第4話 浜に流れ着いた子
打ち上げられた難破船の陰で、小さな泣き声が聞こえた。
濡れた帆布を押し分けると、そこに恥いつくばっていたのは、泥と塩にまみれた五歳ほどの男の子だった。細い体を震わせ、冷たくなった母親の着物の裾を握りしめている。
「……おい、生きてるか」
私が抱き上げると、その子は怯えた目で見上げてきた。これが、私と太吉の出会いだった。
◇
「おしお! 本気でその子を育てるつもりか!?」
嵐が去った翌日、弥兵衛の作業小屋で村の年寄たちが眉をひそめて私を囲んでいた。
「去年『異国船打払令』が出たばかりの厳しい時分だぞ。どこの馬の骨とも分からん流民を拾って育ててみなろ、代官所に知れたら村ごとどんなお咎めを受けるか分かったもんじゃない!」
「そうだよ、浜の外から来た余所者なんぞ、他所の村へ追い払うのが関の山だ!」
村人たちの言い分も分かる。この時代、余所者は感染症や間者のリスクそのものだ。幕府の厳しい目が光る中、誰も面倒を抱えたくはない。
だが、七歳の皮をかぶった四十二歳の船長魂が黙っていなかった。私は仁王立ちになって言い放った。
「余所者、余所者って、うるせえな! 海に流されてきた命をそのまま見捨てるのが、海の男のやることかよ!」
「なっ……!」
「お咎めならあたしが全部受けてやる! 文句があるなら、あたしをこの村から追い出してみな! 明日から天気の読みも、潮の読みも、全部自力でやってもらうけどね!」
私のタンカに、年寄たちがウッと絶句した。
「船霊憑きのおしお」の天気予報がなければ、この村の漁は成り立たない。最大の弱みを突かれた男たちは、気圧されて目を泳がせた。
黙って煙管をくゆらせていた弥兵衛が、苦笑しながら助け船を出した。
「……やめとけ、お前たち。おしおがこうと言い出したら、テコでも動かん。太吉はわしと、このおしおで引き取る。村の者には『弥兵衛の遠縁の子』として通す。文句はないな?」
こうして、太吉は正式に我が家の子となった。
◇
それから、十四年の月日が流れた。
天保十一年(1840年)。
私もすっかり二十一歳の娘――いや、中身は五十五歳超えの大ベテラン船長へと順調にババア化……もとい、成長を遂げていた。
私の子育ては、まさに「タグボート船長のスパルタ養成所」だった。
「太吉! 櫓の手さばきが甘い! 腕で漕ぐな、体重を乗せろ! 波の引きに合わせて引くんだ!」
「は、はいっ! すみません船長!」
「船長って呼ぶな、お姉ちゃんだろ! ……まあいいや、次! 西の空を見ろ、あの雲は何だ!?」
「ええと……羊の群れみたいな雲です!」
「うろこ雲だ! 半日後に雨が降るぞ、覚えておけ!」
「はい、船長っ!」
口調が完全に船長の号令になってしまうのは元職業病の悲しい性だが、太吉も順応が早く、私のことを「船長」と呼んで敬礼までする始末だ。
十九歳になった太吉は、村の大人顔負けに櫓を操り、風を読む立派な船乗りに育っていた。
「船長! 今日の沖はいい風が吹いてます! 大漁間違いなしです!」
逞しく日焼けした顔で笑う太吉を見ていると、現代に残してきたヘボ甲板員の陸斗の顔が、ふと頭をよぎる。
(要領が悪くて慌てん坊だった陸斗と違って、太吉は筋がいい……。まあ、血のつながりなんてあるわけないが、教え甲斐があるねぇ)
そんな穏やかな漁村の日常が、ずっと続くと思っていた。
――だが、時は流れて嘉永六年(1853年)。
その平穏は、突如として破られることになる。
「大変だ……大事件だぞっ!!」
息を切らせた村の男が、浜へ駆け込んできた。顔は真っ青で、ガクガクと膝を震わせている。
「浦賀の沖に……見たこともないでけえ蒸気船が、四隻も現れやがった! 黒い鉄の塊みたいな船から、もうもうと黒煙を吐いてるんだ!」
浜全体が静まり返った。
ついに来た。
泰平の眠りを覚ます、ペリーの黒船来航――歴史の大波が、この小さな横浜村にも押し寄せようとしていた




