48~フレアリス勘違いで一般人を締め上げる
銀刻交易連合・仮事務所。
帳簿と紙束に埋もれた机の向こうで、ノーラはぽん、と銀貨を1枚、ルチェアの手のひらに落とした。
「今日はお休み。気分転換でもしてきなさい」
「えっ……これ、銀貨じゃないですか……!」
ルチェアは目を丸くした。掌の上で、フロー銀貨がひときわ重く光る。
「そんなに驚く額じゃないわよ。黒パンなら二十日分。浪費はダメだけど、今日は使う練習の日。
ピョコマル用のものとか、自分の服か靴か……何か一つ、ちゃんとしたものを買ってきなさい」
「う、うん……! ちゃんと考えて使います!」
足元で丸くなっていたピョコマルが「ぴゃう」と鳴く。ノーラはその頭をひと撫でしながら言った。
「ピョコマルはここで留守番。帳簿の見張り役」
「……ぴゃ!?」
「……お菓子代も、ちょっとだけ計上しておくから」
「ぴゃ!」
途端に機嫌を直し、ピョコマルは机の下でふわふわと尻尾を揺らした。
そこへ、勢いよく扉が開く。
「庶民の巣窟に、今日も高貴なる風が吹き込みますわよ!」
フレアリスだった。レース付きの外套を翻し、華やかに入ってくる。
「……ちょうどいいところに来たわね」
「まあ、わたくしの登場は常にちょうど良いタイミングですもの」
「ルチェアのお出かけに付き添ってあげて。私は帳簿とギルド書類の山」
「任せなさいな! ジルコール・グルメと上質な衣服の選び方、すべてこのわたくしが教えて差し上げますわ!」
ルチェアは嬉しそうに笑った。
「フレアリスさんと一緒なら心強いです!」
「でしょう? さ、参りましょう。庶民の市場に、貴族の審美眼という雷を落として差し上げますわ!」
「……くれぐれも、店を燃やさないでね」
「お任せあれ。今日は火魔法は控えめモードで行きますわ」
ノーラは心底不安そうに眉をひそめた。
ジルコール朝市。
露店が軒を連ね、干し魚と香草とパンの匂いが入り混じる通りを、ルチェアとフレアリスが歩く。
「わぁ……やっぱり都会の市場、賑やか……」
ルチェアは目を輝かせながら、色とりどりの布や果物を見て回る。
一方フレアリスはというと――
「このパン屋、看板がダメですわね。焼き色はいいのに、並べ方が雑。美は細部に宿ると言いますのに」
「で、でも匂いはすごくいい……!」
「そこが惜しいんですのよ!」
ぶつぶつ言いながらも、試食をすすめられるとしっかり食べている。
ほどなくして、薬草屋の軒先に着いた。乾燥ハーブが束ねられ、天井から吊るされている小さな店だ。
「いらっしゃい。……おや、そっちの子は見ない顔だね」
白髪交じりの薬草屋の婆さんが、ルチェアをじろりと見る。
「あの、乾燥ハーブで、動物にあげても大丈夫なやつってありますか? ピョ……えっと、相棒がいて」
「魔獣かい?」
「えっと……たぶん、魔法生物……?」
婆さんはふん、と鼻を鳴らした。
「まあいいさ。香りで落ち着かせるなら、これとこれだね。胃にも優しい」
手際よく、小袋に二種類のハーブを詰める。
「ひと袋セン15、2つで30セン。マケて25にしといてやるよ。ノーラちゃんのとこの子だろ?」
「……ばれてるんですね」
「銀箱女のところに出入りする子なんて、そりゃ目立つさ」
ルチェアは苦笑しつつ、銀貨からセン硬貨を受け取り、小袋を抱きしめた。
「ピョコマル、喜んでくれるかな」
「その顔を見るだけで十分ですわね。――さて、次は服屋ですわよ!」
フレアリスに手を引かれ、今度は古着と仕立物の店へ。
壁一面に色とりどりの服がかかり、奥には布地の反物が並んでいる。
「ルチェア、まずは色ですわ。銀髪と瞳色を考えますと……淡い青か白、差し色に深緑。あと、スカートは膝丈が――」
「あ、あの、このシンプルなワンピース……」
ルチェアが指さしたのは、生成りの布にささやかな刺繍が入った、素朴なワンピースだった。値札には「0.7フロー」とある。
「ふむ……素材は悪くないですわね。縫い目も丁寧。……でも地味!」
フレアリスは隣のラックから、フリルたっぷりのワンピースを引き抜いた。袖にはレース、胸元には小さなリボンがいくつもついている。値札には1.4フローと書かれている。
「こっちですわ! これぞ祝福印の少女にふさわしい舞台衣装!」
「高いし、動きづらそうだし……汚したら泣いちゃう……」
「汚さないように動けばよろしいのですわ!」
結局、二人と店主との攻防の末――
ルチェアはシンプルなワンピースに、小さなリボンのついたカーディガンを追加する折衷案で落ち着き、合計1フローのうち0.9フローを使うことになった。
「残りは――ハーブ代を引いて、15センくらいね」
「ノーラさんに、ちゃんと帳簿つけてもらわないと……」
「お小遣いまで帳簿管理されるなんて、さすが銀刻の女主人ですわね……」
店を出たところで、フレアリスがふと足を止めた。
「……ルチェア」
「はい?」
「さっきから、わたくしたちを追尾している視線を感じますわ」
ルチェアはびくりと肩を震わせる。
「えっ……まさか、ドフォール商会とか……」
「落ち着きなさいな。まずは確認ですわよ――ほら、あそこの帽子のオジサン」
フレアリスは、干し果物の露店の前で、こちらをちらちら見ている中年の男を顎で示した。
「さっきから三回も遭遇しましたわ。同じ歩幅、同じルート。これは尾行ですわね!」
「た、ただ買い物が一緒だっただけじゃ――」
「いいですかルチェア、庶民は基本的に怪しいと思っておくのがちょうどいいのです!」
「それ、だいぶ偏見が入ってません……?」
そんな会話をしつつも、フレアリスの瞳は真剣だった。
彼女は曲がり角で一度ルートを変え、わざと人通りの少ない裏路地に入る。
「ここで確認しますわ。ルチェアはわたくしの後ろに」
「は、はい!」
石畳の路地を抜け、角を曲がった瞬間――
フレアリスは、影のように動いた。
背後から近づいてきた足音に合わせ、一瞬で振り返り、相手の腕をとって壁にねじ伏せる。
「観念なさい、このストーカー!」
「ひえぇぇっ!? ま、待ってくれお嬢ちゃん!? ただの通りすがりだって!」
押さえつけられていたのは、さっきの中年の男だった。片手には干しイチジクの袋、もう片手には包み紙。
「お、おじさん……!」
「さっきから店を変えても変えても、あんたらと同じ方向でなぁ……! この先にウチの家があるんだよ!」
「……え?」
「行き先が一緒だっただけですわね」
ルチェアが慌ててフレアリスの腕を引きはがす。
「す、すみません! この人ちょっと思い込みが激しくて……!」
「ちょっととは何ですのちょっととは!」
男は肩をさすりながら苦笑した。
「まったく……最近物騒だからなぁ。気にしすぎるのも分かるが、ほどほどにな」
そう言って、男は本当にその路地の先の家に入っていった。
フレアリスはふんと鼻を鳴らす。
「わたくしだって、たまには判断を誤ることもありますわ」
「さっきまで、庶民は基本怪しいって言ってましたけど……」
「例外という言葉をご存じ?」
軽口を叩き合いながら、二人は再び大通りへ戻った。
――だが。
そのあとも、フレアリスの落ち着かなさは消えなかった。
人混みのざわめきの裏側で、何度も「視線」が擦れていく感覚。
さっきのおじさんのような、分かりやすい追尾ではない。
正面からすれ違うとき、一瞬だけルチェアの顔に吸い寄せられる目。
露店の向こう側から、布の隙間越しに覗く気配。
曲がり角で、少しだけ早足になる足音。
(……さっきのはただの勘違いですわ。でも、この感じ――これは違う)
フレアリスは、あえて何も言わず、ルチェアとの会話を続けた。
「ところでルチェア、そのワンピースには、細いベルトを合わせるともっと映えますわよ」
「ベルト……今度、ノーラさんと相談してから……」
「ええ。――それと、あまり一人で出歩かないこと。ピョコマルがいてもね」
「うん……?」
ルチェアが首をかしげる。その視線を追うように、フレアリスもふと振り返った。
人混み。
野菜を担いだ農夫、剣を背負った冒険者、買い物かごを提げた主婦、行商の娘……。
どの顔も、一瞬こちらに向き、すぐに逸れていく。
ただ、一人だけ。
灰色のフードを深く被り、目元の影だけがぎらりと光った人物が、じっとルチェアの方を見ていた。
視線が交わった瞬間、その影はすぐに身を翻し、別の路地へと消えていく。
「……今の、見えました?」
「えっ?」
「いいえ、なんでもありませんわ」
フレアリスは扇子をきゅっと握りしめた。
(狙われているのは――わたくしではなく、ルチェア)
胸の奥に、じわりと熱いものが灯る。
少し離れた屋根の上から、その光景を見下ろしている影があった。
灰色のフードに、簡素な革鎧。年若い男とも女ともつかぬ細身の体躯。
片目にだけ、小さな単眼鏡のような道具をつけている。
「……やっぱりだ。印が、うっすらと反応してる」
ルチェアの姿が人混みに紛れていく方向を見つめながら、かすかに笑った。
「銀箱女は、ただの器じゃない。
祝福印付きの子どもと一緒にいる――これは、報告する価値がある」
小さなメモ用紙に、素早く何かを書き込む。
その筆致は、王都連絡商会で使われる略号とも、ドフォール商会の暗号とも違う、別系統の符号だった。
「さて。再生魔石だけじゃなく、面白い札がもう一枚、増えたわけだ」
影は屋根を蹴り、その場から音もなく消えた。
その足跡が、どこへ繋がっているのか――
まだ、ジルコールの誰も知らない。
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