て動いてる気がするのよ」


「魔術的な流れ?」


 ソルトが首をかしげる。


「この辺りの地脈と旧時代の祭祀跡地。ほら、ここ」


 ノーラは別の帳簿から、以前メモしておいた小さな地図を取り出す。

 それは、魔女同盟の資料を元に、自分で書き起こしたものだった。


「この谷の古い教会跡と、廃祠、それから失われた修道院跡。魔女狩りの時代に魔術式を封じるために壊された場所が、いくつかあるの。クリオは、その周辺――昔、魔法陣があった場所に召喚陣を重ねてるんじゃないかしら」


「……なるほど。地脈の残り香みたいなものを利用してる、ってことですのね」


「そう。だからギルド側は街道封鎖にしか見えないけど、あいつはもっと別の目的を持ってる可能性が高い。例えば――」


 ノーラはわずかに目を細めた。


「誰かの動きを封じたうえで、街道と情報網を混乱させる、とかね」


 その「誰か」に、再生魔石を持つ銀箱女が含まれていてもおかしくない――そう口に出すことはしなかったが、ノーラは脳裏でその可能性を静かに棚に上げておいた。


 ソルトが息を呑む。


「ノーラさん、まさか……」


「断定はしない。ただ、こういう類の狂人は、壊し方に美学を持ってるパターンが多いの。適当に暴れてるだけなら、もっと雑に派手にやるはず」




フレアリスがそっと口にした。

「言ってましたわねあの男。人の絶望的な顔が見たいと」


 ノーラは肩をすくめた。


「そういう趣味なら、街ひとつ飢えさせる前に、まずは足元をすくってくるでしょうね。ふふ……趣味が悪い」


「笑いごとじゃないですよ……」ソルトは額を押さえた。


「で、ギルドはなんて?」ノーラが尋ねる。


「正式な討伐依頼は出してないけど――」

 

ソルトは少し言い淀んだ。

「商人側の動き次第で、大規模な共闘依頼もありうるって。ドフォール商会もリストレ商会も、砕石魔石の輸送路が詰まりかけてるから、近いうちに何かしら動き出すと思う」


「……あの三商会が、共闘なんて言葉を使う日が来るとは、世も末ですわね」


 フレアリスが肩をすくめる。


 ノーラは、指先で机をとん、とん、と軽く叩いた。


「つまり――」


「つまり?」ルチェアが身を乗り出す。


「しばらく、ジルコールと周辺は揺れるってことよ。物の値段、人の動き、依頼の質。それに、再生魔石を狙う連中も、動きを早める可能性が高い」


 ノーラは立ち上がり、窓の外の通りを見下ろした。

 いつもより閑散とした市場。慎重な足取りの商人たち。

 見慣れたジルコールの風景が、少しだけきしんで見える。


「――銀刻交易連合としては、どうします?」ソルトが背中に問いかける。


「決まってるじゃない」


 ノーラは振り返り、いたずらな笑みを浮かべた。


「混乱は、正しく読めば利益になる。変動が大きいときほど、値踏みの腕が試されるのよ。危ない橋は渡らないけど――安全圏ギリギリまでは、しっかり踏み込む」


「またそういうことを……」ソルトは苦笑する。


「もちろん、命を売るつもりはないわ。だからこそ――」


 ノーラは帳簿を開き、さらさらと何かを書きつけ始めた。


「砕石魔石の輸送路、農村への水魔石供給、病院・教会向けの薬草ルート。優先順位を付けて、どこが割れてもいい皿で、どこが割れたら終わる皿か、整理しないとね」


「……やっぱり、ノーラさんって、ちょっと怖い」ルチェアがぽつりと言う。


「褒め言葉として受け取っておくわ。――それと同時に、もう一つ」


 ノーラは顔を上げた。


「クリオに関する情報を集中して集める。ギルドだけじゃなく、街の噂、魔女同盟の記録、カルメノ経由の傭兵仲間の話……。奴の趣味をもっと正確に知れたら、次の一手が読めるかもしれない」


「情報戦、というわけですのね」


「正面から追いかけても、転移で逃げられる。なら――逃げ先を先に押さえる。あいつが好む壊し方を先回りして潰していけば、そのうち、向こうから顔を出さざるをえなくなるわ」


 ソルトは目を見張った。


「ノーラさん、それって……」


「ええ。銀刻交易連合として、クリオ対策の情報網を構築する」


 ノーラはすっと立ち上がる。


「――ソルト、すぐにギルドに行って。砕石魔石の小口輸送の護衛依頼を一本、うちの名義で出してもらうわ。表向きは安全ルートの確認。それと同時に、道中でクリオの痕跡を洗う」


「分かった!」


「フレアリス」


「なんですの?」


「あなたは、ギルドと王都筋の噂話を拾ってきて。クリオに関する噂、魔女狩り部隊の動き、過激派の話題。多少汚い酒場でも、庶民料理屋でも、今日は下々の声に耳を傾けて」


「……高貴なるこの私に、庶民の酒場巡りをしろと?」


「食べ歩きもセットでいいわよ。必要経費で落とすから」


「乗りましたわ!」


 フレアリスは勢いよく立ち上がり、扇子を振った。


「庶民の胃袋事情と噂話、根こそぎ拾ってきて差し上げますわ! ついでに新作メニューも評価いたします!」


「仕事、仕事がメインね?」とノーラ。


「もちろんですわ!」


「ルチェア」


「はい!」


「あなたは――ここで留守番。事務所の番と、ピョコマルの面倒。それから、風の感覚を意識する訓練を続けて。何かあったとき、一番早く異変を察知できるのは、きっとあなたよ」


「……分かりました。頑張ります!」


 ピョコマルが「ぴゃう」と鳴き、ルチェアの足元で尻尾をぱたぱたと振る。


 ノーラは三人と一匹を見渡し、小さく息を吐いた。


 外では、遠くでまた鐘の音が鳴る。

 物流が止まりかけた街で、銀刻交易連合の一日が、新しい局面へ進もうとしていた。


(さて、黒魔術師クリオ。あなたの壊し方が、本当に美しく計算されてるのかどうか――値踏みさせてもらうわよ)


 ノーラはそんなことを心の中で呟きながら、新たな帳簿ページを開いた。

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