42~ノーラ、個人商会を立ち上げる
ジルコールの街の外れ。
メイン通りから一本外れた細い路地のさらに奥、
小川沿いの石畳が途切れる場所に、その建物はあった。
木造二階建て――と言っても、二階はほぼ物置。
一階は粗末な倉庫で、窓は小さく、塀もところどころ板が剥がれている。
「……見事に、安そうね」
ノーラは腕を組み、半眼で建物を見上げた。
隣で、紹介役の小商人が愛想笑いを浮かべる。
「そりゃあね、お嬢ちゃん。ここ、前の借り手が夜逃げしてからずっと空きでさ。
雨漏りは直してあるし、梁もまだしっかりしてる。なにより――安い」
「そこは一番大事なポイントね」
ノーラの眼がきらりと光る。
「条件、もう一度確認させて。――前家賃1フロー、月々の地代が2フロー。鍵の管理は私、内装の修繕は借り手負担。出入りの商人の素性については口を出さない。合ってる?」
「話が早ぇな。そう、それでいい。……ただまあ、噂は聞いてるぜ、銀箱女さんよ」
男はニヤリと笑い、声を潜める。
「再生魔石を持ってるとか、持ってないとか。
あんた、下手に目立つと――」
「だからこそ、看板を出すのよ」
ノーラは遮るように言い、くるりと倉庫に背を向けた。
「ここは倉庫兼、取引の窓口にする。
たまたま銀箱を回収した魔女から、銀刻交易連合の代表に格上げ。
噂の矛先を個人じゃなく組織にずらすの。安全のためと、交渉力アップ。両方ね」
「……こりゃあ、とんでもねえ娘さんだ」
商人は肩をすくめたが、その目には興味と少しの怖れが混ざっていた。
「契約書、ここにサインしてもらえる?」
「お、おう」
ノーラが用意していた羊皮紙には、簡素な賃貸契約とともに、小さく一行が追加されている。
――【銀刻交易連合 ジルコール支部・倉庫兼事務所】とする。
倉庫の鍵を受け取ったノーラは、軋む扉を押し開けた。
中は薄暗く、埃っぽい。
だが壁は乾いているし、床板も踏み抜けるほどではない。角には蜘蛛の巣が伸び、かつて荷が積まれていたであろう跡だけが残っている。
「……悪くないわね。少なくとも、森のアナグラよりは文明って感じ」
背中の布袋を下ろし、中から小さなランプとランプ油を取り出す。
火打ち石で火をつけると、ぼうっと淡い光が広がった。
照らし出されたのは、何もない空間に、ぽつんと置かれた古ぼけた机と椅子一つ。
「机があるだけ、優良物件ってことかしらね」
ノーラは苦笑しつつ椅子に腰を下ろし、持ち込んだ帳簿を机の上に広げた。
――銀箱から得た利益の洗い出し。
――魔石の在庫と、売却済み・保管中のリスト。
――砕石魔石や水魔石、水袋やロープ、冒険者向け小物の仕入れ先。
並べていくうちに、この狭い倉庫が、初めて「拠点」として息をし始める。
「さて――名前、どうするかよね」
ノーラはペン先をくるくる回しながら、ぼそりと呟いた。
「エレアノーラ個人商会とかだと、小物臭がすごいし……
銀箱女商会は絶対イヤ。誰がそんな縁起悪い名前を……」
しばし沈黙ののち、彼女の視線は懐から取り出した小さな銀のブローチに留まった。
かつて古着屋で値切って買い、磨き直して転売した記念の一品。唐草模様の細工は、今もささやかに光を返す。
(銀は、価値がわかりやすい。重さと品位でだいたい決まる。
でも、真の値打ちはどこに刻まれたかで変わる――)
師匠の言葉が、ふと脳裏に浮かんだ。
『看板ってのはね、魔力と同じで刻んだ時間がものを言うんだよ。信用が刻まれていく器になる』
「……銀刻ね」
ペン先が、さらさらと羊皮紙の端に文字を刻む。
――銀刻交易連合。
書き上げた瞬間、ノーラは小さくうなずいた。
「銀は実利、刻は信用。――悪くないわね」
彼女は立ち上がると、倉庫の外へ出た。
通りの方を向いた壁には、ちょうど掲げ物ができそうな横板が一本渡されている。
「看板は……最初はこれで十分」
拾ってきた古板に、炭と簡易ルーンでざっと文字を書く。
【銀刻交易連合】
【魔石・宝物・貨物一時預かり】
【評価・鑑定・物流相談 エレアノーラ=リッチポンド】
「書きすぎると、逆に怪しいかしら?」
自問しながらも、ノーラは釘を打ち込み、看板を掲げた。
ぎし、と頼りない音を立てながらも、板はしっかりと壁に固定される。
その瞬間――
「なにしてるんですか、ノーラさん!」
弾む声が路地の入り口から響いた。
見れば、かごを抱えたルチェアと、その後ろからソルトが息を切らしながら駆けてくる。
「やっぱりここでしたか! 新しい倉庫を借りたって、ギルドで噂になってましたよ!」
「銀箱女がついに店持ちしたって、酒場の兄ちゃんたち大騒ぎでした……」
「いつの間に、そんなスピードで噂が……怖い街ね、ほんとに」
ノーラは額を押さえつつも、看板を指で軽く叩いた。
「見ての通りよ。銀刻交易連合。今日からここが、私の正式な仕事場。
ルチェア、あんたの働き場所でもあるわ」
「えっ、私の……?」
「荷物の整理や帳簿付け、魔石の磨き。やることは山ほどあるから」
ルチェアの顔がぱぁっと輝く。
「やります! がんばります!」
ソルトも看板を見上げ、少し照れくさそうに笑った。
「なんか……一気に偉い人になった気がしますね、ノーラさん」
「やめて。そういうのは利益が年商100ソル超えてから言って」
ノーラは肩をすくめてから、わずかに口元を緩めた。
「でも――そうね。
今日から私は、ただの銀箱女じゃない。銀刻交易連合の代表よ」
その言葉には、冗談めかした軽さと、どこか覚悟に似た重さが混ざっていた。
その日の夕刻。
ジルコールの露店街では、さっそくこんな会話が交わされていた。
「おい見たか? 外れの倉庫に新しい看板が出てたぞ」
「銀刻交易連合? あれだろ、再生魔石を持ってるって噂の銀箱女の店だって話だ」
「魔石の預かりもやるらしいぜ。
怪しい橋渡りもまとめて請け負ってくれるなら……ちょっと相談してみるかね」
「いやいや、相手が悪いと命まで取られそうだ。だが、儲け話には違いねぇ」
――噂は、煙のように広がっていく。
倉庫の中で帳簿を繰るノーラは、それを知ってか知らずか、黙々と数字を積み上げていた。
「ふふ……いいわ。
噂でもなんでも、金になるなら歓迎よ」
銀のように冷たく、刻印のように確かな野心が、静かに彼女の胸に根を張っていた。
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