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一通りの読経が終わった後、住職が着物を前に首を捻っていた。
困っている様子ではなく、さりとて恐れているといった風情でもないその表情に疑問を持った勘次郎は、そっと住職に近づいて声をかけた。
「和尚さま、なにかお心に掛かることでもございましたか。」
問われて、少し驚いた顔になった住職は、それでもにこやかに答えた。
「拙僧の読経の功徳ではない何かが、この着物から執着を取り払ったように思えてな。」
勘次郎は、これはなかなか出来た坊さんかもしれない、と思って言葉を返した。
「それは、あの旅籠の桜の根方に立っていた女子の幽霊が着ていたものだと聞いております。」
「ふむ・・・。」
「もし、極楽への道筋がその女子に見えて執着が晴れたのなら、それはやはり和尚様の徳によるものでしょう。」
「いやいや、拙僧の読経などこの場の飾りほどにしか意味は無かろうて。」
「何を仰いますやら。近郷で一番の徳をお示し下さると評判の和尚様が。」
ははは、と笑って、勘次郎はさらに続けた。
「もし、お気持ちに納得が出来かねると仰るなら、ほれ。そこに持って参りましたこの着物を、このお寺でこの先も供養していただいたら如何でしょうね。」
「それで、気持ちに折り合いを付けよと・・・。」
「そんな偉そうなことは申しておりませんよ、和尚様。ただ・・・」
「ただ・・・、何かな。」
「安らかに赤子を産み育てたかっただろうと思うと、女子の気持ちには区切りがついても、赤子を思う母の心はどうなのか、などと・・・。」
「なるほどのぅ。」
「いえ、賢しらなことを申し上げてしまいました、お許し下さいませ。」
「何を謝られるか。尤もな懸念じゃと拙僧も気が付かされた。礼を申す。」
「頭をお上げくださいませ、和尚様。」
「いやいや、この着物、たしかに当寺で供養いたそう。これも何かの縁じゃによってな。」
かかか、と笑った住職は、心に蟠っていたものが晴れたような顔になって、一言呟いた。
「拙僧もまだまだよのぅ。悟りの道は遠いわい・・・。」
住職が離れて行ったところに、湯呑みの片付けを終えた美祢が寄って来て、眩しそうに勘次郎を見て言った。
「わが亭主ながら、惚れ惚れするねぇ。」
「何を寝言言ってやがる。」
「こんな鄙びた田舎とはいえ、寺を預かる坊さんを折伏しちまったんだもの、そりゃ惚れ直しもするわね。」
「その口、なんとかならねぇもんかね。」
「あら、生まれついての物言いは、お釈迦様でも治せないってね。」
ほほほと笑う美祢に、勘次郎はぼそっと一言呟いた。
「だから、ここの本尊は観音様だっつってんだろ・・・。」
一切の供養を終えた勘次郎と美祢は、旅籠へ帰るとそのまま荷物を背負って街道へと出た。
「御坊さま、何から何までお世話になりました。」
「ち、ちょっと待ってくんな。おいらは薬売りだって何遍も・・・。」
「皆まで仰いますな。世を忍ぶ仮の姿とは、手前も心得ておりますから。」
「だからそうじゃな・・・。」
「あらら、見る人が見れば分かっちまうもんなんだねぇ。」
「こら。お前ぇまで何言ってやがる。」
「ちょいと、ご亭主。うちの旦那様のこと、くれぐれも人様に喋っちゃいけませんよ。」
「もちろんでございますとも、ご新造さま。」
「お前ぇら何分かったようなこと言って・・・。」
「旦那様は徳も高いですが、お怒りになるとそれはもう・・・。」
「くわばらくわばら。何があってもこのご恩は忘れません。それと御坊さまのことも・・・。」
「では私共はこれにて。さて、参りましょうか旦那様。」
「あのなぁ・・・。」
勘次郎と美祢は、遅れた出立を取り戻そうという素振りも見せず、高くなった日の光を浴びながら、それでもしっかりとした足取りで、高崎から一里十九町先の倉賀野宿を通り過ぎ、その先一里十八町の新町宿で昼時を迎えた。
街道沿いの茶店で、軽くうどんを啜って腹を満たした二人は、先を急ぐ旅人の流れを見ながら、少しの間食休みをしていた。
さて、そろそろ、と立ち上がった勘次郎に、
「ちょいと用足しに行くから、待ってておくれな。」
と声をかけた美祢が、茶店の脇の小道を入って行った。
「なんでぇ。用足しくらい先に済ませときゃいいじゃねぇか。」
ぼやきながら、勘次郎は見るともなく二人の手代を連れたどこぞの大店の隠居夫婦が、孫娘と思しき十四、五の娘を連れて歩く姿を見ていた。
「ありゃあ何を背負ってやがるんだ、あの手代・・・。」
五人連れの姿が見えなくなった頃合いに、美祢が裏から戻ってきてなにやらぶつぶつと呟いた。
「今、なにか恐ろしいものが通って行かなかったかい。」
「お前ぇにも分かったんなら、ありゃ本物だってことだな・・・。」




