45~干ばつの村で人助けと金稼ぎを
ジルコールの朝市。
露店のざわめきと、パンを焼く香ばしい匂いが、石畳の上をふわふわと漂っていた。
ノーラは銀刻交易連合の簡易カウンター――木箱を二つ積んで布をかけただけの即席机――に腰を下ろし、帳簿をぱらぱらとめくっていた。
隣ではルチェアが、ピョコマルの首のあたりをもふもふ撫でている。鹿のような顔立ちに猫のような毛並みの魔獣は、「ぴゃう」と満足そうに鳴いた。
「ええと、水魔石の在庫は……あと二つか」
ノーラがそんな独り言を漏らしたとき、商人らしき男が、肩に荷を担いで近づいてきた。
「おや、あんたが銀刻交易連合のノーラさんかい?」
「そうよ。値踏みと物流と、ちょっとした預かり商売をやってる。それで用件は?」
男は喉を鳴らし、少し周囲を見てから声を落とした。
「……西の丘の向こうに、サルベ村って寒村があるんだがな。井戸の水が細くなってきててよ。雨もなんだか少ねえし、このままだと来年の作柄が危ねえって話だ」
「干ばつ気味、ってこと?」
「ああ。村の連中、王都の教会に祈祷の依頼を出そうとしたが、寄進金が足りねえ。そこで、こないだ噂で聞いたんだよ」
男はノーラのカウンターに肘をつき、ひそひそ声で続けた。
「ジルコールに、水を湧かせる魔石を扱ってる魔女がいるってな」
ノーラの琥珀色の瞳が、すっと細くなる。
(……噂が回るのは早いわね。砕石魔石の話だけじゃなくて、水魔石まで)
「興味はあるわ。サルベ村って、この街からどれくらい?」
「徒歩なら半日。馬車なら三時間ってとこだな。村長に話だけでもしてみちゃくれねえか? 値が合わねえなら断ってくれてもいい。こっちは、紹介料に黒パン二斤ぶんくらいくれりゃ文句はねえさ」
「紹介料の値段が庶民的ね……。いいわ、検討しておく」
男が去ると同時に、背後からひょいと金髪が伸びてきた。
「水を湧かせる魔石? それ、本当にそんな便利なものがあるの?」
フレアリスが興味津々といった顔で覗き込んでくる。
「水魔石。井戸や泉に設置すれば、水脈を刺激して湧き水を安定させる。相場は二十~三十二フローってところね」
「……それをその村に売りつけるお話?」
「売りつけるって言い方やめなさいよ。投資と回収の交渉よ」
ノーラはさらさらと帳簿にメモを書き込む。
「砕石魔石は工事ギルドとの試験ロットで押さえた。次は水の実績がほしいところ。干ばつ気味の村なら、きちんと成果が出れば、他の村への宣伝にもなる」
「まぁ、確かに水問題を解決した銀刻交易連合って肩書は悪くありませんわね」
そこへ、ルチェアが、おずおずと手を上げた。
「あ、あの……その村、困ってる人がいるなら、行ってみませんか? 水が出ないの、きっとすごく不安で……」
ピョコマルも「ぴょっ」と鳴いて、ルチェアの足にすり寄る。
ノーラは少しだけ考え、ぱん、と帳簿を閉じた。
「じゃ、決まりね。水魔石一つ持って、サルベ村まで出張。銀刻交易連合の『地方開拓営業』第一号ってことで」
「……なんか、聞き慣れない言葉が出ましたわね」
「気にしないで。儲かりそうって意味よ」
「……あぁ、それなら理解しましたわ」
ジルコールから西へ、緩やかな丘を越える街道。
空は青いが、雲が少ない。風もどこか乾いている。
ルチェアは水袋を両手で抱えながら、後ろをとことこついて歩いていた。ピョコマルはその周囲を、羊の子どものようにぴょんぴょん跳ね回る。
「ねえノーラさん、水魔石って……あったら、どのくらい楽になるんですか?」
「井戸が完全に枯れてないなら、かなり違うわ。バケツ一杯汲むのに一時間かかってたのが、五分とか十分になる。家事も畑も洗濯も楽になるし、なにより水の心配をする時間が減る」
「水の心配をする時間……」
ルチェアは小さく呟いた。
忘れ谷の寒村で、干し肉の塩気を薄めるために、少しだけの水を何人かで分けていた日々を思い出す。
「でも、その分お金がかかりますわよね?」
フレアリスが扇子をぱたぱたさせながら口を挟む。
「20フロー以上なんでしょう? 村にしては大金ですわ」
「だから現金一括払いなんて最初から提案しないわよ」
ノーラはにやりと笑った。
「魔石代の半分は年賦払い、残りは豊作時の収穫から何%か――って感じで契約を組むの。うまくいけば村も助かるし、銀刻交易連合は長期的な収入源を手に入れられる」
「……やっぱり貴女、すごい金の亡者ですわね」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
「ぴゃう」
ピョコマルもなぜか誇らしげに鳴いた。
サルベ村は、小さな木柵に囲まれた、土と木の匂いのする村だった。
畑は広いが、土はところどころ白っぽく乾いている。井戸の周りには桶が積まれていたが、水面は浅い。
村の入り口で、ジンワリと汗をかいた男がこちらを睨んだ。
「旅の人か? ここに用か?」
「冒険者ギルドを通じて来た、銀刻交易連合のエレアノーラよ。この村の井戸の件で話がある、って伝えてもらえる?」
ノーラがギルド印の入った簡易証書と、自作の銀色の刻印板を見せると、男は目を瞬いた。
「お、おお……あのジルコールで噂の……。分かった、村長のところに案内する」
村長の家は、村の中央の一軒だった。
年配の男が、帳面とにらめっこしながら頭を抱えている。
「……で、その水魔石とやらで、本当に水が増えるのかね?」
ノーラは机の上に、小さな青い石をそっと置いた。
掌に乗るサイズだが、内部で淡い水色の光がゆらゆらと揺れている。
「保証はできないわ。でも、こっちも商売。成果が出なきゃ、別の村から二度と相手にされないだけ。だから、無茶はしない」
「…………」
村長は石とノーラを交互に見つめ、深く息をついた。
「だがな、嬢ちゃん。うちにはそんな大金はねぇ。せいぜい、今すぐ出せるのは銀貨三枚、あとは作柄次第……」
「全額を今すぐ出せとは言ってないわ」
ノーラは指を一本立てた。
「提案その一。魔石代を24フローとする。そのうち8フローを今、銀貨と穀物で支払ってもらう。残りの16フローは、向こう3年の収穫から、年ごとに少しずつ」
「3年……」
「提案その二。来年の収穫が、この三年の平均より多かった場合、増えたぶんの一割を銀刻交易連合に納める。その代わり、もしひどい不作になったら、その年の支払は免除する」
「うぐ……」
数字に弱そうな村長の顔が、ぐにゃりと歪む。
フレアリスが横からひそひそと囁いた。
「……要は豊作の時だけ多めにもらうから、不作の年は待ってあげますわってことですわね?」
「そう。リスクはこっちも背負う。でも成果が出るほど、お互いに得する。こういうのを利害一致っていうの」
ノーラは肩をすくめ、村長を見据えた。
「どうする? 今までどおり、雨待ちだけで一年を賭けてみる? それとも、ちょっとだけ未来に賭ける?」
「……嬢ちゃん、口が上手いな」
村長は乾いた笑いを漏らし、やがて観念したように頷いた。
「分かった。やってみよう。このままじゃ、畑が死ぬのを見てるだけだ」
「決まりね。契約書を書くから、読み上げるわ。聞いて、嫌なところがあったら言ってちょうだい」
ノーラが羊皮紙にさらさらとペンを走らせる間、ルチェアは小さな声で尋ねた。
「あの……本当に水、増えるかな」
「増やすのよ」
ノーラはさらりと言い放つ。
「失敗したら、銀刻交易連合の信用が死ぬ。そうなったら、私のお財布も痩せ細る。だから、全力でやるの」
「……そういうところ、好きだなぁ」
「ぴゃう」
ピョコマルも同意するように鳴いた。
井戸は村の外れにあった。
円形の石組みの中の水面は、底が見えるほど浅い。
「この井戸、水脈自体はまだ生きてるわね。水の気配が残ってる」
ノーラは井戸の縁に手を当て、軽く目を閉じる。
水魔法の心得がある彼女には、わずかな湿気の流れが、かすかな音のように感じ取れる。
「ルチェア、こっち来て。足元、気をつけて」
「は、はいっ」
ルチェアが井戸の縁に立つ。ピョコマルはその足元でちょこんと座った。
「ルチェア、あなたの祝福印は風寄りよね。なら、水の流れを感じるのも得意なはず。目を閉じて、井戸の中に向かって息をゆっくり吸って、吐いて。……ほら、風がどこからどこへ流れているか、わかる?」
「……ん……」
ルチェアは目を閉じ、小さく呼吸を整える。
やがて、眉根が少しだけ柔らかくなった。
「なんか……下の方から、ひんやりした空気が上がってきてます。けど……途中で、つっかえてるみたいな……」
「やっぱりそう。土砂か、岩で水の通り道が細くなってる。じゃあ、そこを“刺激”してあげましょうか」
ノーラは水魔石を取り出し、井戸の縁に小さなルーンを描いた。
「フレアリス、ちょっとだけ火の魔力を貸して。水魔石に直接じゃなくて、ルーン全体をほんのり温める感じで」
「ふふ、つまりわたくしの炎の出番ですわね。――《試しの魔火プロービング・フレア》、低出力でっと」
細い炎の糸が、ルーンの上をやさしくなぞる。
水魔石が、ぼうっと水色に輝いた。
次の瞬間――
井戸の中から、ぼこっ、ぼこぼこと音が響き始める。
底の方で何かがはじけ、水が押し上げられるようにしてせり上がってきた。
「わっ……!」
ルチェアが思わず身を乗り出す。
たちまち、水面は先ほどの倍以上にまで増え、井戸の縁近くまで透明な水が満ちた。冷たい水飛沫が、ルチェアの頬をかすめる。
「……すごい。さっきまで、底が見えてたのに……!」
村長と村人たちが、驚きと半信半疑の顔で井戸を覗き込んだ。
誰かが、恐る恐る桶を下ろす。
きゅるきゅる、と滑車の音がして――
「お、おい! 重いぞ、これ!」
桶は、なみなみと水をたたえて上がってきた。
村人たちが顔を見合わせる。
「味はどうだ?」
「の、飲んでみろお前!」
「いや、お前が先に……」
「……しょうがないなぁ、貸してみろ」
年配の女が桶をひったくると、ごくりと一口すすった。
しばしの沈黙。村人たちが固唾を飲んで見守る。
「……うん。いつもの井戸水と同じ味だよ。いや、むしろ前より、ちょっとだけ冷たくて澄んでる」
ほっとした笑いが、じわりと広がった。
ノーラはその様子を見て、小さく息を吐く。
「成功、ね」
「ほ、ほんとに……出ましたわね」
フレアリスも、少しだけ目を丸くしている。
(よかった……!)
ルチェアは胸に手を当て、ほっと安堵した。
ピョコマルも「ぴゃあ」と嬉しそうに鳴き、水面を覗き込む。
村長は井戸から視線を離さず、ノーラの方を見た。
「……あんたが来なきゃ、わしら、たぶんこのまま天気任せで一年を潰してた。ありがとな」
「礼なら、水魔石に言いなさい。それと、契約書にサインを」
「……やっぱり金の亡者じゃねぇか」
苦笑混じりに署名をする村長に、ノーラも口元だけで笑う。
「“困ってる人のところに便利な物を届けて、ちゃんと対価をもらう”――それが商売よ。慈善だけじゃ腹は膨れないし、搾取だけじゃ誰も続かない」
ルチェアはその言葉を、静かに胸の中で繰り返した。
(困ってる人を助けながら、お金も稼ぐ……そんなやり方もあるんだ)
風がそよぎ、井戸の水面にさざ波が広がる。
ルチェアの祝福印が、ほんの少しだけ、あたたかく脈打った気がした。
ジルコールへの帰り道。
丘を越えながら、フレアリスが鼻を鳴らした。
「まったく貴女という人は……村も助け、銀刻交易連合の信用も上げ、しかも長期の収入源まで押さえるなんて。強欲を名乗るだけはありますわね」
「誉め言葉として受け取っておく」
「強欲であることを褒める文化、ちょっとどうかと思いますけど……」
ルチェアが苦笑すると、ノーラは肩をすくめた。
「世界はね、ルチェア。優しい人だけじゃ、回らないの。ちゃんと欲張って、ちゃんと計算して、そのうえで少しだけ誰かを助ける。そのくらいが、丁度いいバランスよ」
「……はい」
ルチェアはうなずき、前を向いた。
遠く、ジルコールの街並みが見えてくる。
そのどこかで、また新しい噂が広がり始めているのだろう。
――「銀刻交易連合」
水の出ない村に、水を呼び戻した魔女と、その相棒たちの話が。
閲覧いただきありがとうございます。




