70# 旅立つ時。
ラジェアベリア王国では、今、先代国王が死の淵に居た。
スティーヴン・マルムス・ラジェアベリア。齢88歳。
若い頃は、神の御子や聖女と旅をしていた冒険者でもあった。
人に優しく、人の話を良く聞き、時たまユーモアのある言動をしたりする。
とても国民に愛された王であった。
旅の途中で出会った海の巫女を妻に迎え、夫婦仲は睦まじく、二人の王子と二人の王女をもうけた。
66歳の時に妻に先立たれ、愛する妻を亡くした辛さから第一王子に王位を譲り、王都の端にある林の近くの城で隠居生活を送っていたのだ。
「……私は…もう、死ぬの…だな…」
最期は誰にも看取られたくないと、人払いをしてある。
大きな大きな満月の夜。
開け放たれた窓からは月の明かりが射し込む。
王は昔を懐かしむ。
人はこれを走馬灯と呼ぶのか…。
スゥ……呼吸が途切れようとした時、懐かしい声がした。
「殿下!殿下!お久しぶりですわ!」
突然、聞こえた声に驚き、最早ベッドから起き上がれない身体で窓の方に目を向ける。
大きな満月を背に、若いままの姿のレオンハルトとディアーナが抱き合うようにして浮いている。
レオンハルトの金の髪と、ディアーナの藍色の髪が、月の明かりを受けキラキラと輝く。
「…ディアーナ…嬢…レオン…ハルト殿…」
声を出すのもままならない。
二人の姿を見るのは、65年ぶり位だろうか?
「ディアがな、またお前と旅がしたいってな。」
「だって、楽しかったんだもの!殿下がおかんで、師匠がおとん!」
懐かしい会話のやり取りに、声は出ないが笑う。
ああ、楽しい…。
「殿下、私たちと一緒に旅をしませんか?殿下が望むなら、殿下が亡くなった後に新しい身体を用意します。魂をその身体に入れて…また、一緒に行きましょう?」
ディアーナは部屋の中に降り立ち、スティーヴンのか細いシワだらけの手を優しく握った。
「ディアーナ…嬢…すごく…嬉しい申し出だが…私は、行けないよ…」
レオンハルトはディアーナに続き部屋の中に降り立ち、スティーヴンの傍らに立つ。
「何で?」
答えは分かっていて、あえて聞く。
「私は…ウィリアを…愛している…だから、待ってくれている彼女を…一人にさせたくないんだ…レオンハルト…殿なら…分かるでしょう…?」
「…ああ、分かるよ…」
レオンハルトの笑顔は優しく、優しく、スティーヴンに向けられている。
そして、そんな二人のやり取りを見ているディアーナもまた、優しい笑みを零す。
「お父様にお願いしておきますわ。殿下とウィリアさんの魂が、また巡り合うようにと。」
「…ジャンセンに…?それは…怖いな…はは…」
苦笑するスティーヴンにディアーナは近付き、頬に親愛の口付けをする。
「殿下…おやすみなさい…また逢う日まで…」
返事は無かった。
幸せそうに眠りについた、年老いた男の遺体だけがそこにあった。




