41~砕石魔石取引の契約
ギルドでの話し合いから、数日後の朝。
森のアナグラには、いつもの静けさが戻っていた。
ノーラは入口前の平らな岩に座り、瞑想を終えたばかりだった。
腹の奥に、じわりと温い魔力の塊ができている感覚を確かめ、ゆっくりと息を吐く。
「――はい、ここまで。ルチェア、集中は切らさなかった?」
「う、うん……たぶん。足、しびれました……」
すぐ隣で胡坐をかいていたルチェアが、情けない声を上げて両足をさすった。
その頭の上で、ピョコマルが「ぴゃう」と鳴き、ふかふかの前脚で器用にルチェアの髪を押さえる。
「風の流れ、まではわかるんですけど……魔力の流れって言われると、まだよく……」
「最初はそんなもんよ。自分の中に川が一本あるって想像して、その流れを手のひらに向けてみて」
「川……」
ルチェアはぎゅっと目を閉じ、小さく息を整える。
その袖口が、ほんのわずかに揺れた。
ピョコマルの耳がピクッと動く。
アナグラの前にかかる草の穂が、ささやかな風に撫でられた。
「……今の、わたし?」
「そう。今ぐらいのそよ風を、数秒でいいから維持できるようにしなさい。
力を入れすぎると突風になって自分ごとこけるから、そこは気をつけて」
「は、はいっ!」
「ぴょ!」
ピョコマルまでやる気に満ちた声を出して、ルチェアは照れ笑いした。
そんなほのぼのとした空気を――
「失礼しますわよォォォーーッ!!」
甲高い声が、見事にぶち壊した。
振り返ると、籐のバスケットを抱えたフレアリスが、森の木々の間からずかずかと現れた。
今日は赤と白のチェック柄のワンピースに、無駄にレースのついたエプロンまで巻いている。
「本日の高貴なるアナグラ訪問ランチ会、主催者にして料理長のフレアリス=ヴァン=ルクレールが参りましたわ!」
「その肩書き、日に日に長くなってない?」とノーラ。
フレアリスは気にした様子もなく、バスケットを掲げてみせた。
「サンドイッチとハーブスープと、小さな焼き菓子。庶民の舌でも感動で涙するラインナップですわ。感謝していただいてよろしくてよ」
「ほんとですか!? いただきます!」
ルチェアの目がきらきらと輝いた。
「ルチェア、釣られるの早い」とノーラは呆れつつも、内心ではありがたいと思っている。
食費が浮くのは、どんなときも正義だ。
即席の昼食会が終わる頃、森の入口から、また別の気配が近づいてきた。
足音は二人分。片方は重めの革靴、もう片方は軽い。
ノーラは薄く目を細め、ピョコマルが「ぴゃ?」と首をかしげる。
「来客ね。……心当たり、ある?」
「わたくしじゃありませんわよ。さすがに今日の私は、これで手一杯ですもの」とフレアリスは胸を張る。
やがて枝をかき分けて姿を現したのは、ギルドの伝令役の少年と――
「カーシェル商会・副帳付、リナード=カーシェルと申します。
エレアノーラ=リッチポンド殿、お目にかかれて光栄です」
シンプルだが上質な紺の上着に、落ち着いた仕立てのズボン。
髪は丁寧に撫でつけられ、眼差しは真っ直ぐ。
ソルトより少し上くらいの年齢だろうか。
商人の匂いが、きちんと漂っている。
(カーシェルの人間が、わざわざ森まで……)
ノーラは立ち上がり、ローブの裾についた草を払った。
「こんな辺鄙なところまでご苦労さま。
ギルド経由なら、普通はギルドで会うと思うんだけど?」
「ええ。本来ならそうですが――」
リナードは軽く会釈し、チラリとルチェアとフレアリスに視線をやった。
「ギルドは耳が多い場所でもありますから。
静かに話したい件については、こちらの方が適しているかと」
「……ふぅん。ここにいる三人と一匹は、私の側の耳よ。気にせずどうぞ」
「一匹、ですって……」フレアリスが不服そうに唇を尖らせるが、ノーラは無視した。
リナードは小さく笑い、真面目な顔に戻る。
「まず、ギルドを通じた書状へのご返答、確かに拝見しました。
再生魔石の件、現時点では動く意思なし――了解しております。
ですので、その話はここでは一切いたしません」
「話が早くて助かるわ」
「代わりに――別件の依頼を。
これは、カーシェル商会としてではなく、ジルコールの一商人として、
そして近い将来、王都との橋渡しを担う者としての“お願い”です」
ルチェアの肩が、わずかにびくりと動いた。
王都、という単語への反応だった。
(……ルチェアの素性までは、さすがに掴まれてないはず)
ノーラは表情を動かさず、先を促した。
「最近、砕石用の魔石――砕石魔石の大口取引を巡り、
ジルコールの三商会の間で、かなり微妙な綱引きが起きているのはご存じでしょうか」
「噂くらいはね。
砕石魔石って、街道整備や堀削に使う、あれでしょ?
起動すると局所的な衝撃波が出て、岩を砕くって魔石」
「その通りです。
ソラリア王国は今、街道の再整備に本腰を入れ始めている。
関所を廃止して物流を開いたのは、その前段階。
この先、王都から周辺諸国まで、石畳の動脈を伸ばすつもりなのですよ」
「……砕石魔石の需要は、これからうなぎ上り。
利権を押さえた商会は、一気に数倍の規模になる。そういう話ね」
ノーラの言葉に、リナードは静かに頷いた。
「問題は、どこの魔石をどれだけ、どの価格で王都に流すか。
三商会それぞれに取引先の鉱脈があり、品質も出自も違う。
互いに互いを疑い、駆け引きだけが先行している状態です」
「よくある話ですわね」とフレアリス。
「利権の匂いがしたとたん、庶民も貴族も目の色を変える……」
「そこで――」
リナードは、革の鞄から一枚の書状を取り出した。
堅苦しい文面の最後に、二つの署名が並んでいる。
一つはカーシェル商会。
もう一つは――ギルド・ジルコール支部長、バルロの名だった。
「ギルド立会いのもと、砕石魔石の品質鑑定と適正価格のすり合わせ”を行う席を設ける。
その場で、中立の鑑定人兼、値踏み役を務めていただきたい――
というのが、今回の正式な依頼です」
「……三商会が、同じ席に?」
「はい。カーシェル、トーネル、そして黄金冠商会の代理人。
もちろん、再生魔石の話題は一切持ち込まないという条件で」
ノーラはわざとらしく目を細め、ため息をついた。
「ずいぶん、危ないロープの上を歩かせるわね。
三匹の大きな獣の真ん中で、肉の重さを計れってわけ」
「その代わり――」
リナードは指を一本立てる。
「報酬は、砕石魔石取引が成立した場合の総額の、百分の一を。
王都街道計画の第一便に限り、銀刻交易連合の名義で支払います」
百分の一。
だが、王都の街道計画に使われる砕石魔石の総額は、桁が違う。
ノーラの脳内で、即座に数字が弾き出される。
(最初の一つの路線だけでも……最低数千フロー。百分の一なら、数十フロー。
いや、工期と範囲次第では、もっと上も見える)
ルチェアの将来のための蓄え。
銀刻交易連合の基礎資本。
再生魔石を巡る駆け引き用の軍資金。
どれをとっても、魅力的な数字だった。
だが。
「条件があるわ」
ノーラは指を三本、順に立てた。
「一つ。砕石魔石の取引と、その周辺情報について、
銀刻交易連合は鑑定人であると同時に、独立した商人としても行動する。
つまり、私がその情報をもとに別の商売をしても、口出ししないこと」
「……ふふ。そこは譲れませんか」
「二つ目。
鑑定の場に、私の仲間――護衛兼助手を数名同席させる。
カーシェル名義で、ギルドに正式に登録してもらうこと」
「構いません。ギルド経由で手続きしましょう」
「三つ目が一番大事。
これから先、カーシェル商会は再生魔石について、
私に対してもギルドに対しても、一切の直接交渉を試みないこと。
もし王都から追及が来ても、カーシェルは関知せずで通す」
リナードは一瞬だけ言葉を失い――
やがて、苦笑を浮かべた。
「……強欲というより、慎重なお方だ」
「慎重さは、強欲の一部よ。
失うリスクを計算できない欲なんて、ただの愚か者だもの」
ルチェアが、思わずノーラの横顔を見つめた。
その瞳に、尊敬と、少しの憧れが浮かんでいる。
フレアリスは「やっぱり好きですわ、そういうところ」と、にやにやしていた。
リナードは、短く息を吐き、真剣な眼差しで頷いた。
「……その三条件、カーシェル商会として受け入れましょう。
元より、再生魔石を無理に追うつもりはありません。
砕石魔石の取引は、王都との信頼を得るための“表の仕事”ですから」
「なら、話は早いわね。
日取りは?」
「三日後。ギルドの大広間にて。
三商会の代表と、王都からの連絡役も、ジルコールに入る予定です」
王都からの連絡役――
その言葉に、ノーラの胸の内で、別の予感が静かに身をもたげた。
(……ぼんくら王子と噂の、あの人脈かどうかは知らないけど。
王都が本気で動き始めるタイミングで、砕石魔石と再生魔石と祝福印の娘がジルコールに揃う。
――面倒どころじゃない嵐になりそうね)
だがノーラは、あくまで涼しい顔で手を差し出した。
「銀刻交易連合――代表、エレアノーラ=リッチポンド。
砕石魔石取引、値踏み役として仕事を請けるわ」
「カーシェル商会、副帳付、リナード=カーシェル。
あなたと、あなたの商会に、良い取引が訪れることを祈ります」
固く握手が交わされる。
森の静かな空気の中で――
ジルコール三商会と王都を巻き込む新たな商戦が、静かに幕を開けた。
そしてその中心に、銀刻の値踏み姫と、その傍らに立つ祝福印の少女がいることを、
この時点で知っていた者は、まだほとんどいなかった。
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